共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

紫陽花いろいろ…

2024年06月15日 19時00分58秒 | 
今日も、日中は暑くなりました。今日で6月も半分終わるというのに、梅雨入りする気配は全く感じられません。

それでも、植物の世界は順調に梅雨入り(?)したようで、あちこちで紫陽花が見頃を迎えています。ただ、よく見てみると











こうした紫色っぽい紫陽花が多く見られるようか気がしています。

紫陽花といえば『土壌のリトマス試験紙』と言われるように、土壌のpH値によって酸性なら青色、アルカリ性ならピンク色の花になると相場が決まっていました。しかし、最近はそうした常識の呪縛から解き放たれた紫陽花も、少なからず存在しているようです。

夕方からポツポツと雨が降ってきましたが、この雨も未明には上がるようです。一体、いつになったら梅雨らしくなるのでしょうか…。

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次の人のためにも…

2024年06月14日 18時45分10秒 | 日記
今日の小田原は、かなり暑くなりました。関東地方はまだ梅雨入りもしていないというのに、こんなに暑くてはたまりません。

そんな暑さにやられたのか、支援級の子どもたちはいろいろな反応を示しました。中でも普段から自分勝手の過ぎる女子がいるのですが、今日もガッツリと叱っておきました。

さて、そんな中で今日はほぼ全ての休み時間を使って



教室で使っているホワイトボードのクリーニングをしていました。このホワイトボードはかつて違う支援級クラスで使用していたものなのですが、その時に時間割表として使うために縦横にビニールテープを貼り付けてしまったらしく、そのテープの糊が残って真っ黒な線になってしまっていたのです。

裏面は辛うじて無傷状態でしたが、両面使えることがホワイトボードの取り柄だということで、支援級の担任からクリーニングの依頼を受けたわけです。年単位でこびりついてしまったテープ痕は一筋縄ではいかないので、シール剥がしなどという生半可なものではなく



除光液を使います。

気合を入れて磨き上げたこともあって、下校時刻になった頃にはテープ痕も殆ど分からないくらいに綺麗になりました。ただ、私は除光液の揮発のニオイでやられ気味でした…。

公共物というものは、自分が使った後に違う人が使うものです。その認識をきちんと持って学校の備品を使ってもらいたいと、強く思ったのでした。

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カナリヤはどれ…?

2024年06月13日 17時30分10秒 | 音楽
今日は、勤務先とは別の小学校の放課後子ども教室がありました。そこで今月は《ゆりかごの歌》を子どもたちに歌わせていますが、それに絡んでクイズを出題しました。

問:歌詞に登場するカナリヤはどれ?









分かりましたか?

正解は…
















































②でした。これは、現在愛玩動物として飼われているカナリヤの原種にあたる鳥です。

因みに



①はナイチンゲール、



③はウグイスでした。

更に、これらの鳥にはちゃんと漢字が存在しています。鶯はご存知かと思いますが、

カナリヤ⇒金糸雀
ナイチンゲール⇒早夜啼鳥(さよなきどり)

と表記します。

子どもたちは、思ったより関心を持って話を聞いてくれていました。勿論、最後には全員で《ゆりかごの歌》をフルコーラス歌って終わりました。

本来ならば、これと同じようなことが勤務先の放課後子ども教室でもできるはずでした。しかし、何がどう気に食わないのか学校側に開設時間を極端に短くされてしまったため、今期は絶望的です。

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今季初プール授業と『夏みかん&ヨーグルトムース』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2024年06月12日 19時50分20秒 | カフェ
今日は、勤務先の小学校でプール開きがありました。そして、先日大掃除を手伝ってくれた御礼として5年生が優先的に入れることになりました。

私も支援級の子たちのサポートで付き添ったのですが、初回ということでガッツリ泳ぐこともなくほぼ水遊び状態だったこともあって、子どもたちはキャアキャア言いながら楽しんでいました。私はプールサイトで水面に浮いた枯れ葉や虫を網で除去していたのですが、日焼け止めを忘れてしまったために一日で日焼けしてしまったのでした…。

比較的平和な支援級勤務を終えてから、横浜あざみ野の音楽教室に移動しました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日はとにかくサッパリしたものがいただきたかったので、



『夏みかん&ヨーグルトムース』をオーダーすることにしました毎年この時期になると登場するスイーツですが、ヨーグルトのムースと夏みかんのジュレ、夏みかんの果実が実に爽やかな逸品です。

今日はタンザニア・キリマンジャロの水出しコーヒーとともに、美味しく堪能しました。明日は今日以上に暑くなりそうなので、熱中症にも警戒して過ごそうと思います。

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腑に落ちない放課後子ども教室と、今季初の冷やし中華

2024年06月11日 17時15分25秒 | グルメ
今日は、勤務先の小学校の放課後子ども教室がスタートした日でした。ただ、私は殆ど参加することができませんでした。

私は個別学習支援員という仕事もしているのですが、その後に放課後子ども教室にも行くことになっています。その際、労働基準法との兼ね合いで私は15:15まで個別学習支援員の勤務になるのですが、今年度から放課後子ども教室の終了時間が大幅に早くなってしまったため、私が顔を出した頃にはもう子どもたちが帰る時間になってしまうのです。

子どもたちからも

「時間が短い!」

というクレームが噴出してしまっていて、対応に困りました。子どもたちを送り出してから市役所に足を運んで、管轄である教育総務課の主任の方とお話をして

「当事者である子どもたちからもクレームが出てしまっているので、開設時間について学校と今一度考え直してほしい」

ということを訴えてきましたが、どうなるかは未知数です。

本来よりも大幅に遅く小田原駅を出発して、本厚木駅に到着する頃にはクタクタになっていました。今日は自炊する気にもなれなかったので、



今季初めて冷やし中華を食しました。

横浜家系ラーメン《壱角家》だったこともあってか、よく見る冷やし中華とちょっと趣を異にするものでしたが、酢が控えめだったこともあって、私には食べやすい感じでした。冷やし中華自体は好きではあっても、店によっては酢がキツいところもあるのでなかなか手を出しづらいのですが、こちらは個人的に安全圏でした。

明日は小学校のプール開きがあります。天気は問題なさそうですが、変な事故が起きないよう願うばかりです。

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『時の記念日』ですが…

2024年06月10日 17時55分17秒 | 日記
朝のうちの雨はすっかり上がり、午後からは晴れ…る予報でしたが、実際には午後になっても空は厚い雲に覆われたままでした。気温もそこまで上がりませんでしたが、朝の雨の影響で少しムシムシしていました。

ところで、今日6月10日は『時の記念日』です。

これは天智天皇の10年(671年)4月25日、漏刻と鐘鼓によって初めて世に時を知らせたという『日本書紀』の記事に基づいて、その日を太陽暦に換算して6月10日に定められました。第1回『時の記念日』は大正9(1920)年のことでした。

漏刻とは



このようなもので、一番奥の水槽に入れられた水がサイフォンの原理を使って下へ下へと一定の時間をかけて流れていき、一番手前の『萬水壺』に建てられた矢の目盛りを見て定められた時刻を鐘や太鼓で伝えていたものです。この時間管理は役人の仕事で、



このように水を切らさぬようにしながら時を測って知らせていました。

私事ですが、小学校支援級の学習支援をしていると、常に時間の指導がついて回ります。というのも支援級の子たちは、言葉を選ばずに言うなら時間の感覚がルーズで、決められた時間内に課題を終わらせたり、休み時間の長さを守ったりすることが不得意なのです。

その都度注意はするものの、次の日になるとまた同じようなルーズさに逆戻りしています。その度にまた注意して…の繰り返しなのですが、分かっていることとは言いながら、やはり疲れるものです。

学習面もさることながら、せめて時間の感覚には敏感になってもらいたいと願うばかりです。明日からの小学校勤務も、時間との戦いになります。

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今日は山田耕筰の誕生日〜身近な『あるもの』の名付け親

2024年06月09日 15時55分51秒 | 音楽
昨日の暑さから一転、今日は空一面に雲の広がる涼しい一日となりました。まだ関東地方は梅雨入りもしていませんが、このままシレ〜っと涼しい夏になってくれないかな…と願ってみたりしています。

ところで、今日6月9日は山田耕筰の誕生日です。



山田 耕筰(旧字体:山田 耕󠄁筰、1886〜1965)は、日本の作曲家・指揮者で、旧名は山田 耕作(旧字体:山田 耕󠄁作)といいます。日本語の抑揚を活かしたメロディーで、《赤とんぼ》《待ちぼうけ》《あわて床屋》などの童謡をはじめとした日本音楽史に残る多くの作品を残しました。

山田耕筰は日本初のプロフェッショナル管弦楽団を造るなど、日本における西洋音楽の普及に努めました。また、ニューヨークのカーネギー・ホールで自作の管弦楽曲を演奏したり、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やレニングラード・フィルハーモニー交響楽団等を指揮するなど、国際的にも活動していた人物です。

音楽的な話は勿論なのですが、実は山田耕筰は今日我々の生活に馴染みまくっている『あるもの』の名付け親であることはあまり知られていません。さて、その『あるもの』とは一体なにか、皆さんはご存知でしょうか。

それは…



なんと『カルピス』です。この『カルピス』という名前をこの商品につけたのが、何を隠そう山田耕筰なのです。

カルピスの創業者の三島海雲(みしまかいうん、1878〜1974)は新たな乳酸菌飲料商品の命名について、親交のあった作曲家・山田耕筰や、浄土宗の僧侶でサンスクリット語の権威・渡辺海旭(わたなべ かいきょく、1872〜1933に相談しました。そして、日本語に沿う音楽作りで定評のある音声学の権威・山田耕筰は、

「『カルピス』は、Ca-lu-pi-suの4シラブル(音節)ではない。Cal-pis、すなわち、アの母音とイの母音の2つのシラブルである。」

「アの母音は明るく開放的、積極的であり、人間が口を開いた形。イの母音は、消極的で口を閉じた形であるが、堅実である。『カルピス』なる音は非常に発展性のある名前である。」

このような考えのもとに、「カルピス」という名に太鼓判を推したのだそうです。

また、サンスクリットの権威である渡辺海旭は次のように論じて、命名に大賛成しました。

「『カルピス』について、“カル”は、牛乳に含まれるカルシウムを表す。“ピス”は、サンスクリット語に由来する熟酥(じゅくそ=サルピス)をあらわす。乳・酪・生酥・熟酥(サルピス)・醍醐(だいご=サルピルマンダ)の五味があり、最高位は“サルピルマンダ”(醍醐)である。」
(この五味の最上位である『醍醐』から派生した言葉が『醍醐味』)

「なので、最高位をもじって“カルピル”と呼びたいところであるが、この名では歯切れが悪い。そのため、次の位である熟酥サルピスをもじって『カルピス』と呼ぶが、最高に美味しいという点から問題はない」

こうして山田耕筰がらみで命名されたカルピスは大ヒットし、軽やかな名前と共にスッキリとした味わいが万人に愛される飲み物となりました。言葉を大切に扱う日本歌曲の大家・山田耕筰ですが、まさかカルピスの命名にまで関わっていたとは驚きです。

因みに、昭和時代の人間にとってカルピスのポスターといえば、



パナマ帽を被った黒人男性がストローでグラス入りのカルピスを飲んでいる図案化イラストでした。これは第一次世界大戦終戦後のドイツで苦しむ画家を救うために、当時の社長である三島海雲が開催した「国際懸賞ポスター展」で3位を受賞したドイツ人デザイナーのオットー・デュンケルスビューラーによる作品を使用したものです。

しかし、1989年に一部から“差別思想につながる”との指摘を受け、1990年のパッケージリニューアル時にこの「黒人マーク」は使用されなくなってしまいました。

なぜ「黒人マーク」の使用を中止したのかというと、アメリカでの「黒人マーク」いついての意識調査で「差別を感じる」という回答が多くあったためです。つまり、日本人がそのイラストに差別を感じるからではなく、アメリカ人がそのように感じたから中止を決めたということなのです。

この頃には童話の『ちびくろサンボ』が発禁になったりと、エキセントリックなまでに黒人差別を錦の御旗にされて世の中から抹殺されたものがありました。今ではその揺り戻しなのか『ちびくろサンボ』は再び書店に並ぶようになっていますが、カルピスのポスターは戻ることは…ないのでしょう。

今日は作曲家の紹介ながら、音楽の話はありませんでした。その代わり、これからカルピスを召し上がる機会がありましたら、一連の山田耕筰の逸話を思い出していただければ幸いです。

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今日はカール・オルフ《カルミナ・ブラーナ》の初演日〜唯一貼れた演奏動画

2024年06月08日 17時55分17秒 | 音楽
今日の日中は、かなり厳しい暑さとなりました。湿度がそこまで高くなかったからいいようなものの、これで梅雨入りしたらどれだけ暑くなるのでしょうか…。

ところで、今日6月8日はオルフ作曲の《カルミナ・ブラーナ》が初演された日です。《カルミナ・ブラーナ》は


ミュンヘンに生まれ、同地で没した作曲家カール・オルフ(1895〜1982)が、古い詩歌集を基にして作曲した世俗カンタータです。

1803年、ベネディクトボイエルン修道院がバイエルン選帝侯領に帰属(世俗化)したのに伴い、同図書館の蔵書がミュンヘン宮廷図書館に委譲されることになり、調査が行われました。その結果、112枚の羊皮紙に古い歌が多数記された詩歌集の写本が発見されました。

その中の歌(少数の宗教劇を含む)は約300編にのぼり、ほとんどがラテン語、一部が中高ドイツ語あるいは古フランス語で書かれているものでした。歌詞のテーマは、大きく分けると

I) 時代と風俗に対する嘆きと批判
II) 愛と自然、愛の喜びと苦しみ
III) 宴会、遊戯、放浪生活
IV) 宗教劇

というものでした。

カール・オルフはその詩歌集から24篇を選び、そこに新たに自作の曲をつけました。オルフの《カルミナ・ブラーナ》は舞台形式によるカンタータであり、『楽器群と魔術的な場面を伴って歌われる、独唱と合唱の為の世俗的歌曲 』という副題が付いています。

オルフの《カルミナ・ブラーナ》は「初春に」「酒場で」「愛の誘い」の3部から成り、その前後に序とエピローグがついています。1936年に完成し、翌1937年の6月8日にフランクフルト歌劇場で初演され、全世界に名前を知られるようになりました。

全体は、混声合唱、少年合唱、ソプラノ・テノール・バリトンのソリスト、2台のピアノ、大規模なオーケストラという大編成です。酒や男女の睦み合いなどを歌った詞に、シンプルな和音や強烈なリズムがつけられているのが特徴です。

副題にあるように、本来は独唱者や合唱団やバレエが音楽を象徴的に表現する舞台作品であり、バレエによる舞踊を伴わない演奏会形式は略式の演奏となります。しばしば歌劇場ではバレエを伴った舞台形式で上演されますが、現在では殆どが演奏会形式での演奏です。

オルフは後に《カトゥーリ・カルミナ》(1943)と《アフロディーテの勝利》(1950〜1951)を書き上げ、これらを3部作『トリオンフィ』(Trionfi、勝利)としてまとめることになります。しかし、《カルミナ・ブラーナ》と比べると、圧倒的に上演回数は少ないものとなっています。

そんなわけで、今日はカール・オルフの世俗カンタータ《カルミナ・ブラーナ》をお聴きいただきたいと思います。gooブログに唯一貼ることを許された動画で、時を超えた世俗の歌の数々をお楽しみください。


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ちょっとお高め!生搾り自販機

2024年06月07日 17時45分35秒 | 日記
今日も、小学校の支援級では様々なことがありました。交流授業に行きたくないとゴネたり、授業に必要なものを忘れてそれをギリギリまで申告してこなかったりして、その度に担任が見えないところで溜め息をついている様子が垣間見られました。

どうしようもない理由であればまだしも、忘れ物をしたのは本人の責任ですし、『行きたくない』というのは単なる我が儘なので、担任の隣で私はひたすら子どもたちを叱り飛ばしていました。いくら支援級の子たちだからといって、何をしてもいいわけではありません。

そんな支援級勤務を終えて小田原駅に戻ってきたら、駅の入口付近に



生絞りオレンジジュースの自動販売機が登場していました。以前同じものを大和市のショッピングモールでも見かけましたが、いつの間にか小田原にもお目見えしていました。

1杯¥350となかなかのお値段ですが、料金を入れると機械の中のオレンジが謳い文句通り圧搾機へと転がっていき、45秒ほどで


搾りたてのオレンジジュースが出てきます。皮ごと絞っているからか、ほんのり苦みの効いた本格的なオレンジジュースです。

そうしょっちゅう手を出せるお値段ではありませんが、ヘンに添加物の多い清涼飲料水を飲むよりよほど健康的でしょう。折角小田原に登場したのですから、これを機にまた楽しんでみようと思います。

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小田原の夕方を彩る《ゆりかごの歌》

2024年06月06日 18時40分18秒 | 音楽
今日から、今年度の放課後子ども教室がスタートしました。今日は、勤務先とは別の学校の教室です。

大人たちの自己紹介をしてから、今年度も帰りの歌を歌うことになりました。今月は、小田原市の夕方の防災無線放送で流されている《ゆりかごの歌》です。

《ゆりかごの歌》は


詩人北原白秋(1885〜1942)の作詞、



草川信(1893〜1948)作曲による童謡です。この《ゆりかごの歌》が小田原市の防災無線メロディに採用されたのは、今から8年前の2016年のことです。

北原白秋が上京するまでの19年間暮らした故郷の福岡県柳川市に次いで長く居住し、初めて自宅を持った土地が小田原でした。転居したのは大正7(1918)年3月で、白秋が33歳の時でした。

白秋はその後、大正15(1926)年5月までの8年2ヶ月にわたって小田原に居住し、その間に多くの作品を創作しました。例をあげますと、

雨ふり
〽あめあめふれふれ母さんが〜

赤い鳥小鳥
〽赤い鳥小鳥、なぜなぜ赤い〜

あわて床屋
〽チョッキンチョッキンチョッキンナ〜

ちんちん千鳥
〽ちんちん千鳥の鳴く夜さは〜

砂山
〽海は荒海〜、向こうは佐渡よ〜

からたちの花
〽からたちの花が咲いたよ〜

ペチカ
〽雪の降る夜は、楽しいペィチカ〜

待ちぼうけ
〽待ちぼうけ〜、待ちぼうけ〜

この道
〽この道は〜いつか来た道〜

など、いずれ劣らぬ有名どころ揃いですが、その中で際立って有名になったのが《ゆりかごの歌》です。

小田原の生活は快適で、白秋は終生小田原で暮らすことを考えていたといわれます。しかし、1923年9月1日に発生した関東大震災で住居が半壊したこともあり、やむなく東京へ移っていったのでした。

因みに、小田原市が防災無線放送を《赤とんぼ》から《ゆりかごの歌》に変更した理由として

①ゆったりとしたメロディで、防災行政無線でもわかりやすい 

②北原白秋の作品の中でも認知度が高く、親しまれている
 
③小田原在住時に妻の妊娠を知って作詞したもので、子どもへの愛情にあふれて
いる作品である

ということなどから、子どもたちに帰宅を促す側面もある夕方のチャイム放送に適しているため選曲したとのことです。

子どもたちにこれらの話をしてみたところ、前年度在籍していた子たちの何人かが私の話を覚えていてくれていました。正直、あまり期待していなかったのですが、これは嬉しいことでした。

今月、こちらの学校ではあと3回放課後子ども教室がありますが、その時に前年度に出したクイズも出してみようと思います。果たして、彼らは答えられるでしょうか。

そんなわけで、今日は《ゆりかごの歌》をお聴きいただきたいと思います。NPO法人日本子守唄協会編纂による動画で、北原白秋が我が子のために書いた、いとも優しい子守唄をお楽しみください。


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まさかの大周り出勤と『ブルーベリーワッフル』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2024年06月05日 18時28分38秒 | カフェ
今日は朝からバタバタでした。

出勤前に何の気なしに鉄道の運行状況をチェックしてみたら、なんと朝っぱらから小田急線で人身事故が発生していて、小田原方面に向かう小田急線が運転見合わせになっていました。普段なら本厚木から急行で40分も乗っていれば小田原へ到着するのですが、こうなると東海道本線周りで向かわなければならないので、取り急ぎ家を出て駅まで向かいました。

幸いなるかな上り電車は動いていたので、それに乗ってひとつ隣の厚木駅へ向かい、そこでJR相模線に乗り換えて終点の茅ヶ崎まで向かいました。そこで東海道本線に乗り換えて小田原を目指したのですが、東京方面に向かう上り線に対して下り線の電車がなかなかやって来ず、ホームでヤキモキしながら待っていました。

ようやくやって来た下りに乗り込んで小田原を目指し、通常よりかなり遅れて小田原駅に到着しました。ところが、改札へ向かう階段が少ないために電車を降りてから改札口へ到着するまでにまた時間がかかり、学校へ着いた頃にはヘトヘトになってしまっていたのでした…。

本当に、通勤時間帯に人身事故なんぞ起こしてもらいたくないものです。特に職場が遠距離の人間にとっては、電車が止まるだけで死活問題になります。

そんな疲れを引きずりながら小学校勤務を終えて、そこから横浜あざみ野の音楽教室に移動しました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

6月に入って月替わりメニューも一新していたので、今日は



今月限定メニューの『ブルーベリーワッフル』をオーダーすることにしました。

クロワッサン生地のワッフルにフレッシュなブルーベリーとブルーベリーのコンフィチュールが散りばめられ、ホイップクリームと自家製のサワークリームが添えられています。サクサク食感のワッフルにブルーベリーとサワークリームの風味が加わって、なんとも爽やかな一皿となっています。

今日は冷たい水出しコーヒーとともに、美味しく堪能することができました。朝から調子を崩されましたが、美味しいコーヒーをいただけて、ようやくひと心地つくことができたのでした。

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今年も開催《あじさい花菖蒲まつり》@小田原城址公園

2024年06月04日 18時35分35秒 | 
今日は勤務先の小学校でスポーツテストがありました。主にソフトボール投げとシャトルランを行ったのですが、こういうものになると男子が俄然張り切ります。

特にシャトルランは次々と脱落していく中でクラスの体力自慢たちが残って、最後にはもはや意地と意地とのぶつかり合いの様相を呈していました。内心、

『あんまり張り切り過ぎると、後が大変だぞ〜…』

と思っていた予想を裏切ることなく、その後はほぼ使い物にならない男子ができあがっていて、申し訳ないながらも笑ってしまいました。

そんな小学校勤務を終えてから、帰宅前にちょっと小田原城址公園に寄り道していくことにしました。こちらでは現在、《あじさい花菖蒲まつり》が開催されています。

本丸前の東堀には、



有志が丹精込めて育てた花菖蒲が咲き誇っています。毎年思いますが、







これほどの数の花菖蒲を株分けしたりして育てていく労力というものは、並大抵ではないでしょう。

東堀に面した斜面には









色とりどりの紫陽花の花が見頃を迎えています。この斜面はかつて本丸の石垣でしたが、関東大震災で崩落してしまった場所です。よく見ると





かつて石垣に使われていて崩れた巨石が、そこかしこに放置されたままになっています。

この《あじさい花菖蒲まつり》は、6月16日(日)まで開催されています。日没から20:30まではライトアップも開催されていますので、興味を持たれた方は是非訪れてみてください。

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今日はビゼーの祥月命日〜アンセルメ指揮による《アルルの女》第2組曲

2024年06月03日 18時40分50秒 | 音楽
今日は雨こそ降らなかったものの、日が差したり曇ったりを繰り返す天気となりました。日が陰ると涼しい風が吹いて、体感的にも丁度いいくらいでした。

ところで、今日6月3日はビゼーの祥月命日です。



ジョルジュ・ビゼー(1838〜1875)は19世紀フランスの作曲家で、早世により断たれたオペラのキャリアにより、よく知られています。あまり成功に恵まれなかったものの、最後の作品となる《カルメン》がオペラ史の中でも最大級の人気と上演回数を獲得しています。

ビゼーは人生の大半を繰り返される喉の病気に苦しめられていました。ヘビースモーカーであり、1860年代半ばには出版社の編曲をこなすのに1日16時間も働いて、知らぬ間にさらに健康を害していたようです。

1868年には気管に膿瘍ができ、

「私は犬の様に苦しんでいます」

と非常に体調が悪いことを友人に伝えています。《カルメン》の仕上げに入っていた1874年にも再び、自身が「喉の扁桃炎」と称する深刻な発作によって身動きが取れなくなっており、1875年3月終わりにもさらなる発作を起こしていました。

この時《カルメン》の失敗という出来事に消沈していたビゼーの回復は遅く、5月には再び病気に伏せることになってしまいました。月末にはブージヴァルにある別荘へと赴いて少し調子を取り戻したものの、その翌月、6月1日に高熱と痛みに苦しめられ、さらに心臓の発作とみられる症状が追い打ちをかけてしまいました。

一時回復したかに思われましたが、結婚記念日にあたる6月3日の早朝に襲った2度目の発作が致命傷となって、そのまま逝去してしまいました。まだ36歳という若さでした。

ビゼーは死後しばらく忘れ去られた存在でしたが、20世紀に入ってから徐々に評価が高まっていきました。今では

「もしビゼーがもっと長生きしていたら、フランスのオペラ界はもっと違ったものになっていたに違いない。」

とまで言われるようになっています。

そんなビゼーの祥月命日である今日は、劇付随音楽《アルルの女》から第2組曲をご紹介しようと思います。

《アルルの女》はフランスの小説家アルフォンス・ドーデ(1840〜1897)の同名の短編小説で、それを1872年に舞台化して上演した際にビゼーによって作曲された全27曲の付随音楽です。後に付随音楽から編曲された2つの組曲が、一般には最も広く知られています。

内容としては『恋で命を落とす人間がいるかどうか』といったもので、最終的に嫉妬に狂った主人公が身投げして命を絶ってしまう…という、何とも救いのないものです。南フランスが舞台ということで、オーケストラの中でも



プロヴァンス・ドラムが印象的に使われています。

《アルルの女》の劇付随音楽はかなり小編成のアンサンブルのために書かれましたが、そこから後に第1組曲と第2組曲の2つが編成を拡張して編まれました。第1組曲はビゼー本人によるものですが、第2組曲はビゼーの死後の1879年に、彼の友人の作曲家エルネスト・ギロー(1837〜1892)の手により完成されたものです。

ギローは管弦楽法に長けていただけでなく、ビゼーの管弦楽法の癖についてもよく把握していました。そのため《アルルの女》以外の楽曲も加えて、第1組曲と同じような通常規模のオーケストラ編成で編曲しました。

第1曲:パストラーレ

弦楽器による堂々とした旋律の後、プロヴァンス・ドラムのリズムにのって木管楽器の軽やかなメロディの中間部につながります。

第2曲:間奏曲

重々しい序奏に続いて、アルトサックスが甘美なメロディを奏でます。このメロディは後に『アニュス・デイ(神の子羊)』というラテン語の歌詞が付けられた歌曲になっています。

第3曲:メヌエット

フルートとハープによる名旋律が印象的な優美な音楽で《アルルの女》組曲といえばこの曲!とまで言わしめる名曲です。しかし、実はこの曲だけは《美しきパースの娘》というビゼーの別の作品から転載されたものです。

第4曲:ファランドール

『王の旋律』という堂々たるメロディに続いて、プロヴァンス・ドラムに伴われた木管楽器群が祭囃子のように楽しげなメロディを奏でます。それがどんどん拡張されていき、最後には『王の旋律』と重なって最高潮の盛り上がりをみせて華やかに終わります。

この作品では、普段オーケストラでは使われることのないアルトサックスが印象的に使われています。特に第2曲『間奏曲』のメロディでは、アルトサックスならではの柔らかな音色が効果的に用いられています。

そんなわけで、ビゼーの祥月命日である今日は《アルルの女》第2組曲をお聴きいただきたいと思います。エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏で、ビゼーの遺した名旋律の数々をお楽しみください。


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今日はエルガーの誕生日〜愛らしい《弦楽セレナーデ ホ短調》

2024年06月02日 16時45分10秒 | 音楽
今日は朝から雨が降ったり止んだりを繰り返す、生憎の空模様となりました。そんな中、今日はひたすらデスクワークに勤しんでいました。

ところで、今日はエルガーの誕生日です。



初代準男爵サー・エドワード・ウィリアム・エルガー(1857〜1934)は、イギリスの作曲家、編曲家、指揮者て、もとは音楽教師でありヴァイオリニストでもあった人物です。エルガーが遺した楽曲の多くは世界中の演奏会で取り上げられていて、中でも最もよく知られるのは《エニグマ変奏曲》や行進曲《威風堂々》、《ヴァイオリン協奏曲》、《チェロ協奏曲》、2曲の交響曲などがあります。

1904年、47歳の時にはナイト(騎士)、1931年、74歳の時には準男爵に叙されています。1924年からはイギリス国王ジョージ6世の音楽師範を務めました。

エルガーの来歴についてはについてはかつて書いたことがあるので省略することにして、今日ご紹介するのは《弦楽セレナーデ ホ短調》です。この作品は4月に小田原ジュニア弦楽合奏団が演奏した作品で、エルガーの作品のうちでも特に早い時期に広く認められた作品のひとつです。

1892年ごろのエルガーは、地元ウスターでアマチュア相手にピアノやヴァイオリンを教えたり、指揮者を務めたりしていました。1888年にエルガーはウスターのアマチュア団体を指揮して《弦楽合奏のための3つの小品〜「春の歌」(アレグロ)、「エレジー」(アダージョ)、「フィナーレ」(プレスト)」》を初演してますが、これが改作されて本作になったものと推測されています。

この作品が『セレナード』として完成したのは、1892年5月のことでした。はじめは友人のW・H・ウィンフィールドに献呈され、後に妻キャロライン・アリスに3回目の結婚記念日のプレゼントとして贈られました。

初演は、先ず第2楽章のみが1893年4月7日にヘリフォードで行われ、全曲の初演は1896年7月23日にベルギーのアントウェルペンで行われました。ロンドン初演は、エルガーが世界的作曲家としての名声を得てからの1905年3月5日に、エルガー自身の指揮によりベヒシュタイン・ホールで行われました。

第1楽章はアレグロ・ピアチェヴォーレ、ホ短調、8分の6拍子の三部形式。冒頭で、この楽章を象徴するような軽やかなリズムがヴィオラで奏でられると、それに乗ってヴァイオリンが奏でる明快な旋律が現れます。

第2楽章はラルゲット、ハ長調、4分の2拍子。この楽章のモチーフとなる旋律が第1ヴァイオリンによって呈示されると、これが第2ヴァイオリン、ヴィオラへと受け継がれ、情緒漂う旋律がさらに旋律を生むような形で続いていきます。

第3楽章はアレグレット、ト長調 - ホ長調、8分の12拍子 - 8分の6拍子。3小節の短い序奏があり、生き生きとしたヴィオラの旋律が始まります。

これがカノン風に第1ヴァイオリン、チェロ、コントラバスに引き継がれ、次に第2ヴァイオリンとヴィオラで展開され、第1ヴァイオリンに戻りオクターヴでクライマックスを形成していきます。やがて第1楽章の冒頭のリズムが各パートに繰り返し移行して刻まれ、緩やかに上行する音型で主和音の頂点に到達すると、同じ和音の響きのまま遠ざかるようにピアニッシモで全曲を閉じていきます。

この曲はヴィオラにオイシいところが沢山出てくるので、個人的にも好きな作品のひとつです。エルガーというと、どうしても《威風堂々》や《愛の挨拶》が代表作としてとり上げられがちですが、この《弦楽セレナーデ》はもっと多くの人に聴いてもらいたい作品です。

そんなわけで、今日はエルガーの《弦楽セレナーデ ホ短調》をお聴きいただきたいと思います。アマチュア向け作品からスタートした、エルガーの愛すべき弦楽作品をお楽しみください。


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今日はグリンカの誕生日〜ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる歌劇《ルスランとリュドミラ》序曲

2024年06月01日 17時30分20秒 | 音楽
朝のうちのはひんやりした空気に包まれていましたが、昼過ぎになって日差しが降り注ぐようになると一気に気温が上昇しました。まるで真夏のような天候に、ちょっとバテそうになってしまいます…。

ところで、今日6月1日はグリンカの誕生日です。



ミハイル・イヴァーノヴィチ・グリンカ(1804〜1857)はロシア国民楽派の祖とされるロシアの作曲家です。ロシア国外で広い名声を勝ち得た作曲家の一人で、「近代ロシア音楽の父」と呼ばれた人物です。

グリンカは貴族で富裕な地主の家庭に第2子として生まれ、子ども時代から音楽に興味を持っていました。少年のころに体験した農奴オーケストラが演奏する民謡の編曲が、成長してからのグリンカの音楽に影響を与えたといわれています。

1830年イタリアに渡ったグリンカはガエターノ・.ドニゼッティやヴィンチェンツォ・ベッリーニに会い、のちベルリンに渡って ジークフリート・デーンに音楽理論を学びました。そうして外国を回るうちに徐々にグリンカのロシア人としてのアイデンティティが芽生え、それまで海外作曲家の作品を輸入していたロシアにおいて

『ロシア的な作品を書きたい』

という願いが起きてくるようになっていきました。

帰国後、ロシア国民音楽の創造に全力を注いだグリンカは、ロシアに題材をとった最初のロシア語オペラである歌劇《皇帝に捧げし命(イワン・スサーニン)》 (1836) を発表して大成功を収めました。これで幅広く受容されたグリンカは続いて歌劇《ルスランとリュドミラ》 (1842) を作曲し、ロシア近代音楽の基礎を打ち立てました。

初めて真のロシア的音楽をつくったといわれるグリンカの作品は、ロシアのその後の作曲界に重要な影響を与えています。とりわけ有名なのが、いわゆる『ロシア五人組』への影響です。

『ロシア五人組』は、ミリイ・バラキレフ(1837〜1910)を中心として19世紀後半のロシアで民族主義的な芸術音楽の創造を志向した作曲家集団で、

ミリイ・バラキレフ
ツェーザリ・キュイ(1835〜1918)
モデスト・ムソルグスキー(1839〜1881)
アレクサンドル・ボロディン(1833〜1887)
ニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844〜1908)

の五人のことを指します。五人組はグリンカの指導力を受け入れたことで、はっきりとロシア的な特質のある音楽を創造していきました。


そんなグリンカの誕生日の今日は、歌劇《ルスランとリュドミラ》の序曲をご紹介しようと思います。

この歌劇は1837年から1842年12月にかけて作曲されました。原作はロシアの詩人アレクサンドル・プーシキン(1799〜1837)が1820年に最初の物語詩として著した『ルスラーンとリュドミーラ』で、これを基にしてヴァレリアン・シルコフ、ネストル・クコリニク、作曲者グリンカら5名が共同でこのオペラのリブレット(台本)をロシア語で作成することになりました。

当初の構想ではプーシキン自身に台本を執筆してもらうことになっていたのですが、途中でプーシキンが亡くなってしまったことから叶いませんでした。なのでやむなく楽曲を先に書き上げ、作曲者グリンカを含む5名が共同して楽曲の旋律に当てはめるなどして後付けで台本を作成するという結果となりました。

オペラのあらすじとしては

キエフ大公国のスヴェトザール大公の館では大公の娘リュドミラ姫と騎士ルスランとの婚礼の宴たけなわであった。そのとき突然、悪魔チェルノモールが現われ、リュドミラはさらわれてしまう。

大公は大切な娘を取り戻すため、ルスラン、そして参列していた騎士ファルラーフ、王子ラトミールらの若者に、無事に救出した者に娘を与えると宣言する。そしてリュドミラを救出するためのルスランの旅が始まり、さまざまな魔術や誘惑、他の若者の妨害などを切りぬけ、最終的には勇敢なルスランがリュドミラを助け出し、二人は結ばれる。

というものです。

このオペラ、現在では全くと言っていいほど上演されません。そんな中、序曲だけは大変人気が高く、今日でも演奏会で単独で演奏されています。

ニ長調の底抜けに明るい強奏に導かれた弦楽器群が総出で16部音符のパッセージを演奏する様は何とも勇壮かつゴージャスで、これから始まる音楽の幕開けとしてこれほど相応しい音楽もそうありません。特に旧ソ連の指揮者エフゲニー・ムラヴィンスキー(1903〜1988)の演奏するテンポは『ムラヴィンスキー・テンポ』と呼ばれ、今でもこの曲のテンポを決定づけるものとなっています。

そんなわけで、今日はグリンカの歌劇《ルスランとリュドミラ》序曲をお聴きいただきたいと思います。エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮、レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団による1965年のライブ演奏で、実に小気味よいテンポの音楽をご堪能ください。


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