共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

DAISOスゴい!

2021年08月31日 17時10分55秒 | 日記
今日で8月も終わり、夏休みも終わって明日から学校も始まります。そうなるとTシャツもかなり汗だくになることは目に見えているので、天気のいい午前中に洗濯物を済ませてしまいました。

そのあと用があってDAISOに行ったのですが、そこでちょっと面白いものを見つけました。

突然ですが、我が家のトイレには



こんな感じの消臭ビーズが入ったポットが置いてあります。ただ、このままだと何となくつまらないので、普段から何かしら工夫できないかと思っていました。

そんなことを考えていたら、



売り場でこんなものを見つけました。これはワイヤー製の小型鳥カゴで、実際に小鳥を入れるというよりは何らかのディスプレイ用のようです。

大きさ的にもなかなか良さそうだったので、これにポットを入れて見ようと思い立ちました。ただ、何となく高さが足りないかな…と思って何かないかと探してみました。

すると、別のコーナーに



こんなものがありました。これは実はバナナの房を吊るして保存するためのハンガーです。

試しに先程の鳥カゴをこれに吊るしてみたところ、あつらえたようにジャストサイズでした。そんなわけで、買い物ついでにこれらのアイテムも購入して帰宅しました。

そして、これらを組み合わせて出来た最終形態が



こんな感じです。棚にポットだけをポンと置いておくだけよりも全体的に高さが出て、存在感が増した感じがします。

それにしても、これ全部足しても¥330ですから100円ショップというところは優秀です。もし何も知らない人がいたら、そんな値段で出来たようには見えないかも知れません(笑)。

さて、明日から9月に入ります。雨のスタートとなりそうですが、天気予報通り涼しくなるのでしょうか…。

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色が変わる!バタフライピーソーダ

2021年08月30日 18時00分10秒 | 
昨日は曇りがちで思ったほど暑さは感じませんでしだが、今日はまた酷暑が逆戻りしてきました。そろそろ9月になりますが、この先天気予報で言われているように涼しくなるような気がしません…。

ところで、今日セブンイレブンで



こんなものを見つけました。これはバタフライピーソーダという炭酸飲料です。

バタフライピーとはタイが原産といわれるマメ科の植物で、



まるで蝶が羽根を広げたようなかたちの青い花を咲かせます。この花を乾燥させてハーブティーにしたものは、



鮮やかな青色になることもあって大変人気があるのだそうです。

これはバタフライピーの花に含まれるアントシアニンによるものです。このバタフライピーティーは眼精疲労や美肌効果が謳われ、特に女性の人気が高いとのことです。

このソーダにもバタフライピーのエキスが配合されていて、グラスに注いでみると



美しい青紫色をしています。飲んでみると、ライムの味がほんのりして飲みやすいソーダとなっています。

実はこのソーダの楽しみは、このまま飲むだけではありません。ここに



レモン果汁を加えると…



何とピンク色に変化するのです。

これはバタフライピーの青色がレモン果汁の酸と反応した現象で、リトマス試験紙と同じ仕組みです。こうした現象はハーブティーでもおきるようで



こんな感じで色の変化を楽しむことができるといいます。

夏休みも明日までとなりましたが、興味のある方はこのソーダで涼を取りつつ、ちょっとした自由研究気分も楽しみながら味わってみては如何でしょうか。

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2年越しの稲城市民オペラ《愛の妙薬》公演

2021年08月29日 20時55分10秒 | 音楽
今日は待ちに待った日です。というのも、かなり久々にオペラ鑑賞に行く日だったのです。

今日は東京都稲城市にある稲城市中央文化センターに行きました。今日はこちらで



稲城市民オペラ第6回公演としてドニゼッティの名作《愛の妙薬》の上演がありました。

本来ならばこの公演は昨年にもっと大きなホールで、しかも本格的なオーケストラを伴って上演されるはずでした。しかし折からの新型コロナウィルス蔓延による緊急事態宣言を受けて延期となり、そこから一年以上の時間をかけて、当初の予定よりも規模を縮小しての上演となったのです。

この公演は「ボンジョルノ!市民オペラ特別公演」というサブタイトルが付けられていましたが、今回は稲城市民オペラだけでなく長崎県の長崎居留地男声合唱団&女子部と静岡県の富士宮オペラ合唱部のメンバーが合唱に加わっての公演でした。これも本来ならばもっと多くの人数での参加になるはずだったようですが、それでもそれぞれに活き活きと歌い演じていました。

会場の前の掲示板には



出演者全員がPCR検査で陰性であったことを告げる掲示がありました。開場と同時に受付で検温を受けて、氏名と電話番号を記載したチケットの半券を自身でもいで箱に入れてから会場に入ると



座席のソーシャルディスタンスをはかるために出演者の皆さんが設置した様々なアイテムが飾り付けられていました。

よく見るとこれらのアイテムは、舞台であるバスク地方を象徴するバスク豚やバスク馬、バスク地方で古くから栽培されている唐辛子やヒロインであるアディーナが結婚式で身に着けるヴェールといったオペラの中にも登場するものたちでしたが、ただ席に紙を貼ってガードするだけではない愛らしい工夫に思わず頬が緩みます。ただ、中にはその工夫を物ともせずに隙あらば並んで座ろうとする老婦人たちもいて、周りの観客たちからの顰蹙を買って注意されて縮こまっていました。

さて、会場に入ると



あれ?合唱団が談笑してる…?

そう、もう会場に足を踏み入れたところから《愛の妙薬》の世界が始まっていたのです。このあたりは演出家の心憎い配慮です。

この合唱団の演出は



第2幕のと幕間にもあり、アディーナとベルコーレ軍曹との結婚式の準備をする様子を楽しそうにしていました。

稲城市民オペラのひとつの特徴は、何と言っても合唱団の芸達者ぶりです。ともすると市民オペラではキャストがお芝居をしている割りには合唱団にテレがあって動きが今ひとつだったりするのですが、稲城市民オペラではその心配は無用です。

今回も合唱団は、本の読み聞かせをするアディーナの周りでちょっとオーバーリアクション気味に聞き入ったり、ベルコーレ軍曹の部下の兵士たちが全員銃を足の上に下ろしてしまって痛がったりと、ソリストたちが歌っている周りで様々な演技を見せて観客の笑いを誘っていました。

またインチキ医師のドゥルカマーラが登場した時に、その後ろに怪しげな従者がいる…と思ったら何とまさかの演出家ご本人登場!この従者、ドゥルカマーラの後ろで処方箋を広げたり、村人に怪し気な薬を売りつけたり、ネモリーノとドゥルカマーラが『イゾルデ姫の愛の妙薬』の話をしている隙に後ろで安物のワインを空ビンに詰め直したり…と大活躍で、要所要所で観客を沸かせていました。

他にも演出面では、握手すべき場面で肘タッチをしたり、ジャンネッタと村の娘たちがネモリーノが亡くなった伯父さんから莫大な遺産を相続したと噂話する場面で背景にZOOMで練習のやり取りした画像を一緒に流したり、最後にドゥルカマーラが客席の間を通って退場する際にマスクを取り出して着用したりといった、このコロナ禍ならではの工夫がされていました。こうした世相を反映させるあたりにも、演出家のこの舞台に向けた思いが滲み出ているようでした。

勿論ソリストたちも素晴らしく、アディーナはコケティッシュでいたずらっぽい村娘の可愛らしい表情をみせてくれましたし、ネモリーノは名曲『人知れぬ涙』でアディーナへの偽らざる愛を切々と歌い上げました。ベルコーレは如何にも遊び人といったカッコ良さを滲ませ、ドゥルカマーラは何とも胡散臭い雰囲気を深い声で聞かせてくれました。またジャンネッタも場面場面で存在感を発揮していました。

今回の公演は基本的にピアノ伴奏一本でしたが、軍隊の登場ではスネアドラム奏者が、ドゥルカマーラの登場ではトランペット奏者が、『人知れぬ涙』ではファゴット奏者が登場して音楽に彩りを添えていました。オーケストラ伴奏ではなかったものの、こうした楽器の登場で豊かな響きとなっていました。

終演後、観客席からは惜しみない拍手が贈られ



素晴らしい舞台は幕を下ろしました。最後には



キャストとして出演していた演出家(前列右端の水色の衣装を着た方)も登壇し、万雷の拍手を浴びていました。

2019年に《ラ・ボエーム》を公演して以来、新型コロナウィルスに翻弄されながらも2年越しに実現したこの舞台、監督を務めておられる演出家をはじめとした関係各位の思いもひとしおだったことでしょう。こうした舞台が憂い無く開催できるような世の中に、一日も早くなってもらいたいと願います。

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今日は《ローエングリン》初演の日〜『エルザの大聖堂への行列』

2021年08月28日 17時50分50秒 | 音楽
今日も今日とて神奈川県には熱中症警戒アラートが発令され、危険な暑さとなりました。割りと曇天模様だったにもかかわらずこれだけの暑さになったわけですから、天気予報で言われている『9月から気温が落ち着いてくる』という言葉が、にわかには信じられなくなっております…。

ところで今日8月28日は、ヴァーグナーの歌劇《ローエングリン》が初演された日です。



1843年、ヨハン・ヴィルヘルム・ヴォルフが編纂した『オランダ伝説集』が出版されました。この伝説集の中に



コンラート・フォン・ヴュルツブルクによる『白鳥の騎士』という話が含まれていて、ヴァーグナーはこれを読んで歌劇の着想を得たと考えられています。

1845年11月、前作《タンホイザー》のドレスデン初演の直後にヴァーグナー自ら《ローエングリン》の台本を完成させました。翌年春から作曲にとりかかって1847年8月には全3幕のオーケストラのスケッチを完成させ、1850年の今日、フランツ・リストの指揮によってヴァイマール宮廷歌劇場で《ローエングリン》が初演される運びとなりました。

ヴァーグナーは何とかして《ローエングリン》の初演を観たいと思っていましたが、実は前年の1849年に無政府主義者たちと共に参加したドレスデンでの5月蜂起が失敗して体制側から指名手配されてしまい、リストの助けを得てスイスのチューリヒに亡命していた身でした。その協力者たるリストに制止されたこともあってヴァーグナーは初演を観ることを断念せざるを得ず、結局自身が全篇上演を観ることが叶ったのは初演から10年以上も経った1861年、ヨハン・シュトラウス2世がヴァーグナー紹介に努めたウィーン宮廷歌劇場による舞台でした。

この《ローエングリン》には第1幕や第3幕への前奏曲や、今でも結婚式でよく使われる『結婚行進曲』といった数々の名曲がありますが、私が個人的に印象深いのが『エルザの大聖堂への行列』の音楽です。

『大聖堂への行列』は第2幕第4場でヒロインのエルザが騎士ローエングリンとの婚礼を挙げるために大聖堂へと向かう場面で奏される音楽で、木管楽器による祈りにも似た清楚な旋律から始まって次第に高揚していきます。原曲では主役の二人を祝福する合唱が加わりますし、曲のクライマックスで悪役であるオルトルートが行列の邪魔をしに来ますが、演奏会用に編曲されたものでは無事に明るく終わります。

この曲は単体でも採り上げられることがあり、初演の指揮者を務めたフランツ・リストによるピアノ編曲版(『タンホイザーとローエングリンからの2つの小品 S445』の2曲目)も存在しています。また冒頭部から管楽器が大活躍することもあってか吹奏楽編曲による演奏もよく知られていて、吹奏楽コンクールでは金賞を獲るような学校がよく自由曲に採り上げています。

私がこの曲と出会ったのは、吹奏楽コンクールに参加していた中学生の頃でした。当然ながら上手な学校の吹奏楽部が自由曲として演奏していたのですが、柔らかな木管楽器のアンサンブルから始まって徐々にクライマックスに進んでいく音楽を聴きながら

『いい曲だなぁ…』

と聴き惚れていたことをよく覚えています。

そんなわけで、《ローエングリン》の初演された日である今日は、私の個人的思い入れの深い『エルザの大聖堂への行列』の動画を転載してみました。ヴァーグナーならではの分厚いアンサンブルの響きをお楽しみください。


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可愛らしいお手玉

2021年08月27日 18時40分20秒 | ネコ(=゚ω゚=)
昨日に引き続き、今日も熱中症警戒アラートが発令されました。午前中から30℃を超えるような暑さはさすがに堪えますが、こんな中でもパラリンピックが開催されていることを考えると、涼しい我が家で過ごしているのが何だか申し訳ないような気にもなってきます…。

今日は用事があって厚木市内に出かけていたのですが、たまたま入った雑貨屋で



これを見つけました。

この可愛らしいピンク色の茶巾の中には



これまた可愛らしい縮緬で作られたネコ型のお手玉が入っています。これを見つけた時、

『もしかしたら支援級の子たちに遊ばせるのにいいかも…』

と思って購入してみました。

最近、各地で2学期の開始を遅らせているというニュースが報じられています。小田原市では元々9月1日からのスタートの予定だったのですが、先程小田原市教育委員会から一斉連絡が入って、スタートは予定通りになるものの緊急事態宣言発令中の10日金曜日までは、全学年午前中授業となることが決まったのだそうです。

これまでも横浜市や川崎市、相模原市などで学校開始を遅らせるという決定が為される中、小田原市の予定は変わらないのだなと思っていました。しかし、先日小田原の隣の南足柄市で子どもの新型コロナウィルス新規罹患者が出てしまったことを受けて、小田原市としても否応なしに考えなければならなかったようです。

始業日を遅らせずに短縮授業にするのは結構ですが、その分どこかで埋め合わせをしなければならないのは明白です。しかし、融通の効かない文部科学省から定められた年間学習計画は予定通りに進めなければならないことにもなっているはずです。

恐らくこの短縮授業の煽りを受けて、例えば秋以降くらいに全学年で授業枠を増やしたり(1年生でも毎日5時間授業とか)、音楽や体育の授業を減らして主要教科の時間に充てるか何かして授業数を確保しなければならなくなるでしょう。今頃現場は年間学習計画の大幅な見直しを迫られていて、恐らく大混乱しているのではないかと思います。

せめて9月からは、天気予報で言われている通りに暑さが和らぐことを願うばかりです…。

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今日はレイフ・ヴォーン・ウィリアムズの祥月命日〜グリーンスリーヴスによる幻想曲

2021年08月26日 18時10分58秒 | 音楽
今日、神奈川県内に熱中症警戒アラートが発令されました。天気予報では盛んに

「危険な暑さですから、不要不急の外出は極力控えるようにしてください。」

と注意喚起されていましたが、こんな暑さの中で競技に参加しているパラリンピアンの皆さんは、さぞかし大変な思いをしていることでしょう…。

ところで、今日8月26日はイギリスの作曲家ヴォーン・ウィリアムズの祥月命日です。



とかくイギリスには、ヨーロッパ本土と比べて偉大な作曲家と呼ばれる人が少ないという不名誉な定評があります。しかし実際に見てみると、古くはヴィオラ・ダ・ガンバのコンソートや宗教音楽を中心とした様々な分野に多くの作品を遺しているトマス・タリス(1505〜1585)、リュート独奏曲や歌曲に多くの名作を遺したジョン・ダウランド(1563〜1626)、イギリスバロックの巨匠ヘンリー・パーセル(1659〜1695)がいますし、近代においては《愛の挨拶》やチェロ協奏曲等で知られるエドワード・エルガー(1857〜1934)や組曲《惑星》で有名なグスターヴ・ホルスト(1874〜1934)、そしてヴォーン・ウィリアムズがいます。

レイフ・ヴォーン・ウィリアムズは1872年10月12日にグロスターシャー州ダウンアンプニーに生まれました。7歳からヴァイオリンを習い、1890年には王立音楽大学に入学しますが2年後に休学し、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学して音楽と歴史を専攻し、音楽と文学の学士号を取得しました。

また1907年にはモーリス・ラヴェル(1875〜1937)を紹介され、作曲とオーケストレーションのレッスンを受けました。その後、1910年には《タリスの主題による幻想曲》と《海の交響曲(交響曲第1番)》を初演して好評を得ました。

1919年には王立音楽大学の作曲科教授にも就任しました。しかし、1934年に親友のホルストが死去したのを皮切りに妻や周囲の人を次々と亡くし、ヴォーン・ウィリアムズ自身も1958年に最後の交響曲となった第9番を初演した後の8月26日に、ロンドンで心臓発作のため亡くなりました(享年85歳)。

ヴォーン・ウィリアムズの作風はイギリス民謡風なテイストが特徴的で、その旋律は時に



イギリスの画家ウィリアム・ターナー(1775〜1851)の絵画のようだとも形容されます。全部で9曲ある交響曲のいくつかは現在でもしばしばコンサートに採り上げられていて、吹奏楽曲や弦楽合奏曲もよく演奏されています。中でもバス・テューバ協奏曲はテューバ奏者の大切なレパートリーとなっています。

そんなヴォーン・ウィリアムズの作品の中でも際立って有名なのが《グリーンスリーヴスによる幻想曲》でしょう。

1928年にヴォーン・ウィリアムズは、シェイクスピアの喜劇《ウィンザーの陽気な女房たち》に基にしたオペラ《恋するサー・ジョン》を作曲しました。このオペラはジュゼッペ・ヴェルディの最後のオペラ《ファルスタッフ》とほぼ同じテキストに基づく作品で、その第3幕の間奏曲としてエリザベス朝からイギリスで親しまれてきたグリーンスリーヴスのメロディを使いましたが、後にこの間奏曲をラルフ・グリーヴスが編曲して独立させたのが、この《グリーンスリーヴスによる幻想曲》です。

初演は1934年、ロンドンにおいてヴォーン・ウィリアムズ自身の指揮で行われました。この愛すべきイギリス民謡のメロディに基づいた作品は、この編曲以外にも様々な楽器の独奏用に編曲されていて、作曲家自身の編曲によるピアノ独奏版も出版されています。

そんなわけで、今日はその《グリーンスリーヴスによる幻想曲》の演奏動画を転載してみました。1962年に、サー・ジョン・バルビローリの指揮で演奏された録音でお楽しみください。



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爽やか梅ソーダ&梅グラニテ@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2021年08月25日 19時15分20秒 | カフェ
今日から東京パラリンピックがスタートしました。昨日開会式が行われましたが、なかなか見応えのある楽しいものでした。

さて今日は水曜日、ということで暑い中を横浜市青葉区あざみ野に出勤しました。そして、いつもの如く《雫ノ香珈琲》にお邪魔しました。

あざみ野駅に着いて電車のドアが開いた瞬間、ものすごい熱風が押し寄せてきてむせそうになってしまったので、今日は先ず席についてから



『梅ソーダ』をお願いしました。自家製の梅シロップを使った梅ソーダは爽やかな飲み口で、汗だくになった身体の隅々まで染み渡っていきます。

暑さが落ち着いてきたので、その次に



『梅グラニテ』もお願いしました。前回コーヒーのグラニテをお願いしましたが、今回はその梅バージョンです。

粗めにザクザクと砕かれたグラニテには、ソーダと同じ梅シロップが滲みています。トッピングの梅ペーストと混ぜて口に運べば、爽やかな梅の香りが口から鼻へと駆け抜けていきます。

暑い最中に冷たい梅メニューをいただいて、すっかり落ち着きました。頭をキンキンさせながらいただくグラニテは、この時期ならではの楽しみです。

明日からまた、神奈川県内に熱中症警戒アラートが発令されるような暑さになりそうです。本当は行きたい展覧会もあるのですが、ちょっと様子を見ようと思います…。

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今日は瀧廉太郎の誕生日〜日本初の《メヌエット》

2021年08月24日 15時30分35秒 | 音楽
今日は朝から曇天模様の一日となりました。その割りには気温は高く、暑いことに違いはありません…。

さて、今日8月24日は作曲家瀧廉太郎の誕生日です。



瀧廉太郎(1879〜1903年)は、明治時代の日本における西洋音楽黎明期を代表する音楽家の一人です。上の写真は、現在上野公園内にある東京音楽学校(現東京芸術大学)旧奏楽堂前にある銅像です。

瀧廉太郎は1879年(明治12年)の今日8月24日、江戸時代に豊後国日出藩の家老職を代々務めた上級武士の家柄である旧日出藩士瀧家の長男として生まれました。父・吉弘は廃藩置県後に上京、大蔵省から内務省に転じて大久保利通や伊藤博文らの下で内務官僚として勤めた、なかなかのエリートでした。

1894年(明治27年)年に東京音楽学校(現東京芸術大学)に入学し、ピアノを橘糸重、遠山甲子に学びました。1898年(明治31年)には本科を卒業して研究科に進み、作曲とピアノ演奏でめきめきと才能を伸ばしていきました。

明治時代の前半、文部省の音楽教育政策として多くの翻訳唱歌ができました。しかし、その殆どが西洋から輸入してきたメロディに日本語の訳詞を無理嵌め込んだぎこちない歌が多くて子どもたちに歌わせるには不向きだったこともあって、日本人作曲家によるオリジナルの歌を望む声が高まっていました。

その中で、瀧廉太郎の代表作である《荒城の月》は、《箱根八里》と並んで文部省編纂の『中学唱歌』に掲載されました。また、人気の高い曲の一つである《花》は1900年(明治33年)8月に作曲された組曲『四季』の第1曲で、現在でも教科書に掲載されているので日本人で歌ったことのない人はいないでしょう。

1901年(明治34年)には日本人の音楽家では3人目となるヨーロッパ留学生として出国し、5月18日にドイツのベルリンに到着しました。しかし、わずか5か月後の11月に肺結核を発病してしまい、現地の病院で入院治療したものの病状は改善せず、帰国を余儀なくされてしまいました。

1902年(明治35年)横浜に到着後は父の故郷である大分県で療養していましたが、1903年(明治36年)6月29日に大分市の自宅で亡くなりました(享年25)。現在では考えられないことですが、瀧廉太郎が結核に冒されていたことを理由に彼の死後多数の作品の楽譜が結核拡大予防の名の下に焼却されてしまい、残念ながら現在はっきりとその存在が確認されている作品は34曲と決して多くはありません。

歌曲で有名な瀧廉太郎ですが、ピアノの才能にも恵まれていた彼はピアノ曲も遺しています。その一つが《メヌエット ロ短調》です。

《メヌエット ロ短調》は瀧廉太郎が明治33年(1900年)に作曲した、日本人作曲による初のメヌエット作品です。この曲は近代日本で初めて作曲されたピアノ曲であり、3年後に作曲された絶筆《憾(うらみ)》と共に、ほぼ唯一の器楽作品です。

実際に聴いてみるとメヌエットというよりはブラームスやショパンのワルツに近い感じですが、そんな中にもどこか和風な雰囲気が漂う趣深い小品です。全音社から楽譜も出版されているので、音楽教室の発表会やコンサートのアンコールピースに採り上げられることも少なくないようです。

そんなわけで瀧廉太郎の誕生日の今日は、彼が遺した日本初のメヌエット作品の動画を転載してみました。《花》を作った瀧廉太郎ならではの、流麗な三拍子をお楽しみください。



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用もないのに買っちゃった…

2021年08月23日 19時10分30秒 | 日記
今日、ちょっと買いたいものがあって100円ショップに行ったのですが、そこで予定外の買い物をしてしまいました。それが



このツボ押しです。

ショップで買い物中に視界にこれが入ったので、何の気無しにこれを手に取って、何の気無しに肩…というか肩甲骨辺りに押し付けてみました。そうしたら、ちょうど視界に入る辺りで品出しをしていたスタッフさんとバッチリ目が合ってしまったのです。

基本、私はビックリするくらい肩が凝らないので、こうした物を全く必要としていません。しかし、いい感じに押し当てたところをスタッフさんに見られてしまったがために何となく売り場に戻し辛い空気になってしまったので

『まぁ100円だし、いいか…』

と、そのまま買い物カゴに入れてレジへ行き、何となく購入してしまったのです。

で、折角なので帰宅してから肩をグリグリしてみたのですが…やっぱり私には必要なかったみたいですね…(¯―¯٥)。

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今日はドビュッシーの誕生日〜室内楽の名作《フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ》

2021年08月22日 14時15分20秒 | 音楽
連日の真夏日にもいい加減慣らされてきて、なるべく朝の涼しい時間帯にいろいろと外出の用事を済ませるという習慣も身についてきました。あとはとにかく我が家に籠って、ひたすらいい音楽に身を委ねるに限ります(要はただのグウタラだろうが…)。

ところで今日8月22日は、フランスの作曲家ドビュッシーの誕生日です。



クロード・ドビュッシー(1862〜1918)の音楽は、代表作である交響詩《海》や《ノクチュルヌ(夜想曲)》などにみられる特徴的な作曲技法から『印象主義(印象派)音楽』と称されることもあります。ただ、当の本人は印象主義音楽という概念に対しては割りと否定的だったようで、テクスト(詞)やテーマの選択はどちらかと言うと『象徴派(象徴主義)』からの影響が色濃いと言われているようです。

交響詩やオペラ《ペレアスとメリザンド》といった大規模な作品でも知られるドビュッシーですが、《前奏曲集》や《2つのアラベスク》をはじめとしたピアノ曲や、弦楽四重奏曲といった室内楽の分野にも多くの名作を遺しました。

その中でも、ドビュッシーは晩年に『様々な楽器のための6つのソナタ 』という室内楽集を作曲する計画を立てました。その計画の内容は

《チェロとピアノのためのソナタ 》(1915年)
《フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ》 (1915年)
《ヴァイオリンとピアノのためのソナタ》 (1917年)
《オーボエ、ホルンとクラヴサンのためのソナタ》
《トランペット、クラリネット、バスーンとピアノのためのソナタ》
《コントラバスと各種楽器のためのコンセール形式のソナタ》

という6曲でした。

6曲にしようとしたのは、古典派以前によく作られていた6曲1組の形式を意識したものと考えられています。ただ、その計画を立てていた頃のドビュッシーは癌に侵されていて3曲目のヴァイオリンとピアノのためのソナタを書き上げた翌年に没してしまったので、残念ながら残りの3曲は幻となってしまいました。

《フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ》は1915年の9月から10月という短い時期に作曲され、一緒に残されたチェロソナタ、ヴァイオリンソナタと並んでドビュッシーが作曲した室内楽曲の傑作と評価されています。またヴァイオリンやチェロと比べて圧倒的にオリジナル作品の少ないヴィオラにとって、ソロ作品ではないものの貴重なビッグネームの室内楽作品となっています。

幻想的なハーモニーのハープと夢見るようなフルートのメロディにヴィオラの地味な音色が絡む感じは、なかなか独特のものがあります。この3つの楽器編成はその後の作曲家たちにも大いにインスピレーションを与えたようで、武満徹(1930〜1996)の《そして、それが風であることを知った》(1992年)をはじめとした様々なフルート、ヴィオラ、ハープの作品が発表されました。

そんなわけで、ドビュッシーの誕生日である今日はその《フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ》の動画を転載してみました。ベルリン・フィル首席フルート奏者エマニュエル・パユをはじめとしたメンバーでの演奏でお楽しみください。


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意外と恐い夾竹桃

2021年08月21日 16時35分16秒 | 
今日も熱中症警戒アラートこそ発令されなかったものの、それでも暑い一日となりました。比較的涼しい午前中に買い物を済ませようと思ってスーパーまで行ったのですが道すがらのあちこちで蟬が鳴いていて、それを聞いているだけでも暑さ倍増です…。

今日はいつもと違う、割りと日陰の多めの道を歩いていました。そうしたら、近くのお宅の庭先に



ピンク色も鮮やかな夾竹桃の花が咲いていました。

夾竹桃は6月から9月頃に花を咲かせる常緑小高木で、元々インド原産のものが江戸時代中期に中国経由で日本にもたらされました。夾竹桃という和名は葉が竹に似ていることと花が桃に似ていることから付けられたと言われていて、ピンクや黄色、白など多数の園芸品種があり、写真のような八重咲きの種もあります。

夾竹桃は乾燥や大気汚染にも強いため、特に長年大気汚染公害に悩まされていた川崎市や、原爆投下の影響で向こう70年以上は草木も生えないと言われていた広島市でいち早く花を咲かせたという実績を買われて、各地で街路樹や緑化樹、高速道路脇の植栽等に利用されています。また燃えにくく火に強いため、耐火樹としても利用されていると言われています。


優れた園芸植物の夾竹桃ですが実は花や葉、枝、根、果実といった全ての部分に強心配糖体のオレアンドリンを主成分とした毒性があり、植えられた周辺の土壌も毒性を帯びます。また生木を燃やした煙も有毒で、かつてこの性質を使って香木の中に夾竹桃を仕込んで、その香を聞いた人物を殺害しようとしたという事例もあったそうです(!)。

強い経口毒性があるので、とにかく人や家畜が食べたりしないよう注意する必要があります。因みに中毒症状としては、嘔吐・四肢脱力・倦怠感・下痢・目眩・腹痛等、なかなか恐ろしいラインナップで、死亡する事例も国内外で発生しています…((((;゚Д゚))))

こんな可憐な見た目からは想像のつかない危険性を孕んでいることを考えると、この花の見え方もちょっと変わってきます。もし夾竹桃を扱われることがある際には、くれぐれもお気をつけくださいませ…。

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氷菓の頂点!ガリガリ君梨味

2021年08月20日 17時25分15秒 | スイーツ
今日も暑い一日となりました。厚木では市内放送で熱中症予防が呼びかけられていましたが、もともと出歩く予定の無い私は我が家ライフを謳歌していたので熱中症とは無縁の生活をしていました(ただのグウタラだろうが…)。

さて、この時期になると楽しみなのが



赤城乳業ガリガリ君の梨味です。我が家ではこの時期になると、冷凍庫の中にこれを切らさないようにしてあります(笑)。

世に様々なアイスがあれど、その中でもこの梨味のガリガリ君は別格の美味さです。個人的見解としては、この梨味ガリガリ君は日本アイス界の中でもひとつの金字塔を打ち建てたと言っても過言ではないのではないかと思っているくらいです。

カンカン照りの外の様子を眺めながら涼しい部屋でガリガリ君を堪能していると、何だかそれだけで幸せな気分になれます。考えてみると随分安上がりな幸せではありますが、それはそれで良いのではないでしょうか。

ふと気がつけば夏休みも後半戦で、来週からは東京パラリンピックも開幕します。過酷な残暑も続きそうですから、引き続き熱中症と新型コロナウィルスとに気をつけて過ごそうと思っております。

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大丈夫か、新型ワクチン〜コロナワクチンの真実

2021年08月19日 19時55分30秒 | 日記
全国的に新型コロナウィルス新規感染者の数が日増しに増加していて、特に東京都内では昨日と今日とでそれぞれ5000人台の新規罹患者を数えています。一部報道では東京五輪開催と絡めつつ、どさくさ紛れに政府批判も交えながら報ずる向きもありますが、一番は昨今の感染状況をナメきって、行くなと言われたところに行き、集うなと言われたところに集い、騒ぐなと言われているのに騒いだ挙げ句まんまと罹った個人の責任が大きいのであって、決して国や自治体が悪いわけではありません。

こうした状況を打開すべく尾身茂新型コロナウィルス感染対策分科会会長を筆頭とした各方面からワクチン接種が推奨されており、中には2回目の接種も済ませたという方も多くおいでのことと思います。ただ、このワクチンに関してはその仕組みや効能について不明な点が多く、必ずしも安全とは言い難いものであることも否定できません。

先月には、



1回目のワクチン接種を受けた中日ドラゴンズの木下雄介投手が接種8日後に突然倒れて心肺停止状態となり亡くなってしまうという痛ましい事象が発生しました。今のところワクチン接種との因果関係は否認されていますが、一方で「接種後には激しい運動を控えるように」という通達も出ていたことを鑑みるに、一概に因果関係は否定しきれないであろうと思われます。

私の元にも



接種券が郵送されていていますが、私は今のところ接種をするつもりはありません。その理由については6月6日に拙ブログにアップした新潟大学の岡田正彦名誉教授の動画の解説に基づいて個人的に判断した結果ですが、その判断について実は今までに拙ブログのコメント欄に、私が接種を受けないと決めたことを非難するコメントが何件か送られてきていました。

中には読むに堪えない下品な誹謗中傷もあったので、申し訳ありませんが他のコメントとまとめて削除させていただきました。しかし、それでも私の「接種しない」という考えは今のところ変わりません。

本来ワクチンの開発から実用については、マウス等での生体実験とそのデータに基づく治験とを重ねて、ある程度の時間をかけてようやく実用化されていくべきものです。しかし、今回の新型コロナウィルスワクチンについては頒布を急ぐあまり大した治験も無く1年足らずで実用化されてしまっているため、効能についても危険性についても確たる検証が為されていないのが実情です。

また、ファイザー社とモデルナ社のワクチンについては接種後にアナフィラキシーショックを発症する事例も数多く報告されていますし、アストラゼネカ社のワクチンに至ってはチンパンジーの風邪ウィルスの中に新型コロナウィルスのDNAを組み込んで体内に侵入させ細胞内で遺伝子組み換えをしてしまうという、何とも恐ろしいことをしでかすのです。アレルギー持ちの私としては、いずれのワクチンも大問題になる恐れがあるのです。

また、これらのワクチンは発生当初のウィルス株に基づいて開発されていますが、現在ではデルタ株やラムダ株といった多くの変異株が席巻しているのですから、変異前のウィルスを基にして作られたワクチンはもしかしたら既に型落ちになっている可能性も否定できません。そうだとしたら、これだけ変異株が猛威を振るう中でそんな型落ちワクチンを接種することに何の意味があるのでしょうか。

しかも尾身会長は、人流の7月比5割削減と共にワクチンパスポートの導入まで言及し始めました。これはワクチン接種が自由診療であり、接種の是非を個人の判断に委ねると言っていた分科会の見解に大いに反するものであり、ヘタをすれば令和版治安維持法になる危険すら孕んでいるのです。

これが実施されれば、それこそ民主主義国家の根幹を揺るがす一大事になりかねません。そんなことをしている暇があるなら、何故に2回接種を受けた人の中から2度目の感染を引き起こす人が後を絶たないのか説明してもらいたいものです。

そんなわけで、今日は前回載せた岡田正彦名誉教授の動画を更に噛み砕いて解説している動画を転載してみました。こうした解説をしっかり理解して、その上でワクチン接種を受けるか否かを判断する材料としていただければと思っております。



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爽快『レモンのワッフル』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2021年08月18日 21時28分48秒 | カフェ
ここ最近最高気温が25℃前後の日が続いていましたが、今日になっていきなり真夏日が戻ってきました。日曜日に靖國神社に参詣した時には20℃くらいしかなかったことに比べたら一気に10℃以上気温が上がったことになりますから、さすがに身体に堪えます…。

そんな中、お盆休みが明けた教室に出勤すべく横浜市青葉区あざみ野を目指しました。そしていつもの如く《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日は暑さに根負けしてしまっていたので、とりあえずアイスコーヒーと今月限定ワッフルをオーダーしました。8月の限定ワッフルは



『レモンのワッフル』です。

お店の看板メニューであるクロワッサン生地のワッフルに自家製のレモンクリームとピスタチオがトッピングされ、更に自家製のレモンのシロップ漬けが添えられています。かなり酸味の効いたレモンソースと一緒に頂くと爽やかなレモンの風味が口いっぱいに広がり、生クリームと一緒に頂くとマイルドな風味に変化して、なかなか楽しいワッフルです。

昼間にかなり激しい雨が降ったせいか、夕方頃になるとその打ち水効果で風が涼しくなってきました。いっそこのまま、一刻も早く秋らしくなってくれればいいと思ってしまうのですが…。

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びっくりしました…

2021年08月17日 18時35分25秒 | 日記
今朝…というか夜明け前のことですが、寝ていたらいきなり誰かが玄関のドアをノックしてきました。始めは夢かな?…と思っていたのですが、床に入ったままずっと聞いているうちにリアルにドアをノックされているということが分かってきました。

『え、こんな夜中に誰…?』

と思って様子を見ていたのですが、その後もノックが続いていました。よもや怪奇現象か…と思いながら咄嗟にスマホを手に玄関に向かうと、またしてもドアがノックされました。

そもそもうちの玄関にはチャイムもあるのに、わざわざドアを叩くというのも変な話だな…と思いつつどうしようか…と迷ったのですが、思い切って

「…どちら様ですか?」

と声をかけてみました。

すると…

「…ここはどこ?開けてくれよ。」

という、しわがれた男性の声が…!

『何?何?何?!』

とパニックになりながらも、

『これは現実にいる人間の声だ。』

と冷静に分析する自分もいて、ドア越しに

「どうされましたか?」

と声をかけてみました。それでもノックが止まらないので、とにかくスマホで110番に電話をして状況を伝え、出動を要請しました。

それから数分後に玄関の外が騒がしくなってきたので

『あぁ、警察が来たんだな。』

と思っていると、玄関のチャイムが鳴りました。それでドアを開けてみると二人の警察官と、ずぶ濡れのバジャマ姿にスリッパ履きのおじいさんとが立っていました。

片方の警察官に事情を説明している間、おじいさんはもう一人の警察官に腕を支えられて立っていました。そして、とりあえずそのおじいさんは警察に連行されることになりました。

変な時間に叩き起こされてすっかり面食らってしまったのですが、とりあえずもう一度寝直すことにしました。するとお昼過ぎ頃に、また玄関のチャイムが鳴ったのです。

出てみると、先程の警察官の一人とエプロンをかけた中年女性が立っていました。そして、未明の件についての顛末を聞かせてくれました。

なんでも、あのおじいさんは

(イメージ画像)

割と近所にある介護型老人ホームに入居している認知症の方で、夜中に夜勤の介護士さんが目を離した隙に何らかのタイミングで施設の外に出て徘徊しているうちに元いた場所が分からなくなってしまい、あちこち彷徨いた中でたまたま玄関灯が点けっぱなしになっていた我が家まで来てドアを叩いていたのではないか…とのことでした。警察官と一緒に来ていたのは老人ホームの職員の方のようで、頻りに恐縮して頭を下げておられました。

職員さんは

「我々も万全を期しているつもりでしたが、夜間は人手が足りていない状況もあって〇〇さんが施設外に出てしまったことに気づくのが遅くなってしまいました。結果的に御迷惑をおかけしてしまうことになってしまい、大変申し訳ございませんでした。」

と謝罪されました。先ず、我が家の近くに介護型老人ホームがあること自体も知りませんでしたが、

「そういうことなら大丈夫です。かえって事情が分かってよかったと思っていますから、気になさらないでください。」

と言ってお引取りいただきました。

昔、音楽教室の生徒さんに介護士の方がいらしたので、その勤務内容の過酷さは具に聞いていました。まして夜間は人手が足りなくなることもあり、だからといって徘徊者を拘束することも禁止されていて

「どうにもならない事態になることもあるんてす。」

という話も聞いていました。

そんな話を聞いていたこともありますから、職員さんに文句をつけたり、ましてや責めたりする気持ちには全くなれませんでした。むしろ、大変なお仕事をされているのだから、くれぐれも御自愛いただきたいと思ったのです。

私は割りと早くに両親を亡くしました。母は四半世紀以上前に、父も10年前に他界しましたが、生前の父との最後の会話が

「俺は特にお前達に何かを残してやれるという自覚は無い。もしあるとすれば、お前達に老人介護を経験させずに済むということだけだ。」

というものでした。

当時は

「何言ってんの。そんなこと気にしてたわけ?」

と父に返してしまっていましたが、考えてみると仮に父や母が存命で、今回のように昼夜問わず徘徊するような事態になっていたら、恐らく今のような生活はしていられないと思うのです。そう思うと、父の言葉の重みを再認識せざるを得ません。

不特定多数が共同生活している中で、日々のケアに加えて新型コロナウィルスのクラスター発生にも神経を尖らせていなければならないという大変なお仕事をされている介護士さん。難しいとは思いますが、せめて御自身の体調管理には十分に気をつけていただきたいと思います。

コメント (2)
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