共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

新田五月のガラス展@宮ノ下NARAYA CAFE

2018年05月25日 18時35分10秒 | アート
今日は出勤前に、箱根・宮ノ下に出かけました。駅を出て徒歩30秒ほどのところにある《NARAYA CAFE》というカフェに併設されているギャラリーで『新田五月のガラス展』が開催されています。

古民家をリノベーションした店内には、



作家のライフワークとなっているキルンワークによるガラス作品が陳列されています。

キルンワークとは、ザラメ状の無色のガラスと色ガラスの粉末を調合したものを型に詰めて焼成するガラスの製法で、発祥は遠くメソポタミア文明にまで遡ると言われています。吹きガラスよりも低温で焼成するため表面にザラメ状のガラスの風合いが残り、そのザラついた感じが光を乱反射させてキラキラと輝く様は何とも美しいものです。

今回は前回と同じような大鉢を中心に、大型のオブジェから新田五月の特徴的モチーフである矢印の形をした作品の他に、



ランプシェードや小皿、箸置き、茶碗といった実用的なものも展示されていて、いずれもが購入することができます。大きな作品だとさすがにイイお値段がしますが、小皿や箸置き等は比較的リーズナブルな価格設定になっているように見受けられました。それでも、ここに至るまでの制作過程を考えれば十分お得な価格と言えるでしょう。

今回個人的に気になったのが



蓮のモチーフの組食器です。ガラスの透け感を活かして、蓮の何とも言えない透明感を表しています。散り落ちた花弁をレンゲに仕立てるあたりに、作家の詩情とウィットが表れていると思うのは私だけでしょうか。

この展示会は5月29日㈫まで、箱根登山鉄道宮ノ下駅下車徒歩30秒のNARAYA CAFE併設のNARAYA GALLERYで開催されています。カフェには足湯もありますので、美味しいコーヒーを頂き、箱根の緑を目の当たりにしながら温泉も楽しめます。この週末にでもお出かけになってみては如何でしょうか。
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《仁和寺と御室派のみほとけ》展

2018年03月11日 23時57分02秒 | アート
今日は上野の東京国立博物館な出かけました。以前から行こうと思っていて前売券まで購入済だった《仁和寺と御室派(おむろは)のみほとけ》という展覧会が、気づけば何と今日が最終日になってしまったので、慌てて出かけた次第ですε≡≡ヘ( ´Д`)ノ。

仁和寺は仁和4(888)年に、時の宇多天皇が完成させた真言密教の寺院です。そして息子の醍醐天皇に譲位して出家された後に法皇となられ、真言寺院としての仁和寺の整備に力を入れられました。御室派の『御室』とはもともと宇田法皇のために寺内に設けられた僧坊=御室のことで、鎌倉時代以降はこの『御室』が仁和寺そのものを示す呼称として用いられるようになりました。

今回の展覧会では、幾多の火災で消失した後に江戸時代に再建された観音堂の解体修理(今年12月完成予定)に伴って、仁和寺と、仁和寺を頂点として全国に790余箇寺あるという真言宗御室派の寺院から仏典や仏像が一堂に会しました。

宇多天皇が法皇として入られて後、仁和寺は歴代法皇や元皇族が住職を務める門跡寺院となりました。そんなこともあって寺宝には宇多天皇をはじめとした歴代天皇の御宸翰(天皇直筆の手紙)に始まり、弘法大師空海や橘速勢といった名墨書家の筆になる文書を集めた『三十帖冊子』や密教法具といった展示から始まりました。そのいずれもが国宝や国の重要文化財に指定されている名品です。

また今回は、現在解体修理中で普段一般非公開の仁和寺観音堂の内部が再現されていました。



何とここだけは写真撮影が許可されていて観覧者はここぞとばかりカメラやスマホで撮りまくっていました。不動明王と軍荼利明王という珍しい二尊を従え、二十八部衆や風神雷神に囲まれた千手観世音菩薩立像の御姿は大変立派なものでした。また、周囲の柱や壁にも観音堂内の壁画がプリントされていて、普段非公開の観音堂の有り様を偲ばせていました。

そして、仁和寺や各御室派寺院に安置され、普段は秘仏として期間限定で御開帳されている仏像も数多く出品されていました。仁和寺北院の本尊として香木の白檀で造像された像高わずか12㎝の薬師如来坐像や、菅原道真が自ら彫ったと時伝のある大阪・道明寺の十一面観世音菩薩立像、そして圧巻だったのが、



大阪・葛井寺の御本尊、千手観世音菩薩坐像です。

千手観世音菩薩像は通常、合掌手以外に四十五本の手を表して千手と見なしますが、こちらの御像はほぼ等身大の御体に実際に千本…正確には千四十一本…の腕を持つ『真数千手』という珍しい作例の御像です(この他の真数千手の作例としては、奈良・唐招提寺の千手観世音菩薩像等、ごく僅かです)。

この御像は聖武天皇の勅願によって、官営工房で制作されたと推測されています。興福寺の阿修羅からと同様、塑像の上に漆を染み込ませた麻布を貼り付けて、乾燥してから中の土を掻き出すという脱活乾湿という技法で作られており、天平時代の脱活乾湿仏を代表する傑作のひとつです。

それにしても、これだけの数の腕をどうやって取り付けているのか…それがかねてからの疑問でした。

お寺では月に一度の御開帳の折に拝観出来るのですが、遥か遠くの御厨子の仲に坐しますため窺い知ることは出来ません。しかし、美術館での展示となれば、御厨子からお出ましになって我々の前に登場して下さいます。今回は御像の周りをぐるりと巡れる360°展示となっていましたから、あの光背のような孔雀の羽根のような千手が一体どのようにして取り付けられているのなを確認できる千載一遇のチャンスとばかり背中側に回り込んでみたのです。

すると、御像の肩の下から腰の辺りにかけて巨大な肩甲骨のような半円形の板が左右一対に取り付けられ、そこに小脇手が美しい半円を描くように釘で留められていて、それが少しずつ場所をずらしながら計四対並ぶように配置されていたのです。その工夫によって1041本もの腕が破綻なく整然と並んで見る者に迫ってくる様子を目の当たりにして、改めて天平時代の工人たちの技術力の高さとセンスの良さに驚かされたのでありました。

最終日ギリギリセーフでしたが、何とか滑り込んで素晴らしい展覧会を堪能することが出来ました。今年はまだまだ観たい美術展が目白押しですから、今から楽しみです。
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《運慶》展

2017年11月02日 23時23分53秒 | アート
今日は教室が定休日だったので、上野の東京国立博物館で開催されている《運慶》展に出かけることにしました。この展覧会は奈良・興福寺中金堂再建を記念して開催されているもので、平重盛による『南都焼き討ち』のあと、興福寺や東大寺の諸尊を復興製作する中心人物だった大仏師運慶の作品を日本各地から集めたものです。

以前テレビで見た時にとんでもない人数が正門の外まで列を作っていたので、

『これは早くに行かないとエラいことになるゾ。』

と思って、開門前に現地に到着するようにしました。

で、実際に現地に着いてみたら…あれ?何だかあまり人がいない…。実は電車の都合で予定していた時間に間に合わず開門時間を少し過ぎてしまっていたのですが、私が想像していたような大行列は何処にもありませんでした。

しかし、会場である平成館の前に進むと、流石に行列が出来ていました。その『最後尾』と書かれたプラカードには『約50分の待ち』の文字が…それを見て

『フッ、楽勝だせ…( ̄ー ̄*)v』

とほくそ笑んでしまった私。

何しろ私はかつて《台湾故宮博物院展》で約240分、《日本国宝展》で約360分もの時間をひたすら並んだ猛者ですから、50分の待ち時間なんぞ屁でもありません(´ε` )/⌒・。

実際には50分も経たずに会場に入ることが出来ました。先ず、始めに展示されているのは



エントランスホールに掲げられている写真にある奈良・忍辱山円成寺の大日如来像です。この作品は台座に『大仏師康慶実弟子運慶』という運慶自身の墨書が残っている、運慶のデビュー作です。7〜8歳くらいの男の子程の大きさの像ですが、結跏趺坐した脚は衣の下の太腿の存在まで感じられ、足の裏には、本来扁平足であるはずの仏像には珍しい土踏まずが形成されています。他にも、大日如来独特の智拳印という印の結び方を通常より高い位置にしたり、上体を僅かに後方に反らせてより堂々とした印象にするなど、それまでの造像と違った独自の試みが随所に見られます。

その後は、運慶の父康慶の作品を交えて運慶の足跡を世代毎に展示するかたちとなっていました。その中で印象的だったのが、ボスターにもなっている高野山金剛峯寺不動堂に安置されている『八大童子像』のうち運慶作と判明している全6体です。ポスターに写っている赤身の制多加童子を始めとして、矜加良童子や恵光童子といった経典に登場する不動明王を取り巻く様々な童子を、目に水晶を嵌め込んだ玉眼という技法も相俟って真に迫る表現で表しています。

また、同じくポスターに採用されている興福寺北円堂の本尊弥勒如来の両脇に安置される名品『無著・世親菩薩像』も登場しています。法相宗の宗祖である印度の兄弟僧の姿を、運慶は玉眼を用いたリアルな表現の頭部と、それに対してかなりざっくりと作られた袈裟衣との対比で強烈に表しています。

また、無著・世親の周りには、同じく興福寺南円堂に安置されている四天王像も部屋の四隅に配されていました。現在は南円堂にありますが、鎌倉時代に興福寺が再建された際には北円堂にあったという記述があるので、今回はその記述に則ったかたちでの展示となっていたのが印象的でした。この配置は今の本山では望めないものですから、往時に思いを馳せて興味深く鑑賞しました。

その他にも、鎌倉時代に入って武家からの依頼が増えていった中で生まれた名品が数多く出品されていました。

特に静岡・願成就院にあるほぼ等身大の『毘沙門天立像』は、お寺では不可能な360度鑑賞出来る展示になっていました。また、横須賀・浄楽寺の本堂安置の阿弥陀三尊・不動明王・毘沙門天立像が全員揃って展示されていたのには驚きました。普段は3月と10月とに各一日しか御開帳せず、後は一週間以上前に事前予約しなければ拝観出来ない諸尊が一堂に会する様子は圧巻です。

その他には運慶の息子湍慶の作品である興福寺の天燈鬼・龍燈鬼や海住山寺の四天王像といった次世代の作品も並べられていました。その中で最後に圧巻だったのが、かつて京都・浄瑠璃寺にあった十二神将像がコンプリートしていたことです。このうち七体は現在静嘉堂文庫美術館の所蔵になっているため、全部が揃うということは御寺でもないのです。それが勢揃いしている姿はこの展覧会でしか見ることが出来ませんから、その意味でも貴重な機会ということが出来ます。

この展覧会は今月26日までとなっています。金曜日と土曜日は20時まで開館しているということです。興味のある方は是非足を運んでみて下さい。
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ブリューゲル《バベルの塔》展

2017年06月23日 23時40分56秒 | アート
今日は教室の定休日でした。なので、この機会に是非とも観ておきたい展覧会を観に、上野の東京都美術館に出かけました。

今、ここで《バベルの塔》展が開催されています。今日は平日ということもあってか、比較的並ばずに会場内に入ることが出来ました。

中世オランダ絵画史上に燦然と君臨するピーテル・ブリューゲルとヤン・ブリューゲル親子ですが、今回は一族の先駆けとなったピーテル・ブリューゲル一世が手掛け、現在ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館に所蔵されている名画《バベルの塔》を中心としたオランダ絵画黎明期の作品が多数展示されています。

今回の展覧会の目玉である《バベルの塔》は、旧約聖書の物語の中でも山場のひとつとして登場するものです。

かつて人々が共通の言語を話していた頃、人々は広い平地の上に焼き固めた煉瓦を積んで、天にも届かんばかりの巨大な塔を建てようと計画した。それを知った神は怒り、降りてきて彼等の言葉を様々に乱してしまう。結果、意思疏通出来なくなってしまった人々は大混乱となり、塔の建設計画は断念され、言語の通じ合う者同士が各地に散り散りになって行った。それから、世界には多様な人種と言語が発生して今日に至っている…というものです。

ブリューゲルは今回来日したボイマンス美術館所蔵品の他に、同じ主題の作品をもう1つ描いています。それがウィーン美術史美術館に所蔵されている《バベルの塔》です。実は西洋美術史上有名なのはウィーンのものなので、今回は今一つ地味に受け取られてしまったのでしょうか、本当に勿体ないくらいに人がいません。まぁ、その分ゆっくりと堪能できました。

今回の副題が『ボスを越えて』とありました。このボスというのはブリューゲルの先駆者として活躍し、現在プラド美術館に所蔵されている《快楽の園》という問題作を製作した異形の画家ヒエロニムス・ボスのことなのですが、この展覧会に世界で25点しか確認されていないボスの真作が



何と2点も出品されていたのです。写真右は《行商人(放浪者)》、左は《聖クリストフォルス》で、共に50㎝四方ほどの絵なのですが、その中に様々な謎のアイテムが散らされていたり、河鍋暁斎ばりの異形が飛び交っていたりするという問題作です。思いがけず私の大好きな画家の作品が2点もあって、妙にテンションが上がりました。

肝心の《バベルの塔》ですが、薄暗い部屋の中央にドンと鎮座坐していました。そう大きくもない画面いっぱいに描かれたバベルの塔には、3㎜ほどの人間たちが総勢1400人も描き込まれているという、ある種の変態性すら感じてしまう名画です。ただ、そこは日本の美術館の下衆なところで、近くで観たい人の列は常に係員が

「恐れ入ります。立ち止まらずに御鑑賞下さいませ。」

と言いながら強制的に列を流されてしまうので、そんなブリューゲルの変態性を直接確認することなど不可能です。

ところが今回の展覧会では、何と別枠に芸大生が製作した300%拡大図が展示されていて、そちらで細かな人々の動きや唐浜中での営みを鑑賞することが出来るようになっていました。これはこれでなかなか面白く、長々と鑑賞させて頂きましたが、見れば見るほどこれを1から完成させたブリューゲルの変態性を思わずにはいられません。

因みに、描かれた人物の平均身長を170㎝とすると、このバベルの塔の高さは約510mということになるのだそうです。それを具現化するように会場には



バベルの塔の高さを示したパネルが用意され、気軽に写真撮影出来るようになっていました。比較対照が通天閣と東京タワーなのは、バベルの塔を追い越してしまってはどうにもならないという都美術館側の配慮でしょうが、そうだとすると神様は今、東京スカイツリーというバベルの塔をはるかに追い越す建造物(634m)を御覧になって、一体どんな心持ちになっておられるのでしょうか…。

この展覧会は来月2日まで、東京都美術館で開催されています。ブリューゲルも勿論ですが、ヒエロニムス・ボスの真作も観ることが出来る貴重な機会ですので、是非お出掛けになってみて下さい。
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河鍋暁斎展

2017年04月11日 21時56分10秒 | アート
今日は朝から大荒れの天候となりました。何しろ風が物凄く強くて、傘を広げていると飛ばされそうになります。

そんな中でしたが、今日は河鍋暁斎の展覧会を観るべく、渋谷の東急Bunkamuraザ・ミュージアムに出掛けました。《This is Kyosai!》と銘打たれたこの展覧会は、幕末から明治にかけて活躍した画家河鍋暁斎の作品のコレクターとして知られているイギリスの蒐集家イスラエル・ゴールドマン氏の一大コレクションによるものです。

悪天候が功を奏してか館内には殆ど人が居らず、ゆっくりと観賞することができました。

ゴールドマン氏が始めて入手したという《象と狸》



の絵からスタートして、暁斎の代名詞とも云われる鴉のコレクションへと続きます。何しろ鴉だけでも十余幅も並べられていて圧巻でした。

予断ですが、円熟期に内国博覧会に出品した鴉の絵を気に入った日本橋榮太樓の主人は、暁斎の言い値であった百円で買い求めたのだそうです。現代の貨幣価値で言えば500~600万円と言いますから、当時としては「鴉一羽に百円?!」と大層驚かれたそうです。

鴉のコレクションの後にも、大小様々な暁斎の作品が次から次へと展開していきます。

若い頃狩野派に学んだだけあって基礎はしっかりとしたものです。



特に下の絵の崖の描き方には伝統的な狩野派の様式が見てとれますが、その上にいる猫はかなり自由な筆致で描かれています。

このように、暁斎の絵は既存の枠組みを越えて、様々な面白さを我々に見せてくれます。ただ、それ故に暁斎という人を説明しようとする時、どうしたものかと悩むこともあります。とにかく、タイトルポスターにもなっている



《地獄太夫と一休》のような正統派の日本画も描けば、かつて歌川国芳に師事していたこともあって浮世絵的な作品から墨一色の禅画のような作品、草子の挿し絵や戯れ絵、果ては春画に至るまで余りにも多岐にわたるため、「これ」とジャンルを固定してしまうのが勿体ない画家なのです。

奔放な性格故に、放蕩三昧の挙げ句破門されたり、明治新政府の風刺画を描いて逮捕されたりといった逸話に事欠きませんが、晩年は一日一観音と称して毎日観音像を描くなどもしたとか。また、門人の中にはジョサイア・コンドルというイギリス人もいたようです。

晩年は岡倉天心やフェノロサから東京帝国芸術大学の教授就任も打診されていたようですが、胃癌を患ったためにそれも叶わず、明治22(1889)年に57歳という若さで他界してしまいました。死の床では門人のコンドルが手を握り続けていたそうです。

伊藤若冲のプライスコレクションもそうですが、本来日本にあったものが海外で評価され、それが逆輸入されるかたちでやっと日本での評価が上がるという構図は、そろそろどうにかならないものかと思います。これも偏に、芸術教育を軽視する文部科学三流省の弊害のひとつです。

この展覧会は16日(日)まで開かれています。日本画壇の鬼才の作品をこれだけまとめて観賞できる機会もそう無いことですので、お出掛けになってみて下さい。
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《フェルメールとレンブラント~17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち》展

2016年03月09日 20時31分02秒 | アート
腹拵えを済ませてから、そのまま隣の六本木ヒルズに向かいました。今日はここの52階にある森アーツセンターで開催中の《フェルメールとレンブラント~17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち》展の鑑賞がメインイベントです。

強国スペインからの独立を勝ち取ったオランダでは、それまでの王侯貴族を中心としたものに代わって富裕市民階級を中心とした新たな芸術が花開きました。そんな中で活躍したのがフランス・ハルスやピーテル・デ・ホーホ、カレル・ファブリティウス、そしてヨハネス・フェルメールやレンブラント・ファン・レインといったオランダ絵画黄金期の巨匠達です。

今回はそうした華麗なオランダ美術黄金期の作品にスポットをあてて、肖像画や建築画、静物画といった作品を一堂に集めた企画展です。特に今回は、ポスターにもなっているニューヨーク・メトロポリタン美術館所蔵のフェルメール《水差しを持つ女》とレンブラントの《ベッローナ》が揃って初来日するということで、非常に楽しみにしていました。

悪天候の中、しかもお昼時とあって、会場内はガラガラでした。

ここは民間のギャラリーとあって公的な美術館よりもカジュアルな感じの展示になっているので、作品をより間近で鑑賞することができるようになっているのが嬉しいところです。なので、《水差しを持つ女》のフェルメール独特のウルトラマリンの色合いや《ベッローナ》の甲冑や宝飾の細かな意匠を、かなり間近で堪能することができました。

他にもアムステルダム国立美術館やロンドン・ナショナルギャラリーといった名美術館所蔵の、オランダ美術の黄金期ならではの静物画や風景画、建築画や肖像画が多数並べられていて、大変見応えのある展覧会でした。

今月末までの開催ですので、興味のある方は足を運んでみて下さい。
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ボッティチェリ展

2016年02月24日 21時56分46秒 | アート

今日は久しぶりに本当に何にもすることの無い日でした。こうなると、通常であれば『これ幸い( =^ω^)~♪』とダメ人間モードまっしぐら!…といったところですが、そんな怠け心をバッサリと手打ちにして(物騒な…)、バッグ一つだけ持って上野に出かけました。

上野に着いて、そのまま東京都美術館に足を運びました。ここでは現在《ボッティチェリ展》が開催されています。今年が日伊修好通商条約締結150年の記念ということで、今までにない規模の大回顧展となりました。

今回のメインになっている作品は、始めの写真にある《書物の聖母子》と呼ばれるものです。ボッティチェリらしい、夢見るような伏し目がちのマリアと、柔らかい肌の質感まで感じられそうな幼児イエスの様子は何とも微笑ましく、いつまで観ていても飽きません。

ただ、これとは別に個人的に楽しみにしていたのが、2枚目の写真の一番下に写っている《ラーマ家の東方三博士の礼拝》という作品です。ウフィツィ美術館所蔵のこの作品はボッティチェリ30歳頃のものです。この作品はキリスト生誕という聖書物語の場面の中にコジモ・デ・メディチをはじめとした当時のフィレンツェの有力者達の姿が描き込まれているといわれていたり、右端で黄色いガウンを着ている人物がボッティチェリ本人の肖像画だといわれていることでも有名な作品です。またこの絵はイタリアの作曲家オットリーノ・レスピーギによって、有名な《春(ラ・プリマヴェーラ)》、《ヴィーナスの誕生》と共に《ボッティチェリの三枚の絵》という作品で音楽化された作品でもあり、かつて実際に演奏したこともあるので、実物を観られることを楽しみにしていました。

平日のためか都美術館内は驚くほど空いていて、並ぶことなく会場に入ることができました。そして、チケットを切ってもらって会場に入ったら、いきなり《ラーマ家の東方三博士の礼拝》がド~ンと飾られているではありませんか!!Σ( ̄□ ̄;)不意打ちを食らった感じでビックリポンでしたが、初めて観る実物に大興奮!実際に観てみると、人々の表情は言うに及ばず、彼等が纏う金彩の衣装や背景のローマ式の石柱までが細密に描かれていて、ボッティチェリの腕の確かさが見て取れます。思ったよりも小さなものでしたが、それでも大満足でした。

《ボッティチェリ展》と銘打たれているものの、実際に入ってみると、当然ですが《春》や《ヴィーナスの誕生》や《マニフィカートの聖母子》といった有名大作は来ていません。また当たり前と言えば当たり前なのですがボッティチェリの作品のみが展示されているわけではなく、彼の師であるフィリッポ・リッピや、リッピの息子でボッティチェリの弟子でもあったフィリッピーノ・リッピの作品、そしてボッティチェリ工房での弟子達との共作によるものまでが混在した展覧会となっています。

ただ、それでもボッティチェリ自身の作品として《東方三博士の礼拝》や《書物の聖母子》の他にも、写真にある《バラ園の聖母子》(下の写真左上)や《美しきシモネッタ》(同右上)、《オリーヴ山での祈り》から晩期の異色作《誹謗》といったものから、果てはボッティチェリが埋葬されているオニサンティ聖堂のフレスコ壁画《書斎の聖アウグスティヌス》をひっぺがしてまで持ってきているという充実ぶりをみせているのです。これにはまたまたビックリポンです。

メディチ家の庇護の下で人間賛歌を高らかに謳いあげた円熟期から怪僧サヴォナローラに傾倒した晩年まで、ボッティチェリ自身の時代との関わり合い方と作画の変遷とを実感できる興味深い回顧展です。この《ボッティチェリ展》は4月3日まで、上野・東京都美術館で開催されています。
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《マグリット展》

2015年06月26日 21時38分26秒 | アート
今日は金曜日のあざみ野の教室が定休日だったので、以前から行きたかった《マグリット展》を観賞するために国立新美術館に足を運ぶことにしました。ベルギーの画家ルネ・マグリット(1898~1967)の日本での大規模な回顧展としては2002年以来、実に13年ぶりとなるものでした。以前には展示されなかった作品も多数来日しているとのことで、楽しみにしていました。

乃木坂駅から直結している国立新美術館のチケットセンターに向かうと、会期末とはいいながら平日だったことと天候も天候だっただけに殆ど人の姿はなく、会場にも並ばずスムーズに入場することができました。

マグリットが美術学校を卒業した頃には、画壇では既に未来派やキュビスムといったが芸術が台頭していた時代でした。当時の彼の作品にも、そうした芸術的動向が反映されています。またこの時期にマグリットは生活のために商業デザイナーの仕事を始めますが、その当時に作られたポスターや冊子の表紙絵等も展示されていました。

ジョルジョ・デ・キリコの作品に影響されて一気にシュルレアリスムに傾倒したマグリットは、妻のジョルジェットと共にパリに移住して提唱者アンドレ・ブルドンを始めとしたシュルレアリストのグループに参加しますが、この時期の作品から既にマグリット独自の不思議な世界観が垣間見え始めます。今回はその時期の代表作《恋人たち》を始めとした作品もなかなかの充実ぶりでした。

その後ブルドンと袂を分かったマグリットは、1930年に再び故郷のブリュッセルに戻って制作を続けました。ちょうどこの頃に、日常的なイメージの中に隠れた詩的な次元を明確化するという、独自の作品が登場します。個人的にはこの頃から後の作品が大好きなので、この辺りから嫌が応でもワクワクさせられます((o(^-^)o))。今回は《人間の条件》や《野の鍵》といったその頃を代表する作品が多数出展されていて、かなり見応えがありました。

やがて第二次世界大戦が勃発すると、直接的に戦禍を描くことこそ殆ど無かったものの、作風がガラッと明るく変わります。一般に『ルノアールの時代』と呼ばれる明るくて優しい画風は、恐怖や暗黒をもたらすナチスへのアンチテーゼと言われていますが、その頃の代表作《不思議の国のアリス》を観ているとちょっとわざとらしいくらいの明るい画面に、言いようのない違和感と謎めきを感じずにはいられません。

戦後の1947~48年までのほんの一時期、マグリットが自身で『ヴァージュ(雌牛)の時代』と呼んだ、やたらとけばけばしくも粗っぽい絵を描いたことがありました。これは当時のパリ画壇への皮肉を込めたものだったようですが、肝心のパリでは殆ど黙殺されたうえに、さすがの妻ジョルジェットにまで不評だったことで、割とあっという間にこの時代は終わります。その頃の作品も2点ありましたが、感想としては、そうだったのでしょうね( ̄_ ̄|||)…としか言いようがありませんでした。

50代を迎えたマグリットは、自分がかつて確立した1930年代の様式に回帰することとなりました。日常的なモティーフを用いながら、相互関係をずらしたり反転させたりすることによって生まれる矛盾に満ちた不条理の世界を描き出した作品が次々と発表されました。

今展では、《光の帝国 Ⅱ》や《ゴルコンダ》《大家族》《空の鳥》《白紙委任状》といった、円熟期から晩年にかけての傑作が多数出品されていました。特に《ゴルコンダ》は、本国ベルギーでの回顧展開催時には持ち主から出展を断られたにもかかわらず、どういうわけか今回の日本での回顧展には登場したという作品でした。こんな貴重な作品が観られるチャンスも滅多にないことですから、思う存分堪能してきました。特に《白紙委任状》や《大家族》が展示されたこの展覧会の最後の部屋を見た時には、内心『ここに泊まれる!』と思ったくらいです(止しなさい…)。

シュルレアリスムの巨匠として知られながらも、言葉やイメージ、時間と重力といった、日常の思考や行動を規定する枠を軽々と飛び越えてみせるマグリット独自の芸術世界は、その後のアートやデザインにも大きな影響を与えてきました。何の変哲もない日常に潜む神秘を現出させるマグリットの作品は、いつまで観ていても飽きません。ただ、それ故にか、今回の出展作には『個人蔵』であるものが多く見受けられました。となると、この回顧展を企画したキュレーターさんが、どれだけ苦労を重ねて開催に漕ぎつけたのかが、容易に想像することができます。それを日本に居ながらにして、これだけの数のマグリットの作品を堪能できるということは、実に有り難いことです。

6月29日(月)までと会期もありませんが、《ゴルコンダ》1点だけでも観に来る価値がありますから、興味のある方は是非お出かけになってみて下さい。(因みにこの《マグリット展》は7月11日(土)から10月12日(月・祝)まで、京都市美術館に巡回します。)
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二大国宝56年振りの揃い踏み

2015年05月06日 23時05分57秒 | アート
今日はゴールデンウイーク最後の休日となりました。ダメ人間として何となく自堕落な連休を過ごしてしまいましたが、今日ばかりは美術観賞のハシゴをするというしっかりとした予定を立てて出かけることにしました。

先ず向かったのは表参道にある根津美術館です。ここでは今《燕子花と紅白梅》展が開かれています。今年は江戸時代中期に活躍した画師・尾形光琳の300年忌に当たるため、それを記念して、根津美術館所蔵の《燕子花(かきつばた)図屏風》と、静岡県熱海市にあるMOA美術館所蔵の《紅白梅図屏風》という光琳作の二つの国宝の屏風が、実に56年振りに一堂に会して公開されるという大変貴重な展覧会です。

《燕子花図屏風》は光琳円熟期の作で、伊勢物語の東下りの場面をモチーフに画かれたものと言われています。と言っても物語の登場人物等は一切画かれず、金地の画面には群青と緑青だけで簡潔に画かれた燕子花の花が咲き乱れているだけです。二双一対の屏風で、右隻は画面のほぼ中央を横切るように満開の燕子花が画かれ、左隻には画面の左上から右下に向かって斜めに燕子花が画かれ、右上の部分には余白が大胆に空けられています。

燕子花ではありませんが、オランダの画家フィンセント・ファン・ゴッホや、フランスの印象派絵画の巨匠クロード・モネをはじめとする画家達にもアイリスを描いた作品があります。モネのアイリスは静物画として周囲の調度品等も描かれていますが、ゴッホのアイリスは花瓶に活けられたアイリスの背景は、ただ鮮やかな黄色一色に塗られています。もしかしたらゴッホはパリ万国博覧会でこうした屏風画等を目にして、その大胆な構図に影響を受けたかも知れません。

因みにこの燕子花の花は、一説には型紙を用いて画かれているとも言われています。実際に見てみると同じパターンの花の固まりが何箇所かに見られ、それが画面に心地よい一定のリズム感をあたえています。

一方の《紅白梅図屏風》は光琳晩年の作とされています。金地の画面の二双一曲の屏風の右隻には勢いよく枝を天に向けて伸ばす紅梅の若木が、左隻にはゴツゴツと力強い幹から画面上に弧を描きながら地面スレスレに枝を伸ばした白梅の古木が、そしてその二本の梅の木の間にはSの字をいくつも並べたような『琳水(りんすい)』という独特の表現で水流を表した川が画かれています。

この屏風を生で観るのは今回が初めてでした。実際に観てみると、リアリティのある梅の木の幹や枝の表現に対して、まるでスタンプを押したかのように簡略化された梅の花との描き方の対比が実に特徴的でした。また屏風として立てることによって中央の琳水の川も両端の梅の木も想像以上の立体感になって、優美さだけでなく見る者に迫って来るような力強さも感じました。これは図録を見ただけでは分からないことでしたので、感動的な発見でした。

この二つの国宝が、いつまた同時公開されるか分かりませんので、この貴重な機会に是非足を運んで、天才画師光琳の息吹に触れてみて下さい。
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こちらは生誕300年記念

2015年05月06日 20時48分35秒 | アート
根津美術館を出て、表参道駅まで戻ろう…としたのですが、ふとふりさけ見ればかなり間近に、次の目的地である東京ミッドタウンや六本木ヒルズがそびえ立っているのが見えました。

『そういえば、今から行こうとしている乃木坂駅は千代田線でここから一駅だけ隣なだけだし、目的地があんなに大きく見えてるんだから、歩いていけるんじゃない?』

と思い立った私は、特に地図を検索するでもなく、ただひたすら見えている東京ミッドタウンの方角に向かって歩き出し、20分も歩かないうちに無事に目的地に到着しました。東京の地下鉄の一駅分って、意外と近いものです。

次に来たのは、東京ミッドタウン内にあるサントリー美術館で開催されている《蕪村と若冲》展です。実は与謝蕪村と伊藤若冲という二人の天才画師は同じ1716年生まれで、今年が数えで生誕300年目に当たるのを記念して開かれた展覧会です。つまりこの二人は、先程観てきた尾形光琳の完全な次世代の画師達ということになります。

京都の大店の八百屋の長男に生まれた若冲と、大坂(大阪)の農家に生まれながら江戸に出て俳人として活躍した蕪村ですが、本格的に画師に専念したのは壮年期になってからと言われています。狩野派に学んだ若冲と文人画からスタートした蕪村ですが結構仲がよかったようで、蕪村が京都に移住した時には、若冲の家があった現在の京都市四条辺りに居を構えていたようです。また同時期に活躍していた池大雅や円山応挙といった画師達も共通の友人で、尚且つ彼等も同じ四条界隈に住んでいたようなので、割と頻繁に行き来があったのだそうです。

素朴で味わい深い作風の蕪村は、初期の作品は掛け軸も小品であったり、屏風も最小限の表現のものが目立ったりしますが、晩年にはかなり細密な山水画の大作を手掛けるまでになります。一方、《動植綵絵》に代表される超絶的とも言うべき写実が特徴の若冲ですが、晩年にはむしろ墨一色の大胆な筆致で対象を簡略かつ的確にとらえるという境地に至りました。この展覧会では、そんな彼等それぞれの特徴が表れた作品が並列的に展示されていて、非常に興味深いものでした。

この展覧会は今度の週末で終わってしまいますので、興味のある方はお急ぎ下さいませ。
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