共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日はハイドンの誕生日〜全104曲の交響曲の最高峰第101番《時計》

2022年03月31日 18時10分35秒 | 音楽
3月最終日の今日も、日中はかなり暖かな日和となりました。道を歩いている春休み中の子どもたちも半袖半ズボン姿で駆け回っていて、あちこちで元気な声が響いていました。

ところで、今日は久しぶりに作曲家の誕生日ネタで押し切ろうと思います(オイ…)。今日はハイドンの誕生日です。



フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732〜1809)は『交響曲の父』や『弦楽四重奏曲の父』とも呼ばれている、古典派を代表する作曲家です。多作家であることで知られていますが、中でも弦楽四重奏曲第77番ハ長調の第2楽章のメロディ『皇帝讃歌』は、現在のドイツ国歌として歌われています。

ハイドンたちが活躍していた当時はオペラを成功させてはじめて一流の作曲家と認められる時代で、交響曲の前身はその延長線上にある『シンフォニア』という序曲のような管弦楽曲でした。その付随音楽的な立ち位置だったシンフォニアをハイドンが『交響曲』という独立したジャンルに仕立てたことによって後に続くモーツァルトやベートーヴェン、シューベルトといった作曲家たちの名だたる交響曲が生み出されることとなったのですから、正に『交響曲の父』と呼ばれるに相応しい人物と言えるでしょう。

さて、偽作も含めるとかつては107曲もあっとされるハイドンの全交響曲の中でも傑作の誉れ高い作品といえば、間違いなく交響曲第101番ニ長調《時計》でしょう。この《時計》というサブタイトルはハイドン自身が付けたものではなく、第2楽章の冒頭から一貫して流れる8分音符の音形がまるで時計がチクタクと一定の時を刻むように聞こえることから後の世に付けられたものです。

長くハンガリーのニコラウス・エステルハージ公に仕えていたハイドンでしたが、公が他界したことによって職を失ったハイドンはウィーンに戻っていました。そこに目をつけたのが、



当時ロンドンで音楽興行主として活躍していたヨハン・ペーター・ザロモン(1745〜1815)でした。

ザロモンはフリーになったハイドンをロンドンに招き、新作の依頼をしました。ハイドンはそれに応えて、今日ザロモン交響曲、或いはロンドン交響曲と呼ばれている第93番から第104番までの交響曲を発表しました。

これらの交響曲では当時としては珍しかったクラリネットが2本使われていて、管楽セクションに豊かな響きをもたらしています。勿論、この《時計》でもクラリネットが効果的に使われていて、一連のロンドン交響曲らしい管楽セクションの豊かさに貢献しています。

そんなわけで、ハイドンの誕生日である今日はその傑作《時計》の演奏動画を転載してみました。古楽器オーケストラの演奏による、古雅な響きでの演奏をお楽しみください。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後の『デコポンのワッフル』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2022年03月30日 20時40分20秒 | カフェ
今日は水曜日ですが、音楽教室はお休みでした。学校も春休み中なこともあって時間があるのですが、それはそれでやることがあったり出かける用事があったりするので、個人的にはそれほどの休み感もありません。

今日も用事があって、久しぶりにたまプラーザに出かけていました。そして、帰りがけに隣のあざみ野駅で降りて《雫ノ香珈琲》に寄りました。

今日で終わってしまう月替わりメニューの『デコポンのワッフル』をいただこうと思ったら、

「フルサイズは完売してしまったので、ハーフサイズならご用意できますけど…。」

とのことでした。それでもいいので



アイスコーヒーと一緒に最後に残ったハーフサイズをお願いすることにしました。

お店の看板メニューであるクロワッサン生地のワッフルにフレッシュなデコポンが添えられ、ヨーグルトソースとヨーグルトソルベがあしらわれています。そして自家製のデコポンマーマレードが風味と食感のアクセントになっています。

このマーマレードは他のお客さんからもかなり好評だったようで、私もお気に入りでした。最後のマーマレードを堪能することができて、本当によかったです。

今日は教室がない分いつもよりゆっくりできたので、



久しぶりに『カフェ・アダージョ』も堪能しました。次にこちらに伺う時には、もう4月になっていますが、その時にどんな新メニューが登場するのか今から楽しみです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花より練り切り

2022年03月29日 19時45分25秒 | スイーツ
昨日の暖かさから一転して、今日は花冷えの一日となりました。こう一気に気温か下がると、折角満開になった桜もさぞビックリしていることでしょう。

さて、今日は昔お世話になった方のお宅にお邪魔しました。久しぶりにお目にかかったのですが、コロナにも負けずお元気そうで何よりでした。

積もる話に花を添えるべく、今日は



桜の花と



鶯の練り切りを持参しました。奥様が点ててくださったお抹茶といただきながら、つい時間を忘れて話しこみました。

まん延防止等重点措置が解除されたからこその再会でしたが、やはりコロナ禍に対しては思うところは同じようで、お互いにワクチン接種は受けずに頑張ろうということで一致しました。そして、また元気に再会することを約束して失礼しました。

夕方になって、花冷えの空気は更に冷え込んできました。この冷え込みで、もう少し花が長持ちしてくれればいいな…と思います。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相模川三川合流地区の桜並木

2022年03月28日 18時00分18秒 | 
今日も暖かな陽気となりました。この暖かさに誘われてソメイヨシノも咲いているだろうと思って、相模川三川合流地区と呼ばれる河川敷に出かけてみました。

相模川三川合流地区は相模川に中津川と小鮎川という2つの川が合流する場所のことで、広々とした河原に沿って小高い土手があります。その土手沿いには



桜並木が続いています。

夕方近くに出かけたので太陽光が柔らかだったこともあって、



桜の花の色も白っぽくならずに撮影することができました。



淡い紅色のソメイヨシノの花は、遠目に見ても近くで見ても美しいものです。

その後、小鮎川の土手の方に移動すると



こちらにも桜並木が続いていて、美しい光景が広がっていました。徐々に黄昏れていく中で風にそよぐソメイヨシノというのも、またいいものです。

明日はあまり天気がよくないようです。せめて来週の小学校の入学式まで、この美しい花がもってくれるといいのですが…。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サイタ、サイタ、サクラガサイタ

2022年03月27日 15時30分25秒 | 
今日は一段と暖かな日和となり、最高気温も20℃を越えました。もうそろそろ冬物が仕舞えそうな気がして、次シーズンに向けて洗濯やクリーニングをしようかといった気持ちになります。

そんな陽気に誘われて出かけてみたら、近所にあるソメイヨシノの木の幹から



可憐な花が咲いていました。桜の花は高い枝に咲くのを遠目に眺めるものですが、間近で見る桜の花もまたいいものです。

今週末には見頃を迎えるということですが、そうなると来月の入学式の頃には若干葉桜になっているかも知れません。せめてその頃まで、美しい桜がもってくれるといいな…と願うばかりです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青く可憐なオオイヌノフグリ〜草野心平『春のうた』

2022年03月26日 17時25分35秒 | 
昨日の離任式から一夜明け、今日は一日自宅でぼんやりしていました。昨日貰った花や寄せ書きを見ていると支援級の子どもたちや泣きながら押しかけてきた二年生たちの顔が浮かんできて、やるせない気持ちになってきます。

今日は夕方から荒れ模様になるという予報だったので、とりあえず買い物だけでもしておいて外出せずに済むようにしようと思いました。そう思って歩いていたら、



道端にオオイヌノフグリの青い花が咲いていました。

この花は、小学4年生の国語の教科書に掲載されている草野心平の詩『春のうた』にも登場します。



春のうた   草野心平

かえるは、冬のあいだは土の中にいて、
春になると地上にでてきます。
そのはじめての日のうた。

ほっまぶしいな。
ほっうれしいな。

みずはつるつる。
かぜはそよそよ。

ケルルンクック。
ああいいにおいだ。

ケルルンクック。

ほっいぬのふぐりがさいている。
ほっおおきなくもがうごいている。

ケルルンクック。



というものですが、もしかしたら覚えておいでの方もいらっしゃるかと思います。

この詩は、ちょうど支援級の4年生の子と一緒に勉強していました。そして『いぬのふぐり』が分からないということだったので、学校の中庭まで見せに行ったことも覚えています。

こんなノスタルジーに浸っていても何にもならないことは分かってはいるのですが、昨日の子どもたちの泣き顔の残像が新鮮過ぎて、どこか気持ちを切り替えられずにいます。それでも来月には新現場での勤務がスタートしますから、どうにかしないといけません。

とりあえず今日は諦めて、明日からどうにか気持ちを切り替えてみようと思います。なので今日だけは無理せず、もう少し子どもたちとの思い出にふけってみます。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辛いお別れ…

2022年03月25日 18時00分18秒 | 日記
今日は小田原の小学校で、修了式と離任式がありました。今日はちょっと早目に出勤して



最後の黒板アートを描いてみました。

子どもたちを迎え入れて支度をさせてからオンラインでの修了式が始まり、各学年の代表者に修了証書が手渡されました。次にオンラインでの離任式が始まりましたが、今回もなかなかの数の先生方が離任されることとなり、子どもたちも驚きを隠せない様子でした。

私も支援級の子どもたちの前で、4月から違う学校に行くことを告げました。そして、



昨日まで作っていた折り鶴栞を一人一人にプレゼントしました。

栞を渡しながら

「もっときれいな字を書くこと。」
「先生の話をちゃんと聞くこと。」
「勉強始まった途端に『疲れた〜』とか言わないこと。」
「乱暴な言葉を言わないこと。」

と、一人一人に最後の小言を言って回りました。当の子どもたちは理解できているのかいないのか分かりませんでしたが、それでも神妙な顔だけはしていました(笑)。

そして中休みになった時、去年一年生の時に学習サポートをしていた二年生の子どもたちが支援級の教室にドヤドヤ押しかけてきました。そして

「何でいなくなっちゃうの!?」
「ヤダ!」
「辞めないで!」

と口々に騒ぎ立てだしたのです。

もう、それだけで涙腺が崩壊しそうでした。彼らは授業が6月スタートになってしまったり、分散登校になってしまったりと大変な状況を共有しましたから、個人的にも思い入れの深い子どもたちだったのです。

その後、どうにか二年生を落ち着かせて教室に送り届けてから支援級で最後の学活をしましたが、そこで支援級の子どもたちから



きれいな花束と寄せ書きをプレゼントしてもらいました。寄せ書きには





私がヴァイオリンを弾いている姿とヴァイオリンの絵が貼られていて、中には



子どもたち一人一人からのメッセージが書かれていました。

正直、彼らには様々な面で手を焼くこともありました。しかし、それも今となってはいい思い出となっています。

下校時刻になって子どもたちを送り出してから、支援級でお世話になった先生方や個別支援員の皆さんに御礼を述べて回りました。そして



調子に乗って大量生産(笑)しておいた折り鶴栞をプレゼントしました。

覚悟していたとは言え、去年かなり深く関わった二年生の子どもたちや、一年間サポートしてきた今年度の支援級の子どもたちには特別な思いがありました。それだけに、彼らとの別れには万感迫るものがありました。

さて、明日から春休みです。少し気持ちと身体を休めつつ、4月からの準備もしていこうと思います。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

淋しさ誘う青いネモフィラ

2022年03月24日 16時45分45秒 | 
今日、来月から赴任する小学校の校長先生との面談に行ってきました。先方は私が赴任してくることに関して少なからず期待しておられるようで、終始和やかな面談となりました。

一頻り面談をした後、校長先生から教頭先生や事務員の方にも紹介していただき、期待していただけたようでした。ただ、そうした受け入れ側の喜びようを見るにつけ、明日でお別れしなければならない子どもたちのことが脳裏をかすめると、こちらの胸中は複雑です。

とりあえず、4月からの勤務を確認して学校を辞しました。すると、校門脇の植え込みに



真っ青なネモフィラの花が咲いていました。

青い美しい花が風にそよいでいるのを見ていたら、何だか無性に淋しい気持ちになってきてしまいました。明日は離任式があるのですが、正直気が重くて行きたくありません。

でも、そんな我儘も言っていられません。今はとりあえず気持ちを落ち着かせて、



明日子どもたちにプレゼントする栞を頑張って作ろうと思います。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

涙の卒業式と『アップルフレンチトースト』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2022年03月23日 18時58分30秒 | カフェ
今日は小田原の小学校の卒業式でした。

支援級からは二人の男子が巣立っていきました。二人とも前年度にかなり関わった子たちだったのですが、絶対に泣かなそうな男子が私を見つけた途端

「先生〜!」

と泣き叫びながら猛ダッシュしてきました。

とりあえず受け止めて落ち着かせてから、中学校へ行っても頑張れ的な話をしました。しかし、ついでに4月から移動することを告げたらまた泣き出してしまい、完全にヤブをつついて蛇を出してしまったのでした(汗)。

もしかすると中学校では、小学校支援級で受けられたような手厚いケアは望めないかも知れません。どうなるかは全く想像できませんが、それでも彼らなりに頑張ってもらえたらと願うばかりです。

卒業式を終えて諸々の片付けやら掃除やらをして一度帰宅し、礼服から軽装に着替えて横浜あざみ野の音楽教室に出勤しました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日はメニューを見て気になった



『アップルフレンチトースト』をオーダーしてみることにしました。柔らかなフレンチトーストに自家製のりんごのコンポートがのせられ、アーモンドを散らして香ばしく焼き上げた後で仕上げにバニラアイスクリームがトッピングされた可愛らしいスイーツです。

熱々のフレンチトーストと冷たいバニラアイスとの組み合わせは絶妙で、自家製りんごコンポートの甘味も程よい甘酸っぱさです。シナモンがふられていないこともあって、りんごの風味を直に感じられるフレンチトーストです。

美味しいコーヒーを飲みながら、気持ちを落ち着けることができました。明後日出勤したらそれで今の小学校での仕事は終わりなので、今からそれに向けていろいろと準備を進めようと思います。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思いがけぬ辞令

2022年03月22日 21時00分21秒 | 日記
今日、小田原の小学校支援級勤務に行くと、校長先生に呼ばれました。内心

『何だろう、また私なんかやらかしたっけ?(『また』って何だ…)』

と思っていたのですが、校長先生から言われたのは来年度の雇用についてでした。

来年度も個別支援員としての仕事は継続されることとなりました。但し、ひとつ隣の学区にある小学校に転勤になることが決まったとのことだったのです。

一瞬

『…は?』

という思いが頭を過ぎりました。正規の教職員なれまだしも、個別支援員にも転勤があるなどとは思いもよらなかったのです。

理由としては、そちらの学校でも男手を欲していて、どうしても私に来てほしいという要望が出されたからとのことでした。従事してみて分かりましたが、支援級での仕事は体力勝負なところが多くありますから、そういった意味でも男性職員が求められているようです。

その後、通常通り子どもたちを迎え入れて授業サポートをしたのですが、

『この子たちとも今週末でお別れか…』

と思うと胸中は複雑でした。そして、何か細やかなものでいいから彼らに何かプレゼントできるものはないかと思い至ったのです。

帰りの電車の中でいろいろと検索していると、不器用な私でも比較的短期間で出来そうなものを見つけました。そこで、厚木に着いてから駅前にある有隣堂へ向かい、



千代紙を買って帰りました。

そして動画を見ながら作ったのが



折り鶴モチーフの栞です。これは折り鶴を縦半分に切って作るものなので、一枚で二つ作れるので短時間で大量生産出来るので重宝です。

動画を見ないで折れるようになると、今日学校で会った子どもたちの顔が思い浮かびました。それは現在サポートしている支援級の子どもたちだけではなく、昨年初めて学習サポートに入った一年生、今の二年生の子どもたちのことも思い出されたのです。

明日は六年生の卒業式です。昨年サポートしたいた支援級の六年生も卒業していきますが、まさか私も卒業になるとは思ってもみませんでした。

次に彼らに会うのは金曜日ですが、少なくとも支援級の子どもたちとお世話になった先生方や同僚の個別支援員の皆さんプレゼントできるように、もう少し栞作りに勤しもうと思います。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神奈川県随一の巨大釈迦如来立像を訪ねて〜厚木市上依知・日蓮宗星梅山妙伝寺

2022年03月21日 15時30分20秒 | 神社仏閣
今日は春分の日、お彼岸のお中日です。いつもならば相模國一之宮寒川神社に参詣して『御来光守』を頂いてくるのですが、今日はいつもと趣向を変えて、厚木市上依知にある日蓮宗星梅山妙伝寺というお寺へ詣でることにしました。

厚木バスセンターから原当麻駅行きのバスに揺られること30分弱で、上依知というバス停に到着します。そこから5分ほど歩いたところにある



閑静な住宅街の中の参道を進むと



厚木市指定文化財となっている二天門が見えてきます。

この二天門という山門は延享3(1746)年に、妙伝寺第33世住職の日応上人によって建立されたものです。通常のお寺の山門には仁王様が立っていますが、こちらの二天門には



四天王の中の持国天と



毘沙門天(多聞天)が立っています。

この二天の像は元禄10(1697)年に造られたもので、元は境内の釈迦堂内に脇侍として安置されていたのだそうです。共に邪鬼を踏みつけ、持国天は杵(しょ)を振り上げ、毘沙門天は戟(げき)を構えた姿です。

一礼して境内に足を踏み入れると、香の香りが漂ってきます。その中を進んで、先ずは



本堂にご挨拶をしてから、



本堂の隣に建つ厚木市指定文化財の釈迦堂に向かいました。

この釈迦堂は独尊堂とも呼ばれていて、17世紀後半頃の建築と推定されています。寺伝によれば、常陸國加倉井村、現在の茨城県水戸市加倉井町にある妙徳寺の日遥上人がこのお寺を再興した際に建てたといいますが、こんなところで郷里の水戸の字を見ることになるとは思いもよりませんでした。

そして、この中に安置されているのが



お釈迦様の等身大とされる丈六(約4.85m)の釈迦如来立像です。

この巨大な釈迦如来立像の造像は、山門の二天が造立された元禄10年よりもやや遡る頃ではないかと推定されています。江戸時代に造立された木造彫刻としては神奈川県下最大のもので、ここまでの規模の立像は鎌倉市内にも存在していません。



衆生に向けて恐れるなと右手を上げた施無畏(せむい)印と、衆生の願いを受け入れるべく左手を垂れた与願(よがん)印で堂々と立たれる釈迦如来はほんの少し頭を下げていて、遥拝する人と目線が合うようになっています。釈迦堂のお釈迦様のお顔にあたるところには



明かり採りの窓が開けられていて、暗がりの堂内でもお顔をはっきりと拝することができます。

また、この御像は





手足の爪が長いのが特徴です。これは鎌倉期に流行した中国・宋(そう)様式と呼ばれるもので、有名なものとしては兵庫県小野市の浄土寺に安置されている快慶作の阿弥陀三尊立像にも見られる作風です。

これだけの巨像を支えるために、



蓮台もかなり分厚く頑丈なものとなっています。これまで幾多の地震にも見舞われてきたことでしょうが、今日までそれに耐えてこられたのも、こうした盤石な基礎があったればこそです。

昨日東京都内でのソメイヨシノの開花が宣言されましたが、妙伝寺の境内にある桜も



ちらりほらりと咲き始めていました。メジロやヒバリがさえずる暖かな春分の日に、素晴らしい仏像を拝観することができました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地下鉄サリン事件から27年

2022年03月20日 19時45分25秒 | 日記
今日は地下鉄サリン事件が発生した日です。今から27年前の1995年の今日、麻原彰晃をトップとしたオウム真理教のメンバーたちによる陰惨な無差別テロが敢行されました。

私は、個人的にもこの日を忘れられません。というのも、もしかしたら私も被害者になっていたかも知れないということと、この日が生前の母との最後の面会になってしまったという、二重の意味があるのです。

あの日私は、当時母が入院していた国立がん研究センター東病院のホスピスケアに見舞いに行くべく小田急線に乗り、代々木上原駅で地下鉄千代田線に乗り換えて千葉県柏市に向かっていました。そして無事に柏駅に到着してバスに乗り、何のことはなく病院に着きました。

そこで、前日から詰めていた妹と交代して母のベッドの横に座り、入れ違いに妹は都内の職場へ出勤していきました。そして母と一緒に妹を見送ってしばらくしていると、寝ていた母がつけっぱなしになっていたテレビの画面を指差したのです。

「どうしたの?」

と聞いてみたら

「お前、今日地下鉄に乗って来たんじゃないの?なんかテレビで地下鉄の駅みたいなところに、沢山人が倒れてるのが映ってるけど。」

というので観てみると、そこに写っていたのは



ブルーシートに横たわるおびただしい人と、慌ただしくうごめく救急隊員たちの姿でした。はじめは何のことだかさっぱり分からなかったのですが、当初は

「地下鉄構内で爆発事故が発生した。」

という報道だったと記憶しています。

母と私は

「何が起きてるんだろうね。」

などと呑気に話をしていたのですが、そのうち『有毒ガス』というワードが出てきたことで、さっき出ていった妹の安否が気になりだしました。しかし、1995年当初は現在ほど激しく携帯電話が普及しておらず、外出先から連絡をとろうとするなら公衆電話に並ばなければなりませんでしたから、こちらでヤキモキしていてもどうにもならない状況でした。

この一連の出来事が、後に地下鉄サリン事件と呼ばれる空前絶後の無差別テロ事件だったわけです。

その後、妹とは無事に連絡がとれたのですが、当時勤めていた職場が地下鉄の駅のみしかなかったのと、連絡をとろうにも公衆電話に長蛇の列ができていたのとで、出勤もできず母に連絡もとれずにいたようでした。私はその日のうちにどうしても自宅に戻らなければなれなかったのですが、地下鉄が動いていないということでJR線を駆使してどうにか厚木まで戻ることができたことを覚えています。

考えてみれば、もし私があの時よりもう少し遅い千代田線に乗車していたら、私もあのブルーシートに横たわる一人になっていたかも知れなかったのです。そう思うと何だか地下鉄に乗るのが怖くなったのと、ちょうどその頃所属していたオーケストラの仕事が忙しくなってしまったのとで母の看病に行き辛くなってしまったのですが、そうこうしているうちに母は3月25日に他界してしまったのです。

今にして思えば、後悔ばかりです。あんな事件わ物ともせずにいれば、せめてもう一度くらい母に会えていたかも知れないのに、と…。

こんな無差別殺戮を宗教団体が主導していたということに、言いようのないショックを受けたものでした。人々の心の拠り所となるべき宗教団体が、自分たちを認めさせるために毒ガスを用いて無差別に人々を殺すなどとは…。

あの事件では地下鉄の駅員を含む多くの方が亡くなったり、現在でも後遺症に苦しめられたりしています。麻原彰晃を含む全ての被告人は全員極刑に処されましたが、だからといって故人や後遺症患者が救われるわけではありません。

せめて今は、未だにあの悲惨なテロ事件の後遺症に悩まされておられる方々に、心よりお見舞い申し上げます。また、犠牲となられた方々の御霊安かれと祈ると共に、大切な方を亡くされたご遺族に謹んでお悔やみ申し上げます。

合掌。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日はドヴォルザーク《チェロ協奏曲》の初演日〜宮田大氏の独奏による演奏(アンコール付き)

2022年03月19日 18時10分30秒 | 音楽
昨日の真冬のような寒さは多少解消しましたが、それでも今日は風の冷たい一日となり、夕方からは冷たい雨も降り始めました。暦の上では春の彼岸を迎えていますが、春を喜べるのはまだ先のことのようです。

ところで、今日3月19日は



ドヴォルザークの《チェロ協奏曲 ロ短調》が初演された日です。曲の大部分はニューヨークで書かれていますが、初演は1896年3月19日にロンドンで行われています。

ドヴォルザークは3つの楽器(ピアノ・ヴァイオリン・チェロ)のために協奏曲を書いていますが、ドヴォルザークのコンチェルト、通称『ドボ・コン』と言えば間違いなくこのチェロ協奏曲を指します。それほどドヴォルザークの作品中の中でも親しまれている作品であるだけでなく、西洋音楽史に残るチェロ協奏曲の中でもダントツの人気を誇るのがこの曲です。

実はドヴォルザークのチェロ協奏曲については20世紀になってもう1曲あることが分かりましたが、そちらの方はオーケストレーションも完成されていないこともあり、作品番号すら付いていないものです。なので、通常『ドヴォルザークのチェロ協奏曲』と言えばこのロ短調の作品を指します。

語弊を恐れず言うのであれば、クラシック音楽の全チェロ協奏曲の中の最高傑作と言っても過言ではないでしょうし、名チェリストによる録音や演奏会で取り上げられる回数の点からも他のチェロ協奏曲を圧倒しています。その分、独奏チェロの技巧的な面から見ても、また40分ほどかかる演奏時間の点から見ても、チェリストにとっては大変な難曲となっています。

曲は、有名な交響曲第9番《新世界より》といったドヴォルザークの他の名曲同様『望郷の念』が詰め込まれていて、一度聴いたら忘れられない哀愁のある名旋律に満たされています。オーケストラの書法も大変充実していて、協奏曲なのにトロンボーンやチューバの入る編成はかなりシンフォニックな響きを生み出していて、単なる伴奏という枠を越えて独奏チェロと一体となった、豊かな情感を持った音楽を紡ぎ出しています。

そんなわけで、今日はそのドヴォルザークの名協奏曲を、日本人チェリスト宮田大さんのチェロ独奏でお楽しみいただきたいと思います。なお、演奏後にアンコールでマリア・テレジア・フォン・パラディス作曲の《シチリアーノ》の演奏もあります。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日はリムスキー=コルサコフの誕生日〜珍しいトロンボーンのための協奏曲

2022年03月18日 16時45分16秒 | 音楽
昨日までの暖かさはどこへやら、今日は一転して昨日より10℃以上気温が下がりました。ヘタに冬物をしまいこんでしまわなくて、本当によかったと思っております…。

折角咲きそうになっていたソメイヨシノの蕾も、急激な冷え込みにさぞや驚いていることでしょう。昨日はこの三連休中にも東京で開花宣言が出されるのでは…とも言われていましたが、事はそう簡単にはいかないようです。

ところで、今日3月18日はリムスキー=コルサコフの誕生日です。



ニコライ・アンドレイェヴィチ・リムスキー=コルサコフ(1884〜1908)はロシアで活躍した作曲家でありながら、海軍士官としても活躍していた人物です。

リムスキー=コルサコフは管弦楽法の大家として知られていて、『管弦楽法原理』という理論書を多く残しました。中でも和声学の教科書は、日本でも広く採り上げられています。

その管弦楽法の巧みさを活かして、ムソルグスキーの交響詩《禿山の一夜》や歌劇《ボリス・ゴドゥノフ》や《ホヴァーンシチナ》、ボロディンの歌劇《イーゴリ公》といった、彼らの死後に残された未完成作品を含む様々な作品の補筆や改訂も手がけました。その中には、先日とり上げたラヴェルの編曲が有名な《展覧会の絵》もありますが、リムスキー=コルサコフの編曲は全曲ではなく抜粋であるため、今日では演奏される機会はあまり多くありません。

さて、リムスキー=コルサコフには交響組曲《シェヘラザード》や《熊蜂の飛行》といった有名な作品がありますが、今日ご紹介するのは《トロンボーンと吹奏楽のための協奏曲 変ロ長調》です。

1877年に発表されたトロンボーンを主役としたこの珍しい協奏曲は、同僚の海軍士官のトロンボーン奏者のために作曲されました。作曲家の死後一時期忘れられていましたが、1951年に旧ソ連で再発見されて、現在ではトロンボーン・ソロの貴重なレパートリーとなっています。

そんなわけで、リムスキー=コルサコフの誕生日の今日は珍しいトロンボーンのための協奏曲をお聴きいただきたいと思います。吹奏楽の響きも軽やかな中に流れる、中低音楽器の魅力的なメロディをお楽しみください。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11年前の記憶が甦る大規模地震

2022年03月17日 15時00分40秒 | 日記
昨夜23時34分頃と23時36分頃の2回にわたって、福島県沖を震源とした地震が発生しました。



地震の規模を表すマグニチュードは7.4を記録したとのことで、福島県と宮城県とで最大震度6強を観測し、沿岸部では最大30cmの津波が観測され



17両編成の東北新幹線の車両のうち16両が脱線したり、広範囲で停電や断水が発生したりしたことはニュースになった通りです。

私が住まう神奈川県でも震度4を観測し、



横浜市や川崎市、相模原市等で約30万件もの停電が発生しました。幸い厚木市では停電は発生しなかったものの、我が家では壁に飾ってある額装画が激しく左右に揺れ、外れて落ちてしまうのではないかと気が気ではありませんでした。

それにしても、3月であることと言い、地震の規模と言い、福島県沖を震源とした東北地方での被害の甚大さと言い、いやが上にも11年前の東日本大震災を思い起こさずにはいられません。かなり激しい横揺れに耐えながら、11年前に音楽教室のアップライトピアノがゴン!ゴン!と音を立てて私に向かって前進してきた記憶が甦ってきました。

先日3月11日に小学校支援級の子どもたちに東日本大震災を話しましたが、震災後に生まれた子どもたちの反応は全くの他人事で芳しいものではありませんでした。はからずも今回の地震を経験したことで、彼らも初めて震災の怖さを身を持って体感したことでしょう。

正に『災は忘れた頃にやってくる』、まるで11年前の災禍を忘れるなと言わんばかりの大きな地震に、改めて準備と心構えの大切さを思い知らされた一夜となりました。皆さんも、改めてお気をつけいただきたいと思います。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする