共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日はレハールの誕生日〜ウィンナ・ワルツの代表的レパートリー《金と銀》

2022年04月30日 11時30分55秒 | 音楽
昨日の荒れ模様から一転して、今日は爽やかな晴天に恵まれました。なので、久しぶりにベランダにテーブルと椅子を出して、様々なレコードを聴きなながらお茶をしました。

ところで、今日4月30日はレハールの誕生日です。



フランツ・レハール(1870〜1948)はオーストリアやドイツを中心にウィンナ・オペレッタの分野で活躍したオーストリア=ハンガリー帝国生まれの作曲家で、特に1905年に代表作であるオペレッタ《メリー・ウイドゥ》を初演して大成功を収めたことで国内外で称賛され、その名声を一気に高めました。

1882~1888年、プラハ音楽院に入ったレハールはヴァイオリンや理論習得する傍ら、



チェコを代表する作曲家アントニン・ドヴォルジャーク(1841〜1904)に作曲の指導を受けました。卒業後はラインラントで劇場のヴァイオリン奏者を務めた後に軍楽に入り、各地の少年連隊や海軍の軍楽隊を移動することとなります。

多くのウィンナ・オペレッタを発表した華やかな活動の一方で、レハールは



ナチス党党首アドルフ・ヒトラー(1889〜1945)との関係が取り沙汰されることも多くあります。このヒトラーとの関係は、残念ながらレハールと彼の周囲の人々に大きな不幸をもたらす事になっていきました。

レハールの妻ゾフィーはユダヤ人だったにもかかわらず、彼女は強制収容所送りにはなりませんでした。その背景には、ヒトラーがレハールの代表作《メリー・ウィドゥ》を愛好していたため、その贔屓目で当時ドイツを率いていたナチス党政権の庇護を受けることができていたことが理由にあるとされています。

レハール自身もそれに応えるかのように《メリー・ウィドゥ》のスコアをヒトラーに贈っていて、こうしたことからも二人の緊密な関係がうかがえます。しかし、レハール自身は政治に関して殆ど無関心であったにも関わらず、こうしたヒトラーやナチスとの様々な繋がりがあったことによって「ナチスへの協力者」と呼ばれることとなり、戦後オーストリア及び旧西ドイツで非難される事となってしまいました。

はからずも現在、ウクライナを侵攻しているロシアのプーチン大統領と親交の深かった指揮者のワレリー・ゲルギエフやソプラノ歌手のアンナ・ネトレプコが、ロシアに対する世界的な制裁の延長線上で世界の音楽シーンから爪弾きにされています。『歴史は繰り返す』と言いますが、ヒトラーと作曲家レハールや指揮者フルトヴェングラーのようなかつての権力者と芸術家との関係性の事例が21世紀になってまで起きてしまっているということに、言い様の無い思いを抱いてしまうのは私だけでしょうか。

さて、今日演奏されるレハールのワルツの多くは《メリー・ウィドゥ・ワルツ》や《ルクセンブルク・ワルツ》など自作のオペレッタから編曲されたものが多いのですが、今日はそれらとは違うウィンナ・ワルツ《金と銀》をご紹介したいと思います。今日ウィンナ・ワルツといえば圧倒的にヨハン・シュトラウスを始めとしたシュトラウス一族の作品が有名ですが、レハールの《金と銀》も今日ではウィンナ・ワルツの代表的なレパートリーとして、シュトラウス一族の作品に引けを取らない人気を博してよく演奏されています。

このワルツ《金と銀》はオペレッタを編曲したものではなく独立した管弦楽用ワルツとして誕生した作品で、1902年の謝肉祭の間に催されたパウリーネ・メッテルニヒ侯爵夫人主催の舞踏会のために作曲されました。タイトルの《金と銀》というのは舞踏会の課題名で、会場は銀色に照らされ、天井には金色の星が煌き、壁一面に金銀の飾りが付けられ、参加者も金銀に彩られた思い思いの装飾を纏っていたと伝えられます。

この《金と銀》は、《メリー・ウィドゥ》をはじめとした数々の作品を手掛けたレハールらしい甘美なメロディに満ち溢れた華やかなワルツとなっています。ヨハン・シュトラウスとはまた違うどことなく素朴さを含んだレハールのワルツは、今日でも各地の演奏会や舞踏会で愛されています。

そんなわけで、今日はレハールのワルツ《金と銀》をお聴きいただきたいと思います。ヴラディーミル・フェドセーエフ指揮によるウィーン交響楽団の演奏でお楽しみください。


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昭和の日に森永ミルクキャラメル

2022年04月29日 15時45分55秒 | スイーツ
今日から本格的にゴールデンウィークがスタートしました。今日は、先々帝昭和天皇のお誕生日である『昭和の日』です。

考えてみれば、『昭和の日』というのも何だかよく分からない祝日です。先々帝のお誕生日を祝日として残すのであれば上皇陛下のお誕生日も『平成の日』として祝日のままにしておけばいいのにと思うのですが、ゴールデンウィークに絡まない休みには官民共に関心が無いのでしょうか。

さて、折角の『昭和の日』ですから昭和っぽいものが家の中にないか探してみました。すると、カバンの中から



森永ミルクキャラメルが出てきました。

黒柳徹子さんの著書《窓ぎわのトットちゃん》にも登場する森永ミルクキャラメル、私の小学校時分にも、遠足のおやつのひとつといえばこれでした。その頃に『滋養豊富』『風味絶佳』と書かれた黄色いパッケージを手にした時の密かな高揚感は、今でも思い出すことができるくらいです。

恐らく小学校に勤務する途上の何処かで買ったのだろうと思うのですが、今日は昭和に思いを馳せて楽しもうと思います。午後に入って厚木では雨脚が強くなってきましたが、明日はどうなりますでしょうか。

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新店続々本厚木ミロードイースト

2022年04月28日 19時35分10秒 | スイーツ
昨日の蒸し暑さは何処へやら、今日は涼しい一日となりました。もうしまい込んでしまおうとした長袖シャツは、なかなかしまえそうにありません…。

さて、今週に入って本厚木駅東口のミロードイーストに新たなお店が続々とオープンしました。かつて小田急系列のパン屋《HOKUO》が潰れた跡には



《DONQ》が入り、JTBが潰れた跡には



《焼肉ライク》が入りました。

そして、シュークリーム専門店のビアードパパの作りたて工房が潰れた跡には



《サーティワンアイスクリーム》が入りました。なので、今日はここに寄ってみることにしました。私がサーティワンアイスクリームで必ず買うのは



ストロベリーチーズケーキとキャラメルリボンです。

もう、どれだけ昔から買っている組み合わせでしょう。むしろこの2つがラインナップから無くなることがあれば、一生サーティワンには行きません(オイ…)。

ただ、こうやってオープン当初は大盛況なのですが、しばらくすると人が来なくなって終いには潰れていくというのが厚木市の残念なところです。これらの店も、そんな憂き目に遭うことのないよう見守りたいと思います。

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今月限定メニューオーダーしまくり@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2022年04月27日 21時11分12秒 | カフェ
今日も蒸し暑い一日となりました。小学校の子どもたちもグッタリしてしまって、見ていて可哀想になってきます。

本当なら冷房でも入れてあげたいところですが、まだ夏季ではないということで冷房の設定がされていません。なので送風で誤魔化すしかないのですが、縦割りの季節感ではなく、もう少しフレキシブルな対応ができないものか…と思ってしまいます。

そんな小学校支援級勤務を終えてから、今日は前年度まで勤務していた小学校の横を通って帰ってみることにしました。すると、2年前に面倒をみていた当時の1年生(現3年生)たちと鉢合わせしてしまったのです。

もう、見つかったが最後

「あ゛〜っ!!!」

と大騒ぎになってしまい、それでなくても狭い学校前の歩道が人垣で埋まってしまいました。さすがに

『こればマズい!』

と思った私は、ひたすら子どもたちを落ち着かせつつ、何とか他の歩行者の皆様のご迷惑にならないように交通整理するのに必死でした。

そんなわけで、気づけば本来乗ろうと思っていた電車を一本乗り過ごしてしまい、クッタクタになりながら横浜あざみ野の音楽教室を目指しました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》になだれ込みました。

今日はとにかく暑かったので、先ずは



冷たいコーヒーフロートをお願いしました。バニラアイスてんこ盛りのフロートは食べ応えもなかなかで、暑さにあてられた身体に染み渡ります。

しばらくしてから、今月一杯まであるといっていた



桜のパンナコッタもお願いしました。つい数週間前にソメイヨシノが咲いていたことすら信じられない暑さの中で、桜の塩漬けの風味が心地よいパンナコッタは最高です。

しばらくマスターさんとの話に花を咲かせてから、やはり今月限定メニューの



フレッシュ苺のワッフルもオーダーしてみました。自家製の苺のコンフィチュールとヨーグルトソースが温かなワッフルやフレッシュな苺とマッチして、実に美味しい一品です。

今日は何だか、いつも以上に疲れました。帰ったらシャワーを浴びて、サッサと寝ます…。

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和風な名前で厄介外来種

2022年04月26日 18時00分25秒 | 
今日は気温の割りに湿度が高くて、何とも蒸し暑い陽気でした。小学校の子どもたちも大なり小なり汗をかいていて、まだ冷房が使えない中でちょっと辛そうでした。 

そんな中で3年生の理科の時間に、午前中のまだ雨が降らないうちに運動場に出て、身近な動植物の観察をしました。すると、一部の女子から

「先生、この花なんですか?」

という質問があったので行ってみると



これが咲いていました。

子どもたちは分からなかったようですが、これは『ナガミヒナゲシ』という花です。ただ、いかにも和風な名前をしていながら、実はごく最近入ってきた外来種です。

ナガミヒナゲシの原産は、地中海を中心としたヨーロッパです。日本には輸入穀物などに紛れて渡来したと推測され、1961年に東京都世田谷区で初めて確認されて以降、帰化植物として日本各地で自生したといわれています

2016年以降はその有毒性や繁殖力の強さから、神奈川県をはじめとする複数の自治体で、住民に対して

「特定外来生物や生態系被害防止外来種(要注意外来生物)には指定されていないものの、これらと同様に生態系に大きな影響を与える外来植物」

としてナガミヒナゲシの危険性を周知するとともに、駆除の協力を呼びかけるに至っています。ところが、その一方で周知が十分に行き届いていない面も見られ、個人レベルでは雑草駆除をこまめに行っているような人であっても、

「花がきれいだから」

という理由で駆除せずに残してしまうケースも多く見られ、そうした背景も繁殖を手助けしている要因となってしまっているようです。

ナガミヒナゲシにはアルカロイド性の有害物質が含まれています。害虫や動物から身を守るための植物毒のため、うっかり素手で茎を触ったり折ったりすると、手がかぶれる恐れがあります。

また、ナガミヒナゲシは『アレロパシー活性』が強いのも大きな特徴です。アレロパシーとは植物が放出する物質の一部で、ほかの植物の生育を阻害したり、害虫や動物を寄せ付けないようにしたりする性質があります。

ナガミヒナゲシの発生場所は道路沿いが中心ですが、農地のあぜ道や公私の花壇への侵入も確認できます。もしお庭に生えている場合は手塩にかけた植栽に影響を及ぼす危険性があるので、見つけたらなるべく早く駆除するようにしてほしいと思います。

また、違う子どもたちからは



この花を聞かれました。

この花の名前は『ユウゲショウ(夕化粧)』といいます。ただ、こんな和風な名前をしていながら、こちらも外来種です。

ユウゲショウの原産地は南米から北米南部で、現在は帰化植物として、日本のみならず世界中の温暖な地域に広く分布しています。日本では明治時代に観賞用として移入されたものが日本全国で野生化していて、道端や空き地でよく見かけることができます。

ピンク色の花を咲かせて一見愛らしいのですが、こちらも毒性はないものの繁殖力が強い植物です。そのため、日本に古来から生息しているスミレなどの在来種の育成を阻害する恐れがあるので注意が必要です。 

こうして見ると、何気なく見かけている植物が意外と外来種だったりするものです。なので、もし見かけた場合、権限的に問題がないところであれば撤去していただきたいと思います。

特にナガミヒナゲシを撤去する際には、手がかぶれてしまわないようにゴム手袋をしてください。また、ナガミヒナゲシは未熟な実でも発芽する力をもっているので、種をこぼさないようにして焼却処分していただきたいと思います。

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正真正銘『屋根より高いこいのぼり』〜倍賞千恵子さん歌唱による文部省唱歌『こいのぼり』

2022年04月25日 17時17分17秒 | 日記
今日はまた、日中は夏日となる暑さとなりました。昨日の肌寒さからすると一気に季節が進んだ感がありますが、こうも気温に乱高下されると、こちらも対応しきれません…。

そんな夏空が広がる中歩いていると、大きな布が風にはためいている音が聞こえてきました。

『もしや…』

と思って風上に向かってみると



立派なこいのぼりが風に泳いでいました。

最近はマンションのベランダではためく『屋根より低いこいのぼり』が多く見受けられる中で、久しぶりに



正真正銘『屋根より高いこいのぼり』を見ることができました。中空を悠々とこいのぼりが泳ぐ様は、やはりいいものです。

小学校の音楽の教科書にも『こいのぼり』の歌が載っています。ただ、1年生の教科書には

『やねよ〜り〜た〜か〜い、こいの〜ぼ〜り〜…』

が載っているのですが、5年生の教科書には文部省唱歌の

『甍の波と〜雲の波〜…』

が載っています。

勿論1年生の教科書の歌もいいのですが、私は個人的に5年生の教科書に載っている七五調の『こいのぼり』の方が好きです。こういうことを言うと、やれ軍歌調だの旧来的だのとガタガタ突っかかってくる輩が一定数いますが、ハッキリ言って五月蠅えって話です。

というわけで、今日はその文部省唱歌版『こいのぼり』の歌唱動画を載せてみました。倍賞千恵子さんの温かみのある歌唱でお楽しみください。


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新ホールでの小田原ジュニア弦楽合奏団定期演奏会

2022年04月24日 18時46分50秒 | 音楽
今日は昼前から冷たい雨の降る、生憎のお天気となりました。気温も予報されたほどは上がらりませんでしたが、それでも長袖を着ているとちょっと暑いと感じる瞬間もありました。

さて、今日は前の赴任先の小学校で知り合った子が出演する小田原ジュニア弦楽合奏団の定期演奏会を聴くために小田原に出かけました。事前に



チケットもいただいていたので、あとは出かけるだけの状態でした。

少しばかり早く小田原に到着したので、先ずは一昨日も撮影した小田原城址公園南堀の《御感の藤》へ向かってみることにしました。小雨の降る中行ってみると



思った通り花数が増えていました。

藤棚の中に入ってみると



雨に濡れた藤の花房が紫色をより深くしていました。それにしても、



こんなにも多くの花房が頭上を覆い尽くしている光景は圧巻です。

それから



小田原城址公園の正門である



銅門(あかがねもん)にも行ってみました。すると



銅門の楼閣部が無料公開されていたので、上がってみることにしました。

階段を上がって中に入ると



巨大な梁が何本も架けられているのが見られます。ふと目線を落とすと、広間のような中に



誰かが座っていたのでビックリしました。

『何だ!?』と思って恐る恐る近づいてみると、



北条氏政をはじめとした面々による『小田原評定』の場面を再現したマネキンでした(汗)。分かってみればどうということはありませんが、はじめに見た時には受付の人の前で危うく声を出して驚きそうになりました(大汗)。

そんな銅門から外を見ると



これから向かう小田原三の丸ホールが見えます。そろそろ時間も迫ってきたので銅門を降りて



昨年9月にオープンした真新しいホールに向かいました。

小田原三の丸ホールは、かつて小田原警察署があったところに新たに建てられたホールで、大ホール前のホワイエからは



銅門と天守閣が絶妙な角度で見えます。ホールの中に入ると



舞台上は温かみのある木調のデザインが、客席は



壁一面に細かな煉瓦調のブロックが貼られたシックなデザインとなっています。

今回のプログラムは

◎2台のヴァイオリンのための協奏曲 イ短調 Op.3-8(ヴィヴァルディ)

◎ディヴェルティメントニ長調 K.138(モーツァルト)

◎みんなで弾こう!カノン(パッヘルベル)

◎弦楽セレナーデ ハ長調(チャイコフスキー)

という、なかなか充実したものでした。中でもカノンは観客席にいる子どもたちが参加することもあってフラッシュをたかなければ撮影OKだったので、





私も便乗して撮影させていただきました。

いずれも大曲揃いでしたが、子どもたちは一生懸命演奏してくれていました。特に、このコンサートで卒団する高校生がソリストを務めたヴィヴァルディとメインプログラムのチャイコフスキーは素晴らしく、会場からは万雷の拍手が贈られていました。

プログラムには、この小田原ジュニア弦楽合奏団を創設されたヴァイオリニストの白井英治先生の訃報が書かれていました。これまで小田原の芸術文化向上に多大な功績を遺された先生の訃報にふれて、改めて先生の存在の大きさを感じました。

きっと白井先生は、今日のコンサートも天国から御覧になっておられたに違いありません。これからも彼らの精神的支柱として、彼らを見守っていただきたいと願わずにはいられませんでした。

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ウクライナへの思いを込めて〜ナターシャ・グジーさんの歌唱とバンドゥーラによる《防人の歌》

2022年04月23日 15時00分20秒 | 音楽
ご存知の通り、ロシアによる謂れなきウクライナへの侵攻が連日報道されています。2008年にもクリミア半島への一方的な介入があり、現在までウクライナ領でありながらロシアに一方的に実効支配されたままですが、プーチン大統領はそれだけで満足せずに、新たな惨劇を繰り広げています。

前回のグルジア侵攻は2008年、今回のウクライナ侵攻は2022年、これらの出来事がいずれも中国・北京で夏季・冬季オリンピックが開催された年に起こっていることは偶然なのか定かではありません。ただ、『奇妙な一致』であることに疑いの余地はありません。

普段あまり政治的なメッセージを書かない拙ブログですが、あまりの惨劇の長期化に何らかのメッセージを発信できないかと思うことがあります。そんな中で見つけたのが、



ウクライナ出身の歌手ナターシャ・グジーさんが歌う《防人の歌》の動画です。

《防人の歌》は、日露戦争を描いた映画『二百三高地』の主題歌としてさだまさしさんが発表した作品です。『海は死にますか、山は死にますか』という強烈に印象に残る歌詞と美しい旋律は、今でも聴く人の心を揺さぶります。

《防人の歌》の歌詞は、万葉集に掲載されている


鯨魚(いさな)取り 
海や死にする 山や死にする
死ぬれこそ 
海は潮干(しほひ)て 山は枯れすれ


海が死ぬなどということなどあるのか?山も死ぬのだろうか?(そんなはずがないのに)。
しかし死ぬからこそ、海の潮は干上がり、山も草木が枯れるのだ

(巻16-3852 作者未詳)


という和歌に基づいています。

「鯨魚取り」というのは海、浜、灘といった言葉に掛かる枕詞で、昔は近海で鯨が多く捕れたことによります。この歌を詠んだ人物は不明ですが、この歌の前に三首の釈教歌(仏教詠)が並んでいるので、恐らくこの歌も僧による歌なのでしょう。

そんな万葉集の歌を通して日露戦争の悲哀を描いた映画のために作られた歌ですが、はからずもそれが今、ロシアとウクライナとの戦争の悲しい惨状と重なっているように感じてなりません。ましてその歌を、ウクライナ出身であるナターシャ・グジーさんがウクライナ伝統のバンドゥーラを奏でながら歌うことによって、尚更深い意味を持つように聴こえてきてならないのです。

そんなわけで、今日はナターシャ・グジーさんの歌唱とバンドゥーラ演奏による《防人の歌》の、100万回再生を超えたという動画を紹介させていただきます。万葉の歌に込められた美しくも激しい慟哭を感じながら、戦火未だ止まぬ遥かウクライナに思いを馳せていただければ幸いです。


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西日に映える小田原城址公園《御感の藤》

2022年04月22日 19時55分19秒 | 
いやぁ…暑い(汗)。水曜日の最高気温が14℃だったところから今日は一気に26℃になりましたから、子どもたちも大人たちもどことなくバテ気味でした…。

今日も小田原の小学校支援級では、いろいろな出来事がありました。基本的に豆腐メンタルな子たちなのでちょっとしたことで落ち込んだり機嫌を損ねたりするのですが、全部拾っているとこちらもシンドいので、どこを間引いて話をもっていくかが大変です(汗)。

そんな小学校支援級勤務を終えてから、折角いいお天気なので小田原城址公園に寄り道していくことにしました。こちらの南堀の前にある、大正天皇所縁の《御感の藤》が咲いているであろうと当たりをつけてみたのです。

到着してみると満開とまではいかないものの、それでも



御覧のような見応えのある光景が広がっています。



この藤の花は、かつて小田原城二の丸御殿にあったもので、その後民間にお下げ渡しになって栽培されたものです。そして、この藤の名前が《御感の藤》となったのには、大正天皇に纏わるエピソードがあります。

かつて大正天皇が皇太子嘉仁(よしひと)親王であられた頃、小田原城内にあった旧閑院宮家御用邸を訪れた際に馬を召して城下に外出されました。その時、ちょうどこの藤が花を咲かせていたところに召馬がにわかに駆け入り、服に藤の花がふりかかってしまいました。

居合わせた皆が恐縮していると、当の嘉仁親王は

「見事な藤に、心ないことよ。」

と感じ入られたといいます。それより後、この藤の花は《御感の藤》とよばれ、今日まで大切に育てられてきました。

基本この《御感の藤》は、たった二つの巨大な幹から成っているのですが、それが育ちに育って



これほどまでの藤棚を覆い尽くすほどに成長しました。どれだけの大きさを誇るのかというと



写真左手に写りこんでいる三階建の公共施設と比べていただければ分かりやすいのではないかと思います。

強烈な西日に照らされて紫色がちょっとばかりとんでしまっていたものの、それでも



八分咲きの美しい藤の花は見応え十分です。この時期には、





色とりどりのツツジの花とのコラボレーションも楽しめます。

再び藤棚の下に入ると、むせ返るような甘い香りの中で



まるで紫色のシャワーが降り注ぐかのように藤の花が頭上を埋め尽くしています。そして、写真には上手く撮れなかったのですが、



ハナアブやクマバチたちがあちこちで花の蜜を吸っていて、彼らのたてるかすかな羽音が藤棚の中に響いていました。

実は明後日にも小田原に来る用事があるので、その時にもう一度こちらに来てみようと思います。ちょっとお天気が良くなさそうなのですが、もしかしたら満開の藤の花が観られるかも知れません。

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可憐に咲く木香薔薇

2022年04月21日 16時00分30秒 | 
木曜日は小学校勤務が無い日です。なので、今日は自宅で書き物をしたり練習したりしていました。

そんな中で、ちょっとコピーをとるために出かけました。すると、近所のお宅の垣根に



木香薔薇が咲いていました。

この時期になると、あちこちの生け垣やラティスに木香薔薇を這わせているお宅で



こうした鮮やかなパステルイエローの木香薔薇の花を見ることができます。中には黄色だけではなく、



白花の木香薔薇も見ることができます。

間もなくゴールデンウィークを迎える時期であることもあって、あちこちで様々な美しい花を見ることができるようになってきました。あまり遠出はできませんが、近場で楽しめる花があれば眺めて楽しもうと思います。

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旬満載の『フレッシュ苺ワッフル』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2022年04月20日 18時25分25秒 | カフェ
今日は教職員が全員午後から出張になるということで、小学校は短縮授業でした。その分何となく慌ただしい雰囲気で、子どもたちも大人たちもいつもよりワチャワチャした様子でした。

そんな勤務を終えて小田原駅まで歩いて、そのままいつもより早く小田急線に乗りました。さすがに始発駅なので座席の心配は全く必要なく、座ってしばらくすると眠くなってきます。

うとうとしながら電車に揺られること暫し、ふと顔を上げるとあざみ野に向かう乗り換え駅の相模大野に着いていました。慌てて電車を降りましたが、危うく久しぶりに乗り過ごすところでした(汗)。

そんなこんなで、どうにか無事にあざみ野駅に到着し、その足で何とか無事に《雫ノ香珈琲》に到着しました(笑)。今日は



今月限定メニューの『フレッシュ苺ワッフル』をお願いしました。

お店の看板メニューのクロワッサン生地のワッフルに自家製ヨーグルトソースがかけられ、フレッシュ苺と自家製の苺のコンフィチュールが添えられています。ヨーグルトソースやソルベと一緒にいただくと、爽やかな風味が口いっぱいに広がります。

今日は、これまた今月限定のコスタリカ・フローラルハニーと一緒にいただきました。今までにも何度か登場したコーヒーですが、フルーティな味わいのコーヒーが苺のワッフルとよく合います。

今日は時間があったので



久しぶりにカフェ・アダージョも堪能しました。通常の倍量の豆をじっくりと時間をかけて抽出したコーヒーは、正に珠玉の一杯です。

今日は風の冷たい一日でしたが、逆に週末は夏日になるという予報が出されていました。いい加減身体がついていかないので止めてほしいのですが、さてどうなりますやら…。

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緑鮮やか御衣黄桜

2022年04月19日 18時18分35秒 | 
今日は朝のうち雨がパラつきましたが、昼前後からは陽も差すようになりました。昼休みには運動場の水溜りも乾いてきて、子どもたちが元気に駆け回ることができました。

さて、そんな小学校の勤務を終えて小田原駅へ向かっていると、道すがらにあるお寺の境内に



緑色の桜が咲いていました。これは『御衣黄(ぎょいこう)』という品種の八重桜で、咲き始めは鮮やかな緑色をしていますが、そこから徐々に黄色味がかってきます。

この御衣黄は江戸時代に京都の仁和寺で栽培されたのが始まりとされていて、後に荒川堤で栽培されていた品種です。江戸時代に日本を訪れていて、紫陽花などをヨーロッパに紹介したドイツ人の医師で博物学者でもあったフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796〜1866)が持ち帰った標本の中にも、この御衣黄が現存しています。

『御衣黄』の名は、上流階級が身に纏う御衣の萌黄色を思わせる色合いからつけられたものです。オオシマザクラを元に日本で栽培されたサトザクラの一つで、珍しい品種ではあるものの、実は沖縄県を除く日本各地で見ることができます。

この時期には様々な八重桜の花を見ることができますが、御衣黄も意外とあちこちに咲いているものです。もしかしたらお近くにも咲いている場所があるかも知れませんので、ちょっと周りを御覧になってみてはいかがでしょうか。

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今日はスッペの誕生日〜音楽鑑賞教室の定番曲《軽騎兵》序曲

2022年04月18日 19時35分15秒 | 音楽
今日もあまり天候のよくない一日となりました。気温も予報された通りには上がらず、夕方からは強めの雨も降って肌寒くなってきました。

ところで、今日4月18日は作曲家スッペの誕生日です。



フランツ・フォン・スッペ(1819〜1895)はオーストリアの作曲家で、オペレッタとその序曲で有名です。

《天国と地獄》の作曲家として知られるジャック・オッフェンバックのオペレッタに触れたスッペは、ウィーンで初めてオペレッタを手掛けました。このことからスッペは『ウィンナ・オペレッタの父』と呼ばれることもあります。

スッペのオペレッタのうち、《ボッカチオ》と《ドンナ・ファニータ》の2曲はニューヨークのメトロポリタン歌劇場でも上演されました。結局メトロポリタンのレパートリーに定着することはできませんでしたがヨーロッパでは一定の頻度で上演が続いていて、ウィーンフォルクスオーパーやモスクワ・アカデミー歌劇場が来日公演で取り上げたこともあります(因みに、ドイツ物はほとんど歌わなかったマリア・カラスのデビュー演目は《ボッカチオ》でした)。

実はスッペのオペレッタは日本でも有名で、大正時代に浅草オペラの台頭によって数々の作品が紹介されました。とりわけ《ボッカチオ》のアリエッタ『恋はやさし野辺の花よ』はスターテノール田谷力三の愛唱歌として普及され、『ベアトリーチェ』は『ベアトリ姐ちゃん』とタイトルを変え、榎本健一の歌で大ヒットしました。

スッペは30曲のオペレッタのほか、バレエ音楽など多数の舞台音楽を作曲しました。それらの大部分が忘れられている中でも《軽騎兵》や《詩人と農夫》といった一部の喜歌劇の序曲が映画やアニメーション、コマーシャルなどの音楽に転用され、現在でもコンサートでも盛んに演奏されています。

こうした序曲は《こうもり》の作曲家ヨハン・シュトラウス2世や《メリー・ウィドウ》の作曲家フランツ・レハールなどと比べ、起伏を大きくとって豪快にオーケストラを鳴らす傾向があります。そのせいかヘルベルト・フォン・カラヤンやゲオルク・ショルティ、オットマール・スウィトナーといった大指揮者が、好んでスッペの序曲を演奏しています。

そんなわけで、今日はスッペの序曲の中でもとりわけ有名な《軽騎兵》序曲を、帝王ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮でお聴きいただきたいと思います。小中学校での音楽鑑賞教室のオープニングでも頻繁に取り上げられる、トランペットの華やかなファンファーレが印象的な音楽を御堪能ください。


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今日はアルトゥール・シュナーベルの誕生日〜圧巻のベートーヴェン・ピアノ協奏曲第5番《皇帝》

2022年04月17日 18時25分45秒 | 音楽
今日は朝から曇天模様の空が広がる一日となりました。本当はどこかへ出かけようと思っていたのですが、疲れが抜けないこともあって何となく何もする気になれず、一日自宅で大人しくしていました。

ところで、今日4月17日は20世紀の偉大なピアニストのひとりであるアルトゥール・シュナーベルの誕生日です。



アルトゥール・シュナーベル(1882〜1951)は、オーストリアに生まれたユダヤ系のピアノ奏者・作曲家です。

幼い頃から「天才少年」として楽才を発揮したシュナーベルは、ウィーン音楽院で幾人かのピアノ教師に学んだ後、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調のソリストとしてデビューしました。そのデビュー後に、ブラームスからは「将来最も恐るべき天才」と絶賛されました。

1921年にはアメリカにデビューし、その頃からベルリンで教授に就任したり、フルトヴェングラーらと共演を重ねたりしました。1927年にはベートーヴェンのピアノソナタの全曲演奏を7夜にわたって開催し、「ベートーヴェン弾き」としての名声を確立することとなります。

1932年から1937年にかけて、世界で初めてのベートーヴェンのピアノソナタ全集とピアノ協奏曲全集(サージェント指揮)をレコーディングしました。また、シュナーベルはベートーヴェンのピアノソナタの解釈を詳細に記載した楽譜編集でも有名で、その楽譜はシュナーベル版として現在でも世界中で愛用されています。

1933年からはユダヤ系であるがために、ナチスの台頭を受けてスイスに移住することとなりました。さらに1938年からはアメリカに本拠を移し、1944年にはアメリカの市民権を取得しました。

シュナーベルといえば、なんと言ってもベートーヴェンの演奏に定評があります。我が家にも




ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲集の復刻CDがありますが、どれも実に実直で心地よい演奏揃いです。

それと共に有名なのが、ベートーヴェンのピアノ協奏曲の録音です。シュナーベルの演奏は、後のヴィルヘルム・バックハウスやヴィレム・ケンプといったベートーヴェン弾きのピアニストに先駆ける、壮麗かつ重厚なものとなっています。

そんなわけで、シュナーベルの誕生日である今日はベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番《皇帝》の演奏をお聴きいただきたいと思います。1932年に録音された、マルコム・サージェントの指揮との共演でお楽しみください。



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12年に一度の日向薬師の寅薬師例大祭

2022年04月16日 21時00分21秒 | 神社仏閣
昨日からの雨は未明には上がり、少しずつですが陽が差してくるようになりました。そんな中、今日は伊勢原市にある日向薬師へ参詣するために出かけました。

毎年寅年は薬師如来の年とされていて、薬師如来を祀る各地のお寺で秘仏の御開帳や法要が執り行われます。日向薬師でも12年に一度の寅年の例大祭に秘仏本尊が御開帳され、稚児行列と『神木(しき)のぼり』とよばれる法要が挙行されます。

伊勢原駅から日向薬師行きのバスに乗って現地に向かっていたのですが、このバスの運転手が何だかチンタラチンタラ運転する人で、いつも以上に到着するのに時間がかかっていました。ようやく終点に到着すると、いるはずの稚児行列の子どもたちが見当たりません。

バス停横の茶店の人に伺うと

「今行ったばっかりだよ。」

というので慌てて追いかけてみると、ちょうど仁王門に向かう階段に色鮮やかな衣装に身を包んだ子どもたちが登っていくところでした。もう少しバスがキビキビ動いていれば、もしかしたら間に合ったかも知れませんが、そんな呑気なことは言っていられません。

とりあえず子どもたちの後から、普段なら絶対にしない速さで石段を駆け上がって先回りし、



どうにか稚児行列が登ってくるところに出ることができました。



みんな袴の裾を踏みそうになったり



男の子の烏帽子や女の子の冠が落ちそうになったりしながらも



本堂へと続く最後の石段に差しかかり、



大人たちと一緒に急角度の階段を登っていきました。そして無事に本堂前の境内にたどり着くと



子どもたちも役目を果たしてホッとしたような表情を見せて、最後には



御貫主や先導役の山伏と一緒に記念撮影をしていました。

本来、日向薬師の例大祭は毎年4月15日に行われますが、今年は12年に一度の寅年の例大祭であることから一日ずらして土曜日の開催となりました。もし昨日だったら雨の平日となってしまっていましたから、はからずもお天気の土曜日の開催となって本当によかったと思います。

今日は秘仏本尊の御開帳もされているということで、本堂の隣の宝城坊(ほうじょうぼう)に入ることにしました。こちらの中央には大きな御厨子があり、その中に



国指定重要文化財の薬師三尊像(平安時代)が秘仏として祀られています。



ノミ痕を残す鉈彫りの名品として名高いこの御本尊は、今日の例大祭を終えると次回の御開帳は来年の正月三が日となります。そうした意味でも、今日の例大祭は特別なものでした。

さて、13時から本堂の前で『神木(しき)のぼり』という呪法(しゅほう)が執り行われることとなりました。

これは、かつて修験道の道場でもあった日向薬師(霊山寺)で行われていた呪法です。明治の神仏分離令で途絶えていたものを昭和49年に復活させ、今日まで伝えています。

先ずは当山の修験者と客僧修験者との『山伏問答』から始まります。先に日向薬師の修験者が入場した後に、山城国(現在の京都府)醍醐寺からの客僧が訪れ、



修験道についての問答を始めます。

無事に迎え入れられた客僧は、正面に設えられた祭壇に



背負っていた笈(おい)を置き、不動明王立像を御開帳します。

その次に『斧の作法』が始まります。これは護摩木を焚く場所を切り拓く様を表すもので



大きな斧を持った修験者が「エイ!エイ!」と斧を振り下ろし、場の邪気を払います。

その次に行われるのが『宝弓(ほうきゅう)の作法』です。修験者が



不動明王の御前で弓を捧げ、青龍・白虎・玄武・朱雀を表す幡が翻る結界の四方に向けて



祓詞(はらえことば)を述べながら矢を射ます。

次に『神木(しき)のぼり』が始まります。寺域から切り出された神聖な木に



修験者が登り、本堂の御本尊に向けて願文を奏上し、



剣を抜いて「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」という『九字の真言』を唱えます。

修験者が神木から降りると、



いよいよ護摩木焚きが始まります。般若心経が唱えられる中、



不動明王の前に灯された燈明から採火した松明を



護摩壇の杉の葉に当てると



徐々に火が回り始め、やがて



もうもうと煙が立ち昇ります。

私の対岸にいた人たちは杉の葉の燃える煙に燻されて、むせたりはらったりしながら大騒ぎ。事前に風上を確保しておいて、本当によかったと思います。

そうこうしているうちに



護摩壇から炎が立ち昇りはじめ、辺りにもの凄い熱波が広がりました。やがて不動明王の御真言が唱えられる中、導師によって護摩木が次々と炎の中に投げ入れられると



燃え盛る炎のかたちが



まるで不動明王像の光背の迦楼羅炎光(かるらえんこう)のように渦巻きます。

その後、薬師如来の御真言が唱えられる中で護摩木が焚かれ、全ての護摩木が燃えると



護摩壇を崩してならした上を修験者が裸足で歩く『火渡り』が始まります。始めに



導師によって表白文が読み上げられ、その後次々と修験者たちが火の上を渡っていきました。

本当はその様子も撮影したかったのですが、あまりの熱さにスマホが

「本体が熱くなっているため、カメラを終了します。」

と音を上げて、一方的にカメラをシャットアウトしてしまったのです。それでも何とか撮影しようと奮闘したのですが、ようやく撮れたのは



最後の一人が火渡りする寸前のみでした(泣)。

全ての修験者が火渡りをした後で、居合わせた参列者も火渡りに参加することになりました。先程修験者が渡った上に杉の葉が敷かれ、その上を



参列者たちが次々と渡っていきます。

私も勿論渡らせていただきましたが、ついさっきまで炎が燃え盛って場所ですから、いくら杉の葉が敷かれあるとは言いながらも、なかなかの熱さでした。ここを裸足で渡った修験者の足の裏は、一体どうなっているのでしょうか…。

そして、



無事に火渡りをすると、修験者たちから護摩木の炎で清められた紅白の餅が渡されました。私がもらった餅には何やら印がついていたのですが、

「印付きの餅を受け取った方は護摩木受付へ行ってください。」

と言われて行ってみると



『日向のしゅげんちゃん』のラバーキーホルダーが当たりました(笑)。

例大祭にあわせて、



本堂前の御結縁柱(ごけちえんばしら)も新しくなっていました。この柱には本堂内の御本尊と繋がる五色の布が付けられ、参拝者は



その布を持って礼拝することで、御本尊との御縁を結ぶことができます。

12年に一度の法要に参加することができて、貴重な体験ができました。日向の森の爽やかな風を受けながら山を下り、清々しい気持ちでバスに乗り込みました。

次回この法要に臨むことがあるとしたら、私は還暦を過ぎていることになります…。

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