共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

目に見える子どもの変化と『ブルーベリーワッフル』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2024年06月19日 18時20分10秒 | カフェ
昨日の豪雨が嘘のように、今日はまた強烈な日差しが降り注ぎました。今日は中学年の子たちがプール授業でしたが、この暑さの下で存分に楽しんでいたようでした。

ところで、最近支援級でちょっとした変化が見られるようになりました。現在私が担当している支援級に、先生方でもかなり手を焼いている男子が一人いるのですが、その子の態度がここ最近、私に対してだけですが徐々に軟化してきているのです。

その子は低学年の頃から知っているのですが、あの頃は挨拶はしないわ、返事はしないわ、態度は悪いわ、すぐに不貞腐れるわで、どうにもならない子でした。それでも、学校が推奨する『寄り添う学習支援』の名の下で他の個別学習支援員たちがなだめてすかして鎮静化を図っていた中にあって私は一人で、その子が勝手なことをしたり先生に失礼な態度をとったりした時に遠慮会釈なしに叱り飛ばしていました。

あの時、この子は

『…は?』

みたいな顔をして私を睨みつけてきていましたが、私はそんなものお構いなしにお説教をしていました。昨年度は低学年のクラスになったことで一度疎遠になっていたのですが、今年度再びまみえてしばらくしてから、低学年の時とは目に見えて態度が変わってきたのです。

先ず、登下校時に挨拶をするようになり、私から物を借りたりした時に

「ありがとうございます」

と御礼を言ってくるようにもなりました。特に水曜日は私が音楽教室に行かなければならないため授業が終わったら早々に準備をして教室を出るのですが、その様子を見かけたその子がわざわざ私のところまでやってきて

「先生、さようなら」

と挨拶しにくるようにまでなっているのです。

2年前には考えられなかったような態度の軟化に、支援級担任だけでなく主任まで驚いています。主任などは

「なにがあったんですか?」

などと呑気なことを聞いてくる始末ですが、私としては彼と『本音でぶつかり合ったこと』が、時を経て形になってきているのではないかと思っています。

そう思うと、学校側が言うところの『寄り添う学習支援』とは何ぞや…と言いたくなってしまいます。まぁ、それも方針なのですから仕方ないのでしょうが。

そんなことを思いながら小学校を退勤して、横浜あざみ野の音楽教室に向かいました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日はとにかく



今月限定メニューの『ブルーベリーワッフル』が食べたくてオーダーしました。クロワッサン生地のワッフルに自家製のブルーベリーコンフェチュールやサワークリームがあしらわれていて、爽やかな風味が絶妙です。

来週水曜日はお店が臨時休業ということもあって、美味しく堪能しました。そろそろ7月を迎えますが、次はどんなメニューが登場するのか楽しみです。


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 凄まじい大雨に… | トップ | 枇杷は琵琶から »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (hiraku2014)
2024-06-19 22:11:27
 嬉しいお話ありがとうございます。寄り添うとは本気で関わることだと私も思ってきました。いい子悪い子ではなくどの子にも等しく関わっていくことが大事だと思ってやってきましたし、今もやっています。私の場合中学生でしたから言葉にして返してくれるときがありました。「怒られたけどどっか嬉しかった。」同窓会では謝る一方の先生(私)に「今思うと怒ってもらって良かったです。先生が担任で楽しかった。」と言ってくれます。
 支援級の子供には、授業の後に「今日はどこがよくわかった。楽しかった!」と毎回聞くと、そのうち自分から来てくれて感想を述べてくれます。「よくわかった。ありがとう!先生もわかる楽しい授業頑張るね。」という会話を良くしました。
 一斉授業ですが、一人一人に届く授業でなければいけませんから、貴重な感想として受け止めていました。
 勝手なことを書いてしまいました。ご勘弁ください。
 いつもアッパレです。頑張ってください。
返信する
Unknown (johannsebastianbach_1971)
2024-06-21 21:33:34
コメントありがとうございます。

『ゆとり教育』や『寄り添う支援』という言葉自体は、私は間違ってはいないと考えています。問題なのはこの言葉の解釈を誤って、子どもたちを『腫れ物にさわる』ように扱うことです。

子どもたちは、思っている以上に大人を見ています。それを意識して子どもたちに接すると自然と本音でやりとりできるものだと、最近少しずつ分かってきたような気がしています。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。