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共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日はリストの祥月命日〜ピアノ協奏曲的な《死の舞踏ー『怒りの日』によるパラフレーズ》

2023年07月31日 18時20分30秒 | 音楽
連日の猛暑日にすっかりイヤになってしまっている昨今、如何お過ごしでしょうか。私は気温がマシな早朝に洗濯を済ませてしまう以外は、極力外出しないようにしています…。

ところで、今日7月31日はリストの祥月命日です。



フランツ・リスト(1811〜1886)は、ハンガリー王国で生まれ、現在のドイツやオーストリアなどヨーロッパ各地で活動したピアニスト、作曲家です。何だかつい最近ご紹介したような気がしないでもありませんが、まぁ気のせいということで(オイ…)。

リストの来歴等については今までにもいろいろと書いていますので、今回はそのあたりは省略して(めんどくさいだけだろ…)、ちょっと珍しい作品をご紹介したいと思います。それが、1853年に作曲したピアノと管弦楽のための《死の舞踏》です。

《死の舞踏》というと、どうしてもサン=サーンス(1835〜1921)の作曲したオーケストラ作品が有名ですが、リストの作曲した《死の舞踏》S.126 はピアノ独奏を伴う管弦楽曲で、原題は《死の舞踏-『怒りの日』によるパラフレーズ》(Totentanz - Paraphrase über "Dies irae")というものです。その名の通りグレゴリオ聖歌の『怒りの日』の旋律を用いた一種のパラフレーズ〜「意訳」の意味で、ある楽曲(ここではグレゴリオ聖歌の『怒りの日』)を変形あるいは編曲して他の楽器のための自由な楽曲としたもの〜で、 弟子で指揮者のハンス・フォン・ビューロー(1830〜1894)に献呈されました。

リストは1838年にイタリアを旅したとき、ピサの墓所カンポサント (Camposanto) にある



14世紀のフレスコ画『死の勝利』を見て深い感銘を受けたといわれています。そしてリストはここで得た霊感をもとに、


(四線譜によるグレゴリオ聖歌)


(五線譜による上の楽譜の読み解き譜)

ローマ・カトリック教会のセクエンツィアであり、最後の審判を想起させる《怒りの日 Dies irae》を主題として用いてピアノが華麗に活躍するパラフレーズ(あるいは変奏曲)を作曲しました。

この旋律をもとにした楽曲の例としては、先にご紹介したサン=サーンスの《死の舞踏》やベルリオーズの《幻想交響曲》なとがあります。リストは《幻想交響曲》をピアノ独奏用に編曲していますが、だからといってリストがベルリオーズから影響を受けたかどうかは定かではありません。

リストはこの曲を1849年に一旦完成させたが、その後改作を重ね、1865年にハンス・フォン・ビューローの演奏で、ハーグにて初演されました。



ピアノとティンパニのグロテスクな反復に伴われた管楽器や低音弦によるグレゴリオ聖歌の『怒りの日』の旋律で幕を開け、短いカデンツァとピアノよる主題呈示の後に5つの変奏を経て、コーダを兼ねる最後の変奏で劇的な終結を迎えます。

そんなわけで、リストの祥月命日である今日は《死の舞踏》をお聴きいただきたいと思います。フランクフルト放送交響楽団の演奏で、サン=サーンスの同名楽曲とは全く違ったリストならではの《死の舞踏》をお楽しみください。


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今日は日曜の土用の丑の日(笑)

2023年07月30日 18時55分18秒 | グルメ
今日は土用の丑の日です。今年は、いつにも増して暑い土用の丑の日となりました。

夏休みに入る前、小学校の子どもたちから

「今年は土曜日じゃないのに、なんで『どようのうしの日』なの?」

と質問されたことがありました。無理もないことですが、彼らには『土用』と『土曜」の区別がまだ難しいようです。

『土用』とは、『土旺用事(どおうようじ=土が旺盛で支配する)』から転じた言葉で、立春・立夏・立秋・立冬の前の各18日間のことをいいます。そして、その期間内の暦の丑の日が『土用の丑』の日になるので、実は土用の丑の日は一年に四回あるのです。

古くから『土用』には胃腸に良いものを食べるべきとされてきましたが、特に夏の土用の丑の日はうどんや瓜、梅干しといった『名前に「う」の付く食材』を食べると夏バテしないといわれます。その中で、夏の土用の丑の日に鰻を食べることを推奨したのが、



江戸時代中頃に活躍した本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家の平賀 源内(1728〜1780)です。

ということで、私も今日のランチの時に



吉野家で鰻重を食しました。折角の吉野家なので



牛皿と味噌汁、お新香がついたセットにしてみましたが、これはこれでなかなか美味しいものでした。

なかなかお安い鰻重でしたが、私にはこのくらいで十分です。さて、これで猛暑を乗りきる…ことができるでしょうか…。

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昨日のバッハの元ネタを〜ヴィヴァルディ《調和の霊感》から第11番ニ短調

2023年07月29日 15時55分51秒 | 音楽
今日も厚木は猛暑日となりました。夜になっても気温が一向に下がらず、連日熱帯夜が続いて寝不足気味です…。

ところで、昨日のヴィヴァルディとバッハの祥月命日にバッハの《オルガン協奏曲ニ短調》をご紹介しましたが、それを見た知り合いから

「どうせなら、元ネタのヴィヴァルディの作品も紹介すればよかったのに。」

と言われました。なので、今日はそのリクエスト(?)にお応えしようと思います。

昨日も書きましたが、バッハの《オルガン協奏曲ニ短調BWV596》は



ヴィヴァルディの《調和の霊感》の中の第11番ニ短調が元ネタとなっています。ヴァイマール時代のバッハはイタリア音楽を熱心に研究し、その過程でヴィヴァルディやマルチェロといったイタリアの作曲家たちの作品を積極的にチェンバロやオルガン用に編曲していて、その中で《オルガン協奏曲ニ短調》が書かれました。

《調和の霊感(L'estro Armonico)作品3》は、ヴィヴァルディが作曲した全12曲からなる協奏曲集です。1711年にアムステルダムのエティエンヌ・ロジェ社から出版されたヴィヴァルディ初の協奏曲集で、トスカーナ大公子フェルディナンド・デ・メディチに献呈されました。



上の写真は初版の表紙で

『偉大なる大公子フェルディナンド3世に捧ぐ』

という献辞が書かれています。ただ、当時フェルディナンド・デ・メディチはまだフェルディナンド3世には就任しておらず、しかも大公になる前に若くして他界してしまっています。

《調和の霊感》は

ヴァイオリン・ソロ✕4(+チェロ)
ヴァイオリン・ソロ✕2+チェロ
ヴァイオリン・ソロ

という3パターンの編成による曲が4回巡回するかたちで構成された全12曲の協奏曲集です。その中からバッハは、『ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調』をチェンバロ独奏用に、『4台のヴァイオリンとチェロのための協奏曲第10番ロ短調』を《4つのチェンバロのための協奏曲イ短調》に、そして『2つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲第11番ニ短調』を《オルガン協奏曲ニ短調BWV596》に、それぞれ編曲しています。

『2つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲 ニ短調』は3楽章形式ですが、第1楽章を3つの部分に分けて考えると5楽章形式と解されるコンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)です。今回は5楽章形式として見ていこうと思います。

第1楽章はアレグロ。2つのヴァイオリン・ソロが全く同じ音型を1小節ずれで追いかけるカノンが続いた後にチェロのソロが始まり、下降音階で最低音のレの音まで駆け下りていくと、そのまま第2楽章へと続きます。

第2楽章はアダージョ・スピッカート。第3楽章に向けての橋渡し的なわずか3小節だけの楽章で、これまたそのまま第3楽章へと続いていきます。

第3楽章はアレグロのフーガですが、実際にはよりライトなスタイルのフガートで書かれています。最初にチェロがフーガ(フガート)のテーマを演奏し、次にヴィオラ、第2ヴァイオリン、第1ヴァイオリンというように重なっていきます。ヴィヴァルディの音楽にしては珍しいくらい対位法的で、実は最後の部分でヴィオラが大活躍します。

第4楽章はラルゴ・エ・スピッカートのシチリアーナ。低音部を除いたヴァイオリンとヴィオラだけで演奏されるヴェネツィアの運河のさざ波のような8分音符の刻みの上に、第1ヴァイオリンソロが伸びやかにメロディを歌います。因みにバッハはこの曲をオルガン協奏曲に編曲する際、この楽章だけは手を付けずにほぼ原曲通りに書いています。

第5楽章はアレグロ。第1楽章と同じように2つのヴァイオリンによるカノン的なソロが続いた後、半音階で降りていく音型が印象的なチェロのソロが加わります。第3楽章のような厳格な音楽ではないものの16分音符が多い活発な曲で、最後は下降半音階の低音部にのって華やかに終わっていきます。

ヴィヴァルディにはちょっと失礼ですが、この第11番はフガートや半音階を積極的に使っていることもあって、ヴィヴァルディ作品らしからぬ古めかしさと固さがあります。それ故に、かつてはバッハのオルガン協奏曲の方がオリジナルだと言われていた時代すらあったようです。

それでも、第4楽章のシチリアーナのメロディはヴィヴァルディの真骨頂とでも言うべき優美さをそなえていますから、やはりこの音楽はヴィヴァルディだからこそ書けたものであることに違いはありません。そんな音楽だからこそ若きバッハも魅了され、研究し編曲してみようと思い立ったのでしょう。

そんなわけで、今日はヴィヴァルディの《調和の霊感》から第11番ニ短調をお聴きいただきたいと思います。バッハも魅了された、《四季》などで親しんでいるヴィヴァルディとは一味違う音楽をお楽しみください。


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今日はヴィヴァルディとバッハの祥月命日〜バッハ《オルガン協奏曲ニ短調BWV596》

2023年07月28日 17時17分17秒 | 音楽
今日も厚木は猛暑日となりました。ニュースでは『10年に一度の猛暑』などと言われていますが、確か昨年も似たようなことを聞いたように思うのは気のせいでしょうか…。

さて、今日7月28日はヴィヴァルディとバッハというビッグネーム二人の祥月命日です。

今更確かめるまでもありませんが、



アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ(1678〜1741)は、協奏曲集《調和の霊感》《四季》などで知られるイタリア・ヴェネツィア出身のバロック音楽後期の著名な作曲家の一人です。ヴァイオリニストやピエタ孤児院の音楽教師、興行主でもあり、カトリック教会の司祭でもありました。



ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685〜1750)は言わずと知れたドイツ・バロックを代表する作曲家、オルガニストです。バロック音楽の重要な作曲家としてだけでなく鍵盤楽器の演奏家としても高名で、西洋音楽の基礎を構築した作曲家であり音楽の源流であるとも捉えられることから、日本の音楽教育では「音楽の父」とも称されています。

今日ではいずれも高名な作曲家ですが、亡くなった状況は二人とも決して穏やかなものではありませんでした。先ずはヴィヴァルディの晩年から。


長年の活躍によりオペラ作曲家としてイタリア本土と諸外国で名声を得ていたヴィヴァルディでしたが、本拠地のヴェネツィアでは新興勢力であるナポリ楽派のオペラが人気を博すようになっていて、ヴィヴァルディのオペラ作品に対する評価に翳りが見え始めていました。また、1736年から教皇領フェラーラでのオペラ興行を準備していたヴィヴァルディでしたが、1737年11月16日に当地を管轄する枢機卿にフェラーラへの入境を禁止されるトラブルに見舞われ、その損失を全て被る事になってしまったのです。

その三年後の1740年にザクセン選帝侯の継嗣フリードリヒ・クリスティアン公爵がヴェネツィアを訪問した際に、ヴィヴァルディが勤めていたピエタをはじめとした各慈善院で盛大な音楽会が催され、一番手となるピエタでの3月21日の音楽会では、宗教曲の挿入曲としてヴィヴァルディの作品が演奏されました。ヴィヴァルディはピエタから報酬を受け取り、更にザクセンの王子に曲を献呈することで報奨を受け取ったと考えられています。その後、手持ちの楽譜を売却してまとまった金を得たヴィヴァルディは、かねてから予定していたウィーンでのオペラ興業を決心することとなりました。

ところがウィーンに到着したタイミングで、ヴィヴァルディの一番のよき理解者であり最も力のあるパトロンだった皇帝カール6世が10月20日に崩御してしまいました。そのためオーストリア国内は一年間喪に服すことになったので、服喪期間中はすべての興業が禁止され、予定していたオペラが上演できなくなってしまったのです。

当時は出演者から大道具に至るまで興行主が後で清算する形でオペラの準備が行われていたので、ヴィヴァルディはこの興業禁止で恐らく大変な借財を抱え込むことになったと思われます。更にカール6世の娘マリア・テレジアが帝位を継いだためにオーストリア継承戦争が勃発して国内の雰囲気が戦争一色となってしまったことで、はるばるヴェネツィアからやってきたヴィヴァルディに関心を寄せる富裕層はいませんでした。

失意のうちに体調を崩したと思われるヴィヴァルディはヴェネツィアに帰国することもかなわず、1741年の7月28日にケルントナートーア劇場が用意していたウィーンの作曲家用の宿舎で死去しました(享年63)。夏だったこともあって、ヴィヴァルディの遺骸は旅行者のための簡素な葬礼の後、病院付属のウィーンの貧民墓地に埋葬されました。


一方のバッハですが、1736年にはザクセンの宮廷作曲家に任命され、1747年には次男カール・フィリップ・エマヌエルが仕えていたベルリンのフリードリヒ大王の宮廷を長男のヴィルヘルム・フリーデマンを随伴させて訪問しました。これが、後に《音楽の捧げもの》が生まれるきっかけになりました。

しかし、1749年の5月末にバッハは脳卒中で倒れ、更に以前から患っていた内障眼が悪化し視力もほとんど失ってしまいました。翌1750年3月、イギリスの高名な眼科医ジョン・テイラー(1703〜1772)がドイツ旅行の最中にライプツィヒを訪れた際、バッハは3月末と4月半ばに2度にわたって手術を受けることとなりました。

手術後、テイラーは新聞記者を集めて

「手術は成功し、バッハの視力は完全に回復した」

と述べていますが、実際には手術は失敗していました。テイラーの帰国後にバッハを診察したライプツィヒ大学医学部教授によると、視力の回復どころか炎症などの後遺症が起こり、これを抑えるための投薬などが必要になったといいますから酷いものです。

なお、ジョン・テイラーは後年にヘンデルの眼疾患の手術もしましたが、これまた失敗に終わっています。音楽の父バッハと音楽の母ヘンデルの両人の手術を失敗したジョン・テイラーは、音楽史上では稀代のヤブ医者として有名になってしまったのでした。

2度の手術に後遺症、薬品投与などの治療は、既に高齢なバッハの体力を奪っていきました。その後は病床に伏してしまい、1750年の7月28日にこの世を去りました(享年65)。


そんなバロックの巨匠二人の祥月命日である今日は、バッハの《オルガン協奏曲ニ短調BWV596》をご紹介したいと思います。

「おいおい、ヴィヴァルディは?」

と思われるかも知れませんが、このオルガン協奏曲の元ネタはヴィヴァルディの《調和の霊感》の中の『二つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲第11番ニ短調』なのです。

ヴィヴァルディの《調和の霊感》第11番は二つのヴァイオリンとチェロがソロで活躍する協奏曲で、ヴィヴァルディにしては珍しく古いスタイルである教会ソナタ形式で書かれています。中でも第2楽章にあたる部分では低音部から重なっていくフーガ(正確に言うともう少しライトな形式のフガート)で書かれていて、非常に充実した音楽となっています。

1708年にバッハはヴァイマールの宮廷にオルガニストとして就職し、1714年にはその宮廷楽長に迎えられ、この地で長く活動を続けました。バッハは主に教会音楽の作曲や演奏を仕事としていましたが、他のドイツの宮廷の多くがそうであったようにヴァイマール公の宮廷もイタリア音楽を非常に愛好していたため、バッハもイタリア音楽に深く親しんでいました。

この頃のバッハはイタリア音楽を熱心に研究し、その影響を採り入れながら自己の作風を構築していきました。そして、イタリアの協奏曲のしなやかで優美な様式にすっかり魅了されたバッハは、イタリアの作曲家たちの器楽協奏曲をチェンバロやオルガン独奏のために編曲するというユニークな創意を抱きました。

その成果として、ヴィヴァルディやマルチェロといった様々なイタリアの作曲家たちの作品を編曲したチェンバロやオルガンの協奏曲が世に送り出されました。このニ短調は、6曲作られたオルガン協奏曲の中の第5番にあたります。

そんなわけで、今日はバッハの《オルガン協奏曲ニ短調BWV596》をお聴きいただきたいと思います。奇しくも同じ日にこの世を去ったヴィヴァルディとバッハとの、時を超えた共演をお楽しみください。


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嘘でしょアナタ…

2023年07月27日 15時55分51秒 | 音楽
今日も神奈川県は、危険な暑さの猛暑日となりました。外出時には日陰を選んで歩いていないと、具合が悪くなりそうです…。

さて、音楽教室の大人の生徒さんが



スズキヴァイオリン教則本の第8巻に進んだことは先日書きましたが、昨日のレッスンで、私が持っている古い教則本と生徒さんが持ってきた新しく校訂されたものとでいろいろと差異があることが分かりました。収録されている曲は同じでもスラーや指使いといった細かなところが違うので、これは自分用にも新しい教則本を買わなければならない…と思って、厚木にある楽器店に買いに行きました。

そして、会計時に事件が起こりました。

会計のためにレジへ持っていって女性店員に教則本を手渡したら、教則本の間にもう一冊本が挟まっているのに気づいた彼女がそれを抜き取って、

「こちら一冊のお会計ですね。」

と言ってバーコードを読み取り、抜き取った一冊を後ろのカウンターにポンと置いて会計を始めたのです。それを見て私は啞然としてしまい、

『ちょっと〜待って、ちょっと〜待って、お姐さ〜ん!』

と慌ててしまいました。

空かさず

「あの、それもセットなんですけど。」

と言ったのですが、その店員は

「いえ、別の教則本が挟まっていたので…。」

と会計を進めようとしました。なので、

「セットのピアノ伴奏譜を取り出さないでもらえませんかね!」

と強めに言い返したら、

「はい?」

と、あからさまに怪訝な顔をしてきたのです。

その時の私の声が思いの外通ってしまったのか、奥から責任ある立場っぽい男性店員がすっ飛んできて

「お客様、どうかなさいましたか?」

と聞いてきたので事情を説明すると

「大変失礼しました!」

と平謝りして、女性店員が後ろのカウンターにほっぽり投げた本を戻して会計してくれました。

スズキヴァイオリン教則本を使っておられる方はご存知かと思いますが、この教則本は



ヴァイオリン譜の間にピアノ伴奏譜(写真右側の本)が挟まれてセットになっています。ところがどうやらこの女性店員はそのことを知らなかったようで、私と男性店員に二人がかりで突っ込まれるまで別の教則本が間に挟まってしまっていると、本気で勘違いしていたようでした。

なんとか無事に伴奏譜付きの教則本を入手することができたのですが、男性店員が平謝りしている横で、女性店員は薄っぺらく謝りつつも最後まで釈然としない顔で突っ立っていたのが妙に印象に残りました。

彼女が社員なのかアルバイトなのかは分かりませんが、仮にも音楽教室を併設している楽器店に勤務しているからには、扱っている商品についてはきちんと把握していて然るべきでしょう。少なくとも、楽器店の制服を着てそこに勤務しているからには『プロに徹して』もらいたいものです。

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日本全国危険な暑さの中での『梅のグラニテ』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2023年07月26日 18時20分18秒 | カフェ
もうイヤだ…。

今日も神奈川県は危険な暑さの猛暑日となりました。いや、今日は神奈川県どころか



日本全国で熱中症情報が『危険』レベルとなりました…。

もはや日本のどこにも暑さから逃れられる場所はない状態で、各地で耐え難い暑さに見舞われることとなりました。体感としては何となく覚悟していたものの、こうして具体的なアイコンを見せられるとやはりゲンナリさせられます…。

そんな暑さの中、今日も横浜あざみ野の音楽教室に出勤しました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

あざみ野駅に到着して電車を降りた途端、凄まじい熱風に襲われてグダグダになってしまったので、とにかく冷たいものが欲しくなり、



『梅のグラニテ』をお願いしました。お店自家製の梅シロップを使って作られた荒削りのグラニテはほのかな甘さと酸味で、一気に爽やかな気分になることができます。

冷たいグラニテをいただいて落ち着いたので、その後に



今月限定の『レモンワッフル』もオーダーしました。来週の水曜日には8月になって終わってしまうので、その前に再度いただくことができました。

週間天気予報を見ると、これからしばらく関東地方は猛暑日や真夏日が続くようです。せめてお盆過ぎくらいにはどうにか落ち着いてくれないか…と思わずにはいられません。

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今日はモーツァルト《交響曲第40番ト短調》の完成した日〜フランス・ブリュッヘン&18世紀オーケストラ

2023年07月25日 19時00分19秒 | 音楽
今日はまた、久しぶりに猛暑日となりました。相変わらず我が家のエアコンの調子が今ひとつなのですが、外にいるよりは何倍もマシです…。

ところで、今日7月25日は



モーツァルトの《交響曲第40番ト短調》が完成した日です。1788年7月25日にウィーンで完成されたこの交響曲は、同年に作曲された第39番(6月26日)、第41番『ジュピター』(8月10日)とともに「後期3大交響曲」と呼ばれています。

モーツァルトの交響曲のうち短調のものはこの作品と映画『アマデウス』のオープニングテーマとなった第25番のわずか2曲しかなく、その両方がト短調であるため、第40番を「大ト短調」、もう一方の交響曲第25番を「小ト短調」と呼ぶことがあります。後期3大交響曲は、いずれも作曲の目的や初演の正確な日時は不明ですが、モーツァルトは本作を除き、これらの曲の演奏を聴かずに世を去ったと推測されています。

細かな歴史的背景はさておき、今回は演奏したことのある立場から《交響曲第40番ト短調》の魅力と難しさをお話しようと思います。

第1楽章はト短調のアレグロ・モルト、



2パートに別れたヴィオラのさざ波のような刻みで始まり、その上にヴァイオリンが有名なメロディを奏でます。通常だとこうした動きは第2ヴァイオリンと分担してハモることが多いのですが、この曲では冒頭の有名なメロディを第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンとでオクターブで演奏させるために、あえてヴィオラを分けてハモらせています。

第1楽章の中でも大変なのが、繰り返しの後の後半に差しかかったところです。何しろ



シレファソ♯という強烈な和音から木管楽器の下降音型に導かれて、次にヴィオラのさざ波が出てくる時には



この曲のメインのト短調(♭2つ)の半音下の嬰ヘ短調(♯3つ)という調に着地して、そこから転調を繰り返しながら最終的にホ短調(♯1つ)に到達しますが、そこで落ち着かず更に転調を繰り返していって、紆余曲折の末にようやくト短調に戻ってくる…という、なかなかの斬新さなのです。

冒頭の分奏ヴィオラのさざ波は、第1楽章のいろいろな箇所に出てきます。そのハモリが転調の肝になっていくことが多いので、メロディの邪魔にならない程度の存在感が求められています。

第2楽章は変ホ長調のアンダンテ、弦楽器の和音の重なりから、柔らかな印象の変ホ長調の音楽が広がっていきます。そして、この重なりの先陣を切るのが



またしてもヴィオラなのです。

今までに何十回と演奏してきましたが、今でもこの第2楽章を演奏する時には細心の注意をはらいます。そして、毎回リハーサル時に『どういう弾き方をするか』が問題になります。

昔よく使われていたブライトコプフ&ヘルテルの楽譜だと冒頭のシ♭とミ♭の音にスラーが書いてあったのですが、自筆譜を洗い直したベーレンライター原典版の楽譜にはそのスラーがありません。何となくスラーがついていた方がやりやすかったりしたのですが、昨今は上の写真の楽譜のようにスラーがないものを使うことが多いため、どうやって演奏するか、そのためにどういう弓使いにするのかが、毎回議論されることになるのです。

他に、毎回リハーサルに時間をかけるのが



第1ヴァイオリンや木管楽器に出てくる32分音符の扱いです。この音型は第2楽章の随所に登場して、これ以降にも



様々なパートに受け渡しながら展開していくのですが、時に優しく、時にキビキビと演奏しなければならないので、リハーサルでスムーズに通ったことがありません(汗)。

しかも、この楽章の繰り返し後の転調部分には



ドの♭という滅多に見ない斬新な音が出てくるので、演奏していても面食らいます。その音をきっかけにして第1楽章同様に斬新な転調が展開されていくので、ゆったりした緩徐楽章といえども一瞬たりとも気が抜けない緊張感が続きます。

第3楽章はアレグレットのメヌエットですが、冒頭は



ヴァイオリンやフルートとヴィオラやバスパートとで3拍子感の違う音楽が展開されていきます。題名は舞曲であるメヌエットですが、踊りにくいことこの上ない音楽です(笑)。

中間部のトリオはト長調になり、



ト短調部分の厳しさは鳴りを潜め、暖かな雰囲気の音楽に転じます。特に管楽器群が活躍し、後半には



ホルンパート(下から5段目)にもメロディが登場して、音楽に厚みを出しています。

第4楽章はト短調のアレグロ・アッサイで、 



冒頭から疾走感のある音楽が展開していきます。そして、この楽章も繰り返しの後に凄まじい転調が待ち構えています。



どうやら最終的にニ短調に落ち着きたいようなのですが、繰り返し後の10小節間は臨時記号だらけで、演奏していても

『どこ行くねん!?(汗)』

とツッコミたくなるような音楽です。

こんな横っ面ひっ叩かれるような転調は、ハイドンやベートーヴェンですらやりません。当時初めて聴いた人たちは、恐らく口ポカーン状態だったのではないかと推測します。

その後は




冒頭のト短調のテーマを様々なパートが様々な調で登場させて折り重なっていき、息をもつかせぬ怒涛の展開が繰り広げられます。古典派の曲というのはどうにかしてメロディを口ずさめるものが多いのですが、モーツァルトの第40番と続く第41番《ジュピター》の終楽章は全く口ずさめません(汗)。

どうしても冒頭の有名なメロディだけがクローズアップされがちな第40番ですが、全体を通して聴いていただくと、モーツァルトが晩年にたどり着いた境地とでも言うべき世界観を感じることができます。モーツァルトはこんな音楽を、どんな思いで書き上げたのでしょうか。

そんなわけで、今日はモーツァルトの《交響曲第40番ト短調》をお聴きいただきたいと思います。フランス・ブリュッヘン指揮による18世紀オーケストラの演奏で、あまりにも斬新なモーツァルト晩年の傑作をお楽しみください。


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ここまできたらドビュッシー〜ネルソン・フレイレによる《水の反映》

2023年07月24日 17時30分10秒 | 音楽
今日も神奈川県は、日中『危険な暑さ』となりました。あまりの暑さに、ここ数日そうめんしか喉を通らない日が続いております…。

さて、一昨日拙ブログにリストの《エステ荘の噴水》を載せ、昨日それに影響を受けたラヴェルの《水の戯れ》を載せました。となったら、今日はその勢いでドビュッシーの《水の反映》を載せないわけにはいきません(笑)。

《水の反映》は



クロード・ドビュッシー(1862〜1918)が作曲した連作『映像』(Images)の冒頭を飾るピアノ曲です。一昨日も書きましたが、リストの《エステ荘の噴水》に強く影響されて作曲したといわれています。

連作『映像』はドビュッシーが作曲したピアノ曲および管弦楽曲で全部で4集あり、第1集と第2集はピアノ曲、第3集は管弦楽曲です(第3集は単に『管弦楽のための映像』と呼ばれることが多い)。この他に生前には出版されなかったピアノのための1集があり、現在では『忘れられた映像』と呼ばれています。

《水の反映》は『映像』第1集の冒頭を飾る曲で、水面に反射する光がキラキラと揺らぎ移ろう様子を音楽で表現したものであることから、しばしば



印象派の巨匠クロード・モネ(1840〜1926)の『睡蓮』をはじめとした絵画になぞらえられることもあります。ドビュッシーの音楽は絵画的であると言われることが多いですが、『映像』はそのタイトルからしても最たる作品群であり、《水の反映》はその作品の幕開けに相応しい名曲ではないでしょうか。



静かな水面に石を投げ入れたような低音に弾かれるように16分音符の波紋が広がっていきますが、



ラヴェルの《水の戯れ》の冒頭と比べると、その動きはまだ控えめです。そこから次第に音楽は高揚していくと、低音の動きに刺激されて水面の光が縦横無尽に駆け巡ってまばゆいばかりの輝きを見せ、最後には静かに終わっていきます。

そんなわけで、今日はドビュッシーの《水の反映》をお聴きいただきたいと思います。モネの絵画にも例えられるドビュッシーの名曲を、ネルソン・フレイレのピアノでお楽しみください。


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今日も耳から涼しく〜アルゲリッチによるラヴェル《水の戯れ》

2023年07月23日 12時22分21秒 | 音楽
昨日梅雨明けした神奈川県は、今日も本格的な暑さとなりました。早朝のうちに買い物を済ませておいて、本当によかったと思います。

さて、昨日リストの《エステ荘の噴水》を載せた時にラヴェルとドビュッシーが影響を受けたことを書きました。なので、今日はそのラヴェルの作品《水の戯れ》をご紹介したいと思います。

《水の戯れ》は



モーリス・ラヴェル(1875〜1937)がパリ音楽院在学中の1901年に作曲したピアノ曲です。1902年4月5日にサル・プレイエルで行われた国民音楽協会主催のリカルド・ビニェスのピアノ・リサイタルで《亡き王女のためのパヴァーヌ》とともに初演され、当時の作曲の師匠であるガブリエル・フォーレ(1845〜1924)に献呈されました。

《水の戯れ》の冒頭には、『きわめて優しく』という言葉が添えられています。ラヴェルは

「テンポ、リズムも一定なのが望ましい」

と述べていて、楽譜の冒頭に『水にくすぐられて笑う河神』というアンリ・ド・レニエ(1864〜1936)の詩の一節を題辞として掲げています。



曲の構成はソナタ形式でホ長調の4分の4拍子、七の和音や九の和音に加えて、本来和声学的には誤用ともいわれる並行和声が多用されていて、初演当時としてはきわめて斬新な響きのする作品だったと思われます。実際に初演時には聴衆の理解が及ばず、同時に発表された《亡き王女のためのパヴァーヌ》と比較されて、

「耳障りで複雑すぎる」

という評価が大勢で、出版時にはカミーユ・サン=サーンス(1835〜1921)から

「まったくの不協和音」

という酷評も招いたといいます。

しかし、今では

「水の運動と様態を描いてこれほど見事な作品はあるまい」

という作曲家の三善晃(1933〜2013)からの評価もあるように、ラヴェルのピアニスティックで精巧な書法が本格的に開花した作品として高い評価を得ています。また、1903年に発表されたドビュッシーの《組曲『版画』》先んじて、ピアノ音楽における印象主義の幕開けを告げた作品としても評価の高いものとなっています。

昨日も書きましたが、この曲はリストの《エステ荘の噴水》からの影響を受けていると言われています。ラヴェルは印象派という新しい世代の作曲家ながら、かねてからピアノ音楽におけるリストの超絶技巧やショパンの詩情あふれる書法などに強く惹かれていて、そうした傾向がこの《水の戯れ》にも垣間見ることができます。

そんなわけで、今日はラヴェルの《水の戯れ》をお聴きいただきたいと思います。マルタ・アルゲリッチによる演奏で、耳に涼やかなラヴェルの音楽をお楽しみください。


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耳からも涼しく〜クラウディオ・アラウのピアノによるリスト《エステ荘の噴水》

2023年07月22日 15時11分51秒 | 音楽
梅雨明けが宣言された神奈川県の今日は猛暑日にこそならなかったものの、日中は晴れてまた暑くなりました。湿度があまり高くないのが幸いしたものの、それでも厳しい暑さになったことに違いはありません。

ここ最近は蓮の花を観に出かけていたことがありましたが、そろそろ蓮のシーズンも終わりに差しかかっていることもあるので、今シーズンの蓮の投稿は終了することにしました。なので、今日はとりあえず危険な暑さを避けて、我が家で大人しく音楽を聴きながら過ごすことにしました。

いろいろと聴いていたのですが、どうせなら耳からも涼しくなれる音楽が聴きたい…ということで、今日はリストのピアノ曲《エステ荘の噴水》をとり上げてみることにしました。この曲は、



フランツ・リスト(1811〜1886)が作曲したピアノ独奏曲集『巡礼の年 第3年』の中の一曲です。

『巡礼の年』(Années de pèlerinage)は、『第1年:スイス』『第2年:イタリア』『ヴェネツィアとナポリ(第2年補遺)』『第3年』の4集からなるリストのピアノ独奏曲集です。20代から60代までに断続的に作曲したものを集めたもので、リストが訪れた様々な地の印象や経験、見聞したものを書きとめた形をとっています。

若い頃のヴィルトゥオーソ的・ロマン主義的・叙情的な作品から、晩年の宗教的、あるいは印象主義を予言するような作品まで様々な傾向の作品が収められていて、リストの作風の変遷がよくわかる作品となっています。中でも《泉のほとりで》(第1年)、《ダンテを読んで》(第2年)、そして《エステ荘の噴水》(第3年)が特に有名です。

《エステ荘の噴水》が収められている『巡礼の年 第3年』 (Troisième année) S.163は、リスト晩年の頃の1883年に出版されました。多くはリストが挫折し精神的に憔悴しきっていた1877年に作曲されていて、1840年頃にほとんどの原曲がある第1、第2年とは40年ほどにもおよぶ隔たりがあります。

各曲には、晩年のリストの特徴である不協和音やレチタティーヴォ風の単旋律の使用、宗教的・禁欲的な雰囲気が表れています。中でも《エステ荘の噴水》はリストの代表作の一つに数えられ、晩年の作品中ではとりわけ演奏機会が多いものとなっています。

エステ荘は、ローマ郊外のティヴォリにあるイタリアの名家エステ家の別荘です(2001年には世界遺産に登録されています)。そこには



『ネプチューンの噴水』や『オルガンの噴水』といった贅を凝らした噴水があり、リストはこれらの噴水にインスパイアされてこの曲を書きました。

巧みなアルペジオやトリルで噴水の水の流れを描写するこの曲は、キリスト教に傾倒して僧籍に入り、宗教的・禁欲的な作品を多く遺したリスト晩年の作品の中で、その華麗な曲調が異例とみなされることが多いようです。しかし、この作品には

「私が差し出した水は人の中で湧き出でる泉となり、永遠の生命となるであろう」

というヨハネ福音書からの引用が掲げられていますし、よく聴いてみると他のリスト晩年の作品と同様に宗教的な要素も随所に含んでいます。

この曲が同時代の作曲家に及ぼした影響はすさまじく、ラヴェルとドビュッシーはこの曲を聴いて『水を音楽で表現するピアノの表現の可能性』について大きな衝撃を受けました。特にドビュッシーなどはこの曲を聴いた後、

「彼(ドビュッシー)は、あまりのショックで顔面蒼白になった」

と伝えられているほどで、後年に発表されたドビュッシーのピアノ独奏曲『映像』の第1集《水の反映》やラヴェルの《水の戯れ》は、この作品に大きく影響されて書かれたといわれています。

そんなわけで、今日はリストの《エステ荘の噴水》をお聴きいただきたいと思います。20世紀を代表するピアニストのひとりであるクラウディオ・アラウ(1903〜1991)の演奏で、ラヴェルやドビュッシーに衝撃を与えたリストの『ピアノによる巧みな水の表現』をお楽しみください。



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久しぶりの屋台タンメン

2023年07月21日 19時00分30秒 | グルメ
今日は週の始めのような猛暑日にはならず、日差しが無ければ風を涼しく感じるくらいでした。そんな中、今日はちょっと用事があって昼頃に厚木市の下荻野というところへ出かけました。

用事を済ませてから



『ばってん』という九州とんこつラーメンのお店でランチをすることにしました。こちらのお店では、今から30年近く前の夜中に本厚木駅前のロータリーで営業していた屋台タンメンがあります。

その、昔懐かしいタンメンが



これです。透明なスープの中にあるのは縮れた細麺と刻み玉ネギだけというもので値段は一杯¥500、プラス¥100でゆで卵がつくだけという実にシンプルなものでした。

終バスを逃してタクシー乗り場に並んでいる身に、このシンプルなタンメンの味が沁みたのを今でも覚えています。

いつの間にか駅前から軽トラを改造したタンメンの屋台がいなくなって、このタンメンを味わうことができなくなっていました。しかし、たまたま見つけたこのお店で再会することができたのです。

塩味ベースのスープを口に含むと、アサリやハマグリの貝出汁のような風味が広がります。シャキシャキした刻み玉ネギの香りと食感も相まって、シンプルながら実に美味しいタンメンです。

今日はちょっと贅沢して、



プラス¥100でワカメをトッピングしてみました。貝出汁の風味とワカメの香りが合わさると、更に旨味が増します。

久しぶりに懐かしいタンメンを堪能できて、幸せな気持ちになることができました。また機会があれば食したいと思います。

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今日は厚木で観蓮会〜曹洞宗雲渓山常昌院の大賀ハス

2023年07月20日 16時16分16秒 | 
今日、小田原の小学校では終業式が行われました。明日からは夏休みですが、私は今日は出勤契約日ではなかったためお休みでした。

さて、どうしようか…と思ったのですが、折角時間があるので今日も蓮見に出かけてみることにしました。しかも、今日は手軽に厚木市内です(笑)。

ということで、今日やって来たのは厚木市棚沢にある常昌院という禅寺です。

雲渓山常昌院は400年の歴史を持つ曹洞宗のお寺ですが、江戸方面から最初の山となる鳶尾山(とびおやま)を背後に擁し、古くから修験道の信仰が深く根づく『里山の寺』でもあります。常昌院付近は沼や池が多く水が豊富な場所で、境内には水の絶えない沢があることから『雨乞いの場』としても信仰されていました。

開創は厚木市の隣の愛川町の八菅山(はすげやま)付近だったそうですが、第5代住職の頃に棚沢の地に移転して来たと伝わります。かつては、



上の絵図のような茅葺きの本堂と庫裡、坐禅堂などの建物がありましたが、残念ながら昭和33(1958)年に発生した大火で全焼してしまい、三寸の誕生佛のみが残るのみで今は御堂も仏像も当時のものは遺っていません。

こちらのお寺は花に力を入れていて、境内では四季折々にいろいろな花を楽しむことができるようになっています。現在では『東国花の寺百ケ寺』のひとつに数えられるまでになり、特に春の桜の時期と今の蓮の時期には多くの人たちが訪れるようになっています。

本厚木駅から『あつぎ郷土資料館』行きのバスに乗り、『棚沢』バス停でバスを降りて10分ほど歩くとお寺の入口が見えてきます。



三白眼気味の若干怖いお顔立ち(失礼な…)の仁王像の向こうに



平成時代に新築された鴟尾(しび)を戴く大きな本堂が見えてきます。そこへ上がる石段の手前には



白蓮の鉢が置かれていて



これから訪れる蓮池への期待感を高めてくれます。

本堂の横を回り込むと、裏手にお目当ての蓮池があります。



『不老門』と銘打たれた低い門をくぐると、その先には



一面に大賀ハスが広がっています。

こちらの大賀ハスの花は若干小ぶりながら、なかなか美しい色合いでした。蓮池の上には八ツ橋が架けられていて、咲いている蓮の花の側まで近づくことができるようになっているので、

















様々な距離や角度から蓮の花を撮影することができました。

中には今朝開いたばかりであろう花も見ることができ、





はっとするほどの色の濃さを見せていました。蓮池のほとりには



蓮弁の舟に乗る優美な姿の菩薩像が安置されていて、







蓮の海にたゆとうかのような美しい姿を撮影することもできます。

境内の木々の枝には



風鈴が提げられていて、風が吹くと涼しげな音色を響かせています。これは小田原で作られている『鈴虫風鈴』というものですが、こんなところでも小田原市との縁があったことに、個人的にちょっと驚きました。

今日、関西や中部、東海地方での梅雨明けが宣言されましたが、関東地方はまだおあずけのようです。今年は例年になく梅雨明けの判断が難しいと言われていますが、来週くらいには関東でも無事に梅雨明けが宣言されることになるでしょうか。

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小田原城址公園の大賀ハスと爽やか『レモン&ヨーグルトゼリー』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2023年07月19日 17時25分15秒 | 
今日は心なしか、昨日より涼しく感じる朝でした。なので、昨日も宣言した通り小田原城址公園の大賀ハスを、小学校の出勤前に観に行くことにしました。

本厚木駅から小田原行きの始発電車に揺られて小田原駅に到着し、そこからお堀端通りを歩いて南堀まで向かいました。着いてみると



ゴールデンウィーク前に《御感の藤》を観に来たところにある南堀のあちこちで、大賀ハスの花が開花していました。

お茶壺曲輪に架かる石橋のほとりにも



いい感じの花が咲いていましたし、





銅門(あかがねもん)や郷土資料館を臨む辺りにも花が咲いていました。ただ、こちらの蓮は昨日の小山田神社と違って岸からかなり離れたところで咲いているため、スマホのカメラでの撮影だとどうしてもズームに頼らなければならないので









強烈な夏の朝日の光と相まって、結構色が飛んだ感じになってしまいます…。

堀の周りには三脚の上にバズーカ砲のようなレンズを装着したカメラを構えた猛者が何人も居並んでいて、遠くの方で咲いている蓮の花に照準を合わせていました。それを横目に歩いていたら、





スマホのカメラで写せるような距離にもいくつかの花が咲いていました。

ひとしきり蓮を堪能していたらどんどん気温が上がっていたので、南堀を後にして



隣りにある木陰の多い報徳二宮神社に参拝しました。そして、



小田原城天守閣も眺めてから職場の小学校に出勤しました。

今日は4年生の総合の授業で、二宮金次郎について調べる時間がありました。小田原市の小学校では、地元の歴史上の偉人である二宮金次郎(尊徳)のことを調べてまとめる授業が設けられています。

支援級の子たちは何を調べたらいいのか分かない様子だったのですが、その時ふと今朝のことを思い出して

「そう言えば今朝、先生は二宮金次郎さんが神様として祀られている報徳二宮神社にお参りしてきたんだよ。」

と言って



写真を見せました。そうしたら

「スゲェ!マジ神!」

と、変な食いつかれ方をしてしまったのでした…。

今週は給食も無いので、午前中授業で即下校となりました。子どもたちを下校させて教室の掃除をすませてから退勤し、一度自宅に帰って楽器をもってから横浜あざみ野の音楽教室に移動しました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日はとにかく暑かったので、



新メニューの『レモン&ヨーグルトゼリー』をオーダーすることにしました。ヨーグルトゼリーの上にクラッシュしたレモンゼリーがトッピングされたスイーツで、席に持ってくる時にクラッシュレモンゼリーがフルフルと揺れる様も実に涼しげです。

今日は



ブラジルの水出しコーヒーとともに、美味しく堪能しました。時間をかけて水出しで淹れたブラジルコーヒーはまろやかな味わいで、すっきりといただけます。

明日は小学校の終業式で、明後日からは夏休みになります。

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今年も来ました観蓮会@東京町田小山田神社

2023年07月18日 10時00分10秒 | 
今日も朝から真夏日になる暑さとなりました。そんな暑さの中、今日は9月末までに2回とれる夏季休暇の1回目をとって小学校勤務を休み、毎年恒例の蓮見に町田市まで出かけることにしました。

町田駅前のバスセンターから小山田行きの始発バスに乗って、30分ほど揺られた『桜橋』で下車すると小山田神社に到着します。この御社の周囲は一面に大賀ハスが植えられていて、この時期になると



御社が蓮に囲まれる光景を観ることができます。

毎年こちらに参詣しているのですが、昨年のブログを読み返したらちょうど1年前の今日にこちらに来ていました。はかったわけではないとは言え、ピッタリ1年後に来た私ナイス(忘れてただけだろうが…)。

ほとんど雲の無い夏空の下、御社の参道の両脇には







大賀ハスの花があちこちで花開いていました。大賀ハスは、1951(昭和26)年に千葉県千葉市検見川(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある東京大学検見川厚生農場(現・東京大学検見川総合運動場)の落合遺跡で発掘された、今から2000年以上前の古代のハスの実から発芽・開花したハス(古代ハス)です。

こちらの大賀ハスは、遺跡から発掘した蓮の種の栽培に成功した植物学者の大賀一郎博士の菩提寺が近くにあることから株分けされたものです。この蓮田の近くにある町田市大賀藕絲館という施設が栽培しているこの大賀ハスからは、茎の繊維からとった繊維を撚って藕絲(ぐうし)という糸を作ったり、食用の蓮の実を収穫したりしています。

御社に参詣してから周囲をまわると













薄紅色の大小の大賀ハスの花が風にそよいでいて、辺りからは蓮田特有の甘いような香ばしいような香りがむせ返るように立ちのぼっています。中には





今朝開いたばかりであろう花もあり、虫たちが蜜を求めて盛んに飛び回っていました。

御社の裏手にまわると



こちらにも可憐な花が咲いていました。ただ、そこから更に進んでいくと











あちこちで夏草が生い茂ってしまっている様子も見られました。

毎年こちらに来る度に、少しずつ作付面積が狭まっているように感じていました。しかし、今年は昨年と比べても一気にその面積が減っているように見えてなりません。

勿論、これだけの広大な蓮田を維持管理するのは並大抵のことではないと思います。それでも、少しずつ減っていく蓮を見ていると、言い様のない寂しさを感じざるを得ません。

使用目的が明確なものである以上、ここから完全に大賀ハスが亡くなってしまうことはないと思います。それでも、こうした作付面積の減少ぶりを目の当たりにして、不安な気持ちが拭い去れないのも事実です。



さて、今年もこちらの大賀ハスを観賞したので、次は小田原城址公園の大賀ハスも観に行ってみようと思っています。朝早いけど、頑張ります。

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個人的に思い入れ深いヘンリー・エックレス《ヴァイオリン・ソナタ ト短調》

2023年07月17日 15時15分25秒 | 音楽
昨日に引き続き、今日も猛暑日となりました。気温と体温がほぼ同じだとこんなにも沢山息苦しいのかと、改めてゲンナリさせられます…。

さて、音楽教室の生徒さんがコレッリの『アレグロ』を終えてスズキヴァイオリン教則本の第7巻を終了したことを昨日書きましたが、次回のレッスンからは第8巻に進むことになります。なので、今日はその巻頭にあるエックレスの《ヴァイオリン・ソナタ ト短調》について書いてみようと思います。



ヘンリー・エックレス(1675〜1745)はイギリス出身のヴァイオリニストで、フランスでも活躍したためフランス語読みでアンリ・エクルズとも呼ばれています。エックレスは作曲家としても活躍していて、多くの合奏協奏曲や室内ソナタも遺しました。

エックレスは同時代のイタリア人ヴァイオリニストで作曲家でもあったジュゼッペ・ヴァレンティーニ(1681頃~1740頃)やフランチェスコ・ボンポルティ(1672~1748)などから大いに刺激を受けていました。そのため、イギリス人なのにまるでイタリア人が作曲したかのような曲が多いのが特徴と言われています。

駐英フランス大使ドーモン公爵にヴァイオリニストとして仕えたエックレスは、1713年頃に帰国した大使と一緒にフランスに渡りました。その後エックレスは、1720年に《ヴァイオリンのための12のソナタ集》を作曲しました。

このソナタ集の中のいくつかには、構成を組み立てるためにジュゼッペ・ヴァレンティーニ等の作品からの借用が一部に含まれています。この巻で最も有名なソナタ第11番ト短調、つまり今回とりあげるソナタの第2楽章も、フランチェスコ・ボンポルティの作品10の中の第2楽章コレンテ(クーラント)を借用したものです。

借用…というと何だか盗用やパクリのように聞こえますが、著作権などという概念の無かったこの頃は他人の作品を転用したり借用したりすることはよくあることでした。何なら、あのヘンデルもオペラやソナタの中で一時期よくやっていたことが知られていますし、



『アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳』に集録され、現在《バッハのメヌエット》としてピアノを学ぶ人なら誰しも知っている上のメヌエットも実はバッハの作品ではなく、ドイツ盛期バロック時代のオルガニスト・作曲家であるクリスティアン・ペツォルト(1677〜1733)の作品であることがわかっています

話をエックレスに戻すと、このソナタはその後何故か単独で有名になり、20世紀を代表するヴァイオリニストのひとりであるジャック・ティボー(1880~1953)や元NHK交響楽団コンサートマスターの海野 義雄(1936〜)といった様々な奏者が演奏や録音をしました。また、この曲は重音やヴィブラートといった様々な演奏テクニックが学べるため『鈴木鎮一ヴァイオリン指導曲集第8巻』をはじめとした様々なヴァイオリン教則本に収められていて、ヴァイオリン学習者にとって重要な作品となっています。

更にこの曲はヴァイオリンだけでなく、いろいろな楽器でも演奏されるように編曲されました。今ではヴァイオリン版の他にヴィオラ版、チェロ版、コントラバス版やフルート版、リコーダー版、ホルン版、トロンボーン版、サクソフォーン版などがあります。

個人的な話で恐縮ですが、私が大学の卒業試験に選んだのもこのエックレスのソナタのヴィオラ版でした。結果卒業式の後の卒業選考演奏会に出られる一歩手前で終わりましたが、それでもこの曲で学生生活を終えることができて嬉しかったことを覚えています。

そんなわけで、今日はヘンリー・エックレスの《ヴァイオリン・ソナタ ト短調》をお聴きいただきたいと思います。ドヴォルザークの曾孫でもあるヴァイオリニストのヨゼフ・スーク(1929〜2011)のヴァイオリンとオルガンとの共演で、この一曲でヘンリー・エックレスの名を後世に残すこととなった、業界的には非常に有名(笑)な佳曲をお楽しみください。


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