共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

納めの『メロンワッフル』と今期初の水出しコーヒー@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2023年05月31日 20時45分20秒 | カフェ
今日も小学校支援級では、いろいろな事件がありました。入学当初は猫をかぶっていた新一年生たちも徐々に本性を現してきて、まぁ我が儘言ったり暴れたりと奔放にやらかしてくれるようになってきたので、迎える大人たちも大変です。

そんな中で『昭和時代のおっかないオジサン』たる私は、単なる我が儘と見て取るものについては極力却下するようにしています。これまでに結構鍛えられてきた結果『本気で無理なのかどうか』の見極めがつくようになってきたので、そのあたりはお手のものとなっています(笑)。

まぁ、それでも疲れるものは疲れるので、子どもたちを送り出した後はヘトヘトになります。そんな状態で横浜あざみ野の音楽教室に移動して、《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日で5月が終わるので、今回は



月替りメニューの『メロンワッフル』をオーダーしました。クロワッサン生地のワッフルに贅沢に添えられたメロンと塩キャラメルソースとの相性は格別です。

今日は



先週からスタートしていた水出しコーヒーと共に、美味しく堪能しました。こちらで水出しコーヒーが登場すると、夏になってきたことを実感させられます。

明日は、また小田原に出かけます。

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なんで『今』なの…?

2023年05月30日 20時25分20秒 | 日記
来月から、私が勤務している小学校の放課後子ども教室がスタートすることにになりました。今日はその事前ミーティングがあり、来月以降の教室運営についてあれこれと話が白熱しました。

いつもよりかなり遅く小田原を発ちましたが、帰りの小田急線の電車の中で爆睡してしまいました。本厚木駅に到着して重い腰を上げて電車を降り、クタクタになりながら帰宅しました。

玄関を開けると、昼間の熱気がムワッと迫ってきました。とりあえず荷物を降ろして



エアコンのスイッチを入れた…のですが、

『あれ?風がヌルい…』

そう、何だかちっとも風が冷たくないのです。

不思議に思いながら、試しに最低温度まで設定を下げてみました。すると少しばかり風が冷たくなったものの、やはり冷え具合としては中途半端なものだったのです。

とりあえず一度電源を落として、エアコンクリーナーで掃除をしてみました。その後でもう一度エアコンのスイッチを入れてみましたが、風の冷たさはあまり変わりません。

これから暑くなる時期に、エアコンの調子が悪くなるなんて…本当にやめてもらいたいものです。とりあもう少し様子を見てみようと思いますが、何とかできるものなのでしょうか…。

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今日はバレエ『牧神の午後』初演日〜ルドルフ・ヌレエフによるニジンスキー初演時振付の舞台

2023年05月29日 18時30分18秒 | 音楽
今日は朝から冷たい雨が降る、生憎の空模様となりました。それでも昼間には蒸し暑さを感じるくらいまで気温が上がったので、着るものに悩まされました。

ところで、今日5月29日は《牧神の午後への前奏曲》のバレエ版が初演された日です。

バレエ『牧神の午後』は、



クロード・ドビュッシー(1862〜1918)作曲の管弦楽曲《牧神の午後への前奏曲》(1894年)に基づいて作られたバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)のバレエ作品で、



同団の花形かつ伝説的なダンサーであるヴァーツラフ・ニジンスキー(1890〜1950)が初めて振り付けを担当して主演を務めました。

『牧神の午後』の初演は、1912年5月から6月にかけてパリ・シャトレ座における『第7回セゾン・リュス(ロシア・シーズン)』の中で、5月29日に行われました。



これは舞台美術家、衣装デザイナーのレオン・バクスト(1866〜1924)による牧神の衣装デザイン画です。

バレエの筋書きはドビュッシーの作品にインスピレーションを与えたステファヌ・マラルメ(1842〜1898)の詩『半獣神の午後』に拠っています。あらすじは…


牧神が岩の上で葡萄を食べていると、7人のニンフが現れ水浴を始める。欲情した牧神は岩から降りニンフを誘惑しようとするが、ニンフ達は牧神を恐れて逃げ出してしまう。ひとり残された牧神はニンフの一人が落としたヴェールを拾い上げると、それを岩に敷き自らを慰める。


…というものです。

「あらゆるセンチメンタリズムを追放する」

と宣言したニジンスキーの振付は、古典的なバレエの様式を全て否定したモダンダンスの元祖ともいうべきもので、舞台上のダンサーは常に観客に対して横を向いたままゆったりと左右に動いています。ただ、バレエ終盤の露骨な性的表現と相まって、パリで初演された際にはストラヴィンスキーのバレエ《春の祭典》と同様大きなスキャンダルとなりました。

この独特の二次元的な姿勢については、1910年夏にニジンスキーがルーブル美術館を訪れた際に古代エジプトの絵画を見たことが影響しているとされています。ただ、ニジンスキーに影響を与えたのはエジプトの絵画ではなく、



ルーブル美術館で展示されていた古代ギリシャの壷絵だとする説もあります。

ラストシーンでは、ニンフが残していったヴェールの上にうつ伏せになった牧神が下腹部に手を入れて自慰の動作をし、腰を痙攣させて性的な絶頂を表現します。性的なテーマがこれほど露骨な形で表現された舞台作品というのはそれまで前代未聞でしたから、初演の時には演技中は客席が騒然となることはなかったものの、幕が降りると拍手に混じってブーイングが起こったといいます。

ただ、初演での観客の反応にも関わらず、翌日の新聞各紙は概ね好意的な批評記事を掲載しました。しかし、『ル・フィガロ』紙では編集長ガストン・カルメット自身の筆によってバレエ『牧神の午後』を

「常軌を逸した見世物」

と弾劾する記事を第1面に大きく掲載したため、バレエ・リュスの主宰セルゲイ・ディアギレフ(1872〜1929)はただちに抗議の文章と、マラルメの友人であった画家のオディオン・ルドン(1840〜1916)や彫刻家オーギュスト・ロダン(1840〜1917)による『牧神の午後』を擁護する文章を持って編集室に乗り込んだといいます。

この文章において、ルドンはマラルメがこの舞台を見ることができなかったことを惜しみ、ロダンはニジンスキーの演技を古代のフレスコ画や彫刻の美に喩えて賛美しました。カルメットは公平を期すために、これらの文章を翌日の新聞に掲載しています。

この騒ぎのため『牧神の午後』はパリの人々の注目を集め、その後に行われた公演のチケットは完売となりました。2回目の上演からは警察が立会ったといいますが、ニジンスキーがラストシーンの表現を若干穏やかなものに変更したこともあり、初演時ほどの大きな騒動には至らなかったようです。

その後『牧神の午後』はこの年だけで15回上演され、12月に行われたベルリン初演も大成功でした。こうしてモダン・バレエの最初の作品とも言える『牧神の午後』は人々に受け入れられていき、今日ではモダン・バレエの代表的作品とされるまでになりました。

そんなわけで、今日はバレエ『牧神の午後』を御覧いただきたいと思います。ルドルフ・ヌレエフが主演した1981年の映像で、ニジンスキーの振付とバクストの衣装による幻想的かつセンセーショナルな舞台をお楽しみください。



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今日はレオポルト・モーツァルトの祥月命日〜息子にパロられた?ディヴェルティメント《田舎の結婚式》

2023年05月28日 17時20分17秒 | 音楽
昨日に引き続き、今日も我が家で遠足の疲れを取っていました。決してただダラダラしていたわけではありません(ホントかよ…)。

ところで、今日5月28日はレオポルト・モーツァルトの祥月命日です。



ヨーハン・ゲオルク・レオポルト・モーツァルト(1719〜1787)は、18世紀の作曲家、ヴァイオリニスト、音楽理論家で、



ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756〜1791)の父親です。

レオポルトは神聖ローマ帝国のアウグスブルクで生まれました。1743年にザルツブルク宮廷楽団のヴァイオリン奏者(無給)に採用され、以後ザルツブルク大司教シュラッテンバッハの元で仕えることとなりました。

1747年、アンナ・マリア・ペルトゥル(1720〜1778)と結婚して、7人の子供をもうけました。ただ、成人したのは三女のナンネル(1751〜1829)と三男のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのみでした。

1747年にはザルツブルク宮廷室内作曲家に就任し、30代の半ばの1756年ににヴァイオリンの演奏法の教則本を出版して高い評価を受けました。そして同じ年に息子ヴォルフガング・アマデウスが誕生し、それからは息子の教育に力を注ぎました。

1757年には宮廷作曲家の称号を授与され、1758年にザルツブルク宮廷楽団第2ヴァイオリン奏者に就任しました。更に1763年には宮廷副楽長にまで昇進し、この後死ぬまでこの地位に留まりました。

1785年にはウィーンへ赴いてザルツブルクを離れていたヴォルフガングと再会しましたが、これが2人の最後の別れとなってしまいました。1787年、ザルツブルクでナンネル夫妻らに看取られて死去し、聖セバスティアン教会の墓地に埋葬されました(享年68)。

ザルツブルクと決別していたヴォルフガングは臨終の床に立ち会わず、葬儀にも立ち会いませんでした。それでも、友人宛の手紙で

「最愛の父が死んだと知らされた。僕の心境を察してくれるだろう!」

と悲しみの情を吐露しています。

そんなレオポルトの祥月命日にご紹介するのは《シンフォニア『田舎の結婚式』》です。

レオポルト・モーツァルトの作品というと、クラシックにお詳しい方が真っ先に思い浮かぶのは《おもちゃの交響曲》かと思います。この曲はかつてはハイドン作とされ、その後レオポルド・モーツァルトの作品だとされた時期がありましたが、現在ではエトムント・アンゲラーという同時代の作曲家の1770年ころの作品と考えられています。

《シンフォニア『田舎の結婚式』》はレオポルトの手によって、1756年に作曲されました。当時のシンフォニアというのは後の交響曲の前身ですが、どちらかというとオペラの序曲から派生した器楽曲であることを示すものであって、必ずしもハイドンやモーツァルトの交響曲的なものではありません。

《シンフォニア『田舎の結婚式』》の編成は、オーボエとホルンが各2本にファゴット、弦楽に加えて



庶民の代表的管楽器のバグパイプと



これまた庶民の代表的弦楽器ハーディガーディ、これに婚礼の掛け声が加わります。結婚式とあるように非常に描写的で、交響曲というよりも、バロック後期にザルツブルクで活躍したハインリヒ・イグナツ・フランツ・フォン・ビーバー(1644〜1704)の作品と同様に機会音楽に近いところがあります。

聴いていただくと分かりますが、これが本当にザルツブルク宮廷作曲家が書いた作品なのかと思うくらいにラフな音楽です。文字通り田舎の農民たちの結婚式の場面を表現したもので、音楽の合間にバグパイプやハーディガーディの音色が聞こえ、座興にのった列席者の奇声も混じってきます。

更にこの音楽の端々に、『本来西洋音楽のルールでは使ってはいけない音の進行』が出てきます。そうした音の進行や田舎くさい楽器をあえて使うことである種の野暮ったさを演出しているのですが、これが天才モーツァルトの父親の作品かと思うと何だか不思議な気持ちになります。

そしてこの曲の第1楽章に出てくるメロディを、後に息子であるモーツァルトがレオポルトの死後に作曲した《音楽の冗談》というおふざけ音楽に使っているのです。当時の端な音楽家風情をこき下ろすような《音楽の冗談》に自身の厳格な父親の作品をパロディしたモーツァルトの心境とは、はたしてどんなものだったのでしょうか…。

そんなわけで、レオポルト・モーツァルトの祥月命日である今日は《シンフォニア『田舎の結婚式』》をお聴きいただきたいと思います。命日に聴くには些か楽し過ぎますが、後に息子にパロられてしまった迷曲(?)をお楽しみください。


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今日はパガニーニの祥月命日〜しっとりとした小品《カンタービレ》

2023年05月27日 15時15分15秒 | 音楽
昨日の遠足引率の疲れがもろに出てしまったようで、今日は午前中まではとにかく寝ていました。起伏のある動物園内を駆けずり回ったり直射日光を浴びまくったりしたことで、自分で思うよりかなり身体に疲労が蓄積されているようです…。

ところで、今日5月27日はパガニーニの祥月命日です。



ニコロ・パガニーニ(1782〜1840)はイタリアのヴァイオリニストであり、ヴィオリスト、ギタリスト、作曲家でもあった人物で、特にヴァイオリンの名手として、ヨーロッパ中で名声を獲得していました。上の写真は、パガニーニが亡くなった1840年頃に撮影された銀盤写真です。

パガニーニがヴァイオリンを弾き始めたのは5歳の頃からでしたが、13歳の頃には既に学ぶべきものがなくなったといわれていて、その頃から自作の練習曲で練習していました。それらの練習曲はヴァイオリン演奏の新技法や特殊技法を駆使したもので、今日でも演奏されています。

そのヴァイオリン演奏のあまりの上手さに、当時はパガニーニの鼻の尖った痩せぎすな風貌も相まって

「パガニーニの演奏技術は、悪魔に魂を売り渡した代償として手に入れたものだ。」

と誠しやかに噂されていました。そのためパガニーニの出演する演奏会の会場では、本気で十字を切ったり、本当にパガニーニの足が地に着いているかを確認すべく足元ばかり見ていた聴衆もいたといいます。

パガニーニは少年時代から病弱だったようですが、1820年に入ると慢性の咳など体調不良を訴え、『毒素を抜くため』という理由で下剤を飲み始めるようになりました。また1823年には梅毒と診断されて、水銀療法とアヘンの投与が開始されました。

更に1828年頃には結核と診断されて甘汞を飲み始め、さらに下剤を飲み続けていました。その結果、水銀中毒が進行して次第にヴァイオリンを弾くことができなくなり、1834年頃にはついに引退してしまいました。

そして1840年に、水銀中毒による上気管支炎、ネフローゼ症候群、慢性腎不全により、フランスのニースで死去しました(享年57)。一般に死因は喉頭結核もしくは喉頭癌といわれていますが、主治医の診断から結核ではなかったことがはっきりとしていて、歯肉炎や視野狭窄といった記録に残る症状から水銀中毒だったことは明らかとなっています。

ただ、『悪魔に魂を売った』という生前の噂や、教会に寄付や奉仕をせずに享楽的な生活を送っていたことなどが原因で、パガニーニの遺体はあちこちの墓地で埋葬を拒否されてしまいました。そのため遺体は防腐処理を施された上で各地を転々として改葬を繰り返した末に、死後86年経った1926年になって、ようやくパルマの共同墓地に埋葬されることとなりました。

そんなパガニーニの祥月命日にご紹介するのは、1822年から1824年頃にかけて作曲されたと伝わる《カンタービレ ニ長調》です。

華やかなオーケストラを伴うヴァイオリン協奏曲などが多いパガニーニ作品の中にあって、この《カンタービレ ニ長調》はパガニーニがピアノ伴奏をつけたほぼ唯一の作品と言われています。この曲はカプリスや協奏曲といった超絶技巧の楽曲とは少々雰囲気を異にしていて、どちらかと言うと優しいイメージを有しています。

一度聴いたら忘れられなくなるような伸びやかで優美なメロディは奏者からも聴衆からも人気を博していて、今日でもパガニーニの主要作品の一つに数えられています。極度の超絶技巧は含まれないために一見平易なアンコールピースのように思われてしまいがちですが、実際には幅広い音域で充実した美音を響かせることや、思いの外早いパッセージが含まれることなど、聴いていて感じる以上に演奏家に求められることは少なくありません。

そんなわけで、パガニーニの祥月命日である今日は《カンタービレ ニ長調》をお聴きいただきたいと思います。20世紀の名演奏家のひとりであるレオニード・コーガンのヴァイオリンで、超絶技巧作品とは一味違うしっとりとしたパガニーニをお楽しみください。


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久しぶりの遠足へ

2023年05月26日 21時05分10秒 | 日記
今日は晴れたものの、空一面に薄雲の広がる天候となりました。その薄雲のおかげで、暑過ぎない気持ちのいい陽気となりました。

そんな中、今日は勤務先の小学校の遠足の引率をすることになりました。バスに乗り込んではじめに向かったのは、



横浜市磯子区にある『はまぎんこども宇宙科学館』です。ここでは



『MEGASTAR ⅡA』という最新鋭の投影機で星空を鑑賞することができます。

別名『はま銀河』とも呼ばれているこの『MEGASTAR ⅡA』は7億個もの星を投影することができます。このことからギネスブックにも登録されている投影機ですが、そんな機械が横浜にあることが驚きです。

今回投影されたのは2023年5月26日、つまり今月今夜の星空でした。乙女座や春の大三角などが投影されると、子どもたちは様々に感想を述べあっていました。

星空を堪能してから再びバスに乗り込んで、



横浜市金沢区にある『金沢動物園』に移動しました。ここでお弁当タイムとなり、指定された広場に思い思いにレジャーシートを広げた子どもたちは、持参したお弁当を広げて頬張っていました。

お弁当を食べ終えてから、動物たちを観に行くことになりました。私も支援級の子どもたちを引率しながら、動物園内を周ることになりました。

起伏のある敷地を歩いていると



草を喰むポニーや



食事中のインド象



インドサイなどを観ることができました。更に進むと



日本の国鳥である丹頂鶴や



ジャイアントパンダ、コビトカバとならんで世界三大珍獣に数えられるオカピといった珍しい動物も観られました。

オカピはキリンの仲間ですが、オカピの隣のスペースには



そのキリンもいて、オカピとの見較べができるようにもなっていました。本当は他にもいろいろな動物たちがいたのですが、支援級の子どもたちが

「疲れた!」

とゴネて観て周るのを拒否したため、これ以上の動物は見られませんでした…。

他にも、テンションが上がった支援級や一般級の子どもたちがいろいろと要らんことをやらかしたり勝手な行動をとろうとしたりするので、その度に注意喚起する必要に迫られました。そうすると、どうしても地声のデカい私が駆り出されるので、帰りのバスから子どもたちを降ろして解散させた後はすっかり疲れ果ててしまったのでした…。

自身の人生の中で、『小学校の遠足』というイベントに関わることになろうとは思いもよりませんでした。帰宅した時にはもうクタクタになってしまったので、明日はひらすら休んでいようと思います…。

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今日はホルストの祥月命日〜フェイドアウトするクラシック音楽・組曲《惑星》から『海王星』

2023年05月25日 15時55分51秒 | 音楽
今日は曇りがちながらも、穏やかな陽気の一日となりました。こういう陽気が続くと助かるのですが、はるか南洋で台風が発生したり南西諸島が梅雨入りしたりしているところをみると、そうは問屋が卸さないようです…。

ところで、今日5月25日はホルストの祥月命日です。



グスターヴ・ホルスト(1874〜1934)は、イギリスの作曲家です。最も有名な作品は管弦楽のための組曲《惑星》ですが、イングランド各地の民謡や東洋的な題材を用いた作品や、吹奏楽曲、合唱曲などでも知られています。

1914年に勃発した第1次世界大戦では、ホルストも徴兵されることとなりました。しかし、ホルストは目が悪く右手の神経炎もあったため徴兵を免れ、その代わりに1918年にイギリス陸軍教育計画の音楽組織係として中東へ派遣されることとなりました。

その後、中東から帰国したホルストに大きな転機が訪れます。ホルストが中東に駐在している間に、以前から作曲していた組曲《惑星》が本国で初演されて空前の大ヒットとなり、本人の知らない内にホルストは一躍時代の寵児となっていたのです。

《惑星》の次に発表した合唱と管弦楽のための《イエスの讃歌》も大成功を収め、傑作として聴衆に迎えられます。これ以降ホルストの元には出版依頼が次々と舞い込み、新曲の発表や、かつての楽譜の改訂に追われるようになりました。

しかし1923年、ホルストは指揮中に指揮台から足を踏み外して転落し、後頭部を強く打つ事故にあってしまいました。これ以降、ホルストは頭痛や不眠に悩まされる休養生活を余儀なくされてしまうことになりました。

療養生活を終えたホルストは、当時務めていたセント・ポールズ女学校での音楽教師以外の仕事を辞めて、1927年から1933年まで作曲に専念しました。しかし、発表した作品はどれも聴衆を失望させるものばかりで、晩年のホルストの作品は評価されなかったようです。

それでもホルストは、1930年にはアメリカのイエール大学からハウランド賞を受賞したり、ハーバード大学から招かれるという名誉ある晩年を送りました。生涯にわたって女学校の音楽教師を勤めたホルストでしたが、1934年、出血性胃潰瘍のためこの世を去りました(享年59)。

さて、そんなホルストの祥月命日にご紹介するのは、やはり代表作《惑星》です。ただ、全曲だと1時間くらいかかってしまうので、今回は最終曲『海王星』をとりあげようと思います。

組曲《惑星》には、それぞれの星にローマ神話に登場する神々に基づいて

火星…戦いをもたらす者
金星…平和をもたらす者
水星…翼のある使者
木星…快楽をもたらす者
土星…老いをもたらす者
天王星…魔術士

というサブタイトルがつけられています。そして、海王星につけられたサブタイトルは『神秘主義者』です。

ホルストが《惑星》を作曲した当時、冥王星はまだ発見されていませんでした。なので、《惑星》の中ではこの『海王星』が最終曲となっています(もっとも、現在では冥王星は太陽系惑星外だとされています)。

『海王星』は珍しいバスフルートを伴うフルートアンサンブルで始まり、ハープやチェレスタといった神秘的な音色の楽器を中心とした全オーケストラが終始弱音で、長調とも短調ともつかない浮遊感のある音楽を展開していきます。やがて舞台裏から歌詞のない女性合唱が聴こえてきて、音楽の神秘的な雰囲気はどんどん高まっていきます。

そしてオーケストラの音色が徐々に少なくなっていき、最後には舞台裏の女性合唱だけになります。そしてその女性合唱の声が徐々に遠くなっていき、そのまま宇宙の彼方に消えていくようにフェイドアウトして終わっていくのです。

クラシックで、しかもライブでフェイドアウトしていく音楽というのは前代未聞ですから、初演当時はかなりセンセーショナルだったことでしょう。この演奏については演奏するホールによって様々な工夫が必要ですが、その方策のとり方も指揮者の裁量のひとつとなっています。

そんなわけで、ホルストの祥月命日である今日は《惑星》の最終曲『海王星』をお聴きいただきたいと思います。チャールズ・マッケラス指揮、BBCフィルハーモニー管弦楽団の演奏による2009年のプロムスでのライブ映像で、恐らく史上初の『フェイドアウトするクラシック音楽』をお楽しみください。


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まさかの『給食事件』からの横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2023年05月24日 20時58分20秒 | カフェ
今日は朝から気持ちのいい快晴となりました。昨日の冷たい雨が嘘だったように晴れ渡って、子どもたちのテンションもだいぶ落ち着いたものとなっていました。

これなら今日はあまり波風立たずに終わるかな…と思っていたのですが、ことはそう簡単には運びませんでした。給食のお給仕をしていた時に、支援級の子が何かのタイミングでお盆の上のお皿をひっくり返してしまい、メインのおかずが床に散乱してしまったのです。

お皿は割れずに済みましたが、その時には殆どの子たちに給食を配り終えてしまっていて、後は先生の分を用意して終わり…という状況でした。そこでその子だけおかず無しというわけにもいかなかったので、私がいただくはずだった分をその子に充てて食べさせることで解決をみました。

しかし、結局私はコッペパンと牛乳だけになってしまったので、6時間目が終わった頃には胃が痛くなるくらいの空腹に見舞われてしまいました。それでも何とか教室の後片付けをしてから横浜あざみ野の音楽教室に移動して《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

メニューを見ている間にも恥ずかしくなるくらいお腹がギュルギュル鳴ってしまっていたので、今日は



先ず『ポテサラトースト』をオーダーすることにしました。

ゴロゴロした粒感のあるジャガイモの入ったポテトサラダがトーストと一緒に香ばしく焼き上げられ、運ばれてきた段階から食欲をそそります。自家製ピクルスとともに、美味しく堪能しました。

お腹が落ち着いたところでドリンクをどうしようか迷っていたのですが、散々悩んだ挙げ句



『コーヒーフロート』をオーダーしました。

お店のスペシャルティコーヒーで淹れられたアイスコーヒーの上に、これでもか!という量のバニラアイスクリームがてんこ盛りにのせられています。ここまでの量のアイスがのったコーヒーフロートは、他ではなかなかお目にかかれません。

美味しいトーストとコーヒーフロートをいただいて、すっかりお腹が落ち着きました。あとは、今後またあのような事件が起きないことを願うばかりです…。

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イヤイヤ子どもに『いやいやえん』

2023年05月23日 17時55分45秒 | 日記
暑かった昨日から10℃以上気温が一気に下がって、今日は冷たい雨の降る空模様となりました。気圧が急激に下がったこともあって、支援級の子どもたちのテンションはダダ下がりしてしまっていました。

しかも、私が担当している支援級の担任の先生が宿泊学習の引率で今日と明日いらっしゃらないこともあって、残された支援級の子どもたちはその状況の変化を敏感に感じとってしまい、

「あれがイヤ!」
「これがイヤ!」

と、我が儘放題になってしまいました。こうなると場合によってはテコでも動かなくなってしまうので、大人たちも手を焼いてしまうのです。

御多分に漏れず、私が担当しているクラスの子たちの何人かも勉強するのを拒否しはじめしまいました。それでも、留守居役として担任の先生から託された宿題だけはきちんとやらせたのですが、それが終わった後でちょっと時間が余ってしまったのです。

そこで、教室の本棚にあった本で読み聞かせをすることにしました。選んだのは



『いやいやえん』です。

1959年7月に発表され、1962年12月25日に福音館書店創作童話シリーズから刊行された『いやいやえん』は、私の子どもの頃に読んだことのあるくらい昔から親しまれている本です。朝から

「あれがイヤ!」
「これがイヤ!」

と我が儘放題やらかした主人公のしげる君が、通っている保育園の先生に勧められた『いやいやえん』に行ったことでハチャメチャな目に遭う…というストーリーは、ちょうど今日の支援級の子どもたちの様子と重なるところがあると思ったのです。

なるべくキャラクター分けして読んだのが良かったのか、子どもたちは大笑いしながら聞いてくれていました。あまりに爆笑するので、授業時間中だからちょっと声量を抑えるように注意したくらいでした(汗)。

幼少期に読んだことのある本が、何十年の時を経てこんなところで役に立つとは思ってもいませんでした。前の学校でも支援級のクラスで『これはのみのピコ』を読み聞かせしたことがありましたが、これからもこうした読み聞かせタイムがあるのかも知れません。

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どうせならいい音のものを

2023年05月22日 19時55分10秒 | 日記
いやぁ~…暑い!何故に5月で27℃という暑さに晒されなければならないのでしょうか。

そんな暑さの中を歩いていたら、背後で

カチーンッ!

と、何やら硬いものが舗装道路に落ちた音がしました。何だろう?と思って振り返ってみたら



財布に根付として着けていた鈴の紐が切れて、鈴が落ちていました。

切れた紐を見たらだいぶ傷んでいたので、いつ切れても不思議はない状態だったようでした。ただ、こんな切れ方をしてしまうと最早修復は不可能なので、新しい鈴を購入するために本厚木駅前にある有隣堂の文具売り場に行くことにしました。

レジカウンターの横のスペースに



『水琴鈴根付』という鈴が置かれています。最近様々な寺社の御守としても見られるようになった水琴窟鈴の根付ですが、こちらの水琴鈴は金鈴と銀鈴があります。

とりあえず切れたものと同じ金鈴を買うことにしたのですが、いくつかあった中から少しでもいい音のものを選ぼうと、あれこれと振って聴き比べしていました。レジカウンターのお姉さんから見たら、さぞかし珍妙なオッサンだったことでしょう…。

しばらく聴き比べでいましたが、最終的にひとつ選んで



無事新しい鈴根付が財布に着きました。これがあれば、出かけるときに財布を忘れずに済みそうです(オマエはいくつなんぢゃ…)。

さて、明日は一気に10℃くらい気温が下がるようです。こう気温が乱高下を繰り返すと身体がついていけませんが、体調を崩さないよう気をつけようと思います。
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今日はレオンカヴァッロの歌劇《道化師》初演日〜ピエロ・カプッチッリの絶唱によるプロローグ

2023年05月21日 12時11分21秒 | 音楽
今日も日中は25℃に迫る暑さとなりました。もうこれからは、こうした暑さが続くと思っていた方が気が楽な気がしてきました…。

ところで、今日5月21日はレオンカヴァッロの歌劇《道化師》が初演された日です。



ルッジェーロ・レオンカヴァッロ(1857〜1919)はイタリアのオペラ作曲家・台本作家で、《道化師》の他の代表作にプッチーニも取り上げた《ラ・ボエーム》などがあります。

歌劇《道化師》は、ピエトロ・マスカーニ(1863〜1945)が第2回ソンゾーニョ・コンクールに1890年に発表した歌劇《カヴァレリア・ルスティカーナ》の成功を目の当たりにしたレオンカヴァッロが、自ら台本を書いて短期間で作曲を完成したものです。

この歌劇の台本は、1865年5月にカラブリア州モンタルトで発生し、当時判事だったレオンカヴァッロの父親が裁判を担当した実在の事件にヒントを得た…というのが作曲者の主張です。しかし、近年の詳細な研究では作曲者が8歳だった時の同事件とオペラの筋書にはそれほどの共通点は見出せず、むしろ1887年にパリで初演されたフランスの劇作家カテュル・マンデスの戯曲『タバランの妻』、或いは1867年にマドリッドで初演されたスペインの劇作家マヌエル・タマーヨ・イ・バウスの劇『新演劇』からの翻案を行ったのではないか…という説が有力になってきています。

この歌劇については、有名なエピソードがあります。

レオンカヴァッロはこの作品を、前回大会で《カヴァレリア・ルスティカーナ》が優勝したソンゾーニョ社主催の第3回ソンゾーニョ・コンクールに応募しました。しかし、コンクール作品の条件のひとつに『1幕物のオペラであること』があったのですが、《道化師》は2幕物であったため条件を満たしていないとして失格となってしまったのです。

それでも作品の素晴らしさはソンゾーニョ社の社長の目にとまり、1892年の5月21日にミラノのテアトロ・ダル・ヴェルメにおいて、20世紀を代表する大指揮者のひとりアルトゥーロ・トスカニーニ(1867〜1957)の指揮で初演されて大成功をおさめました。今日ではヴェリズモ・オペラの代表作のひとつとして、同じくらいの上演時間である《カヴァレリア・ルスティカーナ》とセットで上演されることが多くなっています。

さて、主人公カニオの歌うアリア『衣装をつけろ』などが有名な《道化師》ですが、今回取り上げたいのは敵役トニオがプロローグに登場して歌う前口上『ごめんくださいませ(Si puo?)』です。

華やかなオーケストラで始まった前奏曲の途中、幕の間からトニオがひょっこりと顔を出して

「ごめんくださいませ?紳士淑女の皆様方」

と歌い出す前口上で語られるのは、芝居の中の人間の偽りの涙ではなく、恋に身を焦がし愛に苦悩する人間の涙です。その真に迫る歌を滑稽な道化師の姿をしたトニオが歌い上げる様に、聴くものの心は激しく締めつけられるのです。

レオンカヴァッロがスコアに書いた音譜は全体にバリトンらしい音域のものですが、実際にはバリトンの音域を大きく超えた高い音が歌われます。なので、余程腕に覚えがあるバリトンでないと、このトニオの役はつとまりません。

そんなわけで歌劇《道化師》の初演日である今日は、オペラに先立つ前奏曲からトニオによる前口上をお聴きいただきたいと思います。名手ピエロ・カプッチッリによる、あまりの絶唱に鳴り止まない拍手に応えて終結部をアンコールで歌った(これは異例でとんでもないことです!)1991年の舞台の映像でお楽しみください(映像は曲の途中から始まっています)。

なお、カプッチッリがアンコールに応えた時に、舞台裏にスタンバイしていたトランペット奏者が本編が始まると勘違いして吹き始めてしまっていますが、そこはご愛嬌ということで(笑)。


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バッハの名曲《ヴィオラ・ダ・ガンバとオブリガートチェンバロのためのソナタ第3番ト短調》

2023年05月20日 16時25分30秒 | 音楽
朝のうちに降っていた冷たい雨は午前中に上がり、午後からは時折晴れ間ものぞくようになりました。それと共に蒸し暑くなってきて、結局エアコンをつけることとなりました。

さて、今日は自宅でヴィオラの練習していたのですが、久しぶりに



バッハを弾いてみることにしました。今日取り組んだのは



《ヴィオラ・ダ・ガンバとオブリガートチェンバロのためのソナタ第3番ト短調 BWV1029》です。

バッハがケーテンの宮廷に務めていた時 (1717〜1723)に、その宮廷楽団にはヴィオラ・ダ・ガンバとチェロの名手として知られていたクリスティアン・フェルディナント・アーベル (1682〜1761) が在籍していました(因みにバッハの《6つの無伴奏チェロ組曲》はアーベルのチェロを想定して作曲されたといわれています)。また当主であるケーテン公レオポルトもガンバを嗜んでいたことから、バッハは1720年頃に、第1番ト長調 BWV1027、第2番ニ長調 BWV1028、第3番ト短調 BWV1029の3曲の《ヴィオラ・ダ・ガンバとオブリガートチェンバロのためのソナタ》を作曲した…と言われています。

第1番と第2番が緩-急-緩-急の4つの楽章から成っているのに対して、第3番は急-緩-急の3つの楽章から成っています。ト短調ならではの緊張感ある主題がヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロの両手によって綾織のように展開していく第1楽章、変ホ長調の柔らかな響きが優しい間奏曲のような第2楽章、疾走感のあるフーガがたまらない第3楽章と、どこをとっても魅力的な作品です。

ただ練習してみて思ったのですが、ヴィオラで弾けるところが殆どとはいえ、要所要所にある低音が出せないことがどうしても気になります。やはりこの作品はヴィオラ・ダ・ガンバがチェロで演奏しないと、本来の魅力は引き出せないのだろうな…と再認識させられたのでした…。

そんなわけで、今日はバッハの《ヴィオラ・ダ・ガンバとオブリガートチェンバロのためのソナタ第3番ト短調 BWV1029》をお聴きいただきたいと思います。マルティン・ヤンツェンのヴィオラ・ダ・ガンバとフィオーラ・ファブリのチェンバロで、バッハならではの緊密感のある音楽をお楽しみください。


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久々堪能老舗の味《守谷のパン》の名物あんぱん

2023年05月19日 17時58分40秒 | スイーツ
今日は朝から曇りがちだったのですが、昼頃から猛烈な雨が降ってきました。小学校の子どもたちもだいぶ動揺していましたが、帰る頃にはだいぶ落ち着いた雨足になってきました。

それでも、午後から体育の授業をする予定だったクラスは路線変更を余儀なくされてしまい、先生方はテンヤワンヤしておられました。本当にご苦労の絶えないお仕事だと、改めて感じさせられました。

どうにかこうにか授業を終えた子どもたちを送り出して退勤してから、小田原駅へ向かう前に



駅近くにある老舗《守谷のパン》に寄り道することにしました。昨日tvk(テレビ神奈川)で紹介されていて、久しぶりに食べたくなったのです。

こちらの名物といえば、何と言ってもあんぱんです。



つやつやとしたまん丸のパンの中には



これでもか!というほどあんこがぎっしりと詰まっています。

なんでもパン生地45gに対してあんこは90gも入っているというのですから、もうほぼあんこを食べているようなものです(笑)。しかし、当然のことながらあんこを包むパンも小麦の香り高い美味しいもので、さすがは小田原の老舗パン屋さんの看板メニューであるだけのことはあります。

最近は疲れてしまって小学校が終わったら一目散に帰ってしまっていましたが、これを機にちょくちょく寄ってあんぱんを買ってみようと思ったのでした。

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可憐なバーベナに思い出す歌劇《蝶々夫人》より『ある晴れた日に』

2023年05月18日 19時10分50秒 | 音楽
今日はいよいよ真夏日となりました。まだ5月だというのに、こんなに暑くてはたまったものではありません。

今日は、日中はとにかく自宅に引きこもっていました。夕方になって強烈な日差しと猛烈な暑さが一段落した頃に、ちょっとした買い物をしに近所のホームセンターに出かけました。すると、その道すがらのお宅の垣根の下から



愛らしいバーベナの花が顔をのぞかせていました。

ヒマワリでも咲いてしまいそうなあまりの暑さに忘れかけていましたが、そういえば今はまだこの花が咲くような時期なんだな…と再確認させられました。5月にこんなに暑くなるなんて、本当にやめてほしいものです…。

ところで、バーベナの花を見ると思い出すのがプッチーニの歌劇《蝶々夫人》のアリア『ある晴れた日に』です。オペラの第二幕でアメリカに発ってしまった夫ピンカートンを待つ蝶々さんが、帰ってくることを訝り嘆く侍女のスズキに

「あの人は必ず帰ってくる」

と自分の思いを語る名アリアですが、その歌詞の中に、帰ってきたピンカートンが蝶々さんを探して

"Piccina mogliettina,olezzo di verbena"

「かわいらしい妻よ バーベナの香りよ」

と呼びかけるのだ…と、バーベナの花が登場する場面があるのです。

悲劇的な最後を迎える蝶々さんを象徴するような花として登場するバーベナですが、こうして実物を目の前にすると何とも言えない切ない感情が去来します。果てしなくチャラいピンカートンですが、どんなつもりで蝶々さんにバーベナを重ねて呼んだのでしょうか。

そんなわけで、今日は歌劇《蝶々夫人》の名アリア『ある晴れた日に』をお聴きいただきたいと思います。大村博美による歌唱を、美しいセットや衣装とともにお楽しみください。


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甘さほんのり『ストロベリーソーダ』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2023年05月17日 21時11分12秒 | カフェ
今日は一段と暑くなりました。わりと天候の穏やかな小田原でも最高気温が25℃の夏日に達し、しっかりと暑くなりました。

そんな中、今日小学校に出勤したら、いきなり

「先生(私)、今日の午前中は2年生の校外学習の引率をお願いします。」

と言われました。前日まで全く聞いていないことだったのですが、業務司令とあれば断る術はありません。

それでも

『なんだよ〜、昨日のうちに言ってくれていれば帽子や汗拭きシート持ってきたのに〜!』

と思ったのですが、とにかく覚悟を決めて出かけました。道すがらには殆ど日陰が無く、歩いていた子どもたちもすっかりバテ気味になっていました。

どうにかこうにか無事に学校まで帰ってきたのですが、子どもたちも大人たちもしばらくは使い物になりませんでした。それでもなんとか予定をこなして子どもたちを送り出し、そのまま横浜あざみ野の音楽教室に移動して《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日はとにかく爽やかなものがいただきたかったので、



『ストロベリーソーダ』をオーダーしました。これは、今月新登場のメニューのひとつです。

冷たい炭酸水の中には、お店自家製のイチゴのコンフィチュールが満たされています。ともすると甘々になりがちなフルーツソーダですが、これは無糖の炭酸水が爽やかな飲み口で、たまにストローにコンフィチュールが吸い込まれた時にイチゴの風味がほんのり甘く感じられるのが実に心地よいのです。

爽やかなソーダをいただいて、すっかりクールダウンすることができました。今日は帰宅したら、即倒れようと思います…(-_-)zzz。

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