共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

飲み口爽やか梅ソーダ@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2022年08月31日 20時55分20秒 | カフェ
今日はまた、一段と暑くなりました。ここ数日涼しくなっていたこともあって、この暑さは厳しいものがあります…。

それでも夕方になって少し暑さが落ち着き始めたので、その隙をついて横浜あざみ野の音楽教室に出勤しました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日は暑さにすっかりやられていたので



梅ソーダをオーダーすることにしました。お店自家製の梅シロップが入ったソーダは爽やかな飲み口で、グラスの中の梅の甘露煮ほのかな甘味と程よい酸味とのバランスが絶妙です。

さて、明日からいよいよ小田原の小学校がスタートします。私の出勤は明後日の金曜日からなのですが、子どもたちはみんな元気に登校してくるでしょうか。

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滑り込みセーフ!温玉カレーラーメン

2022年08月30日 17時17分25秒 | グルメ
昨日ほどではないにせよ、今日も涼しくなりました。それでも湿度が高いので、秋と呼ぶにはまだ遠く及びません。

さて、明後日から始まる小学校勤務に向けて文房具などを買い揃えるべく本厚木駅前に買い物に出かけました。それで、ちょうどお腹が空いてきたのでランチをしていくことにしました。

何にしようかと厚木一番街を物色していたら、《餃子の王将》の店頭に魅力的なメニューが掲示されていたので、今回はここにすることにしました。その魅力的なメニューというのが



『温玉カレーラーメン』です。

醤油ベースのラーメンの上に、キャベツ・ニラ・豚肉といった回鍋肉的な具材のカレー風味あんかけがかけられています。ちょっとスパイシーなカレーあんかけには温泉卵がトッピングされていて、割って溶くと一気に風味がマイルドになります。

何でも8月限定メニューということでしたので、はからずも滑り込みセーフ!といった感じでした。明日で8月も終わりますが、休み明けの小学校のことが今から気がかりです…。

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今日はジョン・ケージ《4分33秒》の初演日〜現代音楽の究極形

2022年08月29日 19時45分10秒 | 音楽
今日は昨日よりも更に涼しくなりました。このまま一気に秋が深まってくれればいいのですが、日本の南岸を台風11号が通過していることもあって、なかなかそうは問屋が卸さないようです。

ところで今日8月29日は



アメリカの作曲家ジョン・ケージ(1912〜1992)の代表作《4分33秒》が1952年に初演された日です。ジョン・ケージの作品の中で最も知られていて、音楽に対するケージの思想が最も簡潔に表現された作品でもあります。

《4分33秒》は3つの楽章から成る作品で、楽譜は以下のようになっています。



『TACET』というのは音楽用語で『全休止』という意味で、つまりこの曲は

I (第1楽章) TACET (休み)
II (第2楽章) TACET (休み)
III (第3楽章) TACET (休み)

と、3つの楽章全てが『休み』だけと言う事になります。

しかし、『休み』だけと言っても聴衆を前にしてピアニストはちゃんととステージに出て演奏姿勢に入ります。そして第1楽章の開始と共に鍵盤の蓋を開けて30秒経ったところで蓋を閉じ、第2楽章でまた蓋を開けて2分23秒経ったところで蓋を閉じ、第3楽章でまた蓋を開けて1分40秒経ったところで蓋を閉じて終わります。

結局《4分33秒》の間ピアノの音が全くしないまま『演奏』は終了し、演奏者は聴衆に対して一礼します。そして聴衆は4分33秒間の『無音の音楽』に対して拍手を送ることになるのです。

こうして文章で書いてみるとあまりにも突拍子もなく、ほぼコントのような作品にも思えてきます。しかしながらこの《4分33秒》は、世界的に見ても非常に高い評価を受けている現代音楽の1つと言えるのです。

この作品のテーマは『沈黙』で、楽譜では4分33秒という演奏時間が決められていますが、上の楽譜に見られるように演奏者が出す音響の指示はありません。そのため演奏者は音を出さず、聴衆はその場に起きる音を聴くことになります。

コンサートホールに行ったことのある方には分かっていただけると思いますが、聴衆が着席しているホールというのは舞台上で演奏家が音を出していない時でも決して無音ではありません。聴衆の呼吸音や座席の布と聴衆の着衣がこすれる音、間が悪く誰かが物を落とした音など、客席スペースでも様々な微弱な音がしているものです。

つまり、演奏者がコントロールをして生み出す音はない代わりに、演奏場所の内外で偶然に起きる音、聴衆自身が立てる音などの意図しない音はホール内に存在することになります。ここには

「『沈黙』とは無音ではなく『意図しない音が起きている状態』であり、楽音(音楽的な音)と非楽音(≒雑音)には違いがない」

というジョン・ケージの主張が表れています。

ジョン・ケージは1940年代から『沈黙』について考えていた中で、ハーバード大学の無響室での体験が作曲のきっかけになったと語っています。初演当時から賛否が分かれましたが、この作品によってジョン・ケージは楽器などの伝統的な音だけでなくあらゆる音を音楽として意識させることに成功して、その後の音楽に多大な影響を与えました。

ジョン・ケージの《4分33秒》が評価される理由として、「音楽の圧倒的な決定力」が挙げられます。

 通常、どのスタイルの音楽もそうですが、1つのスタイルが生まれたならば、その曲の後を追うようにして何曲も作曲され、そして、それをまた受け継ぐようにして作曲家が生まれてきます。しかし《4分33秒》は初演時にはピアノでパフォーマンスされたものの、演奏スタイルはピアノに限らず弦楽四重奏だろうがフルオーケストラだろうが、ありとあらゆる編成での『演奏』が可能なのです。

この曲に続くような曲を作曲する事は不可能で、ジョン・ケージはたった1曲で1つのスタイルを頂点にまで持っていき、そして終焉もさせてしまいました。このような決定力の強い楽曲は他には無く、もしかするとこの先数百年、数千年経ったとしても、これほどの作品は世に出てこないのかも知れません。

《4分33秒》についてはいろいろな『演奏』動画が存在していますが、その中からどれを選んでいいのか決められませんでした。逆に《4分33秒》と検索するとありとあらゆる形態での『演奏』を視聴することができますので、興味をもたれた方は是非御覧になってみていただきたいと思います。

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今日は『ヴァイオリンの日』〜近代西洋音楽の黎明と共に

2022年08月28日 18時50分50秒 | 音楽
今日は昨日の暑さから一転して、グッと気温が下がりました。夕方頃には、窓を開け放っておけばかなり涼しい風が入ってきていました。

ところで、今日8月28日は



『ヴァイオリンの日』なのだそうです。これは世界的な記念日ではなく、あくまでも日本だけの記念日で、東京・深川の三味線職人である松永定次郎が国産ヴァイオリンの第一号を完成したのが1880(明治13)年の8月28日でした。

当時31歳の松永定次郎が

「三味線や胡弓に似た、音色の良い楽器がある」

と人づてに聞いて、東京の方々でヴァイオリンを探しまわったのだそうです。結果、東京・神田駿河台のニコライ堂にあった楽器を楽師に頼んで見せてもらって詳しい図面を採り、輸入ラシャの外箱を材料にして初めての国産ヴァイオリンを作り上げました。

ただ、当時はヴァイオリンという楽器のことを知る者も少なく、ましてや演奏するものもいませんでした。なのでいくら作ったところで買ってくれる人はいませんでしたが、松永は良いバイオリンを造ることに熱中しながら、修繕も手がけていたといいます。

そんな松永に、時代が味方します。

1881(明治12)年に、現在の東京芸術大学音楽学部の前身である「音楽取調掛」が文部省内に設立されます。そして、ここでヴァイオリンの才能を開花させたのが、作家、幸田露伴の妹たちです。

上の妹・延は、後にヴァイオリン教育のパイオニアとなり、下の妹・幸はヴァイオリニストとして活躍します。この姉妹に続いて世界レベルのヴァイオリニストが登場し、それとともに外国製のヴァイオリンも日本に入ってくるようになったことで、ヴァイオリンという楽器は日本で一気にメジャーなものとなりました。

こうした時代背景からヴァイオリンという楽器に注目が集まり、それに伴って国産ヴァイオリンの需要が高まっていきました。そうした時流にのった松永のヴァイオリンは徐々に評価され、明治40年春に開催された博覧会に出品した楽器が宮内省(当時)に買い上げられるまでになったといいます。

そしてもう一人、国産ヴァイオリンの製作を本格的にスタートさせたのが、



名古屋の鈴木政吉です。鈴木政吉も元々は三味線づくりをしていた人物ですが、松永定次郎の和製ヴァイオリンと出会ったことで自らもその製作を始めました。

その後鈴木政吉は、現在も弦楽器の製造で知られる「鈴木バイオリン」の創業者となりました。名古屋にある本社には、



1888(明治21)年に鈴木政吉が製作した実物が保存されています。

鈴木政吉は楽器制作の他にも、日本の音楽文化の発展に力を尽くしたことでも知られています。海外から一流の演奏家が来日した際は、名古屋で演奏会を主催し、こうした演奏家たちのヴァイオリンを、調整・修理をしたのも政吉でした。

因みに、鈴木政吉の子息は



スズキメソードを創設した鈴木鎮一です。松永定次郎に始まった日本における今日のヴァイオリン界は、政吉と鎮一の親子によって発展を遂げたといってもいいでしょう。

個人的に普段お世話になっているヴァイオリンという楽器の日本における黎明期に、こんな歴史があったということを知っていただければ幸いです。

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残暑に聴くメンデルスゾーン《夏の夜の夢》序曲

2022年08月27日 23時55分00秒 | 音楽
今日は一際暑くなりました。ここ数日、わりと涼しいと感じることが多かっただけに、この酷暑は身体に堪えます…。

今日は本当なら昨日の続きのデスクワークをしなければならなかったのですが、暑さに当てられたのか分かりませんがとにかくやる気がおきず、何だかグダグダしたまま日中を終えてしまいました。夕方になって少しは持ち直したのですが、結局作業はあまり進まず終いでした。

日が落ちてからも作業を続けていたのですが、その時ふいに聴きたくなったのが



フェリックス・メンデルスゾーン(1809〜1847)作曲の《夏の夜の夢》でした。

《夏の夜の夢》は、メンデルスゾーンがシェイクスピアの戯曲『夏の夜の夢』を元にして作曲した演奏会用序曲(作品21)と劇付随音楽(作品61)とで構成されている音楽です。伝承によると、17歳のメンデルスゾーンがシェイクスピアの『夏の夜の夢』を読んで書いたという、読書感想文ならぬ読書感想曲とでもいうべき作品です。

《夏の夜の夢》は、先ず1826年に序曲が作曲されました。元々はメンデルスゾーンが姉のファニーと楽しむためのピアノ連弾曲として書いたものでしたが、すぐにこれをオーケストラ用に編曲しました。

その序曲を聴いて感銘を受けた時のプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の勅命を受けて、メンデルスゾーンは1843年に有名な『結婚行進曲』を含めた《夏の夜の夢》上演のための12曲の劇付随音楽を作曲することとなりました。その際、先に完成していた序曲はそのまま流用されました。

《夏の夜の夢》は通して聴くと1時間以上かかるので、今回はオープニングを飾る序曲をご紹介したいと思います。

木管楽器で奏される神秘的な序奏に続いて、第1主題の跳ね回る妖精たちや第2主題群に聞こえるクラリネットによるロバのいななきといった様々な特徴的な音型やあらゆる楽器の音色効果を使って、妖精たちや動物(獣人)の住む幻想的な世界を描写しています。この作品を完成させた時にメンデルスゾーンが17歳だったということを考えると、この作品の驚異的な完成度と豊かな創意には驚かされます。

そんなわけで、今日はメンデルスゾーンの《夏の夜の夢》の序曲をお聴きいただきたいと思います。リッカルド・シャイー指揮によるライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏でお楽しみください。


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突然の大音量

2022年08月26日 18時25分18秒 | 日記
今日もなかなかの暑さとなりました。午後からはにわか雨の予報も出ていましたが、それも肩透かしに終わりました。

さて、8月も終盤に差しかかってなのかどうかは分かりませんが、最近蝉の鳴き声が一層活発になってきたように思われます。我が家の近所にも立ち木や街路樹があるのですが、それこそそこいら中の木に何らかの蝉が留まっていて、ミンミン、ジージー、ツクツクホウシと鳴いています。

私は我が家でデスクワークをしていたのですが、突然ベランダの方から蝉の鳴き声がフォルテシモで聞こえてきました。何だろうと思って見てみたら、



ベランダのコンクリートの上に蝉が留まって鳴いていました。

樹液も出ないコンクリートの上で鳴いたってエネルギーの無駄遣いにしかならないと思うのですが、蝉の方はそんなことには少しも頓着していない様子でした。それでも1分ほど鳴いた後に、どうやらここではエサにありつけないと悟ったのか、最終的にはどこかへ飛んでいってしまいました。

厚木市や横浜市では昨日から学校がスタートしていますが、小田原の小学校はのんびりと9月1日からのスタートとなります。久しぶりの出勤に向けて、私もそろそろいろいろと準備し始めなくちゃです(汗)。

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今日はレナード・バーンスタインの誕生日〜『ウエスト・サイド・ストーリー』を予感させるバレエ《ファクシミリ》

2022年08月25日 16時00分16秒 | 音楽
今日は朝から曇り空だったこともあってか、昨日と比べると幾分涼しく感じられました。それでも湿度がそこそこ高いこともあって、快適とまでは言いがたい陽気となりました。

ところで、今日8月25日はバーンスタインの誕生日です。



レナード・バーンスタイン(1918〜1990)はユダヤ系アメリカ人の指揮者・作曲家であり、ピアニストとしても知られています。アメリカが生んだ最初の国際的レベルの指揮者であり、



『帝王』ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908〜1989)と並んで、20世紀後半のクラシック音楽界をリードしてきたスター音楽家として名を残しています。

バーンスタインは1918年の8月25日、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ローレンスに生まれました。1931年にニュー・イングランド音楽院でピアノを学んだ後1939年にハーバード大学卒業したバーンスタインは、続いてカーティス音楽院でピアノ・指揮・作曲を学びました。

1940年にはボストンで開催されたタングルウッド音楽祭で名指揮者セルゲイ・クーセヴィツキーに師事し、1943年にはニューヨーク・フィルの副指揮者に任命されました。そしてその年の11月14日、急病で倒れてしまったブルーノ・ワルターの代役でニューヨーク・フィルを指揮、シューマンの《マンフレッド》序曲やリヒャルト・シュトラウスの交響詩《ドン・キホーテ》などを指揮して一大センセーションを巻き起こしました。

1957年にはニューヨーク・フィルの首席指揮者に、翌1958年にはニューヨーク・フィルの音楽監督に就任し、同年10月に音楽監督としての最初のコンサートでベートーヴェンの交響曲第7番等を披露しました。その後1969年5月17日にマーラーの交響曲第3番の指揮を最後にニューヨーク・フィル音楽監督を退任して桂冠指揮者となると以降固定したオーケストラでのポストには就かず、ベルリン・フィルやウィーン・フィル、イスラエル・フィルといった世界各国の一流オーケストラの客演指揮者に終始することとなりました。



作曲家としてのバーンスタインは、1944年に初の自作交響曲第1番《エレミア》やバレエ《ファンシー・フリー》、ミュージカル《オン・ザ・タウン》を初演しました。それらを皮切りに様々な作品を作曲し、1956年には初のオペラ《キャンディード》を、そして翌1957年にはミュージカルの金字塔的作品《ウエスト・サイド・ストーリー》を初演しました。

さて、そんなバーンスタインの誕生日に《キャンディード》や《ウェスト・サイド・ストーリー》をご紹介…してもよかったのですが、そこはひねくれ拙ブログですからそんなメジャーどころは取り上げません(オイ…)。今日は、それらのミュージカルに先駆けて作曲されたバレエ音楽《ファクシミリ》をご紹介しようと思います。

《ファクシミリ》は1946年に作曲されたバレエ音楽で、男と女の三角関係的ラブゲームがテーマになっています。後のミュージカル音楽を思わせるようなフレーズも聴かれますが、同時にサティやヒンデミットといった近代クラシック音楽からの影響も垣間見ることができます。

冒頭に恋多き満たされぬ女のテーマがオーボエで無機質に奏され、それは形を変えて曲中に何度も登場します。そこへ一人目の男が現れると、曲想は変則的で不安定なリズムのワルツ風に変わります。

やがてピアノによって階段をスキップしながら下りてくるような軽やかなテーマが登場するとそこに二人目の男が登場し、女✕男✕男の三角関係が生じます。やがて三人はもつれるように絡み合って踊りますが、その中で女はかえって孤独さと虚しさを感じていき、最後は冒頭の無機質な女のテーマと共に儚く終わっていく…という展開となっています。

私はこの《ファクシミリ》を演奏したことがあり、その時にヴィオラパートの主席を務めていました。この曲には途中、第一・第二ヴァイオリンとヴィオラの主席にソロパートが登場するのですが、これが普段ヴィオラで演奏する音域よりもはるか高いところを弾かされるので大変だったことが忘れられません(汗)。

そんなわけで、バーンスタインの誕生日である今日はバレエ音楽《ファクシミリ》をお聴きいただきたいと思います。名作ミュージカルに先駆けて作曲された、バーンスタイン初期の作品をお楽しみください。



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突然の驟雨からのミートワッフル@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2022年08月24日 21時00分45秒 | カフェ
今日の厚木市は昼頃から徐々に雲行きが怪しくなり、午後から雨が降り始めました。と思ったら14時頃にとんでもない雨音がしてきたので慌てて窓の外を見ると、向かい側の建物が白く煙って見えなくなるほど激しい雨が降ってきました。

それだけでは収まらず、凄まじい電光と雷鳴が轟きました。そのうちの一つは確実に我が家の近くに落ちたようで、建物が若干揺れました。

その驟雨も30分ほど経った頃には小康状態になり、あれは何だったのだろう…と思うくらい穏やかな天候になりました。ただ大雨の影響は甚大で、本厚木駅に着くと小田急線のダイヤが大幅に遅れていて、ロマンスカーが運休になっていたのです。

何となく嫌な予感がして早めに出発していたので教室に遅刻することはありませんでしたが、それでも大幅に遅れている電車が到着するのを駅のホームでかなり待たされました。ようやく着いた電車は当然ながら激混みで、楽器ケースを背負って乗車していることが若干申し訳ない感じでした。

そんな感じで遅れに遅れたダイヤに翻弄されながらも何とか横浜あざみ野にたどり着きました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日はお店に着いた段階で何だかとてつもなく空腹だったので、



『ミートワッフル』をオーダーすることにしました。

お店の看板メニューであるクロワッサン生地のワッフルに、ランチのドリアにも使われている自家製ミートソースがかけられています。野菜サラダも添えられていて、このワンプレートだけでかなりの満足感が得られます。

ワッフルというとスイーツとして食されるイメージですが、こちらのクロワッサン生地のワッフルだとこうしたライトミール的な楽しみ方もできます。パールシュガー入りの甘いベルギーワッフルでは、こうはいきません。

今日はマンデリンの水出しコーヒーと共に、美味しく堪能しました。週に一度の贅沢なコーヒータイムは、やはりいいものです。

明日からしばらくは、あまり天候が芳しくないようです。その分気温は少し落ち着きそうですが、どうなりますやら。

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風にそよぐ秋桜と秋めく空

2022年08月23日 18時45分18秒 | 
今日は二十四節気のひとつ『処暑』です。暑さが一段落し秋めいてくる頃ということですが、関東地方はまだまだ残暑の厳しい一日となりました…。

そんな厳しい残暑の中でも、少しずつ秋の気配は近づいてきているようです。ふと気づくと


近所の植え込みに秋桜の花が風にそよいで咲いていましたし、空を見上げると



秋を思わせる高層の雲が、丹沢の山々の上に広がっていました。

明日は少し天気が悪くなるようです。その分気温はあまり上がらないようですが、本格的な秋の気配を感じることはできるでしょうか。

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今日はドビュッシーの誕生日〜第1番の陰に咲く《アラベスク第2番》

2022年08月22日 17時00分20秒 | 音楽
今日は日差しこそ厳しくなかったものの、気温の高いことに変わりはありませんでした。空だけ見ていると秋の空が浮かんでいるのですが、秋はまだまだ訪れそうにありません。

ところで、今日8月22日はドビュッシーの誕生日です。



クロード・アシル・ドビュッシー(1862〜1918)は、俗に『印象派』と呼ばれる時代を代表するフランスの作曲家です。長音階・短音階以外の旋法と、機能和声にとらわれることのない自由な和声法などを用いて作曲し、その伝統から外れた音階と和声の用い方から19世紀後半から20世紀初頭にかけて最も影響力を持った作曲家の一人です。

ドビュッシーの生涯や作品については詳しいサイトが沢山ありますので改めて細かく述べることもないかと思いますが、そんな中で今日はドビュッシーの代表的ピアノ作品《2つのアラベスク》をご紹介しようと思います。

《2つのアラベスク》は1888年に作曲され、1891年に改訂された、ドビュッシー初期を代表するピアノ曲です。

2曲ともロマン派音楽に典型的な三部形式による小品となっていて、和声法にグリーグやフォーレの影響が顕著ですが、抒情性と軽やかに運動するリズムの共存はシューマンの着想にも似ている作品です。ことに《アラベスク第1番》では分散和音の多用と右手と左手のポリリズムの組み合わせが美しく、それが『アラベスク=アラビアの模様のように細やかできらびやかな作品』と名付けられた所以でしょう。

ドビュッシーの《アラベスク》というと、どうしても



きらびやかな第1番が圧倒的に有名です。しかし、日陰好きひねくれブログとしてはそちらではなく、もう一つの第2番を取り上げようと思います。

《アラベスク第2番》はト長調、アレグレット・スケルツァンドで書かれています。



第1番と比べて表向きの和声進行は常套句的ですが、伴奏部分にそれまでの作曲理論では禁止進行とされている平行五度を伴って動く楽句(上の楽譜でいうと3段目や5段目)が登場したり、中間部で鮮やかな転調を次々と見せたりと、小品ながら後の時代の作風における『機能和声の崩壊』を既に予感させる作品となっています。

そんなわけで、ドビュッシーの誕生日である今日は《アラベスク第2番》をお聴きいただきたいと思います。どうしても第1番の陰に隠れがちな、愛らしくも斬新な作品をご堪能ください。


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楽器配置に悩むバッハ《4台のチェンバロのための協奏曲イ短調》

2022年08月21日 16時45分16秒 | 音楽
今日は朝から雨が降ったり止んだりする、不安定な天候となりました。ただ、強烈な日差しが差し込まなかったためか気温は30℃までは上がらず、湿度さえもう少し低ければなかなか過ごしやすい陽気でした。

昨日のライブから一夜明けて今日はBGMをかけながらデスクワークに勤しんでおりましたが、



今日はとにかくバッハを聴きたい気分でした。いろいろと聴いていたのですが、その中でもよく聴いていたのが



トレヴァー・ピノック&イングリッシュ・コンサートの演奏によるチェンバロ協奏曲集でした。

バッハは1729年から1741年にかけてライプツィヒのコレギウム・ムジクムの指揮をしていて、ソロや2台・3台・4台のためのチェンバロ協奏曲はその演奏会のために作曲されたものといわれています。そして、その多くはバッハ自身の旧作、あるいは他の作曲家たちの作品を編曲したものであると考えられています。

バッハがコレギウム・ムジクムの仕事を始めた頃、長男のヴィルヘルム・フリーデマン・バッハや次男のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハを始めとする息子たち、そして弟子のヨハン・ルートヴィヒ・クレープスらが一流のチェンバロ奏者に成長していました。バッハがソロや複数のチェンバロのための協奏曲を多く成立させた背景には、彼らを演奏家として教育する目的もあると考えられています。

残念ながら、バッハのチェンバロ協奏曲の原曲となった作品が失われていることも多いのが現状です。しかし、逆にこれらのチェンバロ協奏曲が残っていることで、後の時代に原曲の姿を想像・復元したものを演奏することも盛んに行なわれています。

さて、そんな一連のチェンバロ協奏曲の中から、今回は一番登場台数の多い《4台のチェンバロのための協奏曲イ短調》をご紹介しようと思います。

《4台のチェンバロのための協奏曲イ短調》は



ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集《調和の霊感》の中の『4台のヴァイオリンのための協奏曲第10番ロ短調』をアレンジしたものです。バッハは編曲する際に原曲の調整を変えることは殆どありませんが、この曲では当時のチェンバロの高音域を考慮してロ短調からイ短調に1音下げています。

さて、私も昔この曲を演奏したのこがあるのですが、演奏するにあたって悩むのが

『4台ものチェンバロをどうやって配置するか』

ということです。何しろ舞台上に鍵盤楽器を4台も、しかも演奏効果も考慮した上で並べなければいけないのですから大変なのです。

実際の演奏でも



4台を横一列に並べたり



4台を互い違いに縦一列に並べたりと、様々な工夫がなされています。配置の他にも楽器の蓋を外すのかやオーケストラの場所をどこにするのかも含めて、考えることは少なくない曲なのです。

そんなわけで、今日はバッハの《4台のチェンバロのための協奏曲イ短調》をお聴きいただきたいと思います。我が家のCDと同じ、トレヴァー・ピノック&イングリッシュ・コンサートの演奏でお楽しみください。


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白熱レコ発ワンマンライブ

2022年08月20日 23時50分15秒 | 音楽
今日は久しぶりにライブに行きました。

会場は厚木市にあるライブハウス『Y's SOUND BASE』で、今回のライブは



厚木市在住のシンガソングライターTOT WORKS(トットワークス)さんのワンマンライブです。今回のライブは



今日発売になったアルバム《また始める日》のレコ発ライブにもなっています。

今回のライブのチケットは完売ということで、会場には



多くの人が駆けつけていました。ライブは三部形式で、第一部は



TOT WORKSさんの弾き語りからスタートしました。今回のライブが始まる前には



TOT WORKSさんから一人一人に御礼の手紙が手渡されましたが、こうした細やかな心遣いも嬉しいライブとなっていました。

第二部からは



ゲストパーカッショニストの村上海人さんが加わってのセッションスタイルとなり、TOT WORKSさんの作品5曲を組曲風にしたパフォーマンスが展開されました。そして第三部になるとパフォーマンスは更に熱を帯びて、



メガネが吹っ飛ぶほどの白熱したライブは大盛況のうちに終了となりました。

ライブ終了後にはCDも購入し、



サインも書いていただきました。久しぶりに楽しいライブを堪能して、充実した気持ちになることができました。

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今日は《上を向いて歩こう》テレビ初披露の日〜世界中の人の心に刺さった中村八大の音楽的仕掛け

2022年08月19日 19時00分19秒 | 音楽
今日は昨日の雨の影響も少なく、カラッとした晴天となりました。それでも暑いのには変わりなく、汗ふきシートが手放せない一日でした。

さて、今日8月19日は《上を向いて歩こう》がテレビで初披露された日です。



《上を向いて歩こう》は坂本九の大ヒット曲で、作詞は永六輔、作曲は中村八大の『八六コンビ』による作品です。日本のみならず海外でもヒットし、アメリカではラジオ番組から人気に火がついて、ビルボード誌では1963年6月15日付でHot100週間1位を獲得し、同誌の1963年度年間ランキングでは第10位にランクインしました。

《上を向いて歩こう》は、元々は中村八大が1961年7月21日に開催した自身のリサイタルのために制作した楽曲でした。その後、坂本九のシングル曲としてレコーディングされることになり、1961年7月21日にサンケイホールで開催された『第3回中村八大リサイタル』で、坂本九の歌唱によって初披露されました。

この時、坂本九はリサイタルの2時間ほど前に初めて譜面を渡されて、ぶっつけ本番で初披露したといいます。元々の譜面では4ビートで書かれていたそうですが、それを坂本九が8ビートにアレンジして歌いました。

そしてほぼ一月後の8月19日、NHKで放送されていたバラエティ番組『夢であいましょう』でテレビ初披露されました。《上を向いて歩こう》は同番組で1961年10月・11月の「今月のうた」として発表され、同年10月15日にレコードも発売されることになりました。



10月にレコードが発売されると爆発的なヒットとなり、発売から3か月で30万枚を突破しました。当時の日本のレコード売り上げランキングでは1961年11月から1962年1月までの3か月にわたって1位を独走しました。

この曲が何故こんなにもヒットしたのか…そこには中村八大による巧妙な仕掛けが隠されています。

この曲のメインテーマには『四七(ヨナ)抜き音階』が使われています。四七抜き音階とは、



ハ長調のドレミファソラシドから4番目のファと7番目のシの音を抜いた音階で、この音階を使うと日本古来の和音階のような五音階の響きになり、日本人の心に刺さりやすくなります(この音階が使われた曲の代表作には映画『男はつらいよ』のテーマソングや北島三郎の『函館の女』等があります)。

そして、《上を向いて歩こう》をハ長調で検証してみると

うえをむ〜いて あ〜るこ〜〜う
ドドレミドラソ ドーレミドラソ

なみだが こぼれないよう〜に
ドドレミ ミソラ ラソラソミレ

おもいだす は〜るのひ
ドドドラレ レーレドミ

ひと〜りぽっちのよる
ド ドーラ ソミドラドド

と、見事なまでにファとシが一回も出てきません。こうした四七抜き音階でメロディを作ることによって、中村八大は日本人の心に刺さるメロディを編み出したということができるのです。

ただ、《上を向いて歩こう》は四七抜き音階だけでできているわけではありません。中間部になると

しあわせは〜 くもの〜うえに
ファファファソラ  ファラソーソミソ

とファの音が登場し、しかも次のフレーズでは

しあわせは〜 そら の〜うえに
ファファファソラ♭ ファラ♭ソーミドレ

とラがフラットしてマイナーの影がさすのです。

勿論、四七抜き音階だけでも曲は成立するのですが、それだけだとどうしても雰囲気が演歌調に偏ってしまいます。そこで四七抜き音階に抜けているファの音を中間部のフレーズにフッと入れ込み、更にその2度目に出てくるラをフラットさせることによって実にモダンな印象も感じさせることに、中村八大は成功しているのです。

このマイナーになる部分、実は坂本九がリハーサルの時に音を外して半音低く歌ってしまったために急遽そうなったという説もあります。中村八大という作曲家は歌手がたまたま音程を外してしまったりアレンジして歌ったものが面白かったりしたらその場で譜面を書き換えてしまう大らかさがあったといいますが、そうした機転がこの作品の中間部の思わぬセンチメンタルな効果を生み出し、日本人のみならずアメリカを始めとした世界中の人たちの心までもガッチリとつかんだわけです。

余談ですが、クラシック音楽界隈では《上を向いて歩こう》の最初のフレーズとベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番《皇帝》のメインテーマのフレーズが酷似しているという意見があります。聴き比べてみると確かに似ていますが、だからといって中村八大がベートーヴェンをパクったわけではありません(笑)。

そんなわけで、今日は昭和の名曲のひとつである《上を向いて歩こう》をお聴きいただきたいと思います。1961年に放映された『夢であいましょう』の画像と、その後に収録された画像とを織り交ぜた動画でお楽しみください。


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皇室が伝えた日本の美〜特別展《日本美術をひも解く〜皇室・美の玉手箱》

2022年08月18日 19時25分19秒 | アート
今日の厚木市は、滝のような凄まじい豪雨で明けました。窓の外には向こう側が白く煙るほどの雨が降りしきり、道行く人が傘などさしても全く役立たない様子でした。

そんな豪雨も少しずつ弱まってきたので、間隙をついて本厚木駅まで出かけ、小田急線に乗り込んで一路東京・上野を目指しました。そして上野公園を横切って、東京藝術大学大学美術館に向かいました。

現在、こちらでは



特別展《日本美術をひも解く〜皇室・美の玉手箱》という展覧会が開催されています。この展覧会は明治以降に様々なところから皇室に献上されたものや、明治天皇や旧宮内省が、日本の伝統技術の継承を図ったり、パリの万国博覧会に出品させるためだったりといった様々な目的で作らせた工芸品など、皇室に伝えられた品々を収蔵する宮内庁三の丸尚蔵館の名品、優品約90件で日本美術をわかりやすく紹介しているものです。

この展覧会は前期と後期で展示替えがあり、9月4日までが前期展示となっています。どちらも興味深い作品が展示されているのですが、とりあえず前期展示で印象深かったものを取り上げてみたいと思います。

先ずは何と言っても注目なのは、会場に入ってすぐのところに展示されている



『菊蒔絵螺鈿棚(きくまきえらでんだな)』です。これは明治天皇が日本の工芸技術の継承を目的として東京美術学校(現在の東京藝術大学)に図案を依頼し、皇居内に設けられた製作所に登場一級の指物師や蒔絵師、彫金師、螺鈿細工師らを集めて約9年の歳月をかけて完成させたもので、日本ならではの優美で繊細な感覚と、熟達した伝統技術が細部に至るまで結集された完成度の高い作品です。

棚の天板や扉、縦横に渡された柱に至る全ての部分に金蒔絵が施され、扉の留め金には皇室の紋章である菊と五七の桐が彫金の透かし彫りで表されています。そして螺鈿で表された菊の花や小鳥たちの輝きはそれは見事なもので、見る角度を変えると赤や黄色、青や碧や紫へと刻々と色を変えて輝きます。

360度どこからでも観賞できる展示なので裏側に回ったり、しゃがんで観たりといろいろな角度で観賞しましたが、どこから観ても全く飽きません。高さや角度を変えながら繊細な金蒔絵と華やかな螺鈿の輝きに見入っていたら、気づくとこの棚だけで1時間近く時間を使ってしまっていました(汗)。

次に印象深かったのは、



鎌倉時代に制作された絵巻物《蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)》です。この作品は日本史の教科書の元寇のところにも載っているので、御存知の方も多いのではないでしょうか。

これは肥後国の御家人竹崎季長(たけざきすえなが)が、元寇における自分の戦功を描かせた絵巻物です。現在は宮内庁三の丸尚蔵館の所蔵となっていて、昨年9月に国宝に指定されています。

季長は自身の元寇での働きを鎌倉幕府に伝えて恩賞を得るために、この絵巻物を作らせたと伝わっています。それ故に戦闘シーンはかなりの迫力で描かれていて、文永の役・弘安の役が如何に過酷な戦いであったかを垣間見ることができます。

興味深いのは日本の武士と元軍の武具や武器の違いで、日本の武士の甲冑姿に対して元軍の装束はかなり動きやすそうなものとなっています。そして、戦いに使用されている弓矢にも形状の違いが見て取れます。

そして一番特徴的なのが



『てつはう』と書かれた元軍の武器です。平仮名だけ見ると鉄砲のように思いますが、実際には鉄球に火薬を詰めて投げつける手榴弾のようなものだったようです。

戦にあたっては「やあやあ我こそは〜」と名乗りを上げてから戦い始める日本の武士たちにしてみたら、元軍からこんな飛び道具がいきなり飛んでくるのですからたまったものではなかったことでしょう。それ故に戦功を挙げた季長としては、恩賞を得るために如何に自身が過酷な戦闘を生き抜いてきたかを鎌倉幕府に猛烈にアピールする必要に迫られていたわけですから、この絵巻の制作には並々ならぬ思いがあったことでしょう。

この《蒙古襲来絵詞》は江戸時代に大規模な修復が施され、上下2巻に分けられました。その時にいろいろと改竄もされてしまったようですが、それでも

◎絵の中に日元双方の軍船が描かれていて、中には武士の他に漕ぎ手の水夫が乗っている場合と、水夫がおらず雑兵が舟を漕いでいる場合とがあること。

◎日本軍は陣鐘も陣太鼓も用いていないのに対して、元軍では既に鳴り物を用いた集団戦法が発達していること。

◎日本軍と元軍の弓矢の形状の違い。

◎元軍は投げ槍を多く使っているのに対して日本軍では殆ど用いられておらず、長刀を使っているのは雑兵に限られていること。

といった歴史的資料としての価値が高いといわれています。

次に印象深かったのは《唐獅子図屏風(からじしずびょうぶ)》です。これまた教科書に掲載されていることが多い作品なので、御存知の方も多いかと思います。

《唐獅子図屏風》は安土桃山時代の絵師である狩野永徳による作品で、永徳による代表作かつ最も著名な作品です。この作品は元々城の障壁画として描かれたもので、



このように平らな形だったようです。それを後の時代に屏風に仕立て直したことで



こうした姿となり、明治21(1888)年に毛利家から皇室に献上されました。

この屏風の特徴は、とにかくデカいことです。写真のショーケースとの対比でもお分かりいただけるかと思いますが、右隻の大きさは縦223.6×横451.8cm、左隻の大きさは縦224.0×横453.5cmもある巨大なものです。

その巨大さ故に、この絵は豊臣秀吉が建てた大阪城や聚楽第にあったものではないかとも言われていますが、詳細は分かっていません。また、どういった経緯で毛利家に伝わったのかも不明なようです。

因みに狩野永徳が描いたのは右隻の方だけで、左隻の方は17世紀になって永徳の曾孫の狩野常信(つねのぶ)が曽祖父の作品に合わせて新たに描いたものです。こちらも昨年9月に国宝に指定されています。

青い体の雄獅子と黄色い体の雌獅子とが仲睦まじく歩く姿は雄々しいながらもどこか愛らしく、後に常信によって描かれた左隻の子獅子の姿は勇壮ながらもどこか無邪気さを感じさせます。こんな巨大な屏風を背にして座っていたら、さぞかし威厳に満ちて見えたことでしょう。

他にも、尾形光琳が琳派の祖である俵屋宗達の作品を模写した《西行法師絵巻》や



琳派の画家酒井抱一が月毎の花鳥を描いた《花鳥十二ヶ月図》全12幅、



葛飾北斎の肉筆画《西瓜図》や、明治期にパリ万国博覧会に出品するために作られた金工や象牙の置物、有線七宝の花瓶といった日本の工芸技術の粋を集めた工芸品が展示され、訪れた人たちはその収蔵品の多様さに見入っていました。

この展覧会は、9月5日から後期日程に入ります。その時には伊藤若冲の大作《動植綵絵(どうしょくさいえ)》全10幅が展示されるなど見どころ満載なので、その時にまた改めて来てみようと思います。

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実は初めて『ベーコントースト』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2022年08月17日 18時00分18秒 | カフェ
今日は朝に小雨が降ったせいか、昨日と比べるとだいぶ気温が下がりました。とは言っても猛暑日にならなかったというだけのことで、真夏日になったことに違いはありません。

そんな中、今日はお盆休み明けで音楽教室に出勤すべく横浜あざみ野に向かいました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日はランチをするタイミングを逸してしまっていたので、



『ベーコントースト』をオーダーしました。厚切りのイギリスパンの上にソテーしたキャベツとダイスカットしたトマト、そして厚切りのベーコンがのせられた上からマヨネーズがかけられ、オーブンで香ばしく焼き上げられたトーストです。

以前は『ハムトースト』だったのですが、今年の春頃から『ベーコントースト』に代わっていたことは認識していました。ただ、何となく今までオーダーする機会がなかったので、実質初めてオーダーしてみたのです。

スモークの風味豊かなベーコンと、黒胡椒の効いたキャベツソテーの相性は抜群です。そこにトマトの甘酸っぱさが加わってBLT(ベーコン・レタス・トマト)ならぬBCT(ベーコン・キャベツ・トマト)となる感じはなかなかです。

今日はケニアの水出しコーヒーと共に、美味しく堪能しました。暑さの中でいただく水出しコーヒーは、心の底からホッとします。

いつの間にか、夏休みも後半戦に差しかかってきました。子どもたちがそろそろ慌てて宿題に手を付け始めているのかいないのか気になりますが、まぁ頑張ってもらいましょう(笑)。

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