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共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

達成感のあったリコーダーテスト

2025年01月31日 18時18分18秒 | 音楽
今日、高学年の音楽の時間に



リコーダーのテストがありました。支援級の子どもたちは

「できない!できない!」

と大騒ぎしていたので、老婆心ながら私がちょっとヒントをあげたら、少しずつ落ち着いてきたようでした。

休み時間を使ったりして何回か練習を重ねていたら、どうにか止まらずに最後まで吹けるようになっていました。

「はい、これでいけるよね。いってらっしゃい✋️。」

と試験会場まで送り出して外で聴いていたら、多少つっかえたものの、全員見事に完奏することができました。なので、最大限の賛辞で迎えて、気持ちよく授業を終えることができました。

私が与えたヒントというのは極簡単なものですが、短時間で理解してもらうにはちょうどよかったようでした。極端な話、楽譜が読めなくても演奏が成立すればいいことなので、その点を重点的にケアしておきました。

跳び箱の時もそうでしたが、彼らにはできる限り成功体験を積んでいってほしいと思っています。そのための手段は、決してひとつではありません。

子どもたちを下校させてから担任と話をしていたら、すっかり遅くなってしまいました。まぁ、急ぐ用事もないので小田原駅までチンタラあるいて向かうと、



小田急線のコンコースに置かれた蝋梅の生け花がだいぶ開花していました。

花を写そうと思ったのですが、何だか見事なまでに全部の花が私のいる方と反対側にばかり開いていました。それでも無理矢理撮ったのが



これです(汗)。

明日から2月になりますが、天候が徐々に下り坂になるようです。節分には今季初の雪アイコンがついているのですが、どうなりますでしょうか…。


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頑張って外しました!

2025年01月30日 16時40分45秒 | 日記
今日は学校の都合で、全校生徒が5時間授業で下校しました。それで、折角時間ができたので



天井に取り付けられている扇風機を外して、洗ってしまうことにしました。

学校の教室というものは学年末で一度リセットされ、次年度には全ての教室がシャッフルされます。なので、それまでに各教室で使っていた備品や道具類もリセットしておく必要があるのです。

用務員室から脚立を借りてきて、高所恐怖症の私がへっぴり腰で登っていき、カバーと扇風機ファンを全て外して洗浄しました。あとに残ったのは



扇風機のモーター部とファンの軸だけです。

あまり安定感のいい脚立ではなかったので不安でしたが、どうにかこうにか無事に全ての扇風機を取り外すことができました。脚立の上で変に踏ん張っていなければならなかったので、明後日あたりにイヤな筋肉痛になりそうです…。

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いろいろできた支援級勤務と『渋皮栗とあずきのワッフル』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2025年01月29日 17時55分25秒 | カフェ
今日は小学校支援級で、いろいろといいことがありました。

先ず、普段集中力が続かない中学年の子が、図工の版画で自ら彫刻刀を持って版木を彫り進めました。普通に考えれば

「当たり前だろ?」

と思われるような何気ないことですが、集中力の持続しない情緒級の子からすると快挙と言ってもいいのです。

それから、高学年の男子が跳び箱で自身の記録を次々と更新しました。それまで5段の跳び箱にも怖気づいていたのですが、

「上手に跳べている子の動きをよく見ていてごらん。」

と言ってイメージトレーニングをさせると徐々に何かを掴んできて、最終的には7段まで跳ぶことができるようになったのです。

どちらも担当の先生からお褒めの言葉を頂戴することができ、子どもたちの自信につながったようでした。これからも、こうした成功体験を積み重ねていってもらいたいと思います。

そんな小学校支援級勤務を終えて、横浜あざみ野の音楽教室に移動しました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日は



今月限定の『渋皮栗とあずきのワッフル』をオーダーしました。美味しくいただいていたこのメニューも、今月でお別れです。

明日も小学校支援級勤務があります。今日のように子どもたちが自信の持てる授業ができるよう、私も頑張ります。

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ようやく本番!折り紙コマ

2025年01月28日 16時40分50秒 | 工作
今日から、また小学校勤務が始まりました。ただ、いざ登校してみたら子どもも大人もインフルエンザでバタバタと欠席していて、結構大変なことになっていました。

やはりこの時期は、インフルエンザをはじめとした様々な感染症が流行るようになっています。私もインフルエンザでこそなかったものの体調を崩したばかりなので、引き続き気をつけようと思います。

今日は放課後子ども教室もありましたが、そこで先日から準備していた折り紙コマを子どもたちに作らせることになりました。基本的に子どもたちには回すための軸を折らせて、予め作っておいた土台に取り付けたのですが、



かなりカラフルなコマが出来上がりました。

子どもたちはキャアキャア言いながら、互いのコマの出来栄えを見比べつつ、しっかりと回して遊んでいました。どんな反応になるか心配だったのですが、とりあえず喜んでくれたようでホッとしました。

支援員の中でも欠席者が出ているため、出られる人員で何とか補填しつつ任務にあたっている状況です。このような事態が一刻も早く解消してくれるよう、願わずにはいられません。

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今日はモーツァルトの誕生日〜事実上初の自作ピアノ協奏曲《ピアノ協奏曲第5番 ニ長調 K.175》

2025年01月27日 17時00分55秒 | 音楽
今日は何だか、朝から曇りがちな空が広がる天気となりました。日差しがあまりない分気温も10℃に届かず、なんとも薄ら寒い一日となりました。

ところで、1月27日は今日はモーツァルトの誕生日です。改めて説明するまでもありませんが、



ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756〜1791)は主に現在のオーストリアを活動拠点とした音楽家であり、ハイドンやベートーヴェンと同じく古典派音楽・ウィーン古典派を代表する存在です。

上の絵は、ピエートロ・アントーニョ・ロレンツォーニ(1721〜1782)が1763年初めに描いた『大礼服を着た6歳のモーツァルト』の肖像画です。1762年、女帝マリア・テレジア(1717〜1780)から下賜された皇子の大礼服を身にまとった姿で、幼いマリー・アントワネット(1755〜1789)にプロポーズしたとされる頃のものです。

モーツァルトの来歴については今更拙ブログであれこれと説明する必要もないかと思いますので、今回はモーツァルトが初めて手がけたピアノ協奏曲をご紹介しようと思います。それが《ピアノ協奏曲第5番 ニ長調 K.175》です。

なんで5番?と思われるかも知れませんが、実はモーツァルトのピアノ協奏曲の第1番から第4番まではカール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714〜1788)をはじめとした先輩作曲家たちの作品を編曲したものなのです。そのため、実質的にモーツァルトがオリジナルで作曲したピアノ協奏曲というと、この第5番からということになります。

このピアノ協奏曲はバッハの末子であり『ロンドンのバッハ』とも呼ばれていたヨハン・クリスティアン・バッハ(1735〜1782)の様式を模倣して作曲されたことが明らかであり、クリスティアン・バッハの影響を留めていると一般には評価されています。しかし、フランスの作曲家オリヴィエ・メシアン(1908〜1992)は

「試作というには、あまりに見事な腕前」

と評価し、ドイツの音楽学者アルフレート・アインシュタイン(1880〜1952)も

「独奏楽器とオーケストラの釣合、ならびに規模の点で、既にヨハン・クリスティアンをはるかに越えている」

と絶賛するなど、音楽研究家からは高く評価されている作品です。

この作品は1773年の12月にザルツブルクで作曲されましたが、既に習作の範囲を越えて完成された様式を持っています。トランペットとティンパニを加えた祝祭的な作品で、おそらくモーツァルト自身、あるいは姉のナンネルの演奏を目的としたものと思われています。

後にモーツァルトはこの曲をミュンヘンやウィーンでも演奏し、1777年頃にオーケストラに手を加えています。モーツァルトはこの協奏曲に愛着を持っていたようで、最晩年まで自身で演奏し続けたといいます。

第1楽章はニ長調、4/4拍子のアレグロ。『颯爽』『溌剌』という言葉を音楽にしたような曲で、若きモーツァルトがオーケストラを従えて堂々とピアノを弾く姿が思い浮かびます。この楽章だけでも、間違いなく初期の傑作です。

第2楽章はト長調、3/4拍子のアンダンテ・マ・ウン・ポコ・アダージョ。まだ翳りの無い幸福なモーツァルトそのもののようですが、時折短調の影が差す場面はさすがモーツァルトで、要所要所で合いの手に入れられたホルンの音形も印象的です。

第3楽章はニ長調、2/2拍子のアレグロ。冒頭の弦楽合奏に2小節ずれの堂々としたカノンが現れ、それにのってピアノが爽快に駆け回ります。

そんなわけで、今日はモーツァルトの《ピアノ協奏曲第5番 ニ長調 K.175》をお聴きいただきたいと思います。アルフレード・ブレンデルのピアノ、ネヴィル・マリナー指揮、アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズによる演奏で、17歳のモーツァルトが手がけた事実上の最初のピアノ協奏曲をお楽しみください。



後にモーツァルトは1782年にウィーンでこの協奏曲を演奏するにあたり、第3楽章の別稿を作曲しました。この曲は現在協奏曲の第3楽章として使われることはあまりありませんが、《ピアノと管弦楽のためのロンド ニ長調 K.382》として単独で演奏されることがあります。

そんなわけで、第3楽章の別稿として作られた《ピアノの管弦楽のためのロンド ニ長調 K.382》の動画も転載してみました。上の録音と同じ奏者たちによる演奏で、どこか聴き馴染みのある、愛らしいロンドをお楽しみください。


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今日はリヒャルト・シュトラウス《薔薇の騎士》初演の日〜とんでもない組み合わせの豪華映像

2025年01月26日 17時17分17秒 | 音楽
今日もいい天気になりましたが、私は今日もグダグダしていました。本当に週末毎にこんなんでいいのかと、真剣に悩み始めています…。

ところで、今日1月26日は《薔薇の騎士》がドレスデンで初演された日です。歌劇《薔薇の騎士》(Der Rosenkavalier)作品59は、



リヒャルト・シュトラウス(1864〜1949)の作曲、フーゴ・フォン・ホーフマンスタール(1874〜1929)の台本による3幕物のオペラで、ワーグナー後期のオペラに比肩する長大な作品規模と大掛かりな管弦楽を要する大作です。

シュトラウスとホーフマンスタールは既に歌劇《エレクトラ》を共作していましたが、それは既存の舞台戯曲にシュトラウスが曲をつけただけのものでした。それ故にこの《薔薇の騎士》こそが、シュトラウスとホーフマンスタールのゴールデンコンビによる長年の実り豊かな作品の、実質的に最初の共同作業となりました。

《薔薇の騎士》の作曲は、1909年初めから1910年にかけて行われました。当初はホーフマンスタールの発案で男装の女性歌手を起用した軽い喜劇的な作品として計画されましたが、2人の夥しい数の往復書簡を中心とした議論の末、最終的に現在の形としてまとめられました。

物語の舞台はマリア・テレジア治世下のウィーンに置かれ、ロココの香りを漂わせながら遊戯と真実を対比させた作品として仕上げられました。音楽内容的としては『モーツァルト・オペラ』を目指したもので、プロットが《フィガロの結婚》と似ているのはこのためです。

《薔薇の騎士》の音楽は、これより前に作曲された歌劇《サロメ》や《エレクトラ》で用いられた、部分的には無調音楽ですらあった激しいオーケストレーションや前衛的な和声はすっかり影を潜め、概して親しみやすい平明な作風で書かれています。声楽パートもワーグナー的なドラマティックなものから、モーツァルト的なリリックな歌唱スタイルになっているのが特徴です。

初演は入念なリハーサルの後1911年1月26日、ドレスデン宮廷歌劇場で、エルンスト・フォン・シューフの指揮、ゲオルク・トラーとマックス・ラインハルトの演出により上演され、未曾有ともいえる大成功を収めました。すでに作曲家としての地位を確立していたシュトラウスの新作に対する世間の期待は高く、ウィーンからドレスデンまでの観劇客用特別列車が運行されたほどだったといいます。

ドレスデンでは引き続き50回におよぶ再演が続けられたほか、ベルリン宮廷歌劇場、プラハ歌劇場、バイエルン宮廷歌劇場、ミラノのスカラ座など主要な歌劇場でも立て続けに上演され、いずれも好評をもって迎えられました。《サロメ》や《エレクトラ》など、それまでのシュトラウスの前衛的な作風に好意を示していた批評家や作曲家たちからは「時代遅れ大衆迎合的」だと批判されたりもしましたが、聴衆からの支持は絶大で、今日ではシュトラウスの代表作と見なされているばかりか、ドイツ圏の主要歌劇場や音楽祭において最も重要なレパートリーの一つに数えられています。

何しろ3時間かかるオペラですから、あらすじ云々は割愛させていただきます。なので今回は、有名なフィナーレの三重唱をご紹介しようと思います。

美しい新興貴族の娘ゾフィーを好色なオックス男爵から守るべく、オクタヴィアン伯爵と元帥夫人が一計を案じてやりこめるための茶番劇をしかけます。しかし、打ち合わせになかった元帥夫人自身の登場で場面が混乱する中、元帥夫人・オクタヴィアン・ゾフィーそれぞれの思いが交錯し、元帥夫人は若い2人の恋路を目の当たりにして静かに身を引いていきます。

この場面を観ていると、個人的に元帥夫人に感情移入してしまいます。こんな恋愛をした経験は1ミクロンもありませんが、若い2人を残して去っていく元帥夫人の背中に、言いようのない哀しさを感じずにはいられません。

そんなわけで、今日は歌劇《薔薇の騎士》からフィナーレの三重唱をお聴きいただきたいと思います。エリザベート・シュヴァルツコプフの元帥夫人、セーナ・ユリナッチのオクタヴィアン、アンネリーゼ・ローテンベルガーのゾフィーという豪華な配役、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ウィーン国立歌劇場管弦楽団の演奏による1962年のオペラ映画で、リヒャルト・シュトラウスの美しい音楽と20世紀を代表する名歌手たちの歌唱でお楽しみください。


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初天神で鷽替え神事

2025年01月25日 17時17分30秒 | 神社仏閣
学校がない日ということもあろうかと思いますが、今日は昼前頃まで寝ていました。やはり心身共に疲れているようで、心行くまでグダグダさせていただきました…。

とこほで、今日1月25日は初天神の日で、全国の天満宮では『鷽替え神事(うそかえしんじ)』が挙行されます。菅原道真公を御祭神とする天満宮にある鷽(うそ)は、



実在する鷽という鳥を木彫りにしたものです。

菅原道真公が大切な祭儀を行っている時に蜂が襲来したのですが、そこへ鷽が飛来して蜂を食べ尽してくれたという伝説があり、そうして災いを排除してくれたことから「災いや悪事を嘘にする」と言われるようになって、縁起物として全国の天満宮や菅原神社などで頒布するようになりました。『鷽(うそ)』という種類の鳥を模した木彫りのお守りを参拝者がお互いに取り替える、または新しいものに買い替えることで前年におきた悪いことを嘘(鷽)にして、今年の良いことに取り(鳥)替えることを願って行われます。

厚木の近くには意外と天満宮が無く、調べてみた中で一番近かったのが町田市にある町田天満宮だったので、外の空気を吸いがてら出かけてみることにしました。

JR横浜線町田駅を通り過ぎてしばらく行ったところに、石造りの大きな鳥居が見えてきます。横浜線の上に架かる参宮橋を渡ると



町田天満宮にたどり着きます。

拝殿に進んで参拝してから、社務所に向かいました。そして、



無事に可愛らしい『うそ鳥』をいただいてきました。

天満宮ということで境内のあちこちに梅の木が植えられていましたが、中には



可憐な花を咲かせている木もありました。節分を迎える頃には、更に多くの梅の花が咲き揃うことでしょう。

まだまだ体調不良が回復しきっていないので、今日も早めに休もうと思います。せめて声枯れだけでもどうにかなってほしいのですが、とにかく今は静養に努めます…。

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早春の香り

2025年01月24日 17時30分00秒 | 
今日もいい天気てしたが、小学校支援級は大荒れでした。

毎週金曜日には、『支援級体育』なるものが設定されることが多くあります。これは支援級の子たちだけが集まって行うレクリエーション的な体育なのですか、どうしても低学年の子たちにフォーカスが当たりがちなので、大きな子たちは不満気なことが多いのです。

そこへもってきて今日はゲームの勝負のことで諍いが勃発し、暴力沙汰にまで発展しかけました。こういう時には無駄に声のデカい私の出番となるのですが、先日の体調不良からきちんと回復できていないため、かなりガラガラ声での一喝となりました。

一旦その場は収めたものの、ついに一日中諍いの火は燻っていました。始めに説明したルールをきちんと聞いていればいいだけのことなのですが、集中力と注意力の低い彼らにとっては無理な話でもあります…。

相変わらず担任がいないことでの浮足立ち感が拭えないまま、どうにかこうにか子どもたちを下校させました。後片付けをして帰路につくと、どこからともなく花の香りが漂ってきました。

風に誘われて行ってみると、



蝋梅の花が咲いていました。



この花の独特な甘い香りは、早春の訪れを感じさせてくれるものです。

今日も今日とて、ものすごく疲れました。帰って夕餉を済ませたら、さっさと休みます…。
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ギュッと凝縮した《魔笛》公演

2025年01月23日 17時17分17秒 | 音楽
今日は小学校中学年の付き添いで、小田原の三の丸ホールに行きました。今日はここで、市内の小学校中学年合同の『芸術鑑賞会』なる催しがありました。

公演は『小田原オペラ』なる団体によるもので、演目は



モーツァルトの名作《魔笛》でした。本来ドイツ語台本で二時間以上かかる《魔笛》ですが、今回はそれを子どもたち向けに日本語台本で約一時間に短縮したものが上演されました。

始まってみると、日本語台本そのものは二期会オペラで使われていた、個人的に馴染み深いものでした。あとはどこをどう切り詰めていくのかが焦点でしたが、ちゃんと序曲(もちろん短縮バージョン)から始まってストーリーも破綻させずに

『あぁ、ここからここへ飛んで、ここへ繋げてこうしたのね。』

と、思わず感心してしまう仕事ぶりでした。

歌手も三人の童子以外のソリストは揃っていて、夜の女王がハイトーンを外したのはイタかったのですが、特にパパゲーノは存在感もあり、演技も子どもたちに大ウケでした。オーケストラは弦楽四重奏+コントラバスにピアノ・フルート・クラリネット・ホルンという編成で、オーボエとファゴットの無いさびしさはあったものの、それでもオペラオケとしての存在感はなかなかでした。

支援級の子たちは時折席でモゾモゾしたりしていたものの、最後まで公演を妨害するような騒ぎを起こしたりはしませんでした。彼らは彼らなりに初めてのモーツァルトを楽しんでいたようで、こちらとしてもホッとしました。

現代の子たちは、こうしたものに触れる機会を作ってもらえて幸せだなと思います。これからも小田原市には、いろいろといいものを子どもたちに観せて聴かせてあげてほしいものです。

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先行き不安な担任一時復帰と『ベーコントースト』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2025年01月22日 20時40分00秒 | カフェ
今日、休暇中の支援級担任が一日だけ出勤してきました。支援級の子どもたちのスケジュールを組んだり、休み中の様子を見たりするためでもありましたが、子どもたちは久しぶりに会った担任の姿を見て大騒ぎしていました。

それと同時に、今まで何となく猫を被っていた部分が一気にはっちゃけました。そして、大方の予想通り好き勝手やりだしたのです。

もちろん、そんな狼藉をこの昭和の怖いオジサンが許すわけもなく、いつも以上に叱り飛ばしていました。なので、子どもたちを下校させた後は久々にクタクタになったのでした…。

来月になったら本格的に担任が戻ってくるのですが、たった一日戻ってきただけでこの騒ぎでは、二月以降が思いやられます。せめて来年度に向けて、少しでいいから成長してもらいたいものです。

そんなことを思いながら、横浜あざみ野の音楽教室に向かいました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日は落ち着いて給食を食べている時間がほとんどなく、かきこんで済ませたのでかなり空腹でした。なので今日は



『ベーコントースト』をオーダーしました。

こんがり焼けたトーストの上にソテーしたキャベツと厚切りのベーコンがのせられ、マヨネーズとブラックペッパーで仕上げられています。添えられた自家製ピクルスの爽やかな風味と相まって、ホッとできる味わいです。

さて、明日は中学年の子どもたちを校外学習に連れていきます。ただでさえ落ち着きの無い子どもたちを、何校かの学校の子どもたちと合同で鑑賞する音楽会に連れていかなければならないのですが、一体どうなりますやら…。
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いいことある!かな…?

2025年01月21日 17時55分15秒 | スイーツ
今日の小学校支援級勤務は、かなり平和でした。というのも、普段問題を起こす子どもがことごとく病欠したため、クラス運営がものすごくスムーズだったのです。

もちろん、遅れた学習は彼ら自身がどこかの時点で取り戻さなくてはなりません。その時にまた一悶着も二悶着もあるでしょうが、それはまたその時に考えればいいことです。

まだ万全とは言えない体調の中で、今できることをやってきました。そして電車で帰宅した頃にはすっかり疲れていたので



帰りがけに懐かしいチョコレート菓子を買いました。

食欲もあまり回復していないのですが、こうしたものなら抵抗なく口にできるようになっているので、食べ過ぎないよう気をつけながらポリポリ食べていました。すると、何振り目かの時に



中から☆型のものが出てきました。

パッケージにもありましたが、これは『ラッキースター』というのだそうです。必ずしも入っているわけではないようですが、私が購入したものからは無事に出てきました。

これでいいことがあるなら、病欠している子どもたちがまた元気に登校してくれるといいな…と思います。まだまだ担任の留守を預かる片棒担ぎとして、先生頑張ります!

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同作品で曲が違う?!〜バッハ《ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ 第6番 ト長調 BWV1019》

2025年01月20日 17時17分17秒 | 音楽
まだ咳が止まらなくなることがあるものの、早退してきた金曜日に比べたらだいぶ体調はマシになってきました。咳を何とかしないと明日の小学校勤務も覚束なくなってしまうので、服薬を続けて何とかしたいところです。

それで、ただボンヤリしているのも時間が勿体ないので、真面目に練習してみることにしました。今回練習したのは



バッハの《ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ 第6番ト長調 BWV1019》です。

この曲は一連のソナタの最後を飾る曲ですが、いろいろとかわった点があります。

先ず他のソナタが4楽章なのに対して、この曲だけ5楽章からなっているということです。しかも何度か改作が重ねられていて、その異版の楽譜も残されています。

この前のソナタ第4番がハ短調、第5番がヘ短調というなかなか鎮痛な調性で書かれていますが、これはバッハの最初の妻アンナを亡くした悲しみからきているといわれています。しかし、この第6番でバッハは再びバッハらしい明朗さを取り戻していて、そこに妻の死を克服した姿を見るという人もいます。

次にかわっている点が、最終稿となった版の第3楽章です。実はこの楽章、なんとヴァイオリンは一切沈黙するチェンバロ独奏の楽章なのです。

ヴァイオリンとチェンバロのソナタだと言っているのに何でまた…と思われるかも知れませんが、実際に聴いてみるとこのチェンバロ独奏楽章を挟んで前半と後半がシンメトリーな構図になります。そうした点からみると、この改変も納得することができるのです。

そんなわけで、先ずは最終稿となった《ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ 第6番 ト長調 BWV1019》をお聴きいただきたいと思います。佐藤俊介氏のバロックヴァイオリンとディエゴ・アレスのチェンバロによる演奏で、途中でヴァイオリニストが休憩するという斬新なソナタをお楽しみください。



さて、ここからは異版のご紹介です。先ずは初稿とされるタイプaから。

この異版はなんと6楽章もあり、そして第3楽章がチェンバロ独奏であることは同じなのですが、全くメロディの違うものが採用されています。緩徐楽章も最終稿とは違っていて、第5楽章はト短調のガヴォットになっているところから、最後は第1楽章が回帰されて終わります。

それではそのタイプaの異版を、全く同じ演奏者による演奏でお楽しみください。



どうでしたか?最終稿とはかなり違った姿をしていることが分かっていただけましたでしょうか。

更に異版は続き、今度はタイプbです。この版では第3楽章がチェンバロ独奏ではなくヴァイオリンも演奏するカンタービレとなっていて、最後はガヴォットを挟まず第1楽章が回帰して終わります。

それでは、タイプbをお聴きいただきたいと思います。



これはこれで、如何にもヴァイオリン・ソナタだな…といった雰囲気を感じることができるのではないでしょうか。

そしてタイプcとなるのが、いわゆる最終稿となるわけです。普段はこの稿のもの以外の版が演奏されることはほとんどありませんが、今回の動画では同じ奏者が全ての異版を演奏してくれていることが貴重で、大変ありがたいものでした。

そんなわけで、最終稿となったタイプcを改めてお聴きいただきたいと思います。上までスクロールして戻らなくても大丈夫なようにしてみました(笑)ので、お時間が許せば再生してみてください。


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今日はヴェルディの歌劇《イル・トロヴァトーレ》初演の日〜パヴァロッティのハイトーン冴え渡るカバレッタ『見よ、恐ろしい炎を』

2025年01月19日 17時25分20秒 | 音楽
さすがに二日もゴロゴロしていたら、どうにか容体も安定してきました。病院の開いていない週末に具合を悪くすると、ろくなことがありません…。

さて、二日も投稿を休んだので、さすがに今日は書いてみようと思います。今日は歌劇《イル・トロヴァトーレ》が初演された日です。

歌劇《イル・トロヴァトーレ》は、



イタリアの作曲家ジュゼッペ・ヴェルディ(1813〜1901)が作曲した全4幕からなるオペラです。1853年の今日ローマで初演され、ヴェルディ中期の傑作の一つとされています。

1839年に発表した《オベルト》以来、年間1作以上のペースで作曲を続けてきたヴェルディでしたが、1851年に《リゴレット》を初演、成功させた38歳のヴェルディの作曲の筆はそこからしばらく止まっていました。1851年6月の母の死、《椿姫》を初演したソプラノ歌手ジュゼッピーナ・ストレッポーニ(1815〜1897)との同棲生活に対する世間の冷ややかな眼、そこからの逃避の意味もあって近郊での農園購入とその経営(ヴェルディは単なる不在地主ではなく農地管理の些事にまで干渉していたようです)など、作曲以外の雑事に忙殺されていたのも原因でした。

実際のヴェルディは作曲家としてどうにかこれからの暮らしには困らない収入も得て、この頃はどこの劇場の委嘱も受けず、自ら選んだ題材を好きなだけ時間をかけてオペラ化する、という大家ならではの作曲法が可能となっていました。そして、そうした自己の選択による作品が《イル・トロヴァトーレ》でした。

《イル・トロヴァトーレ》の原作『エル・トロバドール』はスペインの劇作家グティエレスによって書かれ、1836年にマドリードで初演された舞台劇でした。ただ、中世の騎士物語、男女の恋愛、ジプシー女の呪い、といった雑多なテーマを盛り込んだこの複雑な舞台劇をヴェルディがどうやって知ったのか、今日でもはっきりしていません。

スペイン語原典のイタリア語訳は当時まだされていなかったので、イタリア・オペラの重要な演奏拠点の一つであったマドリードのオペラ関係者がヴェルディに個人的にこの戯曲を送付し、イタリア語以外の言語に疎かったヴェルディに代わって語学の才のあったジュゼッピーナがイタリア語に仮訳したのではないかと想像されています。いずれにせよ、遅くとも1851年の春頃、ちょうど《リゴレット》初演の前後までにはヴェルディはそうしたイタリア語訳に目を通し、台本作家カンマラーノに台本化を開始してほしいと要請していたと思われています。

ナポリ在住の台本作家サルヴァトーレ・カンマラーノ(1801〜1852)は、ドニゼッティのための《ランメルモールのルチア》や《ロベルト・デヴリュー》などの台本で有名です。《イル・トロヴァトーレ》はどこの劇場の委嘱も受けずヴェルディが創作したもので、劇場の座付き作家を利用しなければならない…といった制約は元々なかったわけですが、この作品がカンマラーノとの共同作業となった理由も、またはっきりしていません。

カンマラーノは長年の劇場生活に培われた本能的とも言える劇的展開、ならびに詩文の美しさについて定評の高かった作家で、こういった複雑怪奇な戯曲のオペラ台本化には適任の人物だとヴェルディが考えた可能性が高いと思われています。ただし、構成面では、カンマラーノは保守的な「番号付き」オペラの伝統に強く影響されていたため、ヴェルディが前作《リゴレット》で採用した、切れ目のない重唱の持続で緊張感を維持するといった新手法は、《イル・トロヴァトーレ》ではいったん後退をみせています。

初演都市としては、初めカンマラーノと縁の深いナポリ・サン・カルロ劇場が考慮されていましたが、ヴェルディの要求する金額があまりに法外であるとして劇場側が降りてしまい、結局ローマのアポロ劇場での初演と決定しました。これは作曲どころか台本の完成以前の話です。

ところがカンマラーノは1852年7月に急死してしまい、第3幕の一部と第4幕の全てが未完のまま残されてしまったため、ヴェルディは友人の紹介により、やはりナポリ在住の若い詩人レオーネ・エマヌエーレ・バルダーレ(1820〜1874)と契約し、台本はカンマラーノの草稿に沿う形で同年秋に完成しました。ヴェルディは1852年10月のわずか1か月でそれに作曲したとの逸話がありますが、完成稿としてはともかく、メロディーのほとんどはカンマラーノとの交渉が開始された1851年から作り貯めていたと考えるのが自然だと思います。

初演は、ヴェルディのそれまでのどのオペラと比べても大成功といって良いもので、世界各都市での再演も早く、パリ(イタリア座でのイタリア語上演)は1854年、ロンドンとニューヨークが1855年に行われました。またフランス語化しグランド・オペラ様式化した『ル・トルヴェール』(Le Trouvère)は1856年にオペラ座で上演されました。

ヴェルディ自身はのちに

「西インド諸島でもアフリカの真ん中でも、私の『イル・トロヴァトーレ』を聴くことはできます」

と豪語しています。かなり大袈裟な表現だとは思いますが、それほどの手応えを感じていたことは伝わってきます。

さて、オペラ全編を載せるとさすがに長いので、今回はその中から第3幕のマンリーコのカバレッタ『見よ、恐ろしい炎を』をご紹介したいと思います。

様々な困難を乗り越えて、ようやく結婚式を挙げて幸せになろうとするマンリーコとレオノーラ。しかし、そこにマンリーコの母親であるアズチェーナが敵方のルーナ伯爵軍に捕らえられたとの報があり、母を救出すべく

「武器を取れ!」

と歌う勇猛果敢なカバレッタです

かくも勇ましく幕を閉じますが、続く第4幕では信じられないほど沈痛な場面が展開します。そして、最後は誰一人として幸せにならない壮絶な結末を迎えるのです。

このカバレッタで、テノールは楽譜に書かれていない高音ハイC(高いド)を挿入することが慣例になっています。通説では、これはロンドン初演時のテノール歌手のエンリコ・タンベルリック(1820〜1889)がヴェルディの許可を得て創始したとされていて、以来テノールのアリアとして最大の難曲の一つに数えられています。

逆にこのハイCを失敗することはテノールにとっての恥辱とも考えられ、一部の歌手は失敗を恐れて半音下げて歌っている(オーケストラのピッチを半音下げて演奏させる)ようです。ただし、指揮者のリッカルド・ムーティはスカラ座での上演に際して

「常に作曲者の書いたままを演奏すべし」

との原典主義に基づき、ハイCを入れないヴェルディの楽譜通りに演奏させて賛否両論を巻き起こしました。

そんなわけで、今日はヴェルディの歌劇《イル・トロヴァトーレ》から『見よ、恐ろしい炎を』をお聴きいただきたいと思います。三大テノールの一人ルチアーノ・パヴァロッティ(1935〜2007)による1988年のメトロポリタン歌劇場ライブで、これぞヴェルディ!という名旋律と、パヴァロッティの輝かしいハイトーンをご堪能ください。


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今日も休みます

2025年01月18日 17時45分17秒 | 日記
昨日学校から帰ってきたら、一気に熱が上がってきました。やはり、早退を促した養護教諭の判断は正しかったようです。

服薬しながら様子を見ていたのですが、今日になっても熱が下がらず、寝床で悶々としております。そんな状況なので、今日の投稿もお休みさせていただきます。

変な風邪が流行っております。皆様もくれぐれもお気をつけくださいませ。
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今日は休みます…

2025年01月17日 16時00分00秒 | 日記
申し訳ございませんが、今日の投稿はお休みします。

今日は



阪神淡路大震災が発生してからちょうど30年という節目の年であることから、私が支援級の子どもたちに話をしていました。そして、話の風呂敷を結ぼうとした辺りから頭痛と悪寒がしてきてしまったのです。

それでも4時間目までは何とか務めていたのですが、給食の片付けをしている頃から悪寒がのっぴきならなくなってきてしまいました。そして、保健室の養護教諭の判断で早退することになってしまったのです。

今現在は、床に横になっております。ということで、今日は静養に努めます。

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