共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

心和む白檀の香り

2023年09月30日 20時30分40秒 | 日記
今週は授業参観があったり、運動会の練習が始まったりと、なかなかハードな小学校勤務でした。その分、週の後半は有給休暇をいただいてゆっくり過ごすこともできました。

それで、折角時間がたっぷりあるので、



久しぶりに室内でお香を焚いて過ごしていました。このお香は白檀ベースのものですが、白檀独特の甘い香りに心が和みます。

長月も今日で終わり、明日から神無月になります。そろそろ日中も秋めいてきてほしいものですが、どうなりますでしょうか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一瞬の中秋の名月

2023年09月29日 20時00分00秒 | 日記
今宵は『中秋の名月』です。『仲秋の名月』という書き方も見ることがありますが何が違うのかというと、『仲秋』とは旧暦8月いっぱいのことで、『中秋』とは旧暦8月15日をピンポイントで指す言葉です。

夕方前から、厚木市上空は雲に覆われてきました。

『これは…』

と思っていたら、そこから雲はどんどん厚みを増してきました。

日が落ちても、雲の厚みは増していくばかりでした。これは望み薄だな…と諦めて、今日は



マクドナルドの月見バーガーで誤魔化すことにしました(オイ…)。

食べ終えてから

『こんなもんかな…』

と思いながら家路についていました。そして、なんの気無しに東の空に目をやると…



ちょうど雲の切れ間から中秋の名月が顔を覗かせていたのです。



しばし美しい名月を眺めていたのですが、ものの1分ほどで再び雲に隠れ、その後はいくら待っても出てくる気配はありませんでした。正に一瞬の出来事でしたが、あの瞬間に空を見上げておいて本当によかったと思います。

夜になって、昼間の暑さがだいぶ鎮静化してきました。このまま涼しさが復活してくれれば申し分ないのですが、さてどうでしょうか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日はモーツァルト晩年の傑作《魔笛》が完成した日〜ルチアーナ・セッラによる夜の女王のアリア『恐れるな、若者よ』

2023年09月28日 17時35分50秒 | 音楽
彼岸に入って折角涼しくなったと思ったら、今日はそれを帳消しにするような厳しい暑さの一日となりました。本格的な秋は、まだ当分やって来そうにありません…。

ところで、今日9月28日はモーツァルト(1756〜1791)の歌劇《魔笛》が完成した日です。



モーツァルト最後の歌劇となった《魔笛》は、死の年である1791年の9月28日に完成しました。実際には現在のミュージカルのようにアリアやアンサンブルの間を台詞でつなぐ『ジングシュピール(歌芝居)』という分類に入りますが、現在ではジングシュピールも歌劇の中に含まれるという解釈のようです。

《魔笛》の脚本を手掛けたエマヌエル・シカネーダー(1751〜1812)は当時ヨーロッパ各地を巡業していた旅一座のオーナーで、モーツァルトとはザルツブルク時代からの知り合いであり、モーツァルトが所属した秘密結社フリーメイソンの会員でもありました。当時シカネーダーはウィーンの郊外にあるフライハウス(免税館)内のヴィーデン劇場を管理して、そこで一座の上演を行っていました。

シカネーダーは、当時仕事がなく生活に困っていたモーツァルトに大作を依頼することにして、自ら台本を書き上げました。モーツァルトは1791年の3月から9月にかけて作曲を進め、途中で歌劇《皇帝ティートの慈悲》のプラハでの上演のため中断を経たものの、今日9月28日に全体を完成させました。

当時、妻コンスタンツェが郊外のバーデンへ湯治に出ていてモーツァルトは一人暮らしをしていたため、シカネーダーはモーツァルトに作曲に専念させるためにフライハウス内の東屋を提供しました。この東屋は『魔笛小屋』或いは『魔笛ハウス』と呼ばれていて、1897年にウィーンからザルツブルクに移築され、



現在は国際モーツァルテウム財団の中庭に移設されて現存しています。

自ら依頼した歌劇作曲のために家まで用意するとは、なかなかの心遣いということができます。しかし、実際のところは約束事にルーズなモーツァルトに作曲期限を守らせるために、事実上の軟禁をしていた…というのが定説化しています。

序曲をはじめとして様々な名曲が網羅されている《魔笛》ですが、今回は夜の女王のアリアをとりあげてみようと思います。ただし、今回とりあげるのは有名な第2幕の『復讐の炎は地獄のように胸に燃え』ではなく、第1幕で歌われるアリア『恐れるな、若者よ』です。

女王の侍女たちから王女パミーナの絵姿を見せられてすっかり魅了された王子タミーノの前に、夜の女王が姿を現します。そして、恐れおののくタミーノに

「恐れるな、若者よ。」

と語りかけた夜の女王は、娘を拐われた母としての深い嘆きと悲しみを切々と歌い、タミーノの同情をひきます。

後半は華やかなコロラトゥーラの歌唱となり、

「娘を助け出してくれたなら、必ずや娘はそなたのものになる。」

と宣言して、再び夜の闇に消えていきます。この悲嘆に暮れる様相を見せた母親が、次の幕では娘パミーナに短剣を握らせて夫ザラストロを殺害するよう強要するのですから、実に恐ろしいことです…。

《復讐の炎は…》もそうですが、このアリアにも最後に高いF(ファ)の音が出てきます。ですから、この役を務められるのはかなり限られた名手のみということになります。

そんなわけで、今日は歌劇《魔笛》から夜の女王の第1幕のアリア『恐れるな、若者よ』をお聴きいただきたいと思います。現在76歳を迎えている名ソプラノ歌手ルチアーナ・セッラが1984年にニューヨーク・メトロポリタン歌劇場で歌ったライブ映像で、モーツァルト晩年の超絶技巧アリアをお楽しみください。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドタバタ授業参観と最後の『ぶどうワッフル』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2023年09月27日 17時40分20秒 | カフェ
今日は勤務先の小学校で授業参観がありました。子どもたちは教室に親がいることに一様に浮足立っていて、特に初めて授業参観を経験する1年生たちは明らかにヘンなテンションになっていました。

私は1年生の支援級の子たちに絵本の読み聞かせを担当したのですが、そこで落語の『寿限無』の絵本を選んでしまったのが間違いでした。ご存知の通り、この話は

「寿限無寿限無、五劫の擦り切れ、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、食う寝るところに住むところ、やぶら小路のぶら小路、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助」

という長い名前を一気に言わないと面白くないので頑張ってみたのですが、それがかえって子どもたちに『受け過ぎて』しまって大騒ぎになってしまったのです(汗)。

どうにかこうにか子どもたちの上がり過ぎてしまったテンションを抑えながら、引き続いて担任の先生の授業にとりかかりました。それでも、後ろに親御さんがいることもあってか集中力に欠けた感じになったことに変わりはありませんでした。

授業参観というと昔からそうですが、特に男子は自身の母親にいいところを見せようと思って俄然はりきります。そして、実力以上のことをやろうとして、見事にスベり倒します。

私は事前に

「変に無理すんなよ。」

と子どもたちに伝えておいたのですが、その助言も無駄に終わりました。授業終了後にはダダスベりして落ち込む子もいれば、何事もなかったかのようにアッケラカンとした子もいて、端で見ている分には面白い光景でした(オイ…)。

それでも、子どもたちを親御さんに引き渡して下校させたら一気に疲れが来ました。そんな疲れを引きずって横浜あざみ野の音楽教室に移動して、そのまま《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日は



今月限定の『ぶどうワッフル』をオーダーしました。クロワッサン生地のワッフルにフレッシュな葡萄と巨峰ソースがあしらわれていて、口の中に爽やかな葡萄の香りが満ち溢れます。

今日はエチオピアの水出しコーヒーとともに、美味しく堪能しました。明日と明後日は遅い夏休みの有給休暇を取ることにしているので、少しゆっくりしようと思っています。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

意外と知らない小田原提灯のこと

2023年09月26日 17時45分10秒 | 日記
今日は勤務先の小学校の放課後子ども教室がありました。終わる前に今日も《おさるのかごや》を歌ったのですが、その前に歌詞に出てくる小田原提灯について話をしました。

小田原提灯といえば



JR小田原駅の改札口に巨大なものが提げられているくらい、小田原を代表する工芸品のひとつです。しかし、いざその特徴や歴史についてとなると、小田原っ子たちも今ひとつ認識があやしげです。

現在の小田原提灯の形が作られたのは江戸時代中期ごろのことで、甚左衛門という人物が考案したとされています。小田原提灯は普通の提灯と違い、中骨がリング状に独立しているため畳み込むことができ、使用しないときは懐にしまうなどして容易に持ち運ぶことができます。

そのため、携帯の利便性の高さから旅行者や駕籠かきといった人々に重宝がられて普及しました。また、胴に霊験あらたかな大雄山最乗寺境内の杉の木を使用しているので、この提灯を提げて夜道を歩けば狐狸妖怪に化かされないという宣伝文句も効果的だったようです。

そんな小田原提灯を提げた駕籠かきの、様を描いた《おさるのかごや》は



こんな感じのイメージで、今ではJR小田原駅の発車メロディにも採用されています。そんな話をしながら、最後に元気いっぱいに歌って終わりました。

かつては小田原市内のあちこちで製造されていた小田原提灯ですが、現在でも製造しているところはたった一軒になってしまいました。そのため、小田原市内の小学校では高学年の総合の授業で小田原提灯作りのワークショップが開かれ、ボランティアの方々にお手伝いいただきながら製作し、小田原提灯に興味を持ってもらうという取り組みもされています。

小田原御殿風鈴もそうですが、地場産業を次世代につなぐということは並大抵のことではありません。先週と今日の話から、子どもたちが地元小田原の名物に少しでも関心をもってくれたらいいな…と思っています。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日はショスタコーヴィチの誕生日〜《24の前奏曲とフーガ 作品87》より第7番イ長調

2023年09月25日 17時10分10秒 | 音楽
朝のうちは爽やかな涼風が吹いていましたが、日中になるにつれて陽光が暑くなってきました。折角彼岸に入って涼しくなったと喜んでいたのに、なかなかいい感じにはなってくれないようです。

ところで、今日9月25日はショスタコーヴィチの誕生日です。



ドミートリイ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチ(1906〜1975)はソビエト連邦時代の作曲家で、交響曲や弦楽四重奏曲が有名です。

ショスタコーヴィチの生涯については何度か書いているので、今回は割愛します(めんどくさいだけぢゃねぇのか…?)。それで、今回ご紹介するのは《24の前奏曲とフーガ 作品87》というピアノ曲です。

《24の前奏曲とフーガ 作品87》は、ショスタコーヴィチが44歳の時に作曲した24の前奏曲とフーガからなるピアノ曲集です。発表当初は酷評されたこともありましたが、現在では20世紀ソ連のピアノ音楽を代表する作品として名高いものとなっています。

ショスタコーヴィチは1950年7月に、バッハの没後200年を記念してライプツィヒで開催された『第1回国際バッハ・コンクール』の審査員に選ばれ、ソ連代表団長として参加しました。この記念祭にバッハの作品を多く聴いたことと、バッハ・コンクールに優勝したソ連のピアニスト、タチアナ・ニコラーエワ(1924〜1993)の演奏に深く感銘を受けたことが、ショスタコーヴィチがこの作品を作曲するきっかけとなりました。

ショスタコーヴィチは早速、1950年10月10日から作曲に着手し、次々に前奏曲とフーガを作曲しました。当初は自身のピアノ演奏の技術を完成させるための多声的な練習曲として着想していたようですが、記念祭を通して受けた印象をもとに構想が次第に大きくなり、途中からバッハの《平均律クラヴィーア曲集》にならって全ての調性を網羅する大規模な連作として作曲することに決定し、翌1951年2月25日に全曲が完成しました。

後に差し替えられた第16番の前奏曲を除いて番号通りの順番で作曲され、1曲完成するたびに、ニコラーエワがショスタコーヴィチのために弾いたといいます。抜粋による初演は1951年4月5日にショスタコーヴィチ自身の演奏によって、全曲初演はニコラーエワによって1952年12月23日と12月28日の2日間で行われました。

発表された当初、初演の直後に行なわれた同年5月16日の合評会では、1948年からソ連国内での芸術活動に対して吹き荒れた『ジダーノフ批判』も相俟って、党から「理想主義的傾向」や「形式主義的傾向」にあたるとして厳しい批判を受けましたが、ニコラーエワをはじめとしたソ連のピアニストたちからは絶大な支持を受けました。彼らがこの曲集を積極的に演奏してその普及に貢献したことによって、やがてロシアのピアニストたちの重要なレパートリーとして定着し、ショスタコーヴィチ自身も愛奏してこの曲集から抜粋を何度も録音しています。

さて、この曲集を全曲載せるととんでもない時間になってしまうので、今回はその中から個人的に好きな第7番イ長調をご紹介しようと思います。

前奏曲はアレグロ・ポコ・モデラートで、この曲集のモデルとなったバッハのような雰囲気を有しているように思える作品です。



長く引き伸ばされたトニック・バス上で演奏されるジークのような旋律は、跳躍が多いながらも優雅で繊細です。バロック的に始まった楽曲は進んでいくにつれて次第に半音的な進行が目立つようになり、♯3つの調からはかけ離れたフラット系の調に達したかと思えば、唐突に主調のイ長調へと回帰して終結してフーガへ続きます。

3声のフーガはアレグレットで抑制された優美さと純朴さをもっていて、主題は



高さこそ違え全ての音がイ長調の主和音であるラ・ド♯・ミの音だけで構成されている点は非常に珍しく、興味深いものとなっています。この3つの音でテーマが構成されることによって楽曲全体の和声リズムが引き伸ばされ、その結果曲全体の和声的な安定性が高められるという効果を発揮しています。

そんなわけで、ショスタコーヴィチの誕生日である今日は《24の前奏曲とフーガ 作品87》から第7番イ長調をお聴きいただきたいと思います。バッハっぽいな…と思っていたら思わぬ転調がきて『およっ!?』と思わされる前奏曲と、イ長調のドミソにあたる音だけでテーマが構成された斬新で愛らしいフーガとの組み合わせの妙味をお楽しみください。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もう、やめませんか…?

2023年09月24日 12時34分56秒 | 日記
今日は涼しい秋晴れに恵まれました。やはり、秋の彼岸の空気感はこうでなければいけません。

ただ、この時期になると登場してくるのが、いつの頃からか定着してしまった『欧米乱痴気カボチャ祭り』です。ちょっと買い物にでも出ようものなら



雑貨屋だろうと百均だろうとコンビニだろうと、そこいら中が黒と紫とオレンジ色という下品な色の取り合わせに染まっていきます。

毎年この時期に同じようなことを言っていますが、私はこの欧米乱痴気カボチャ祭りが大嫌いです。そもそも一部のケルト族の先祖霊迎え神事だったものに、アメリカの製菓ビジネス界がいろいろ理由をくっつけて妙な子どものイベントに仕立て上げたものを形だけ日本にもってきたものですから、文化的背景もヘッタクレもないものなわけです。

今年もまた、来月末あたりに珍妙な格好をした親子が街を闊歩するのでしょうが、本当に止めてもらいたいと思うばかりです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨中で頂く『御来光守』@相模國一之宮・寒川神社

2023年09月23日 15時15分15秒 | 神社仏閣
今日は秋分の日です。ということで、今日は寒川町に坐す相模國一之宮寒川神社へ参詣することにしました。

朝から冷たい雨が降る中を、JR相模線宮山駅から歩いて



寒川神社の神門にやって来ました。今日は生憎の雨ということもあって、いつもの秋分の日よりも参拝者は少なめでしたが、それでも



拝殿前には手を合わせる人たちが集っていました。

今日の寒川神社参拝者のお目当ては



『御来光守』です。秋分の日と春分の日の年二回、真東から昇った太陽が千葉県の玉前神社〜寒川神社〜富士山頂〜元伊勢内宮皇大神社〜出雲大社という『御来光道』を辿るのを記念して頒布される、特別な御守です。

晴れた日にお頒けいただけたら良かったのですが、雨の秋分の日もまた良しということで無事に頂戴することができました。数量限定で午前中に無くなってしまうこともあるのですが、今日はお天気のこともあってその心配はありませんでした。

帰りには



末社宮山神社にも参詣しました。そして、つい二〜三日前には真夏日だったとは思えないような涼しい空気の中を、宮山駅へ向かいました。

今年も『御来光守』をいただけて安心しました。これから先、この御守にお願い事をするようなこともあるかも知れませんが、その話はまたその時に。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何だかなぁ…

2023年09月22日 18時11分11秒 | 日記
昨日あれだけ雨が降ったのと、今日は朝から曇りがちだったのとで、気温としてはだいぶ涼しく感じられるようになりました。これで湿度が下がってくれれば申し分ないのですが、秋雨前線が南下していってくれるまではそうもいかないようです。

ところで、今日小学校の子どもから

「先生、じゃがりこの細いやつ食べたことある?」

と聞いてきました。はじめは何のことだか分からなかったのですが、どうやらじゃがりこの新商品のことのようでした。

当然ながらまだ食べたことがなかったので、帰りにセブンイレブンに寄って



買ってみました。子どもの言っていた『じゃがりこの細いやつ』というのは、なんと商品名でした(汗)。

蓋を開けてみると



なるほど、何とも細くなったじゃがりこが登場しました。かつてポッキーが細くなった時もそうでしたが、何だか残念な感じが先に立ってしまうものでした。

窓の外の雨音が、一段と激しさを増してきました。この雨が過ぎ去ったら、また秋が深まってくるのでしょうか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かなりの雷雨でしたが…

2023年09月21日 16時58分20秒 | 日記
今日は、勤務先とは別の小学校の放課後子ども教室でした。我が家を出発した時には何でもなかったのですが、小田原駅に着く前から車窓に激しく雨が打ちつけるようになってきました。

一応折り畳み傘は常備しているので濡れる心配はありませんでしたが、それでもなかなかの降りっぷりに不安が募りました。ところが、いざ外に出てみると折り畳み傘でも十分に耐えられるくらいの雨になっていたのです。

そのまま歩いて向かっても良かったのですが、念には念を入れて近くまではバスで移動することにしました。すると、バスに乗り込んだ途端に滝のような雨が降ってきたのです。

車窓の外には、突然の豪雨の中を逃げ惑う人たちが行き交っていました。私もいずれこの豪雨の中に身を投じなければならないのか…と覚悟を決めて学校に向かいました。

が、いざ到着してみるとまたしても小雨プラスαくらいの雨になっていたので、あまり労することなく学校に到着できました。ただ、早目に到着した私が教室の準備をしている最中に雷鳴が轟き始め、またしても豪雨が降ってきました。

帰り道こそ覚悟して行かねば…と思いながら放課後子ども教室を終えて片付けを済ませて外に出ました。しかし、今度も雨はピタリと止んで、小田原駅に到着するまで一度も折り畳み傘を開くことはありませんでした。

ゲリラ豪雨ってこんな感じだよな…と思いながら駅へ向かうと



コンコースに上がっていくエスカレーターが上りも下りも止まってしまっていました。どうやら、私が学校にいた間に停電があったようです。

これはもしや…と思ってコンコースまで上がると



JRの改札口から慌ただしいアナウンスが聞こえてきました。電光掲示板を見るとやはり沿線で落雷による停電が発生していたようで、



運転見合わせの後に再開した東海道本線の遅れと振替輸送についてのお知らせが、盛んに流されていました。

小田急線は特に運転見合わせや遅延は発生していなかったので、私はスムーズに厚木まで帰ってくることができました。それにしても、よくもまぁこれだけ雨に当たらずに一日過ごせたものだな…と、我ながら感心してしまったのでした(笑)。

雨が降ってから、かなり気温が下がってきました。このまま天気予報通りに、今日以降の最高気温が下がってきてくれるでしょうか…。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドタバタ小学校勤務とボリューミーコーヒーフロート@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2023年09月20日 17時50分20秒 | カフェ
今日の小田原の小学校勤務は大変でした。

午前中は一年生たちの虫採りの時間に付き合うことになったのですが、当然ながら虫の得意な子と不得意な子がいるので、誰かが虫を捕まえる度にあちこちから悲鳴が響き渡りました。それに、暑さのせいかそもそも思うように虫が見つからず、頭のはるか上を飛んでいるトンボやアゲハを捕まえようと空を見上げながら駆けずり回って正面衝突する子たちもいたりしてシッチャカメッチャカでした。

午後からは、高学年の子たちの図工の授業に付き合うことになりました。糸ノコを使って板を切り抜く作業だったのですが、これまた機械操作の得意な子と不得意な子がいて、上手く機械に糸ノコをセットできなかったり真っ直ぐ切れなかったりして、あちこちから

「先生〜!」
「先生〜!」

と呼ばれ続けて、担当の先生と私とで工作室の中を駆けずり回っていました。

そんなこんなで、子どもたちを下校させた後はグッタリしてしまったのですが、今日は音楽教室がある日なのでそんなことも言っていられません。とりあえず自身の身支度を整えて退勤してから、そのまま横浜あざみ野の音楽教室に向かい、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日はとにかく疲れたので



コーヒーフロートをオーダーすることにしました。こちらのコーヒーフロートは御覧の通りアイスクリームが盛り盛りなので、かなりの満足感が得られます。

ゲンナリしてしまっていた心身に、冷たいコーヒーが沁み渡りました。これで、もう一踏ん張りできそうです。

今日が彼岸の入りでしたが、今夜雨が降ってからはだいぶ気温が下がる予報が出ています。正に『暑さ寒さも彼岸まで』になるのかどうか、具に様子をみてみようと思います。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小田原一望の展望デッキ@ミナカ小田原

2023年09月19日 18時38分18秒 | 日記
今日から、また新たな週が始まりました。そして今日は放課後子ども教室のある日だったのですが、うっかり忘れそうになっていました(汗)。

どうも週の出鼻を変な休日でくじかれると調子が狂いますが、それは子どもたちも同じだったようで、ほぼ全員いつも火曜日に会うよりもかなりテンションが低めでした。それでも、どうにかこうにか全ての授業と放課後子ども教室を終えて子どもたちを送り出してから、ちょっと寄り道して《ミナカ小田原》に行ってみることにしました。



ここは先日の《小田原えっさホイおどり》の会場にもなったところですが、今回はここからエレベーターで一気に14階まで上がった展望デッキに行くことにしました。

最上階の展望デッキからは



こんな感じの眺望が見られます。遠くに見えるのは伊豆半島で、手前には



小田原城天守閣や



えっさホイおどりの会場のひとつでもあった小田原三の丸ホールも臨むことができます。

ここには



箱根の温泉の湯が張られた足湯もありますが、場所が空いていなかったので今回はパスしました。入れば疲れも取れると思うのですが、もう少し涼しくなってから改めて来てみようと思います。

今日もなかなか疲れました…。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日はバッハのカンタータ第51番《全地よ、神に向かいて歓呼せよ》の初演の日

2023年09月18日 13時33分31秒 | 音楽
昨日までの《小田原えっさホイおどり》のボランティア活動の疲れを受けて、今日は全く使い物にならない状態でした。普段は思わないのですが、今日が敬老の日のハッピーマンデーで本当によかったと思います…。

さて、そんなグダグダした状況でも何とかブログを更新しようと思ったのですが、9月18日で調べてもこれといったトピックはありませんでした。なので今日は変則的ですが、昨日あったことを遡ってご紹介しようと思います。

昨日9月17日は、バッハのカンタータ《全地よ、神に向かいて歓呼せよ》が初演された日でした。カンタータ第51番《全地よ、神に向かいて歓呼せよ (Jauchzet Gott in allen Landen)》 は、



ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685〜1750)が作曲した全5曲から構成される教会カンタータです。

カンタータ《全地よ、神に向かいて歓呼せよ》BWV51は1730年にライプツィヒで作曲された作品で、同年の9月17日に、ライプツィヒで初演されました。自筆の楽譜には

「三位一体節後第15日曜日、及びあらゆる全ての機会に」

と記されていることから、特定の日曜日だけでなく他の目的でも演奏されたと考えられています。

作曲当時、女性歌手は教会で歌うことを禁じられていたため、このカンタータも男声の高音歌手(ソプラニスタ)のために書かれたものとされているのですが、ソプラノの歌唱が高い音域(2点ハ音まで)が技巧的に要求されるので、現在のソプラノ歌手にとっても難曲とされています。またトランペットも華やかに活躍しますが、このパートは当時ライプツィヒで有名だった楽士ゴットフリート・ライヒェ(1667〜1734)が初演時に担当したものと考えられています。

バッハの曲には協奏曲の形式をカンタータに応用した曲がありますが、この作品はその代表的なもので、特に第1曲はソプラノ・トランペット・ヴァイオリンのための三重協奏曲のような趣きすらあります。そのような華やかさと、中間楽章の叙情性とが見事な陰影を作るこの曲は、バッハのカンタータの中でも特に個性的なものです。

この曲は何といってもソプラノの歌唱が聞き所ですが、高い音域と高い技術が要求され、しかも約20分歌いっぱなしということで、ソプラノにとっては大変な曲です。ソプラノ独唱用カンタータとしては《わが心は血の海に漂う》BWV199や《しりぞけ、もの悲しき影(結婚カンタータ)》BWV202等と並んで、バッハのソロ・カンタータの人気の高い作品となっています。

また、バロックトランペットによるソロも聴きものです。音の細かいパッセージをソプラノと丁々発止にわたり合う様は、初演を務めたライヒェが如何に名手であったかを物語っています。

そんなわけで今日は、正確には昨日9月17日に初演されたバッハのカンタータ《全地よ、神に向かいて歓呼せよ》をお聴きいただきたいと思います。マリア・ケオハネのソプラノ、セバスティアン・フィルポットのトランペットソロによる、ヨーロピアン・ユニオン・バロック・オーケストラの演奏でお楽しみください。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《小田原えっさホイおどり》ボランティア二日目

2023年09月17日 18時55分50秒 | 日記
今日は《小田原えっさホイおどり》ボランティア二日目です。今日は室内演舞がないので、もれなく全員外での演舞となりました。

昨日と同じく朝早くに集合場所に着くと



黄色いスタッフベストを受け取ります。ボランティア全員で着用するのですが、黄色が壊滅的に似合わない私は撃沈状態でした…。

今日は、お堀端通りを演者たちが踊りながら練り歩く『流し』という会場の担当となりました。通りを使うので当然ながら交通規制をする必要があるため、



パーティーションやカラーコーンといったものを現地に運ぶ必要がありました。

軽トラックにそれらを積み込んでボランティアは徒歩で移動し、流しの会場まで移動しました。それらを下ろして会場設営してから警備担当箇所が振り分けられました。

私が担当したのは



流し会場の交通規制の最前線でした。ここで車道のど真ん中に仁王立ちして、曲がってこようとする車を阻止するのですが、どれだけこちらが❌を掲げていても全く見ておらずに私ギリギリまで車で迫ってくる年寄りドライバーや、規制していることが気に入らずに怒鳴り散らしてくるドライバーや、浮かれ気分で信号無視する歩行者たちと対峙するという、なかなかハードな現場です。

しかも御覧いただければ分かるように、道路のど真ん中ですから日陰が一切ありません。ここで強烈な日差しや道行く注意力散漫な歩行者やドライバーと対峙するのですから、並大抵のことではありません。

普通の若者なら、こんなところストレスで倒れてしまうかも知れません。そういった意味では、私くらい厚かましい人間の方がこの場に適していると判断されたのかも知れません(自慢にならん…)。

3時間ほど耐えた後に昼休憩になり、少しだけホッとすることができました。そして休憩後に担当したのは



車どころか人通りすらほぼ無い、やぶら小路のぶら小路の警備でした。

ここは流し会場からは程遠いところにあり、



遥か彼方にキラキラした演者たちが辛うじて垣間見えるような場所でした。昨日は間近に聴こえた音楽すら今日は全く聴こえて来ず、ふと気を抜くと

『私、何でこんなところに突っ立ってるんだろう…?』

という疑問が頭をもたげてくるくらいでした…。

でも、イベントボランティアとはそういうものです。純粋に観たければ客になればいいだけの話です。

今日一日、酷暑の中で立ち続けた自分を、少しだけ褒めてあげようと思います。帰ったら、とりあえずシャワーを浴びて爆睡することにします…。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《小田原えっさホイおどり》ボランティア一日目

2023年09月16日 19時38分28秒 | 日記
今日は朝早くから小田原にきました。今日は、先日ボランティア説明会のあった《小田原えっさホイ踊り》の本番一日目です。

小田原駅で集合して、メイン会場である小田原三の丸ホールに到着すると



ホール前広場で準備が進められている最中でした。会場の周辺では出場するチームのメンバーが


よさこいのように踊り手の後ろで掲げられる巨大な旗を準備したり、



衣装やメイクのチェックをしたり、



チームの振り付けの確認をしたりと、忙しく立ち回っていました。

私はホール内を担当することになりました。会場に入ると



舞台上のスクリーンに《小田原えっさホイ踊り》のロゴが映し出されていました。

その舞台上から客席を見ると



こんな感じに見えます。今まで小田原三の丸ホールの客席に座ることはあっても舞台にのることはありませんでしたから、私にとっては貴重な景色です。

舞台裏には





今までこのホールでパフォーマンスをした芸術家たちの寄せ書きがありました。これは上野の東京文化会館の舞台裏にもありますが、こうして見ると様々な公演が催されたことが分かります。

さて、そんな中で私が担当することになったのは



外から入ってくる演者をステージ方面へ誘導する係です。ここは文字通りステージの真裏なので、音だけはガンガンに聞こえてくるものの、何をやっているのかが全く分かりません。

まぁ、ボランティアたるものは客ではないわけですから、そんなものだと覚悟して仕事に臨みました。私がステージを見られたのは



表彰式の後の『総踊り』を、横から見ただけでした。

《小田原えっさホイ踊り》は明日も開催されます。明日は今日より更に天気が良さそうなので、間違いなく暑さとの戦いになると思います…。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする