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共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

バッハ自身による2つの組曲〜《組曲ト短調 BWV995》と《無伴奏チェロ組曲第5番 ハ短調 BWV1011》

2025年08月14日 15時55分51秒 | 音楽
今日も今日とて外出を禁じられた身として、自宅でひたすら外部との接触を絶っていました。その中で今日もいろいろと音楽鑑賞していたのですが、昨日に引き続きバッハの



リュート作品を中心に聴いていました。手術を前にして落ちこんでいる氣持ちに、バロックリュートの低音が心地よく響きます。

バッハのリュート作品のなかで、個人的に好きなのが《組曲ト短調 BWV995》です。

バッハの《組曲第3番BWV995》は、《無伴奏チェロ組曲第5番BWV1011》からの編曲です。チェロ組曲がハ短調で書かれているのに対して、リュート組曲はト短調で書かれています。

この曲は、プレリュード、アルマンド、クーラント、サラバンド、ガヴォットI&II、ジーグの7つの楽章で構成されています。

1:プレリュード

フランス序曲の形式で、重々しい付点リズムが特徴の前半部と、速い3拍子のフーガである後半部とで構成されています。

2:アルマンド

元来はドイツ発祥のアンマンドですが、この曲ではフランス風のややゆったりとしたテンポで演奏されます。

3:クーラント

クーラントはフランス発祥の快活な三拍子の舞曲ですが、この曲のクーラントは3/2拍子で、一般的なクーラントよりややゆっくりとしたテンポで演奏されます。

4:サラバンド

サラバンドはシャコンヌ同様にスペイン発祥のゆっくりとしたテンポの舞曲で、この曲では8分音符の下降音型が荘重な雰囲気で演奏されます。

5:ガヴォットI&II

ガヴォットはフランスの舞曲で、重音を駆使したガヴォットIと、三連符が駆け回るガヴォットIIの2つの部分から構成されています。

6:ジーグ

ジーグはイギリス発祥の舞曲ですが、この曲では付点リズムと模倣が特徴的なフランス風ジーグとなっています。

リュート版の特徴としては、原曲のチェロ版よりもより装飾的なパッセージや和声が追加されています。また、ト短調に下げられたことで全体的に哀愁を帯びた曲調になり、より典雅な響きが加わっています。

そんなわけで、今日はバッハの《組曲ト短調 BWV995》をお聴きいただきたいと思います。ポーランドのリューティスト、クラウディナ・ゾリアネックの演奏でお楽しみください。



続いて、原曲である《無伴奏チェロ組曲第5番ハ短調BWV1011》をお聴きいただきたいと思います。この曲では通常のチェロの調弦と違って



1番弦をラではなく1音下げたソに調弦する『スコルダトゥーラ』が指定されています。これによって



通常チューニングと違った、より豊かな重音を奏でることができるようになっています。

それでは、今度は《無伴奏チェロ組曲第5番ハ短調BWV1011》をお聴きいただきたいと思います。鈴木秀美氏のバロックチェロ独奏で、重々しい響きの中にもフランス趣味が香るチェロ作品の金字塔的名曲をご堪能ください。


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名曲《シャコンヌ》をバロックリュートで

2025年08月13日 16時00分00秒 | 音楽
昨日、東海大学付属病院から帰ってきてから、

「感染症予防のために外出するな」

という医者の忠告をまともに聞いて自宅から一歩も出ずに過ごしています。まるでコロナ全盛期の外出自粛時さながらですが、こればかりは仕方ありません。

とは言え、左手小指以外はすこぶる元気なので、ヒマでヒマで仕方ないのです。そんな中ですることと言えば、寝るか食べるか音楽を聴くかくらいしかありません。ということで、今日は心を落ち着かせるために



バッハを中心に音楽鑑賞をしていました。

今日はバッハのリュート作品をいろいろと聴いていたのですが、その中から今回は《シャコンヌ ニ短調》をご紹介しようと思います。

バッハの《シャコンヌ》といえば、何をおいても《無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 ニ短調 BWV1004》の最終楽章ですが、この名曲は単独でピアノや弦楽合奏など様々なアレンジがなされています。そしてバロックリュートのためのアレンジもあり、様々な奏者が演奏しているのです。

ヴァイオリンでの演奏では、音域の制限から低音の響きが軽くなりがちですが、バロックリュートでの演奏では低音弦の響きをプラスすることでシャコンヌ本来のバス声部を自然に堪能することができます。何しろバッハ自身も《無伴奏チェロ組曲第5番 ハ短調 BWV1011》を《リュート組曲 ト短調 BWV995》として編曲していますから、不自然なことではありません。

そんなわけで、今日はバッハの《シャコンヌ ニ短調》をバロックリュートの演奏でお聴きいただきたいと思います。ミゲル・リンコンの演奏で、ヴァイオリンとはまた違った魅力のシャコンヌをご堪能ください。




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診断結果は…

2025年08月12日 17時00分00秒 | 日記
いよいよ今日は



東海大学付属病院で、左手小指骨折の診断を仰ぐ日となりました。

朝8時に外来受付が始まるということで、その少し前に病院に到着しました。ところが、総合受付に向かうと尋常ではない数の人がベンチを占拠していて、驚いてしまいました。

呆気にとられながらも受付に紹介状を提出し、呼ばれるのを待ちました。そこから1時間を過ぎたあたりでようやく番号が呼ばれ、渡された書類を持って整形外科に向かいました。

そこで必要書類を提出して更に待つこと数十分、ようやく私の番がまわってきました。普段から小田急線の車内で見ていた大病院ですが、改めてその規模の大きさを体感させられることとなりました。

診察室に入って問診を受けた後、改めてレントゲン撮影をすることとなりました。始めにかかった整形外科と次の日にかかった厚木市立病院のレントゲンの入ったCD-Rも持参していたのですが、より鮮明な画像で解析しようということになったのです。

撮影を終えて整形外科病棟へ戻り、再び診察室に呼ばれるのを待ちました。そして、診察室に呼ばれて医師から告げられたのは

「やはり手術をしましょう。」

というものでした。

『やっぱりか…』

と思う間もなく医師からはいろいろな話が出ましたが、どうやら不必要に固着するのを防ぐべく骨折した箇所にピンを何本か刺して固定し、指を関節から動かしやすくするという手術になるようです。そして、手術するにあたって採血と採尿が必要ということで、またしても移動することになりました。

先日健康診断を終えたので

『もう採血などされることもないだろう』

と思っていたのですが、またしても天敵と対峙することとなりました。しかし、そこは天下の大病院、難なく私の腕の血管を探り当ててサクサクと採血を済ませていました。

入院するにあたっての諸注意を受けたのですが、感染症のリスクを避けるために

他人との接触❌️
不要不急の外出❌️
外食❌️

と、この一週間は徹底して外出しないよう求められました。まぁ、この一週間は音楽教室もお盆休みでないので、そもそも外出する用事も無かったのが幸いしました。

全てが終わって病院の外に出たら、既に14時をまわっていました。たっぷり6時間もの間病院にいたことになりますが、それを考えただけでも凹みます。

今日は診察の支払いだけで済みましたが、手術の後はすぐに支払いにはならず、後日請求書が送られてくることになりました。大金を持ち歩かなくていいようにという病院の配慮のようですが、はたしていくら請求されるのか、今から不安が収まりません…。

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生前と死後

2025年08月11日 13時33分31秒 | 日記
左手小指を骨折してから、はや6日目を迎えました。腫れ上がっでメンダコのようになっていた左手は



関節全てに内出血の色が滲んできて、全体にグレーがかった色になっています。

右手の色は



赤みを帯びた見慣れた色をしているのですが、それとくらべると尋常な色ではありません。これではまるで、



生前と



死後です。

明日、東海大学付属病院を受診します。そこで何を言われるかは分かりませんが、もし手術・入院などということになったら、一体いくらかかるのでしょうか…。


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有り難き言霊

2025年08月10日 15時25分35秒 | 日記
今日の午前中は、昨日から更にむくんで膨れ上がった私の左手を見ながら鬱々と過ごしていました。こんな時には何も考えられず、ただ外の雨を眺めるばかりです。

そんな中、メールやLINE、InstagramやFacebook、Messengerなどで多くのコメントを頂戴しています。この場を借りて、厚く御礼申し上げます。

もしかしたら廃業しなければならないかも知れない私に対して、様々な励ましや慰めの言葉が届いています。その中で特に心に響いているのが

『お大事に』

という言葉です。

何気ない言葉ですが、なんと優しい言葉なのでしょう。この言霊に、大いなる励ましや労いを感じています。

明日も元気が悪いようなので、患部を刺激しないように引き続き自宅で大人しくしていようと思います。

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朝から現実逃避…

2025年08月09日 16時26分36秒 | 日記
昨日市立病院を出てから、患部に冷えピタを巻いたり氷嚢を当てたりして、自分なりにできそうな対処をしまくっていました。何しろ12日に東海大学付属病院を受診するまでは、どうにかしなければならないのです。

それで、今朝目覚めて自分の左手を見たら



1.5倍くらいに腫れ上がっていたのですが、起き抜けにこれを見て思ったのは

『なんか…



メンダコみたい…。』

ということでした。寝ぼけていたこともあるでしょうが、そういうバカバカしいことでも思っていないとやっていられなかったのもあります。

目を閉じると、いろいろな感情が渦巻きます。

何故あんな場所でセミが飛んできた…?
何故左から倒れた…?
何故左手を上げなかった…?

どれを思っても今更どうしようもないことばかりですが、この堂々巡りが止まらないのです。

今は

『終わった…』

という感情と

『何とかしなければ…』

という感情に苛まれています。少なくとも今以上に悪化させることのないよう、思いつく限りの対処だけはしていきますが…。

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深刻化した事態

2025年08月08日 12時34分56秒 | 日記
昨日の個人的惨劇から一夜明けて、今日は



厚木市立病院までやって来ました。

昨日、整形外科からもらった紹介状とレントゲン写真のCD-Rを受付に提出し、心を決めて呼ばれるのを待ちました。そして、30〜40分ほど待たされたところで、診察室に呼ばれました。

昨日のレントゲン写真を見ながら、

「より細かく診るために、CTスキャンを撮ってみましょう。」

と医師に言われて、CTスキャンと改めてX線検査とをすることになりました。折れた箇所が小指の第2関節付近なのと、関節間の軟骨の状態もよく観察するためとのことでした。

ということで、



CTスキャンで骨の立体画像を撮影することになりました。巨大な機械の寝台にバンザイ状態でうつ伏せで寝かされ

「手を動かさないでくださ〜い。」

と言われると同時に巨大なドーナツの中に私…の手だけが吸い込まれるとその後何度か往復して、程なく撮影が終わりました。

そこからレントゲン写真も撮られ、しばらく待たされた後に再び診察室に呼ばれました。ビックリするくらい高精細な骨の立体画像を見ながら説明を受けたのですが、

「こちらの病院には手指の専門医師がいないので、その道の専門家のいる東海大学付属病院で診てもらった方がいいと思います。」

ということで、またまた紹介状を書いてもらって転院することになりました。

何だか、ことがどんどん深刻化…いや、大ごとになってきました。とりあえず連休明けに、伊勢原市の東海大学付属病院まで行ってきます…。

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もう、おしまいDeath…

2025年08月07日 15時55分51秒 | 日記
終わった…終わりました。もう、どうしようもない…かも知れません。

今日、用事があって外を歩いていたのですが、あまりの暑さに頭がボ〜・・・ッとなっていました。すると、私の目の前を未確認飛行物体がものすごいスピードで横切っていったのです。

突然のことに驚いてしまった私は、あろうことか歩いていた階段を踏み外して、受け身も取れずに盛大に転んでしまいました。その時、主に左半身をしたたか打ちつけてしまったのですが、地面に打ちつけられたメガネが変な方向に曲がり、コメカミあたりから流血し、靴や財布がとんでもない方角へ吹っ飛んでいました。

人間というのはおかしなもので、何が何だか分からない状況でも、とりあえず未確認飛行物体が何だったのか把握しようという行動をとっていました。そして恐らくですが、その正体は



セミだったようです。

その場にいた何人かの人がその場に散らばった私の靴や財布を拾って

「大丈夫ですか?」

と声をかけてくれたのですが、私はとりあえずメガネを何とかしなければと思って拾い集めてくださった物を受け取り

「ありがとうございます。」

と御礼を言って立ち上がりました。そしてメガネ屋に行って修理をしてもらっている間、何だかやたらと左手の小指が痛むことに気づいたのです。

『まさか…?』

とは思いつつ、とりあえず直ったメガネをかけてからドラッグストアで冷えピタを買って小指に巻き付け、その場でレントゲンの撮れる整形外科を検索して向かいました。しばらくした後に診察室に通されて事情を説明すると、程なくレントゲン室に通されて何枚か写真を撮られました。

それからしばらくして再度診察室に呼ばれた私に医師が言ったのは

「折れてますね。」

という乾いた言葉でした。

もう・・・・・頭が真っ白になるというのはこのことでした。仮にもヴィオラやヴァイオリンを演奏する者にとって、よりにもよって左手の指を骨折するなどということは、死刑宣告のようなものです。

『終わった…。』

と呆然としている私をよそに、医師は


私の小指に添え木を当てました。そして、

「楽器を演奏されるのであればよりしっかりした診断をしてもらった方がいいと思いますので、市立病院に紹介状を書きます。それを持って、明日にでも市立病院に行ってください。」

と言って、紹介状とレントゲン写真を入れたCDを渡してくれました。

その気遣いに、思わず涙が出そうになりましたが、そんなことも言っていられません。とにかく明日の朝一番で、厚木市立病院に行ってきます。

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あってはならない平和式典と『桃のワッフル』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2025年08月06日 21時00分00秒 | スピリチュアル
今日は広島平和記念式典の日でした。80年前の今日午前8時15分、広島市上空で炸裂したウラン型原子爆弾『リトルボーイ』は、一瞬にして10万余もの非戦闘民を焼き殺したのです。

今日もその時間に『平和の鐘』が打ち鳴らされ、1分間の黙祷が捧げられましたが、その後で『時の首相が居眠りをしでかす』という衝撃的な画像が飛び込んできました。本会議中でも平気で眠りこけている姿が映像にとらえられていますこま。こんな輩が一国の総理大臣であって本当にいいものなのでしょうか。

そんな憤懣やる方ない思いをさせられた中で、横浜あざみ野の音楽教室に向かいました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日は何をおいても



今月限定メニューの『桃のワッフル』をオーダーすることにしました。今やすっかりこちらの店の夏の定番メニューとなりましたが、今年も登場してくれました。

お店の看板メニューであるクロワッサン生地のワッフルに、白桃のコンポートとソース、ソルベが添えられています。正に白桃尽くしの、この時期に相応しい一皿です。

天気予報では明日以降少しずつ猛暑が収まっていくとのことでしたが、今のところそんな気配は微塵も感じられません。いい加減収まってくれないとおかしくなりそうですが、さてどうなりますでしょうか。

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今日はモーツァルト《ケーゲルシュタット・トリオ》が完成した日〜クラリネット、ヴィオラ、ピアノによる渋いアンサンブル

2025年08月05日 15時55分00秒 | 音楽
今日も日中は猛暑日となり、厳しい暑さに見舞われました。天気予報で『危険な暑さ』と連呼していますが、たしかにこれは危険性を感じます…。

ところで、今日8月5日はモーツァルトの《クラリネット、ヴィオラ、ピアノのためのトリオ》が作曲された日です。

《クラリネット、ヴィオラ、ピアノのためのトリオ K.498》は



ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲した室内楽作品で、俗に《ケーゲルシュタット・トリオ》の愛称で親しまれています。愛称の由来は、モーツァルトが



ボウリングの原型とされる「ケーゲルン(Kegeln)」(日本語では九柱戯とも訳される)に興じながら作曲した…という言い伝えによるものです。

因みにボウリングというスポーツの起源は古く、紀元前5000年頃の古代エジプトの遺跡で、木でできたボールとピンが発見されているそうです。元々は倒すピンを災いや悪霊に見立て、それをたくさん倒せば災いから逃れることができる…という宗教儀式だったようです。

他にもボウリングのようなゲームは世界中のあちこちで発見されていますが、ヨーロッパでは中世ドイツで宗教革命家マルティン・ルター(1483〜1546)が



9本のピンをひし形に並べて倒し、ルールも定めたことから、『ナインピンズ・ボウリング=九柱戯』として広まっていきました。17世紀になるとアメリカにまで渡っていきましたが、賭け事と結びついて人気になりすぎたため、1840年代には禁止されてしまいました。

そこでナインピンを禁じる法律を回避するために、



一本ピンを追加して、三角形に並べた10本のピン=テンピン・ボウリングが発明されます。これが今の形のボウリングの始まりだそうで、1950年代に全自動ピンスポッター(ピンを自動で並べる機械)が発明されてからは、世界中に急速に普及していきました。

話をモーツァルトに戻すと、《ケーゲルシュタット・トリオ》は1786年8月5日にウィーンで作曲されました。クラリネット、ヴィオラ、ピアノというこの一風変わった編成は、友人のクラリネット奏者アントン・シュタードラー(1753〜1812)ら仲間うちで演奏するために作曲されたからだと言われています。

モーツァルトはシュタードラーというクラリネットの名手が友人にいたこともあって当時発明されて間もないこの楽器に興味を持ち、《クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581》や《クラリネット協奏曲 イ長調 K.622》、また歌劇《皇帝ティトゥスの慈悲》K.621のセストのアリアでのクラリネット・ソロなど幾つかのクラリネットの曲を残しました。この《ケーゲルシュタット・トリオ》は、クラリネットを独立して扱ったおそらく最初の作品であろうといわれています。

また、クラリネット音楽としての重要性に隠れがちであるが、実はヴィオラパートも魅力的です。初演時にはモーツァルト自身がヴィオラを担当したと伝えられていますが、奏法的にも、一つの独立した声部としての取り扱い方からいっても、ヴィオラという楽器の能力を十分に発揮させた作品ということもできます。

そんなわけで、今日はモーツァルトの《ケーゲルシュタット・トリオ K.498》をお聴きいただきたいと思います。中音域の楽器が奏でる、モーツァルト円熟期の室内楽をお楽しみください。


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猛暑日に聴くグラスハーモニカの清音〜モーツァルトによるグラスハーモニカのための作品2点

2025年08月04日 18時18分18秒 | 音楽
ここ数日、神奈川県では猛暑日が連続しています。昼間は35〜36℃にまで気温が上昇し、日没後も気温が下がらずに不快な熱帯夜が続いてしまっています。

とにかく暑過ぎるので、いきおい自宅に引きこもっていることが多くなっています。そんな中で、今日は



主にモーツァルトを聴いていましたが、涼し気な音色を求めてグラスハーモニカの作品を聴くことにしました。

グラスハーモニカ、正式名称アルモニカ(armonica)は、ベンジャミン・フランクリン(1706〜1790)が1761年に発明した複式擦奏容器式体鳴楽器です。

グラスハーモニカは、ガラスの器を音階に並べて指で擦って演奏する楽器です。よくイメージされるのは、



こうやって大小様々な大きさのワイングラスを並べて中に水を入れてチューニングしたものを上から指で擦るものかと思います。実際18世紀の書物にも

「泉の水で調律されたグラスを用いた楽器」

という記載がありますが、これは今日では『グラスハープ』と呼ばれているものです。

ここからより完成度をあげたのが



アメリカの政治家であり、凧を用いて雷が電気であることを実証したことでも知られるベンジャミン・フランクリンでした。現在、米100ドル札の肖像画にもなっている人物です。

フランクリンは1761年にグラスを並べたグラスハープを工夫して、



お椀状にした直径の異なる複数のガラスを大きさ順に十二平均律の半音階に並べ、それを横一列にしたものを金属製の回転棒に突き刺して水を張った箱に固定しました。そしてペダルを踏んでガラスを回転させながら水で濡らした指先をガラスの縁に触れて摩擦を起こすことによって、グラスハープと同様に共鳴するガラスからの音で音楽を奏することができるようにしました。

ワイングラスを横に並べて指で縁を摩擦させるグラスハープでは一度に鳴らせる音数が限られていました。また指先もグラスも濡れた状態でないと音が鳴らないため、演奏中に指先が乾く度に急いで手を水に浸けて濡らさなければならないという手間もありました。

しかしフランクリンは指ではなく横一列に並べたガラス器の方を回転させるという逆転の発想で、一度に多数の音を奏することを容易にしました。更に収納箱の中に水を溜めておいて、ガラスの下半分を浸したかたちで回転させて常にガラスが濡れている状態を保つことを可能にしたことによって、いちいち指先を濡らさなくてもスムーズに演奏することが可能となりました。

グラスハーモニカはヨーロッパ中で大人気となり、例えばヴァイオリンの鬼才ニコロ・パガニーニ(1782〜1840)は

「何たる天上的な声色」

と言い、第3代アメリカ合衆国大統領で『アメリカ建国の父』と呼ばれるトーマス・ジェファーソン(1743〜1826)は

「今世紀の音楽界に現れた最も素晴らしい贈り物」

と主張しました。他にも詩人のゲーテやモーツァルト、ベートーヴェンなどの作曲家もこの楽器を絶賛した記録が残っていて、かのフランス王妃マリー・アントワネットもグラスハーモニカを習って奏していたという記録が残されています。

開発者であるベンジャミン・フランクリン自身もグラスハーモニカの音色を

「何ものに比べがたい甘美な音」

と表現したと伝えられています。また彼は、

「もしハープが『天使の楽器』であるなら、グラスハーモニカは『天使の声』である」

と形容したとも言われています。開発者ならではの、なかなかの自画自賛ぶりです(笑)。

熱狂的に流行したグラスハーモニカですが、その発音原理故に常に指先に微振動が加わり続けてしまうことから神経障害を引き起こす事例も報告され、遂には演奏禁止令まで出されてしまいました。その復権は20世紀を待たなければなりませんでしたが、現在では専門の奏者も何人か存在しています。

そんなわけで、今日はモーツァルトがグラスハーモニカのために書いたオリジナル作品をお聴きいただきたいと思います。先ずは独奏曲《グラスハーモニカのためのアダージョ ハ長調 K.356/K.617a》をお楽しみください。



続いて、《グラスハーモニカ、フルート、オーボエ、ヴィオラ、チェロのためのアダージョとロンド ハ短調 K.617》をお聴きいただきたいと思います。



いかがでしょうか、少しでも涼しさを感じていただけましたら幸いです。

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今日はロッシーニの歌劇《ウィリアム・テル》初演の日〜誰もが知っている序曲

2025年08月03日 15時55分51秒 | 音楽
今日も『あつぎ鮎まつり』なのですが、昨日の花火大会と比べると市内の盛り上がりはイマイチでした。本来なら二日目の方が本祭のはずなのですが、今やすっかり花火大会の後夜祭のような立ち位置に甘んじてしまっている感が否めません。

ところで、今日8月3日はロッシーニの歌劇《ウィリアム・テル》がパリで初演された日です。歌劇《ウィリアム・テル》は



ジョアキーノ・ロッシーニ(1792〜1868)作曲の4幕構成のグランドオペラです。

台本は、フリードリヒ・フォン・シラーによる戯曲『ヴィルヘルム・テル』を原作としています。台本がフランス語で書かれているため本来ならば『ギヨーム・テル(Guillaume Tell)』と表記されるべですが、こと日本では逸話が先行しているためか『ウィリアム・テル』と表記することが多くなっています。

『ギヨーム・テル』はパリ・オペラ座との契約によるグランド・オペラで、

(1)5幕(または4幕)仕立て
(2)劇的な題材、
(3)歴史的な興味を惹きつけるもの
(4)大合唱やバレエなどの多彩なスペクタクル要素
(5)異国情緒を備えていること

が基本条件となっていました。パリでの上演後には、

「スイスの気候と風土、村人たちの結婚式の模様など、地方色をさらに強調したグランド・オペラと見なされた」

「《ギヨーム・テル》は自由を希求する民衆の闘いを壮大なスケールで描き、ロッシーニの創作の集大成であると共にロマン主義的グランド・オペラの幕開けを告げる記念碑的作品となった」

「本作の音楽に表された情景は充分にロマンティックであり、本質的には古典派であったイタリア人のロッシーニが、皮肉にもフランスのグランド・オペラの典型を示した作品となった」

と評されました。

この作品をフランス・オペラに適合させるため、いつもは速筆のロッシーニが5ヵ月もかかって作曲しました。本作の後に1836年のマイアベーアの《ユグノー教徒》や1840年のドニゼッティの《ラ・ファヴォリート》といった大作が続々と生み出され、グランド・オペラの黄金時代が築かれていくことになったのでした。

このオペラを作曲したのを最後に、ロッシーニは30年以上にわたる引退生活に入った。ロッシーニは37歳という若さでオペラ作曲家を引退した後には美食家として知られるようになり、サロンを開いて招待客に食事と音楽を楽しませる生活を送りました。

引退後は作曲活動も続けていましたが、主にサロンで演奏される小品が中心でした。また、美食を追求して料理にも情熱を注ぎましたが、現在でも一部の高級レストランでは



フォアグラとトリュフを贅沢に使った『牛フィレ肉のロッシーニ風』という、ロッシーニの名前を冠したメニューを楽しむことができます。

ウィリアム・テルの逸話は日本でも有名なので、ここで改めて書く必要もないと思います。ロッシーニの《ウィリアム・テル》もこの逸話とほぼ違いなく展開していき、勿論



息子の頭上のリンゴを矢で射落とす場面も登場します。

ただ、全4幕通すと5時間近くかかってしまうオペラなので、今回は超有名な序曲をご紹介しようと思います。

歌劇《ウィリアム・テル》序曲は中学校音楽の授業の鑑賞教材にもなっていますから、日本で義務教育を受けた方なら必ず耳にしている音楽です。特に序曲終結部の『スイス軍の行進』の音楽はテレビで使われたり運動会で流れたりしていますから、改めて説明するまでもないでしょう。

そんなわけで、今日はロッシーニの歌劇《ウィリアム・テル》から序曲をお聴きいただきたいと思います。クリストフ・エッシェンバッハ指揮、フランクフルト放送交響楽団の演奏で、ロッシーニ最後のオペラの華やかな幕開けの音楽をお楽しみください。


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花火大会には行かずに『花火』を〜ストラヴィンスキー《花火》

2025年08月02日 19時00分00秒 | 音楽
今日は、厚木市で開催される『あつぎ鮎まつり』の花火大会の日です。毎年8月の第1土曜日に開催されるこの花火大会には、厚木市内外から多くの人々が詰めかけます。

私も例年は花火大会の会場まで足を運んで花火を見上げていたのですが、今年は行かないことにしました。その理由としては、2つ挙げられます。

先ず、昨日の過ごしやすさから一転して今日はとにかく暑く、長時間外にいるなど正気の沙汰ではなかったのです。そこへもってきて、人とすれ違うこともままならない会場にいることなど、到底できることではありません。

それに、年々花火の規模が寂しくなってきていることもあります。鮎まつりの花火大会は市内を流れる相模川の河原で行われるのですが、打ち上げ場所のすぐ横に圏央道の高架ができてからは有料道路に花火の燃えカスが落ちるのを懸念してか、かつての派手さがなくなってきてしまったように思えるのです。

そんな理由で今年は会場には足を運ばず大人しくしていることにしたのですが、ただドンパチドンパチやっている音だけ聴いていても芸がないので、花火に因んだ音楽を聴いてみることにしました。よくある候補としてはヘンデルの《王宮の花火の音楽》が挙がりますが、今回は趣向を変えてストラヴィンスキーの《花火》という作品をご紹介しようと思います。

《花火(Feu d'artifice)作品4》は、



イーゴリ・フョードロヴィチ・ストラヴィンスキー(1882〜1971)の初期の管弦楽曲です。スケルツォ形式によるオーケストラのための幻想曲ですが、演奏に5分とかからない文字通りの小品です。

この作品はストラヴィンスキーが作曲家として名を揚げる上で役立ちましたが、成熟期の代表作として認められてはいません。その後の作風に比べると大部分において非常に調的ではあるものの、要所要所に複調的な響きも仄めかされています。

ストラヴィンスキーの自伝によると、《花火》は1908年に


リムスキー=コルサコフ(右)とストラヴィンスキー
(1908年)

恩師であるニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844〜1908)の娘のナジェージダと、同門の作曲家マクシミリアン・シテインベルクとの結婚を記念して作曲されました。ただ、リムスキー=コルサコフはその年の6月に亡くなってしまったために、残念ながら演奏を聴くことは出来ませんでした。

ストラヴィンスキーは師の追憶のために《葬儀の歌》を作曲しましたが、それ以前に《花火》は一応の完成を見ていたようで、シテインベルク夫妻は7月11日に曲の感想を書いています。その後も改良を続け、実際に曲が完成したのは1909年の5月から6月と考えられています。

《花火》はオーケストレーションの技巧や色彩感において、後のストラヴィンスキーの作品、特にバレエ《火の鳥》に影響を与えたと考えられています。スタイルとしてはスケルツォ形式で書かれていて曲全体は急速に展開し、クライマックスを迎えた後に花火が炸裂するように華やかに終わります。

演奏時間が短いわりに大編成のオーケストラを必要とするため、演奏される機会は多くありません。それでも、その音楽的な価値は文句無しで高く評価されています。

そんなわけで、今日はストラヴィンスキー作曲の《花火》をお聴きいただきたいと思います。パーヴォ・ヤルヴィ指揮、フランクフルト放送交響楽団の演奏で、若きストラヴィンスキーの意欲作をお楽しみください。


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心静かにフランクを〜《プレリュード、フーガと変奏曲 ロ短調 作品18》をピアノとオルガンとで

2025年08月01日 16時50分50秒 | 音楽
今日は午前中は比較的過ごしやすい気温でしたが、昼過ぎにかけて気温が上昇してきました。台風9号が関東地方に接近していることもあって、今後も油断ならない状況が続いています。

今日はそんな暑さを紛らわすため、一日自宅に籠もってあれこれとしていました。そんな中でもいろいろと音楽を聴いていたのですが、そんな中から今回はフランクの《プレリュード、フーガと変奏曲》をご紹介したいと思います。

《プレリュード、フーガと変奏曲 ロ短調 作品18》は、



フランスの作曲家セザール・フランク(1822〜1890)が1860年から1862年にかけて作曲した『大オルガンのための6曲集』の第3曲にあたる曲です。この曲を含む『大オルガンのための6曲集』は、フランクが初めてその才覚を現した作品として重要視されています。

1851年から1853年にかけて完成させた喜歌劇『頑固な召使い』が完全な失敗に終わってしまったフランクは、極度のスランプ状態に陥っていました。元来内向的な性格のフランクにとってオペラは一番不向きなジャンルでしたから、無理もないことではありました。

オペラの失敗から数年間にわたって折ったままとなっていた作曲の筆を再び執ったのは、1858年頃になってからのことでした。この時期にフランクの励みとなったのはサント・クロチルド聖堂のオルガンの音色でした。

聖堂には



アリスティド・カヴァイエ=コル(1811〜1899)の手によってに最新鋭のパイプオルガンが設置されたばかりで、フランクは1860年に念願叶ってこの聖堂のオルガニストに任用されました。聖堂のオルガンの発する豊かな音色に創作意欲を掻き立てられたフランクは、このオルガンを念頭に置いて『6曲集』を書き上げ、それがフランク円熟期の幕を開けたのでした。

初版は『6曲集』の《幻想曲》作品16や《交響的大曲》作品17などと同様に、パリのマイアン・クヴルール社から出版され、その後デュラン社からも刊行されました。曲は



親交のあったカミーユ・サン=サーンス(1835〜1921)へと献呈されました。

静かな部屋で静かなフランクを聴いていると、心がものすごく落ち着きます。こういう夏休みの時間の使い方というのも、また楽しいものです。

そんなわけで、今日はセザール・フランクの《プレリュード、フーガと変奏曲》をお聴きいただきたいと思います。先ずは、今日私が聴いていたピアノ編曲版をお楽しみください。



次に、オリジナルのオルガン版も載せてみました。ピアノ編曲版とは違った、重厚な音楽をご堪能ください。


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今日はリストの祥月命日〜隠れた名曲《レクイエム》

2025年07月31日 12時34分58秒 | 音楽
今日も晴れて暑くなりましたが、台風9号がじわりじわりと関東地方に接近しているためか、雲の多めの空となりました。 明日には久しぶりの降水が予想されていますが、どの程度降るのかはまだ未知数です。

ところで、今日7月31日はリストの祥月命日です。



ドイツ語ではフランツ・リスト、ハンガリー語ではリスト・フェレンツ(1811〜 1886)はハンガリー王国出身で、現在のドイツやオーストリアなどヨーロッパ各地で活動したピアニスト、作曲家です。



華やかな社交界で活躍し、《ラ・カンパネラ》のような華麗なピアノ作品や《レ・プレリュード》のような壮大な管弦楽作品を世に送り出したリストでしたが、



その晩年には指揮者や教育者としても活躍しました。更に1861年にリストがヴァイマールからローマに移住した後、1865年には典礼を司る資格のない下級聖職位ながら僧籍に入り、それ以降キリスト教に題材を求めた作品が増えてきました。

リストは晩年、虚血性心疾患・慢性気管支炎・鬱病・白内障に苦しめられていました。また、弟子のフェリックス・ワインガルトナーはリストを

「確実にアルコール依存症」

と証言していますが、晩年の簡潔な作品には、病気による苦悩の表れとも言うべきものが数多く存在しています。

1986年にリストの生誕75年が各地で祝われる中リストは自ら演奏旅行に赴き、イギリス・ベルギー・フランスを訪れました。帰途バイロイトに寄って実娘コージマのもとを訪れ、既に悪化していた健康状態を押してヴァーグナーの歌劇《トリスタンとイゾルデ》のバイロイト初演に出席しましたが終演後に肺炎で寝込み、6日後の1886年7月31日の夜に亡くなりました(享年74)。

そんなリストの祥月命日である今日は、珍しいリストの《レクイエム》をご紹介しようと思います。

リストが僧籍に入って間もない1868年に初演されたこのレクイエム、編成はテノールソロ✕2、バリトンソロ✕2、男声コーラス、オルガン、トランペット✕2、トロンボーン✕2、ティンパニという小編成な作品です。同時期のフォーレの《レクイエム》よりもなお編成が小さく、演奏時間も50分前後とレクイエムとしてはそれほど長くはありません。

ロマン派後期の作品としては編成が小さくて音量もさほど大きくなく、所によってはグレゴリオ聖歌を髣髴させるような静謐な響きをもつこの曲は、恐らく教会内で演奏されることを目的に作曲されたものと思われます。それでも、所々にオルガンの強奏部があったり、『妙なるラッパ』でトランペットやトロンボーン、ティンパニが加わってかなりドラマチックに作られていたりするので、もしかしたら教会でもコンサートでも演奏できるように企画した作品なのかも知れません。

リストの《レクイエム》は

1.入祭唱(レクイエム・エテルナム)
2.怒りの日(ディエス・イレ)
3.ドミネ・イエズ(オッフェルトリウム)
4.サンクトゥス
5.神の小羊(アニュス・デイ)
6.リベラ・メ

の6曲からなっています。通常のレクイエムの典礼文をかなり省いていたこの頃のレクイエム以上に、リストの作品は簡素化されています。

これを見るベルリオーズやヴェルディ、ドヴォルザークといった19世紀のほかの作曲家と同じように、リストのレクイエムも順序を入れ替えたり省略したりしていることが分かります。しかし、いかに省略したかたちとは言いながら、入祭唱の後に神に憐れみを希う『キリエ』がないことには些か驚かされます。

19世紀以降のレクイエムは、ヴェルディやドヴォルザークに顕著なようにセクエンツィア『怒りの日』の比重が大きくなる傾向が強くなります。リストのレクイエムもドラマチックには仕上げられている部分はありますが小編成なため、たとえば一連の交響詩で見せるような華々しいリストの音楽ではありません。

編成が特殊だったり、独唱や合唱に女声がなかったりという理由から、取り上げられることの少ない宗教作品です。それでも、晩年に僧籍に入るまでになったリストの晩年の境地を体感するのに相応しい作品でもあります。

そんなわけで、今日はリストの《レクイエム》をお聴きいただきたいと思います。ド派手なピアノ作品や交響詩とは一線を画する、晩年のリストならではの宗教作品をお楽しみください。


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