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共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

手術が終わって日が暮れて…

2025年08月18日 18時45分00秒 | 日記
今日は、左側小指の骨折手術当日でした。指定された時間にナースステーションに向かうと問診票を渡され、入院に関しての手続きを進められました。

今回ご厄介になるのは4人部屋で、部屋の様子は



こんな感じです。大きく開いた窓からは下界の様子がよく見え、車や小田急線の電車が行き交う様子がよく見えました。

今回の手術は骨折した箇所にピンを3本差し込んで、折れた箇所をヘンな形で固着してしまわないようにするというものです。因みに手術前の様子は



こんな感じで、相変わらず死後の血色をしていました。

手術着に着替えてから呼ばれるのを待っていましたが、待てど暮らせど呼ばれません。待ちくたびれて何だか眠くなってきた頃にようやく呼ばれて、手術室に向かいました。

手術は局部麻酔で行われたので、術中の医師たちの会話が全部聞こえていました。ただ、その内容は

「太いな…」
「硬いな…」
「(ワイヤーが)入らねぇな…」

という、何とも不穏なものでした。

そうこうしているうちに麻酔が徐々に切れてきて痛みが増してきたのですが、医師たちが懸命に指にワイヤーを挿入するドリルのような機械の音を聞いていたら

『こんなタイミングで、余計なことを言ってはいけないのではないか…』

という氣になってしまい、ひたすら痛みに耐えていました。そして、ようやく

「お疲れ様でした。」

という医師の声と共に見た左手は…



こんなことになっていましたΣ(゚Д゚)

医師の説明では、折れた骨に沿ってワイヤーを2本縦に挿入し、更に折れた骨とその下の骨を固定するために斜めにワイヤーが1本刺さっているということでした。当初の予定よりワイヤーの本数が増えたことで1時間強の予定が2時間以上かかったようですが、いずれにせよ出来上がりとしてはなかなか衝撃的ではあります。

少なくともこれから1ヶ月間は、この状態で過ごす必要があるそうです。あとは就寝時に寝返りを打って左手を圧迫してしまわないように注意しなければならないのですが、どう対策しようかと思案中です…。

部屋に戻って外を見たら、すっかり日が暮れていました。明日は退院の予定ですが、その前にいろいろと検査があるようです。

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診断結果は…

2025年08月12日 17時00分00秒 | 日記
いよいよ今日は



東海大学付属病院で、左手小指骨折の診断を仰ぐ日となりました。

朝8時に外来受付が始まるということで、その少し前に病院に到着しました。ところが、総合受付に向かうと尋常ではない数の人がベンチを占拠していて、驚いてしまいました。

呆気にとられながらも受付に紹介状を提出し、呼ばれるのを待ちました。そこから1時間を過ぎたあたりでようやく番号が呼ばれ、渡された書類を持って整形外科に向かいました。

そこで必要書類を提出して更に待つこと数十分、ようやく私の番がまわってきました。普段から小田急線の車内で見ていた大病院ですが、改めてその規模の大きさを体感させられることとなりました。

診察室に入って問診を受けた後、改めてレントゲン撮影をすることとなりました。始めにかかった整形外科と次の日にかかった厚木市立病院のレントゲンの入ったCD-Rも持参していたのですが、より鮮明な画像で解析しようということになったのです。

撮影を終えて整形外科病棟へ戻り、再び診察室に呼ばれるのを待ちました。そして、診察室に呼ばれて医師から告げられたのは

「やはり手術をしましょう。」

というものでした。

『やっぱりか…』

と思う間もなく医師からはいろいろな話が出ましたが、どうやら不必要に固着するのを防ぐべく骨折した箇所にピンを何本か刺して固定し、指を関節から動かしやすくするという手術になるようです。そして、手術するにあたって採血と採尿が必要ということで、またしても移動することになりました。

先日健康診断を終えたので

『もう採血などされることもないだろう』

と思っていたのですが、またしても天敵と対峙することとなりました。しかし、そこは天下の大病院、難なく私の腕の血管を探り当ててサクサクと採血を済ませていました。

入院するにあたっての諸注意を受けたのですが、感染症のリスクを避けるために

他人との接触❌️
不要不急の外出❌️
外食❌️

と、この一週間は徹底して外出しないよう求められました。まぁ、この一週間は音楽教室もお盆休みでないので、そもそも外出する用事も無かったのが幸いしました。

全てが終わって病院の外に出たら、既に14時をまわっていました。たっぷり6時間もの間病院にいたことになりますが、それを考えただけでも凹みます。

今日は診察の支払いだけで済みましたが、手術の後はすぐに支払いにはならず、後日請求書が送られてくることになりました。大金を持ち歩かなくていいようにという病院の配慮のようですが、はたしていくら請求されるのか、今から不安が収まりません…。

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生前と死後

2025年08月11日 13時33分31秒 | 日記
左手小指を骨折してから、はや6日目を迎えました。腫れ上がっでメンダコのようになっていた左手は



関節全てに内出血の色が滲んできて、全体にグレーがかった色になっています。

右手の色は



赤みを帯びた見慣れた色をしているのですが、それとくらべると尋常な色ではありません。これではまるで、



生前と



死後です。

明日、東海大学付属病院を受診します。そこで何を言われるかは分かりませんが、もし手術・入院などということになったら、一体いくらかかるのでしょうか…。


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有り難き言霊

2025年08月10日 15時25分35秒 | 日記
今日の午前中は、昨日から更にむくんで膨れ上がった私の左手を見ながら鬱々と過ごしていました。こんな時には何も考えられず、ただ外の雨を眺めるばかりです。

そんな中、メールやLINE、InstagramやFacebook、Messengerなどで多くのコメントを頂戴しています。この場を借りて、厚く御礼申し上げます。

もしかしたら廃業しなければならないかも知れない私に対して、様々な励ましや慰めの言葉が届いています。その中で特に心に響いているのが

『お大事に』

という言葉です。

何気ない言葉ですが、なんと優しい言葉なのでしょう。この言霊に、大いなる励ましや労いを感じています。

明日も元気が悪いようなので、患部を刺激しないように引き続き自宅で大人しくしていようと思います。

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朝から現実逃避…

2025年08月09日 16時26分36秒 | 日記
昨日市立病院を出てから、患部に冷えピタを巻いたり氷嚢を当てたりして、自分なりにできそうな対処をしまくっていました。何しろ12日に東海大学付属病院を受診するまでは、どうにかしなければならないのです。

それで、今朝目覚めて自分の左手を見たら



1.5倍くらいに腫れ上がっていたのですが、起き抜けにこれを見て思ったのは

『なんか…



メンダコみたい…。』

ということでした。寝ぼけていたこともあるでしょうが、そういうバカバカしいことでも思っていないとやっていられなかったのもあります。

目を閉じると、いろいろな感情が渦巻きます。

何故あんな場所でセミが飛んできた…?
何故左から倒れた…?
何故左手を上げなかった…?

どれを思っても今更どうしようもないことばかりですが、この堂々巡りが止まらないのです。

今は

『終わった…』

という感情と

『何とかしなければ…』

という感情に苛まれています。少なくとも今以上に悪化させることのないよう、思いつく限りの対処だけはしていきますが…。

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深刻化した事態

2025年08月08日 12時34分56秒 | 日記
昨日の個人的惨劇から一夜明けて、今日は



厚木市立病院までやって来ました。

昨日、整形外科からもらった紹介状とレントゲン写真のCD-Rを受付に提出し、心を決めて呼ばれるのを待ちました。そして、30〜40分ほど待たされたところで、診察室に呼ばれました。

昨日のレントゲン写真を見ながら、

「より細かく診るために、CTスキャンを撮ってみましょう。」

と医師に言われて、CTスキャンと改めてX線検査とをすることになりました。折れた箇所が小指の第2関節付近なのと、関節間の軟骨の状態もよく観察するためとのことでした。

ということで、



CTスキャンで骨の立体画像を撮影することになりました。巨大な機械の寝台にバンザイ状態でうつ伏せで寝かされ

「手を動かさないでくださ〜い。」

と言われると同時に巨大なドーナツの中に私…の手だけが吸い込まれるとその後何度か往復して、程なく撮影が終わりました。

そこからレントゲン写真も撮られ、しばらく待たされた後に再び診察室に呼ばれました。ビックリするくらい高精細な骨の立体画像を見ながら説明を受けたのですが、

「こちらの病院には手指の専門医師がいないので、その道の専門家のいる東海大学付属病院で診てもらった方がいいと思います。」

ということで、またまた紹介状を書いてもらって転院することになりました。

何だか、ことがどんどん深刻化…いや、大ごとになってきました。とりあえず連休明けに、伊勢原市の東海大学付属病院まで行ってきます…。

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もう、おしまいDeath…

2025年08月07日 15時55分51秒 | 日記
終わった…終わりました。もう、どうしようもない…かも知れません。

今日、用事があって外を歩いていたのですが、あまりの暑さに頭がボ〜・・・ッとなっていました。すると、私の目の前を未確認飛行物体がものすごいスピードで横切っていったのです。

突然のことに驚いてしまった私は、あろうことか歩いていた階段を踏み外して、受け身も取れずに盛大に転んでしまいました。その時、主に左半身をしたたか打ちつけてしまったのですが、地面に打ちつけられたメガネが変な方向に曲がり、コメカミあたりから流血し、靴や財布がとんでもない方角へ吹っ飛んでいました。

人間というのはおかしなもので、何が何だか分からない状況でも、とりあえず未確認飛行物体が何だったのか把握しようという行動をとっていました。そして恐らくですが、その正体は



セミだったようです。

その場にいた何人かの人がその場に散らばった私の靴や財布を拾って

「大丈夫ですか?」

と声をかけてくれたのですが、私はとりあえずメガネを何とかしなければと思って拾い集めてくださった物を受け取り

「ありがとうございます。」

と御礼を言って立ち上がりました。そしてメガネ屋に行って修理をしてもらっている間、何だかやたらと左手の小指が痛むことに気づいたのです。

『まさか…?』

とは思いつつ、とりあえず直ったメガネをかけてからドラッグストアで冷えピタを買って小指に巻き付け、その場でレントゲンの撮れる整形外科を検索して向かいました。しばらくした後に診察室に通されて事情を説明すると、程なくレントゲン室に通されて何枚か写真を撮られました。

それからしばらくして再度診察室に呼ばれた私に医師が言ったのは

「折れてますね。」

という乾いた言葉でした。

もう・・・・・頭が真っ白になるというのはこのことでした。仮にもヴィオラやヴァイオリンを演奏する者にとって、よりにもよって左手の指を骨折するなどということは、死刑宣告のようなものです。

『終わった…。』

と呆然としている私をよそに、医師は


私の小指に添え木を当てました。そして、

「楽器を演奏されるのであればよりしっかりした診断をしてもらった方がいいと思いますので、市立病院に紹介状を書きます。それを持って、明日にでも市立病院に行ってください。」

と言って、紹介状とレントゲン写真を入れたCDを渡してくれました。

その気遣いに、思わず涙が出そうになりましたが、そんなことも言っていられません。とにかく明日の朝一番で、厚木市立病院に行ってきます。

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熱戦から一夜明けて

2025年07月21日 18時25分00秒 | 日記
参議院議員通常選挙の開票は明け方まで続き、全ての議席が確定したのは日が昇ってからとなりました。結果はご存知の通り、自公与党が過半数割れするという歴史的大敗を喫したかたちとなりました。

選挙戦が終わったから書きますが、私は今回自公与党勢には票を投じませんでした。どこに投じたかについては個人の心情的なこともあるので控えますが、何もかもがおかしくなってしまった現状を打破してくれると期待した党に票を入れたことだけはお伝えしておきます。

神奈川県では、期日前投票から投票日前日まで様々なことがありました。特に、特定の政党の候補者の演説中に猛烈な選挙妨害が起きたり、ある期日前投票所の記載台に掲示された候補者名が明らかに間違っていたりと、意図的な嫌がらせが横行してしまっていました。

それでも蓋を開けてみれば自公与党は過半数割れに陥り、新興政党を含めた野党が躍進するという結果となりました。一部の勢力が決死の思いで敢行した一部政党への妨害行為は、何一つ結実させられなかったわけです。

ただ、これで今回の選挙が無事に終わったと安堵することはできません。先に触れた妨害行為を含めて、疑問点が多過ぎるのです。

中でも一番の疑問点は、比例代表の投票方法でした。比例代表では政党名を略記することもできますが、ご存知の通り



立憲民主党と国民民主党の略記が両方とも『民主党』だったのです。

そもそも略記法を『立民党』『国民党』
としておけば、こんな疑念は生まれようはずもなかったのです。前回に引き続き今回も比例代表の略記でそれをしなかった結果、投票用紙に『民主党』とあった時に、それが立憲民主党なのか国民民主党なのかをどう判断したのか、選挙管理委員会は明らかにしなければなりません。

また、これだけ連戦連敗しておきながら、石破首相はまだその座に居座る宣言をしたようです。かつて歴代の首相に重箱の隅を針でつつくような質疑を繰り返し、自身の納得いかない答弁だった時には

「説明責任を果たさなければならない」

と徹底的にグジグジ攻撃し続け、自分が自民党内で重用されないことでヘソを曲げて一度離党してシレッと戻ってきた出戻り野郎のなせる業だと思えば、もはや失笑しか出てきません。

さて、何にもせよこれで国民から国会に向けて意思は示されました。当選した参議院議員たちがこれからどのような働きを見せるのか、とくと注視していきましょう。

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日本の行く末や如何に

2025年07月20日 17時30分00秒 | 日記
今日は7月20日、参議院議員通常選挙の投票日です。ということで、



私も投票券を携えて投票所に行って参りました。

ここ数日のネットでの白熱ぶりを反映してか、投票所内には今までに見たことのない人数がつめかけていて驚きました。やはり、度重なる増税や日々虐げられていく日本人の有り様を見て、重い腰を上げた人が多かったようです。

未明には大勢が判明すると思いますが、果たして日本国民は今まで漫然と政権運営をしていた自公連立与党に鉄槌を下すことになるのか否か、行く末を見守ろうと思います。明日は、どんな朝を迎えるの手間しょうか。

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大盛況のヨーヨー教室

2025年07月17日 18時35分55秒 | 日記
今日は、勤務先とは別の小学校の放課後子ども教室でした。今日は夏休み前最後の教室ということで、外部からゲスト講師をお呼びしてご指導いただくこととなりました。

小田原市では


芸術やスポーツに特化した市内の様々な団体を登録する『UMECO』というシステムがあり、目的に応じて公演や指導を要請することができます。今回はこのシステムを活用して、ヨーヨーの指導と演技をしていただくこととなりました。

昭和世代の人間にとってヨーヨーといえば


炭酸飲料のロゴが入ったこうしたものを想像しますが、今回は



このようなスタイリッシュなヨーヨーをご用意いただきました。時代が変われば、玩具も洗練されてくるものです。



小田原市在住の講師の方からヨーヨーについての簡単な説明があってから、一人に一個ずつヨーヨーが手渡されていきました。はじめのうちはおっかなびっくりやっていた子どもたちも徐々にコツをつかんだらしく、あちこちから

「できた!」

という歓声があがりました。

今回は大人たちの分もご用意いただいたので、私たちも遊ばせていただきました。やっていくうちに、特に男性陣は子ども時分の記憶がよみがえってきて楽しくなってしまい、危うく子どもたちより夢中になるところでした(汗)。

後半は講師によるデモンストレーションが披露されましたが、








































技の説明をしながらも、目にも留まらぬ早技で次から次へと華麗なテクニックがくれ出されていました。子どもたちは呆気にとられていましたが、最後には盛大な拍手を贈っていました。

こうした体験は授業ではまずできないことなので、放課後子ども教室の子どもたちにはいろいろな経験をさせてあげたいと思っています。今後もUMECOを活用しながら、子どもたちを楽しませてあげる予定です。

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支援級じゃなくても…

2025年07月14日 18時00分00秒 | 日記
今日は勤務先での、夏休み前最後の放課後子ども教室でした。今日も宿題をしたり工作をしたりいろいろとあったのですが、特定の子どもたちがいろいろとおイタをやらかしたので注意しなければなりませんでした。

その子たちは、教室内を走ったり、椅子の上から飛び降りたり、宿題や工作をしている時間に勝手に立ち歩いたり、教室の備品を勝手に持ち去ろうとしたり、指定した時間外に断りもなく教室から出てトイレに行こうとしたりと、様々な狼藉をはたらきました。その度にコーディネーターや私が注意しなければならなかったのですが、今日は特に度が過ぎていたことをやらかしたのでコーディネーターが雷を落としていました。

支援級の子はもちろんなのですが、一般級の子だからといって全員ルールが守れているわけではありません。中にはいわゆる『支援級とのボーダー』の子がいて、そうした子については一般級の担任も手を焼いていることが多いのです。

小学校に勤務していて思うのが、多動や発達障害の気のある子どもが増えてきているような気がしています。勿論、生まれついてそうなっている子どももいると思うのですが、家庭や幼稚園で『ルールを守る』『時間で行動する』といったことを躾けられていない子も、残念ながら一定数存在しているように思えてならないのです。

このままいくと日本は発達障害もどきだらけの国になってしまいそうで、暗澹たる気持ちにさせられます。そろそろ本腰を入れて子どもの『教育』をしなければならない正念場に来ているのではないでしょうか。

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久々の特大落雷

2025年07月08日 17時30分00秒 | 日記
今日、小学校支援級でやらかしました。

高学年の音楽の授業の支援に入ったのですが、男子二人が



リコーダーでチャンバラをし始めました。はじめは担任がやんわりと注意していたのですか、彼らは一向に止める気配がありませんでした。

彼らは今日、それまでにもいろいろとやらかしてその都度注意をしていたのですが、こと楽器を粗末に扱っていたことでこちらも遂に堪忍袋の緒が切れてしまい、

「おまえら、さっきから楽器で何さらしとんぢゃゴルァ!!」

と、特大の雷を落としてしまったのです。その瞬間、一人はフリーズし、もう一人は腰を抜かして泣き出してしまったので、内心

『しまった…!』

と思ったのですが、言ってしまったことはひっこみがつかないので諦めました。

予想通り、支援級主任がすっ飛んできて事情を聞かれましたが

「リコーダーでチャンバラをするという言語道断の行為に及んだため、教育的指導の一環として一喝しました。」

と説明し、本人たちにも確認がとれたことで特に問題視されることはありませんでした。これまた予想通り

「もう少し穏便に…」

とも言われましたが、知ったこっちゃありません。

これでしばらくは大人しくなると思いますが、喉元過ぎれて熱さを忘れるのが異様に早い支援級の子どもたちですから、また何かやらかすてしょう。雷もあまり多く落としてしまうと効果が薄れてしまうので、また時と場合を選んで落とそうと思います。

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ナンチャッテ笹で七夕様

2025年07月07日 17時30分17秒 | 日記
今日は勤務先の小学校の放課後子ども教室がありました。

今日は七夕ということで、



こんなものを用意してみました。本当はリアルな笹を用意したかったのですが、さすがに今日一日だけのためにそれは無理でした(汗)。

子どもたちに短冊を書かせてナンチャッテ笹に貼り付けたら、



こんな感じになりました。短冊に個人情報が満載だったので、ボケボケ写真の掲載となりました(汗)。

短冊を飾った後に少し時間があったので、七夕についての説明やクイズをしました。低学年が中心の教室ですか、そんな彼らになるべく分かってもらえるように資料を用意したのですが、子どもたちは楽しげに聞いてくれていました。

最後にはみんなで『たなばたさま』を歌って、飾った短冊を持ち帰らせました。各自自宅で飾ってくれるといいな…と思っています。

連日うだるような暑さが続いていて、すっかりバテ気味です。今晩も寝苦しい夜になりそうですが、気温を気にせず清々と寝られる日はいつやってくるのでしょうか…。

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柔軟な対応を

2025年07月04日 18時25分30秒 | 日記
今日は小学校支援級で、試験的な動きがありました。いつもは自分が所属しているクラスの子どもたちの学習支援に入るのですが、今日は支援員たちがクラスをシャッフルされ、いつもとは違うクラスや学年の子どもたちの学習支援に入ったのです。

これは、ひとつには個別学習支援員の人数の足りなさをどうにかすることも目的とされていました。毎年増え続ける支援級児童の数に行政が充てがう支援員の数が少なく、それでもお役所の規定で夏季休暇は取らなければならないので、この時期はいつも大人が少なくて困っているのです。

私は今日、高学年の情緒級の支援に入りました。ここには前年度に世話していた子たちが多くいたため、

「なんで先生(私)がいるの!?」

と驚かれましたが、事情を話してしまってからは、こちらは淡々と学習支援をしていました。

このクラスの担任は女性なのですが、普段から高学年男児との距離感に悩んでいる様子でした。私は同性の気軽さでビシバシ叱り飛ばしていたのですが、その様子が新鮮だったようです。

支援級主任の話によれば、今後もこうしたシャッフルを試験的に導入するつもりのようです。実際にどうなるかは分かりませんが、私は己のなすべきことを粛々と遂行していくのみです。

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哀しい返答

2025年07月03日 18時35分45秒 | 日記
今日は、勤務先とは別の小学校の放課後子ども教室でした。今日は七夕が近いということもあって、子どもたちに



七夕の短冊を書かせることにしました。

好きな色の短冊を選ばせてから、願い事を一つだけ書くように言いましたが、何人かの子どもがいつまで経っても書き上がりません。どうしたのかと聞いてみたところ、書いていない子全員から

「願い事がない」
「何を書いたらいいのか分からない」

という答えが返ってきたのです。

七夕の願い事といえば

「◯◯が上手になりますように」
「●●になれますように」

といったものが定番だと思うのですが、どうやらそうしたことすら思い浮かばない様子でした。そこで

「本来、七夕の願い事は技芸や書道の上達を願っていたから、自分の普段の勉強で『もっとできたらいいな』と思うことを書いてみたらどうですか?」

と投げかけてみたら、ようやく筆が進みました。

願い事があれこれあって一つに絞れないというのはよく聞きますが、『願い事が何にもない』というのはある意味衝撃的でした。先端技術の発展によっていろいろなことが簡単に具現化してしまう現代にあっては、星に願いをかけるという発想すら子どもたちの思考からこぼれ落ちてしまっているのでしょうか…。

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