共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

夏越の大祓2022@相模國一之宮寒川神社

2022年06月30日 15時00分51秒 | 神社仏閣
今日は6月30日、今日で一年の半分が終わります。そしてこの日には、各地の神社で『夏越の大祓(なごしのおおはらへ)』が行われています。

『夏越の大祓』は、一年のちょうど半分を迎える水無月の晦日(みそか)に霊力を持つ茅萱(ちがや)で編んだ茅の輪をくぐることで、知らず知らずの間に身についた罪穢れを祓い清めて心身共に清浄な状態に戻ることを願う神事です。今日はちょうど小学校勤務が無い日なので『夏越の大祓』に参加すべく



相模國一之宮寒川神社に参詣することにしました。

鳥居をくぐって参道を進むと



午前中だというのになんと既に大行列が!やはりお天気がいいと、人も出かけやすくなるようです。

列が進んだ先にある簡易テントに着くと、神職から



大祓詞(おおはらへことば)と


(参考資料)

人形代(ひとかたしろ)という人の形に切られた紙と紙吹雪が入った包みを渡されます。そして神門横に建てられたテントに入ると受け取った包みを開いて、紙吹雪を自分で両肩にふりかけます。

次に人形代を自分の気になる部分に当てて穢れを移して息を吹きかけてから



神職によるお祓いを受け、人形代を納め箱に納めて神門をくぐります。

神話をくぐった先には



青竹の支えに人形代をあしらった茅の輪が設えられています。この茅の輪を

『水無月の夏越の大祓する人は千歳の命延ぶといふなり』

と唱えながら



左→右→左の順で∞の字に廻って穢れを祓います。

先程お祓いを受けたテントに入った人数毎に列を作って茅の輪をくぐるのですが、一回あたりの人数が多いこともあって



神職が先導するかたちで茅の輪くぐりが行われました。こうすれば、仮に事前説明を聞いていない不心得者がいても作法を間違うことがありません(笑)。

青々とした茅萱で作られた茅の輪をくぐると、真新しい夏草独特の甘い香りが鼻を突きます。この茅の輪に使われている茅萱の持つ霊力によって、病や災いから逃れられるよう祈ります。

その後、拝殿に進んで二礼二拍手一礼で拝礼してから廻廊に進んで



御神饌を頂き、一連の参拝を終えました。そして、帰り際に



神棚にお祀りする大祓守を頂いてきました。

本来であれば午後から



神前に供え物をする神事が行われるのですが、感染症予防の観点から一般の参列は見送られ、今年も神職と一部関係者のみで執り行われることになりました。勿論、帰りには



末社の宮山神社にも参詣しました。

明日から7月ですが、明日以降もまた各地で猛暑が予想されています。場所によっては40℃に迫る地域もあるようですので、引き続き熱中症対策を万全にしていただきたいと思います。

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疲労困憊の一日にいただくエビドリア@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2022年06月29日 21時11分12秒 | カフェ
今日、遂に小学校で『外遊び禁止令』が発令されました。日中の気温が35℃に達するとんでもない暑さとなったため、昼休みに外に出て遊ばないようにという放送があったのです。

子どもたちは一様にブーブー言っていましたが、命には代えられませんから我慢してもらいました。それでも、中には強行突破して外に出ようとする男子が何人かいて、先生方からこっ酷く怒られていました。

もう、彼らにとっては命の危機だろうが何だろうが

「天気のいい休み時間は外で遊ぶもの!」

という壮大な固定観念がこびりついているのでしょう。それでも、いくら子どもたちが勝手にやったこととは言え、外遊びに出てしまって熱中症にでもなられたら責任追及されるのは学校関係者ですから、怒る方もなかなか必死です。

そんな小学校勤務を終えて、そのまま横浜あざみ野の音楽教室に向かいました。そうしたら、何と駅と駅の間の中途半端なところで小田急線が止まってしまったのです。

何事かと思っていたら

「座間〜相武台前間において信号機故障が発生したため、運転を停止しております。」

という車内放送が…。

それから車内で待機していましたが、待てど暮らせど一向に電車が動き出す様子はありません。そうなると出てくるのが、無駄にイラついてガタガタ騒ぎ出す輩です。

ああいう人種って何なのでしょう。オマエだけがイライラしているわけじゃなく、何ならこの車内に閉じ込められている乗客全員が大なり小なりイラついているというのに、まるで世界中で自分だけが不当な扱いを受けていると言わんばかりの騒ぎ立てようをいい大人が晒す光景には辟易させられます。

結局、40分ほど遅れて相模大野駅に到着した頃には、いろいろな意味で疲れ切ってしまいました。まぁ、停電したわけでもありませんでしたから空調は効いていましたし、始発駅から乗っていましたから座れていただけでも良しとしなければいけないでしょう。

そんなわけで、いつもより大幅に遅れてあざみ野駅に到着し、いつもより大幅に遅れて《雫ノ香珈琲》に入りました。電車の遅れに足を引っ張られて疲れたからかやたらとお腹が空いたので、今日は



ランチメニューで出されているドリアをお願いしました。

4月から出されていたこのエビと枝豆とポテトのトマトソース添えドリアも今日でお終い、7月からは新たなドリアが登場するということでした。なので、正にギリギリセーフのタイミングでいただくことができたのです。

子どもたちにも小田急線にも翻弄されて疲労困憊の身に、優しい味わいのドリアが染み渡りました。食後に水出しコーヒーもいただいて、ようやくホッとひと息つくことができました。

明日は6月最終日なので、ちょっとある場所に行ってみようと思います。ただ、明日の暑さは一体どうなりますやら…。

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自分でやりなさい!ε=(๑`^´๑)

2022年06月28日 17時30分17秒 | 日記
いやぁ…梅雨、明けちゃいました。

昨日気象庁が、九州南部・東海・関東甲信で梅雨明けしたと発表しました。平年と比較すると九州南部では18日早く、東海・関東甲信では22日も早い梅雨明けとなり、各地で最短の梅雨期間を記録しました。

鬱陶しい梅雨は短いに越したことはありませんが、今年の梅雨》はいくらなんでも短過ぎます。この気象状況が、米をはじめとした農作物の収穫に影響を及ぼさないといいのですが…。

ところで、今日小学校高学年の授業



小田原提灯を作る図工の時間がありました。小田原提灯は江戸の昔から旅行等に使う携帯用の提灯として重宝された小田原の特産品で、



JR小田原駅の改札口の上にもこうした巨大な小田原提灯が提げられていることから、小田原市内の小学生は必ず小田原提灯作りを経験することになっています。

先週の時点で提灯に張る和紙に絵付けをしたのですが、今日はいよいよ提灯本体に取り付けられるようにする最終段階に入りました。子どもたちでも作れるようかなりシステマティックになっているためそんなに難しい工程はないのですが、それでも支援級の子たちは型に合わせて和紙を折るところから

「できない!」
「無理!」
「先生(私)がやって!」

と放棄する気満々で私をあちこちから呼びつけてきました。

勿論、昭和生まれのおっかないオジサンである私はそう安々と手を貸したりはせず、

「はい、型紙のここに紙を合わせて」
「合わせたら型紙に沿って和紙を折って」
「折れたら反対側も折って」

と、口だけ出して彼らをリモートコントロールし、何とか彼らの『自力』で作業をさせました。子どもたちはブツクサ言っていましたが、これが本来の学習目的ですから文句を言われる筋合いはありません(^_^)v。

今日、小田原市は日中の熱中症警戒レベルが『厳重注意』に達しました。休み時間はなるべく室内で過ごすことが推奨され、外で遊ぶ際にはマスクを外すよう指導がありました。

梅雨が明けたからには、これからしばらくはこうした酷暑に見舞われることを覚悟しておかなければなりません。子どもたちも大人たちも、熱中症で倒れてしまったりしないよう十分に気をつけながら過ごそうと思います。

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フォルテピアノによるモーツァルト《ピアノ四重奏曲第1番ト短調》

2022年06月27日 17時00分17秒 | 音楽
連日の猛暑は収まるところを知らず、今日も凄まじい暑さとなりました。何しろ、コンビニで買って外に出てからすぐに食べ始めたガリガリ君が食べているそばから溶けてポタポタ垂れてしまったくらいですから、どれだけ暑いのかが窺えます…。

ところで、先日横浜のイギリス館でフォルテピアノで演奏するモーツァルトの室内楽を聴きましたが、その影響もあって久しぶりに我が家にあるフォルテピアノのCDを聴きたくなりました。それで、確か《ピアノ四重奏曲第1番ト短調》が入ったCDがあったはず…と思って探してみたら



ありました。

これはレザデュー(Les adieux)という古楽グループが演奏しているものです。2つの弦楽五重奏曲や4つのフルート四重奏曲、オーボエ四重奏曲と共に、2つのピアノ四重奏曲が収録されています。

勿論、モダンピアノの演奏でも素晴らしい録音はあるのですが、金属の響板に張力の強いピアノ線が張られたグランドピアノの方が、音量的にどうしても弦楽器群に勝ってしまうような気がしてしまいます。時に伴奏にまわるような場面でも、余程気をつけて演奏してくれるピアニストでないとピアノが前面に出過ぎてしまう傾向が見受けられるのです。

それと比べるとフォルテピアノとピリオド弦楽器によるアンサンブルは、モダンピアノと弦楽とのアンサンブルと違って全体の音色の調和が取れて解け合っている感じがします。弦楽器がメロディを奏でている時に寄り添うように柔らかく響いてくれるフォルテピアノの音色は、

「これぞモーツァルトが意図したもの!」

と思わせてくれるものです。

そんなわけで、今日はモーツァルトの《ピアノ四重奏曲第1番ト短調》を、レザデューの演奏でお聴きいただきたいと思います。現代のグランドピアノと違った、フォルテピアノの優しい響きをお楽しみください。


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今日はモーツァルト《交響曲第39番》が完成した日〜トレヴァー・ピノック&イングリッシュ・コンソートの演奏で

2022年06月26日 17時17分17秒 | 音楽
今朝7時の時点で、厚木市の気温は既に27℃ありました。昼には最高気温が34℃に達し、とても梅雨明け前の6月とは思えない酷暑となりました。

6月の今からこんなでは、学校が夏休みに入った頃にはどれだけ暑くなるのでしょうか。それを考えると、今から恐ろしくてなりません…。

ところで、今日6月26日は



ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756〜1791)の《交響曲第39番変ホ長調》が完成した日です。1788年6月26日にウィーンで完成されたこの交響曲はモーツァルト晩年の傑作として知られていて、第40番ト短調、第41番ハ長調《ジュピター》と並ぶ、いわゆる『後期3大交響曲』の最初の曲です。

後期3大交響曲は、わずか1ヵ月半のあいだに連続的に書かれました。当時の慣習として演奏会や出版など何らかの目的があって書かれたと考えられているのですが、



父親であるレオポルト・モーツァルト(1719〜1787)が亡くなった後のモーツァルトの晩年の書簡は極めて少ないため初演したかもしれない演奏会などの詳細が不明なので、作曲の動機はいまだ特定されていません(というか、3曲ともモーツァルトの生前に演奏されたかどうかすら定かではありません)。

この曲の特徴としては、モーツァルトの交響曲としては珍しくオーボエが除外されていて、代わりにクラリネット2本が登場します。また3曲の中では、



この曲のみに壮大な序奏があります。

個人的には後期3大交響曲の中で一番演奏した回数が多いこともあって、私はこの第39番が一番好きです。荘重な序奏とベートーヴェンの《英雄》にも引けを取らない堂々たる響きをもった第1楽章、柔らかな中にも時折短調の疾風が吹き荒れる第2楽章、華やかなメヌエットの主題と中間部のクラリネットのメロディが美しい第3楽章、フィナーレに相応しい疾走感に満ち溢れた第4楽章と、正にモーツァルト円熟期の魅力が詰まった交響曲といっても差し支えないでしょう。

そんなわけで、今日はモーツァルトの《交響曲第39番変ホ長調》を、トレヴァー・ピノック指揮のイングリッシュ・コンソートによる演奏でお楽しみいただきたいと思います。古楽器オーケストラによる、古雅な響きのモーツァルトを御堪能ください。



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今日はテレマンの祥月命日〜恐らく史上初の《2つのヴィオラのための協奏曲ト長調》

2022年06月25日 18時25分30秒 | 音楽
今日は快晴の空が広がり、一段と暑くなりました。ヘタに外に出ていると、脳天が焦げそうになります…。

ところで、今日6月25日はテレマンの祥月命日です。



ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681〜1767)は後期バロック音楽を代表するドイツの作曲家で、40歳以降は北ドイツのハンブルクで活躍した人物です。18世紀前半のドイツ国内で高い人気と名声を誇っただけでなく、フランスでの人気も高かったといいます。

テレマン自身もヴァイオリンやオルガン、チェンバロ、リコーダー、リュートなど多くの楽器を演奏することができ、特にヴァイオリンとリコーダーについては高い技術を有する名人でした。またクラシック音楽史上もっとも多くの曲を作った作曲家として知られていて、なんとギネスブックにも登録されています。

そんな多作家として知られるテレマンですが、ヴィオラ弾きとして見過ごせないのが《ヴィオラ協奏曲ト長調》です。



この曲はヴィオラ協奏曲の歴史の中で最初期に作曲されたもので、1716年から1721年に成立したとされています。

ですが、ひねくれ拙ブログとしては毛色の違った作品を御紹介しようと思います。それは《2つのヴィオラのための協奏曲ト長調》です。

ヴィオラ2台の協奏曲というと、先ずはバッハの《ブランデンブルク協奏曲第6番》が思い浮かぶかと思います。確かにバッハの方が書かれた時期は古いのですが、協奏曲とはいいながらヴィオラ✕2、ヴィオラ・ダ・ガンバ✕2、チェロ、通奏低音という室内楽的な編成なので、いわゆる『オーケストラを従えたソロ協奏曲』という意味ではテレマンのものが史上初といえるでしょう。

《2つのヴィオラのための協奏曲ト長調》は、テレマンがフランスを訪れた直後の1737年9月下旬から翌1738年5月にかけて書かれたものです。この曲にはフランス特有の特徴がいくつかあって、例えばタイトルには通常の『協奏曲』や『コンチェルト』ではなく『コンサート』というフランス風のものが付けられていて、個々の楽章にはすべてフランス語の名前が付いています。

そんなわけでテレマンの命日である今日は、敢えての《2つのヴィオラのための協奏曲ト長調》をお聴きいただきたいと思います。しっかりした作りの1台のヴィオラ協奏曲とはまた違った、フランス趣味の中音域協奏曲をお楽しみください。


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持っていかれないように

2022年06月24日 18時00分18秒 | 日記
暑い…(; ´Д`)=3

今日の小田原は朝から『狐の嫁入り』でした。その後に強烈な日差しが照りつけ、それで地表の雨が一気に蒸発したからたまりません。

小学校の子どもたちも暑さにあてられてグッタリしていましたが、エアコンを効かせてどうにかしのいでいました。先日エアコンのことでモメた教室にも偵察しに行きましたが、無事にエアコンが使われていたようで何よりでした(笑)。

ところで、私が学校に持参しているペンケースの中には筆記用具だけではなく、ハサミや定規、コンパス、付箋といったものが入っています。支援級の子どもたちはよく忘れ物をするのですが、一般級に交流に来ている時に忘れ物に気づいていちいち支援級の教室まで取りに戻ってしまうと時間が勿体ないので、その場で貸すようにしているのです。

その中で特に登場回数が多く、かつ一番子どもたちから強奪されそうになっているのが糊です。最近、私が使っているのがPITスティックのりなのですが、その中で重宝しているのが



このペンタイプの細身のものです。

これは紙に塗ると青く色がついて乾くと色が消えるタイプなのですが、このペンタイプがいいのが



詰め替え用のリフィルがあることです。これは通常サイズのPITのりには無い機能なので、使う方としても嬉しい限りです。

これはどうやら子どもたちにとっても使い勝手がいいらしく、貸した側から

「ちょうだい!」

と強奪されそうになることがあります。勿論

「駄目。」

と取り上げますが、懲りずに何度も強奪されそうになるので大変です(汗)。

「貸してもらえると逆に忘れ物グセが治らなくなるから止めてください。」

と言ってくる先生も中にはいますが、

「そもそも忘れ物グセを治す指導は先生方のお仕事ですよね。」

と言うと黙ります。何しろ私がしているのはあくまでも応急処置ですから、『指導』そのものは先生にしていただかなければいけないことです。

さて、どうやら明日もなかなかな酷暑になりそうです。室内でも油断することの無いよう、熱中症対策を万全にしようと思います。

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今日は交響詩《禿山の一夜》の完成日〜クラウディオ・アバド指揮によるムソルグスキーのオリジナル版

2022年06月23日 17時00分30秒 | 音楽
今日は昨日と比べて気温こそ高くないものの、湿度の高いムシムシとした天候となりました。こう湿度が高い日が続くと、クセ毛の人間としてはこれから辛い日々が続くことになります…。

ところで、今日6月23日は



モデスト・ムソルグスキー(1839〜1881)の交響詩《禿山の一夜》のオリジナル初版が完成した日です。

イエス・キリストの洗礼者聖ヨハネの誕生日はロシア暦の6月24日で、この時期はロシアの農民たちにとって大事な時期です。そして

「聖ヨハネの日の前までは雨を乞い、聖ヨハネの日の翌日からは晴天を乞う。」

という言い回しがあるように、ロシアの農民たちにとっては農作業のポイントになる日でもあります。

『禿山の一夜』は

「聖ヨハネ祭の前夜に不思議な出来事が起こる」

というロシアに伝わる言い伝えの一種で、



「聖ヨハネ祭前夜、禿山に地霊チェルノボーグが現れて手下の魔物や幽霊、精霊達と大騒ぎするが、夜明けとともに消え去っていく」

というロシアの民話のひとつです。

さて、ムソルグスキーの交響詩《禿山の一夜》で、現在一般的によく聴かれているのは



ニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844〜1908)が1886年に編曲した版ですが、実はこの《禿山の一夜》にはいくつかの版が存在しています。

ムソルグスキーが最初にこの曲を構想したのは、まだ19歳の頃でした。そして、この伝説を扱った『イヴァン・クパーラ前夜』という小説をオペラ化してその中で新たな音楽を使おうとしたのですが、これは実現しませんでした。

それでもムソルグスキーは『魔物たちの大騒ぎを音楽で描く』というアイディアを捨てず、1867年の6月23日に完成したのが交響詩《はげ山における聖ヨハネ祭前夜》という《禿山の一夜》の記念すべきオリジナル初版でした。ただ、この版はあまりにも独創的過ぎたのか、



ムソルグスキーが尊敬する先輩作曲家ミリイ・バラキレフ(1837〜1910)からダメ出しされてしまい、結局お蔵入りになったのでした。

それでもムソルグスキーは諦めず、その後5人の作曲家が分担して作曲する予定だったオペラ=バレエ《ムラダ》(1872)に《禿山の一夜》に合唱を加えたものを当てようとしたり、歌劇《ソローチンツィの定期市》(1880)の中で主人公が見る夢の情景の音楽として使おうとしたりしました。しかしこれらはいずれも未完に終わり、結局《禿山の一夜》が作曲者の生前に日の目を見ることはありませんでした。

この曲が広く知られるようになったのはムソルグスキーの死後1886年に、友人だったリムスキー=コルサコフが

「ムソルグスキーの音楽の真価を伝えたい」

と《ソローチンツィの定期市》の中の合唱付きバージョンを編曲して交響詩《禿山の一夜》として発表してからでした。このバージョンはリムスキー=コルサコフの調和の取れたオーケストレーションも巧みだったこともあって、世界中で広く親しまれるようになりました。

ところが、実は話はここで終わりません。

リムスキー=コルサコフらが

「ムソルグスキーの音楽は素晴らしいが、彼のオーケストレーションは下手だ」

と言っていたこともあって、聴衆も演奏者も洗練された響きのリムスキー=コルサコフ版で満足していました。ところが、1968年になってムソルグスキー自身の書いたオリジナル初版の楽譜が作曲から101年経って初めて出版されると、その荒々しく独創的な『本来の禿山の一夜』の音楽に多くの人が驚嘆したのです。

最大の違いは、リムスキー=コルサコフ版では宴たけなわの中で教会の鐘が聞こえてきて魔女たちが姿を消し美しい夜明けを迎えて静かに終わるのですが、オリジナル初版は魔王や魔女たちの宴が最高潮のままで終了することです。リムスキー=コルサコフ版を聴き慣れた方にはかなりのインパクトだと思いますが、その後の好き嫌いは個人によって違ってくるようです(バラキレフはお気に召さなかったようですが)。

そんなわけで今日は交響詩《禿山の一夜》を、ムソルグスキーが155年前に完成させたオリジナルオーケストレーション版でお聴きいただきたいと思います。クラウディオ・アバド指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、ムソルグスキー自身による真の姿の《禿山の一夜》をどうぞ。


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山盛りコーヒーフロート@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2022年06月22日 18時48分58秒 | カフェ
今日も湿度の高い、ムシムシした天候となりました。小学校の教室もエアコンフル稼働でしたが、それでも子どもたちは汗をかきながら授業を受けていました。

昨日エアコンのことでモメた教室も、今日はちゃんと点いていたようでした。子どもたちも元気そうだったので、何よりでした。

そんな小学校勤務を終えて、横浜あざみ野の音楽教室に向かいました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日は体育の授業があったこともあって疲れてしまったので、甘いものをいただくべく



コーヒーフロートをお願いしました。苦味の効いたアイスコーヒーの上に、バニラアイスがてんこ盛りになって出てくるのがこちらのコーヒーフロートの特長です(後ろに写っているのはこちらのイケメンマスターさんです)。

美味しいコーヒーをいただいて、教室開始前にリラックスできました。やはり、週に一度こちらでいただくコーヒーは格別です。

明日から週末にかけても暑くなりそうです。そろそろ楽器のことも考えて、また我が家のエアコン点けっぱなし生活を考えなければいけないかも知れません…。

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夏に至っているのに…

2022年06月21日 17時35分17秒 | 日記
今日は二十四節気のひとつ『夏至』です。夏至とは一年の中で太陽がもっとも北に来て、昼の時間が長くなることです。

「夏」に「至る」という名前が示すように、夏至を過ぎると「本格的な夏が来る」と考えられています。ただ、夏至前後は梅雨シーズンにもあたるため、実際には日照時間が一年の中でもっとも長くなることを実感できるのは非常に稀です。

今日は曇りがちな、湿度の高い夏至となりました。そんな不快指数の高い中で、またしてもちょっとしたイザコザがありました。

以前、学習支援のことで文句をつけてきた先生のクラスにまたしても行くことになったのですが、そこで私が見たのは、髪の毛がビチャビチャになるほど汗をかいている子どもたちと、ひとりで涼しい顔をして授業を進める先生の姿でした。始めは何が起きているのか分からなかったのですが、



他のクラスでは稼働しているエアコンが、ここのクラスだけ点いていなかったのです。

すぐにでもエアコンを点けてあげたかったのですが、先日のこともあってまたガタガタ言われると面倒なのでしばらくはそのままにしておきました。しかし、子どもたちはどんどんグッタリしていき、下敷きやノートでパタパタと扇ぎ始める子たちも見受けられました。

なので見るに見かねて、先生の話の腰を折らないタイミングで

「先生、エアコン点けますね。」

とことわってスイッチを入れました。すると

「勝手なことしないでもらえますか!!!」

と、またしても怒鳴ってきたのです。

前回は突然のことで面食らっていましたが、今回はそんなことも言っていられないので、

「全体指導を重んじておられる先生ならとうにお気づきかと思いますが、先ずは子どもたちの様子を御覧になってください。髪の毛が濡れるほど汗をかいている様を見て、何もお感じになられないのでしょうか。」
「今日は熱中症対策に関する放送朝会もあったくらいですし、実際にここの室温は27℃を示しております(と言って黒板についている温度計を指差す)。そんな中にあって、このような劣悪な環境下に置かれた彼らの学習効果は、本当に向上するとお考えですか?」

と、口を挟む余地を与えないように立て続けに言い返してみました。すると

「貴方にここのクラスのことを決める権利はありません!!!!」

とカンカンになって迫ってきたので

「一言文句を仰る前に、今の子どもたちの様子を御覧になったらいかがですか?」

と言って後ろを向かせました。

そこにあったのは、エアコンの涼しい風に吹かれて

「すずし〜!」

と快適な表情で書き取りをしている子どもたちの姿でした。

「これが先生の仰るところの『学習効果の向上』というものかと考えますが、いかがですか?」

と言ったら、真っ赤な顔をして黒板の方に戻っていかれたので、その後は子どもたちも快適な環境下で授業を進めることができました。

後で他の先生方に聞いたところ、件の先生はとにかくエアコンを使わないことで有名らしく、子どもが室内熱中症を起こした『実績』があったようです。これはあくまでも個人的見解ですが、お年を召しておられることもあって温度に関する感覚が低くなっているのではないかとも思われます。

世代的に未だに

『エアコンは悪!』

とでも思っておられるのでしょうか。そうでないとしても、年齢的にご自身が暑さに鈍くなっているのは勝手ですが、代謝のいい子どもたちをその感覚に巻き込んでもらっては迷惑です。

帰り際にその先生と廊下で行きあったので

「お先に失礼致します。」

と挨拶したのですが、プイッと横を向いてガン無視していかれました。ヤレヤレです…。

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今日はオッフェンバックの誕生日〜未完の歌劇《ホフマン物語》から『舟歌』

2022年06月20日 17時55分17秒 | 音楽
今日も神奈川県は暑くなりました。こう暑い日が続くと、そろそろ身体も夏モードになってきているように感じます。

ところで。今日6月20日はオッフェンバックの誕生日です。



ジャック・オッフェンバック(1819〜1880年)はドイツに生まれた後にフランスで活躍し、1860年にフランスに帰化した作曲家、チェリストです。因みにジャック・オッフェンバックという名前は父親の出身地であるドイツ・フランクフルト近郊のオッフェンバッハ・アム・マインからとったペンネームで、本名はヤーコプ・レヴィ・エーベルストといいます。

オッフェンバックは今日聴かれるオペレッタの原型を作ったことから『オペレッタの父』と言われ、音楽と喜劇との融合を果たした作曲家として重要な存在です。美しいメロディーを次々と生み出すことから、



イタリアオペラの巨匠ジョアッキーノ・ロッシーニ(1792〜1868)はオッフェンバックを“シャンゼリゼのモーツァルト”と評しました。

オッフェンバックといえば、何と言っても喜歌劇《地獄のオルフェ》が挙げられます。日本では《天国と地獄》といった方が分かりやすいでしょうか。ギリシャ神話のオルフェウスの冥府下りをとんでもないドタバタ喜劇にしたこの作品はオッフェンバックの作品の中でも特に有名で、現在でも世界中で上演されています。

そして、それに匹敵するほど上演されているのが、未完の歌劇《ホフマン物語》です。《ホフマン物語》はオッフェンバックの4幕の正式なオペラ(オリジナルは5幕7場)で、1881年2月10日にパリのオペラ=コミック座で初演されました。

物語の内容は、主人公の詩人ホフマンが、歌う人形のオランピア、瀕死の歌姫アントニア、ヴェネツィアの娼婦ジュリエッタと次々に恋に落ちるものの何れも破綻するという自身の失恋話を語り、最後には現在想いを寄せている歌姫ステラへの恋にも破れてしまうという、何とも救いのないものです。ただ、このオペラは未完のまま作曲家が死去してしまったこともあって数多くの版があり、未だに謎の多い作品とされています。

オランピアのアリアなど数々の名曲がある《ホフマン物語》ですが、その中でも群を抜いて有名なのが『ホフマンの舟歌』でしょう。娼婦ジュリエッタとの恋の場面で歌われることで有名な『ホフマンの舟歌』ですが、実はこれは作曲者唯一のドイツ語の歌劇《ラインの妖精》という作品からの流用です。

フルートから始まり、さざ浪のようなハープにのせて歌われる舟歌はオーケストラのみでも演奏されることがあります。しかし、やはりこの曲の醍醐味はオペラとしてソリストや合唱が入ったかたちでの演奏でしょう。

そんなわけで、オッフェンバックの誕生日である今日は、名曲『ホフマンの舟歌』をお聴きいただきたいと思います。美しいオーケストラの響きにのせて幕を開けた中で歌われる、この上なく優雅な舟歌をご堪能ください。


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今日は《ウィーンの森の物語》が初演された日〜ウィリー・ボスコフスキーとアントン・カラス、ウィーンフィルの共演

2022年06月19日 12時34分56秒 | 音楽
今日はいいお天気となり、予報通りに暑くなりました。昼間はエアコンを点けていないと、家の中でもボ〜…っとしてしまいます。

ところで、今日6月19日はワルツ《ウィーンの森の物語》が初演された日です。

《ウィーンの森の物語》は、



ヨハン・シュトラウス2世(1825〜1899)が1868年に作曲した演奏会用のウィンナ・ワルツです。シュトラウス2世の「十大ワルツ」のひとつとされ、特にその中でも《美しく青きドナウ》《皇帝円舞曲》と共に『シュトラウス2世三大ワルツ』に数えられる、非常に人気の高い作品です。

この曲は1868年6月の初頭にわずか一週間で書き上げたものといわれる作品で、1868年6月19日にウィーンの舞踏場『新世界』において初演されました。発表されるとたちまち大好評を博し、時のオーストリア=ハンガリー皇帝フランツ・ヨーゼフ1世もこのワルツを称賛しました。

このワルツは題名の通り、ウィーンっ子の憩いの場であった美しい緑地帯『ウィーンの森』を描写した作品です。しかし、実は当のシュトラウス2世はアウトドアが大の苦手で、自然の中に出かけていくことに対して尋常ならざる恐怖を抱いていた…といいますが、そんな彼が何故にこのワルツを作曲しようと思い至ったのか、その理由は明らかではありません。

このワルツ最大の特徴といえば、何と言っても



序奏と後奏にツィターが登場することです。ツィターは南ドイツからオーストリアにわたる地域の民族楽器で、シュトラウス2世は帝都ウィーンと周辺地域の融合を表現するために、この楽器を使用したといわれています。

《ウィーンの森の物語》は現在でもウィーンフィルハーモニーのニューイヤーコンサートを始めとした様々な演奏会のプログラムで採り上げられ、その美しいメロディと優雅なワルツのリズムで人気を博しています。ツィターが無い場合には弦楽器トップ奏者たちによるアンサンブルでも演奏できるように楽譜に書かれてありますが、それでもツィターの音色の入ったものを聴くと、やはりこの曲の雰囲気を作り出すにはツィターという楽器が大きく貢献しているなということを感じます。

そんなわけで、今日はその《ウィーンの森の物語》を、



ウィーンフィルのコンサートマスターを務めながら指揮者としても活躍したウィリー・ボスコフスキー(1909〜1991)の指揮によるウィーンフィルと



映画『第三の男』のメインテーマ演奏で有名なオーストリアのツィター奏者、作曲家のアントン・カラス(1906〜1985年)との共演でお聴きいただきたいと思います。ウィーンフィルを愛し続けたボスコフスキーの指揮と、アントン・カラスの小粋なツィターの音色をお楽しみください。



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ワルター・フォルテピアノによるオールモーツァルトプログラム

2022年06月18日 19時45分25秒 | 音楽
今日は曇天模様が続いたためか、前日に天気予報で脅かされていたほどには暑くはなりませんでした。それでも湿度の高さはなかなかなもので、冷房の効いた電車や商業施設から出るとちょっと汗ばんでくることもありました。

さて、今日は久しぶりに横浜に出かけました。今日は、以前に横浜開港記念会館で演奏会を行ったアンサンブル山手バロッコのメンバーが出演する



モーツァルトの室内楽のコンサートがありました。

会場は、港の見える丘公園にある


横浜イギリス館のホールです。こうした旧館は冷房設備が脆弱だったりするので、今日の涼しさは有り難いものとなりました。

今回のプログラムはオールモーツァルトで

◎フルート四重奏曲ト長調

◎《グラン・パルティータ》による、フォルテピアノ・フルート・ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロのための《グラン・クインテット変ロ長調》(抜粋)

◎ピアノ四重奏曲第1番ト短調

という、なかなかの充実ラインナップです。

今回のコンサート一番の目玉は、何と言っても



モーツァルトが愛用していたアントン・ワルターのフォルテピアノのレプリカが使用されることです。



ガブリエル・アントン・ワルター(1752〜1826)は18世紀末から19世紀初頭にウィーンにおいて活躍した鍵盤楽器製作者で、18世紀後半における最も知られた楽器製作者の一人です。

モーツァルトが幼少期に演奏していた鍵盤楽器といえばチェンバロでした。それが、ロンドンでバッハの末息子であるヨハン・クリスティアン・バッハと出会った頃から現在のピアノの前身楽器であるフォルテピアノに移行していきました。

1781年にウィーンに移住して独立したモーツァルトは、ウィーンの名工として名高いワルターのフォルテピアノを所蔵していました。今回のコンサートでは



1800年頃に製作されたワルターモデルのフォルテピアノを、山梨県在住の楽器製作者である野神俊哉氏が再現したものが使われました。

会場に入ると



調律師の方による最終チェックが行われていました。因みにこの調律師さんは、今回のコンサートのチェロ奏者でもあります。

やがて開演時間となり、コンサートが始まりました。先ずは1778年頃に作曲された《フルート四重奏曲ト長調》が演奏されました。

次に演奏されたのは《グラン・クインテット変ロ長調》から第1、第2、第6、第7楽章です。この曲は1784年前後に作曲された《グラン・パルティータ》を、フォルテピアノとオーボエ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロで演奏できるように編曲されたものです(今回はオーボエの代わりにフルートで演奏されました)。

この編曲を手掛けたのは、何と昨日の《グノーのアヴェ・マリア》にも登場したクリスティアン・フリードリヒ・ゴットリープ・シュヴェンケ(1767〜1822)なのです。あの、バッハの《平均律クラヴィーア曲集第1巻》の第1番プレリュードに『チョイ足し』しちゃった人物です。

このシュヴェンケは作曲家、鍵盤楽器奏者としての他に編曲者としても活躍していたようで、この《グラン・パルティータ》の編曲も手掛けていました。原曲はオーボエ✕2、クラリネット✕2、バセットホルン✕2 ファゴット✕2 ホルン✕4、コントラバスという総勢13名の大規模編成で演奏されるものですが、シュヴェンケはそれを巧みにピアノ五重奏に編曲しています。

休憩を挟んで後半が始まる前には



来場されていた製作者の野神俊哉氏によるワルターモデルのフォルテピアノの解説も行われました。

野神氏によって再現されたワルターモデルのフォルテピアノは、木材の美しさを活かした外観で、反対側から見ると



音域が現在のピアノよりも狭いこともあって、スラっとしたスタイルです。

発音のアクションは



グランドピアノと比べると非常にシンプルで、張られている弦も現在のピアノのピアノ線よりもどちらかというとチェンバロに近い細さです。

響板や弦の張り方も



現在のピアノのような金属製の響板にクロス式でピアノ線が張られているのではなく



チェンバロと同じようにシンプルな木製の響板で、弦の張り方も



チェンバロと同じように真っ直ぐに張られています。

ところで、



このワルターモデルのフォルテピアノには、ピアノにあるべきものが見当たりません。何だかお分かりになりますか?

実は、このフォルテピアノには



音を伸ばすためのダンパーペダルや、音を弱めるためのウナコルダペダルが見当たりません。ではペダル機能は無いのかというとそんなことはなく、実は鍵盤の下に



こうしたレバーがついていて、これを膝で押し上げると、右がダンパーペダル、左がウナコルダペダルの役割を果たすようになっています。

後半のプログラムは、名曲《ピアノ四重奏曲第1番ト短調》です。

フォルテピアノと古弦楽器との演奏は、グランドピアノとモダン弦楽器での演奏と比べて音色の融和具合が絶妙でした。現代楽器での演奏だとどうしてもグランドピアノの音の強さが前面に出てきて、どうしても『ピアノVS弦楽器群』という力関係になってしまうのですが、繊細な音色のフォルテピアノによる演奏は弦楽器群を凌駕せずに響くので、全ての声部がきちんと融け合うのです。

勿論、現代楽器でのアンサンブルが無意味だとは思いません。それでもモーツァルトを演奏するにあたっては、この木の響板のフォルテピアノでの繊細な響きを知って演奏する必要があるのではないかと、改めて思いました。

久しぶりにフォルテピアノの音色を聴くことができて、幸せな気持ちになることができました。私も随分昔に演奏したことがありますが、またいつか自分でもピアノ四重奏曲を演奏したい気持ちになりました。

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今日はグノーの誕生日〜時を超えたバッハとのコラボレーション《アヴェ・マリア》

2022年06月17日 17時30分17秒 | 音楽
朝のうちこそ涼しかったものの、今日は事前の予報通りの暑さに見舞われました。ここ数日の涼しさに慣れきっていた子どもたちも久々の暑さにすっかりバテ気味になっていて、特に午後からの授業は後ろから見ていても気の毒なくらいでした。

ところで、今日6月17日はグノーの誕生日です。



シャルル・フランソワ・グノー(1818〜1893)はフランスで活躍した作曲家です。『フランス近代音楽の父』とも呼ばれ、美しい旋律や色彩感に満ちたハーモニーを伴った優雅でやさしい音楽は、今日も広く愛されています。

パリ近郊のサン・クルーに生まれたグノーはピアニストの母から音楽の手ほどきを受け、少年時代から楽才を発揮しました。1835年にはパリ音楽院に入学し、ピアノや作曲などを学んびました。

1839年にはローマ大賞を受賞し、翌年から3年間ローマに留学しました。この間にメンデルスゾーンの姉ファニー・ヘンゼルと出会い、バッハ、ベートーベンらのドイツ音楽を深く知るようになります。

またバチカンのシスティーナ礼拝堂でパレストリーナの音楽を聴き、説教師ラコルデールと出会ったことから宗教に傾倒したグノーは一時は聖職者を目ざし、パリ帰着後も1850年までは世俗を離れて宗教音楽の作曲と演奏に専心しました。1851年に友人の歌手のためにオペラ《サッフォー》を作曲したのを機にオペラに進出したものの成功しませんでしたが、一方で1855年に発表した《聖チェチーリア荘厳ミサ曲》が成功したことで、グノーの名は一躍高まることとなりました。

1859年に発表したオペラ《ファウスト》は大成功し、1869年にバレエ付きのグランド・オペラに改作した版により一層の成功を勝ち得たことで、グノーはオペラ作曲家として注目されるように》なりました。その後、1864年発表の《ミレイユ』、1867年発表の《ロメオとジュリエット》などで立て続けに成功を収めました。

さて、グノーと言われても今一つピンとこない方が多いかと思いますが、《グノーのアヴェ・マリア》といえばご存知の方も多いのではないでしょうか。

《グノーのアヴェ・マリア》はグノーが1859年に、



ヨハン・セバスティアン・バッハの《平均律クラヴィーア曲集 第1巻》の「前奏曲 第1番 ハ長調」を伴奏にして、そのメロディの上にラテン語の聖句「アヴェ・マリア」を歌詞に用いて完成させた声楽曲です。19世紀フランスの歌曲レパートリーとしての枠を越えて、ヴァイオリンやチェロ、フルートといった様々な楽器とピアノのための二重奏曲として編曲されたものもよく演奏されています。

ただ、実はグノーの引用した伴奏譜は、厳密にはバッハのものとちょっと違います。というのも、この伴奏には前奏曲1番の22小節目の後にクリスティアン・フリードリヒ・ゴットリープ・シュヴェンケ(1767〜1822)という後の時代の人物が新しい音形を1小節挿入したものが使われているのです。

シュヴェンケがどうしてこの1小節をバッハに付け足してしまったかは定かではありません。ただ、この1小節が入ったことによって、歌曲の伴奏としては自然な流れのものとなっていることは確かです。

そんなわけで、グノーの誕生日である今日はその《アヴェ・マリア》をお聴きいただきたいと思います。ディアナ・ダムラウのソプラノとグザヴィエ・ド・メストレのハープによる演奏で、バッハとグノーによる130余年の時を超えたコラボレーションをお楽しみください。


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待てど暮らせど来ぬ人を…

2022年06月16日 19時35分30秒 | 音楽
昨日の天気予報では28℃くらいまで最高気温が上昇するとのことでしたが、日照が無かったせいか実際にはそこまで気温は上がりませんでした。それでも空気の中に暑さの片鱗は見られましたから、明日以降が思いやられます…。

ところで、6月も半ばを迎えてあちこちで



マツヨイグサや



コマツヨイグサの花を見かけるようになりました。この花が咲くと、本格的な梅雨時だなと感じるようになります。

さて、マツヨイグサと言って思い浮かぶのは《宵待草》です。《宵待草》は



美人画で有名な竹久夢二の作詞、多忠亮(おおのただすけ)作曲による、今や日本歌曲のスタンダードナンバーのひとつとなっている名曲です。

1910年(明治43年)の夏、前年に離婚したにもかかわらずよりを戻した妻と2歳の息子を伴って房総方面に避暑旅行した夢二は、銚子から犬吠埼を経由して海鹿島(あしかじま)の宮下旅館に滞在しました。ここは太平洋に向かう見晴らしの良さで、明治から多くの文人が訪れた名所でもありました。

そこで夢二はたまたま当地に来ていた、秋田出身で当時19歳の長谷川カタという女性に出会いました。彼女の一家は秋田からちょうど宮下旅館の隣の家に転居してきていて、旅館に滞在していた夢二はカタと出会って親しく話すうちにすっかり心を惹かれた夢二は、妻子がありながらも彼女を呼び出して束の間の逢瀬を持ちました。

旅館付近を散歩する夢二とカタの姿はしばしば近隣住民にも見られていましたが、当然のことながら二人は結ばれることのないままで、夢二は家族を連れて帰京しました。一方のカタも夏休みが終わると成田へ戻り、父親は娘の身を案じて結婚を急がせました。

翌年、再びこの地を訪れた夢二は彼女が嫁いだことを知って自らの失恋を悟り、この海辺でいくら待ってももう現れることのない女性を想って悲しみにふけったといわれています。そして、宵を待って花を咲かせる宵待草に事寄せ、実らぬ恋を憂う気持が



この詩を着想させたといわれています。

如何にも恋多き竹久夢二らしい、哀しいエピソードです。妻子ある男の不倫と言ってしまえばそれまでですが、その恋が無ければこの名曲も生まれなかった…と思うと、いろいろと考えさせられます。

そんなわけで、今宵はマツヨイグサに事寄せて名曲《宵待草》をお聴きいただきたいと思います。昭和3年に発売された、四家文子(よつやふみこ)の歌唱によるレコード音源をお楽しみください。



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