共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

11月に桜サク?!

2021年11月30日 17時45分17秒 | 
今日は11月最終日です。何やかんやバタバタさせられた2021年も、気づけばあと1ヶ月となりました。

街中もすっかりクリスマスムードに染まり、行き交う人たちの服装も日増しに厚さを増していくようになってきました。そんな中で小田原の街を歩いていたら、



何と桜の花が咲いていました。色合いから恐らく十月桜ではないかと思いますが、この時期に桜の花を見かけると、やはり驚かされます。

今日夜半から明朝にかけて、神奈川県ではかなり激しい雨が降る予報が出ています。もしかしたら季節外れの『花散らしの雨』になってしまうかも知れませんが、はたしてどうなりますやら…。

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今日はドニゼッティの誕生日〜ヴァイオリンとハープのための《ラルゲットとアレグロ ト短調》

2021年11月29日 17時45分30秒 | 音楽
昨日に引き続き、今日も冷え込みました。日中はそこそこ気温が上がったようですが、それでも風の冷たさの方が勝ったようで、上着をひっぱり出しておいて本当によかったと思います。

ところで、今日11月29日はイタリア・ベルカントオペラを代表する作曲家のひとりであるドニゼッティの誕生日です。



ガエターノ・ドニゼッティ(1797〜1848)はイタリアのベルガモに生れて同地で没したオペラの作曲家で、ジョアッキーノ・ロッシーニ(1792〜1868)やヴィンチェンツォ・ベッリーニ(1801〜1835)と共に19世紀前半のイタリアを代表するオペラ作曲家として人気を博しました。

9歳だった1806年、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の楽長を務めていたヨハン・ジモン・マイールの慈善音楽院で学んだドニゼッティは、18歳となった1815年、楽長マイールの尽力でボローニャ音楽院に入学しました。その後、法律家になる事を期待した父親の束縛を逃れる為に軍隊に志願して兵に在籍したまま作曲を続けたドニゼッティは、1830年、33歳の時に発表したオペラ《アンナ・ボレーナ》で大成功を収め、一気に名声を確立しました。

オペラは70作品ほど作られたましたが、現在上演される作品は実はそれほど多くなく、初期作品は未だに日の目を見ていないものも数多くあります。それでも、現在では出世作である《アンナ・ボレーナ》をはじめ、

《愛の妙薬》(1832年)
《ルクレツィア・ボルジア》(1833年)
《マリア・ストゥアルダ》 (1834年)
《ランメルモールのルチア》(1835年)
《ロベルト・デヴェリュー》(1837年)
《連隊の娘》(1839年)
《シャモニーのリンダ》(1842年)
《ドン・パスクワーレ》(1842年)

といった演目が世界中のオペラハウスで上演されて人気を博しています。

悲劇であるオペラ・セリアでは、いわゆる狂乱オペラの金字塔的作品である《ランメルモールのルチア》や歴史絵巻的作品の《アンナ・ボレーナ》《ロベルト・デヴェリュー》が、喜劇であるオペラ・ブッファでは代表作《愛の妙薬》の他に《連隊の娘》《ドン・パスクヮーレ》などが人気があります。こうして見るとドニゼッティは、ロッシーニやリヒャルト・シュトラウスのように悲劇にも喜劇にも代表作が複数列挙できる、比較的数少ないタイプの作曲家であると言えるかも知れません。

オペラ作曲家として認識されているドニゼッティですが、実はボローニャ音楽院在学中や卒業後の若い頃にシンフォニアや協奏曲、室内楽曲も手がけています。中でも弦楽四重奏曲は19曲も遺していて、そのうちのいくつかは現在でも演奏されています。

そんな中から今回紹介するのは、ヴァイオリンとハープのために書かれた《ラルゲットとアレグロ ト短調》という小品です。この作品も若い時分の作品ですが、後様々なのオペラ作品を彷彿とさせる美しいメロディに満ちた佳作です。

そんなわけでドニゼッティの誕生日である今日は、彼の若書きの愛らしい秘曲を、ヨゼフ・スークのヴァイオリンとダクマール・プラティローヴァのハープでの演奏でお楽しみください。


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ゲネプロからの東京スカイツリー

2021年11月28日 17時20分55秒 | 音楽
今日は今度の土曜日に本番のあるオーケストラのゲネプロ(最終練習)に参加するために、東京都墨田区までやって来ました。



練習会場に着いて準備をしていたら、急にメンデルスゾーンの《結婚行進曲》の楽譜が配られました。何でも今回の指揮者が結婚されたばかりとのことで、サプライズで演奏しようということになったようでした。

そうとは知らない指揮者氏、早速練習を始めようと指揮棒を振り上げた途端

♪パパパパ〜ン、パパパパ〜ン

とトランペットが吹き出したのを皮切りにオーケストラが一斉に《結婚行進曲》を演奏し始めました。はじめは何のことだかわかっていない様子の指揮者氏でしたが、どうやら自身へのサプライズだと理解するとニコニコしながら聴いていました。

ヴァイオリンパートの女性からプレゼントを渡された指揮者氏は嬉しそうにしながらも

「いやぁ、でも私が結婚してから2年経ってるんですけど…。」

という言葉。そう、実はもう結婚されてからかなり時間が経ってしまっていたのですが、コロナ禍で本来なら昨年やるはずの演奏会が延期になってしまってお祝いができずにいたので、今回このタイミングになったのだそうです。

今日は最終の全体練習ということで、全体を通してから細かな部分の微調整をするかたちとなりました。もう本番が控えている時にできることはそう多くはなく、逆に間際になってあれこれ方針を変えてしまうと混乱の元になったりもしてしまうのです。

一通り通して練習を終えたら、ヴィオラパートのトップの方が

「押上駅まで車で送ってあげるよ。」

と仰ってくださったので、お言葉に甘えて乗せていただくことにしました。あれこれと話をしながら押上駅で降ろしてもらうと、目の前に



レインボーカラーの東京スカイツリーがそびえ立っていました。

それにしても今日は寒かった!このスカイツリーの写真を撮っていた時の外気温は12℃でした。そろそろジャンパーやコートをひっぱり出してもいいのかも知れません。

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年賀状完成!

2021年11月27日 20時15分20秒 | 日記
眠い…

『春眠暁を覚えず』とはよく言いますが、今日の私は正に『秋眠暁を覚えず』状態。何だかいつまで経っても眠気が収まらず、布団の中でウダウダやっていたらいつの間にか午後になっていました。

何ならもうこのまま寝てよう(。-ω-)zzz…と思ったら、こういう時に限って知り合いから電話がかかってきました。その時に

「ゴメン、さっきまで寝てた…」

みたいな話をしたら

「アンタさぁ、何だかんだ言っても疲労蓄積してんでしょ。もういい歳なんだから、無理きかせない方がいいよ。」

と言われました。

『いい歳』発言には若干イラッ(#`´)としましたが、まぁ否定すべくもないのでスルーしておきました。ただ、本人はどうにか対処できているつもりでも、身体は正直だったということなのでしょうか…。

一通り話し終えてから、倦怠感満載の身体を起こして買い物に出かけました。その前に、セブンイレブンから頼んでいた年賀状が刷り上がったというメールが入ってきたので受け取ってきました。

私の2022年の年賀状は



これです。これはLoftデザインのものですが、デフォルメされた富士山のてっぺんに主役であるはずの干支の寅がニャンコのようにチョコンと立っている図がメチャメチャ可愛くて、迷わずこれを選びました。

何だかんだ出すのがギリギリになってしまって、毎年年賀状を元日に届くようにできていません。今度はちょっと早めに出来上げたこともありますから、なるべく来年元日にお届けできるように心がけようと思います。

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新たなノスタルジックマンホール@《MINAKA小田原》

2021年11月26日 18時40分20秒 | 日記
今日は私が担当している支援級の担任の先生が5年生の校外学習に同行して終日おられなかったので、教務主任の先生が担任代行でいらしてくださいました。残った子どもたちは『担任の先生がいない』といういつもと違う状況に敏感に反応して、戸惑ったり、挙動不審になったり、逆に調子に乗って騒いだりと各々シッチャカメッチャカでした(汗)。

それでも何とか今日の授業を終えて、出かけておられる担任の先生に状況をLINEで報告して勤務を終えました。そして小田原駅まで向かい



駅ビルの隣りにある《MINAKA小田原》までやって来ました。

最近、ここの前の路上に新たなマンホールがお目見えしました。それが



貴賓室があった小田原駅の旧駅舎を描いたものです。以前



小田原市内に新設されたガンダムのマンホールを載せましたが、今回のマンホールはこれに次ぐものとなります。

今でこそ近代的なビルがそびえている小田原駅ですが、かつてこちらには



三角屋根の愛らしい駅舎が建っていました。ただ、1920(大正9)年10月21日に熱海線(当時)の駅として開業した当時は屋根に展望塔が建つモダンな造りで、



現在JR小田原駅改札口の上に、当時の姿の写真が掲示されています。

かつての小田原城敷地内に旧閑院宮家の御用邸があったこともあって、開業当初の小田原駅には貴賓室や皇族専用の改札も設けられていました。今でも駅長室には



貴賓室に設置されていた暖炉の外枠が保存されているのだそうです。

完成から3年後に発生した関東大震災で小田原の街は壊滅的に破壊され、旧小田原駅の優美な展望塔も倒壊してしまいました。その後、三角屋根のある形に再建された小田原駅は市民に長く愛され、新駅舎開業によって2003年に解体されるまで当時の佇まいを残していました。

今でこそ近代的な建物になり、新幹線側の西口と小田原城側の東口とを自由通路が結ぶ利便性の高い駅舎となりましたが、旧駅舎はJR(国鉄)と小田急線・箱根登山鉄道が改札を共有していて、私鉄に乗るには更に構内の共有通路の途中にある別改札を通らなければならない造りになっていました。しかもこの共有通路というのが各路線の線路の下を通る構造になっていたため半地下になっていて、台風や大雨の時には排水が儘ならずに通路が水没してしまうこともありました。

しかも当時の小田原駅では西口と東口とを自由に行き来することができず、反対側の改札口に行くには、馬鹿馬鹿しくとも入場券を買って改札を通るか、駅からかなり離れたところにある道路まで行って回り道するしかありませんでした。そういった意味で使いにくかった駅舎の利便性の向上は小田原市民の悲願でもありましたが、恐らく今の20代以下の若者たちは、かつての小田原駅がそんな不便な駅だったことは知らないでしょう。

勿論、駅舎の利便性が向上することは素晴らしいことです。しかし利便性の向上を追求していった結果、どこに行っても同じような見た目の駅舎ばかりになってしまっていることも否めなくなってきてはいないでしょうか。

そうした意味では、新たに登場したこのマンホールの絵柄にかつての昭和のノスタルジーを感じるのもまた一興…といえるのかも知れません。そんなことを思いながら、便利になった小田原駅を後にしたのでありました。

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迫りくる年の瀬感

2021年11月25日 19時10分15秒 | 日記
今日はプロテスタントで祝われるサンクスギヴィングデー、感謝祭です。国によって違うようですが、特に米国では毎年11月の第4木曜日となっており、日本でもこれに準じていることが多いようです。

通例では!サンクスギヴィングデーを過ぎるとクリスマスの飾り付けをしてもいいとされています。それを象徴してかどうかはさておき、街中では



きらびやかなリースや



華やかなポインセチアが見受けられるようになってきました。

これからクリスマスに向けて、あちこちの街がクリスマスツリーやイルミネーションで華やかに飾られるようになってきます。と共に、年末感がひしひしと迫ってくるようにもなってきます。

ふと気づけば、紆余曲折あった2021年もあと1ヶ月ちょっと。新規罹患者数が落ち着いてきたとは言え、新型コロナウィルス禍が収束したわけではない中で年の瀬を迎えます。

あれこれと世知辛いニュースが飛び交っていますが、せめて穏やかなクリスマスや正月を迎えられるようにしたいと思います。

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終わってしまう前に再びの『スイートポテトパイ』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2021年11月24日 18時20分18秒 | カフェ
昨日が祝日だったこともあって今日が月曜日のような気がしていて、出かける時にふと楽器を持っていくことを忘れそうになりました。しかし、テレビのニュースを観て今日が水曜日であることを思い出し、慌てて音楽教室に行く準備をしてから小学校支援級勤務に向かいました(汗)。

ハッピーマンデー制度のせいで、たまに月曜日ではないちゃんとした祝日があると調子が狂います。こうした弊害を無くすためにも、そろそろ他の祝日も元に戻してもらえないものでしょうか。

さて、今日も様々な事件のあった支援級勤務を終えてから、一路横浜あざみ野の音楽教室を目指しました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日は、



今月で終わってしまう限定メニューの『スイートポテトパイ』を、もう一度オーダーすることにしました。サクサクのパイにのせられたスイートポテト風のクリームとほろ苦いキャラメルソースとの相性は絶妙です。

今日は味わい深いブラジルコーヒーと共に、美味しく堪能しました。こうして美味しいコーヒーをいただくと、心身共にホッとします。

冬至に向けてどんどん日が短くなってきて、こちらに来る頃にはだいぶ外が暗くなるようになってきました。本格的に寒くなると、ますますコーヒーが美味しくなるのではないかと期待しています。

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阿夫利神社de新嘗祭、からの大山寺圧巻の紅葉

2021年11月23日 18時18分18秒 | 神社仏閣
今日は新嘗祭です。決して勤労感謝の日などという、よく分からない旗日ではありません(笑)。

例年新嘗祭は相模國一之宮である寒川神社に参詣していました。しかし、今年は久しぶりに関東綜鎮護である大山阿夫利神社に参詣してみることにしました。

朝早くに小田急線で伊勢原駅に向かい、そこからシャトルバスに乗って一路大山ケーブルカー乗り場を目指しました。バス停からケーブルカー乗り場までは『こま参道』と呼ばれる、なかなか急角度の362段の石段の参道を進みます。

山の中腹ということもあって辺りの空気はヒンヤリしていて、訪れた人たちもダウンジャケットやセーターを着込んでいました。しかしこの参道の階段がなかなかの強敵で、階段を登りきってケーブルカーのチケット売り場に到着する頃には、殆どの人たちが厚い上着を手に持ったり腕まくりしたりしていました。

列に並んでしばらく待った後にケーブルカーに乗り込み、先ずは頂上の阿夫利神社下社を目指しました。阿夫利神社駅に近づくにつれてどんどん雲が迫ってきて、駅を出ると



周囲の山々も雲に包まれ、幻想的な光景が広がっていました。

鳥居に向かう石段の周りは



正に綾錦の如くの紅葉が連なり、訪れた人たちが盛んに写真や動画を撮影していました。そんな紅葉を左右に眺めながら石段を登ると



銅製の大きな鳥居が見えてきます。その奥に続く拝殿への列に並んで



裏手に雲の迫る拝殿へと進み参拝しました。



拝殿前に飾られた色とりどりの菊の花を眺めていたら、横にある参集殿の中から



巫女に先導されて新嘗祭を執り行う神職が出てきました。彼らは拝殿に向かう前に



鳥居のすぐ横にある結界の張られた真榊の木に向かって祝詞を奏上し、それから



拝殿へと進んでいきました。

やがて、新嘗祭の開始を告げる荘重な太鼓の音が響き渡ると神職が本殿に続く階を登って行き



本殿の扉を開け放ちました。そして厳かな雅楽が流れる中、



巫女や神職によって御簾の前に神酒や神饌が次々と供えられていき、



神前に祝詞が奏上されて新嘗祭が恙無く挙行されました。

相模湾からも仰ぎ見ることのできる大山に鎮座する大山阿夫利神社は江島神社と対に考えられていて、大山に詣でたなら江の島にも詣でねば『片参り』になると言われています。それを象徴するかのように阿夫利神社下社の鳥居からは



遥か相模湾に浮かぶ江の島を眺めることができます(写真中央)。

大山阿夫利神社は標高の高い場所でもあることから、境内のあちこちの木々は



御覧のように見事に色づいていました。ふと気づくと周囲の山にかかっていた雲も少しずつ空へと上がっていき、晴れ間も覗き始めていました。

しばらく阿夫利神社の境内で紅葉を堪能した後、再びケーブルカーに乗り込んで一駅下の大山寺に向かいました。このお寺の本堂へと登る石段の両側にはイロハモミジの木が植えられていて、



御覧のように参道を紅く包み込みます。



石段を登り降りする参詣者たちは歓声を上げながら上を見上げ、思い思いに写真を撮影していました。中には撮影に夢中になり過ぎて、濡れた落ち葉に足を取られて危うく滑り落ちそうになる人もいて、他人事ながらヒヤヒヤさせられました(汗)。

それにしてもこの石段の紅葉は実に見事で







どこを切り取っても絵になります。ともするとこうした参道には春の桜の木を植えがちですが、秋の紅葉を植えることを決めた人物は先見の明があったといえるかも知れません。

鮮やかな紅葉を堪能しながら石段を登りきると



大山寺の本堂が見えてきます。ここから登ってきた石段を見下ろすと



雨に散った紅葉の葉が敷き詰められた石段と、それを覆うようにして左右からのびる紅葉の枝が広がる圧巻の光景が見られます。

千葉の成田山、東京の高尾山と共に関東三大不動のひとつに数えられる大山の鉄(くろがね)不動尊を参拝してから本堂を出ると、こちらの境内も



本堂横の青銅製の宝篋印塔や



鐘楼付近で見事な紅葉を堪能することができました。それから本堂に向かい合うように立っている石造の不動明王立像のところまで移動して



本堂と参道の紅葉の遠景も撮影してきました。

昨年はコロナ禍でこうした近距離の旅も儘なりませんでしたが、今日は2年越しの大山の紅葉を存分に堪能することができました。来年にはマスク無しで参詣できるようになっていればいいのですが、さて一体どうなりますやら…。

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今日はロドリーゴの誕生日〜ギター協奏曲の金字塔《アランフェス協奏曲)

2021年11月22日 18時18分18秒 | 音楽
今日の神奈川県は、朝から冷たい雨の降る生憎のお天気となりました。昼過ぎからは雨足も強まり、家の中にいても雨音が聞こえるほどでした。

こうして一雨毎に冬らしくなっていくと思うと、冬生まれの私としては、それもまた楽しからずや…と思えてきます。もういい加減、半袖の上着にはご退場願っても大丈夫かなと思います(まだしまってなかったのかよ…)。

ところで、今日11月22日は『いい夫婦の日』ではなく、ロドリーゴの誕生日です。



ホアキン・ロドリーゴ・ビドレ(1901〜1999)はスペインの作曲家です。

スペインのバレンシア州のサグントに生まれたロドリーゴは、3歳のころに悪性ジフテリアにかかって視覚障害者となり視力を失ってしまいます。そんな中でも8歳でピアノとヴァイオリンの学習を始め、パリのエコール・ノルマル音楽院で、ディズニー映画『ファンタジア』にも登場する交響詩《魔法使いの弟子》で有名なポール・デュカス(1865〜1935)に作曲を師事しました。

1924年には管弦楽曲《子どものための5つの小品》を発表し、スペイン国家賞を授与されました。1933年にはトルコ人ピアニストのビクトリア・カムヒ(1905〜1997)と結婚して、一女のセシリアをもうけました。

生前のロドリーゴは後進の育成にも力を入れていて、亡くなる半年前には当時パリに在住していた日本人ギタリスト村治佳織が訪れて、ロドリーゴが作曲した曲を数曲披露したこともありました。そして1999年に、老衰のためマドリードで逝去しました(享年97)。

ロドリーゴの代表作といえば、何を置いてもギター協奏曲の《アランフェス協奏曲》です。これは音楽の教科書に掲載されているので、曲名だけでも知っている方も多いかと思います。

《アランフェス協奏曲》は1939年にパリにおいて、クラシック・ギターの独奏と管弦楽のために作曲されました。ロドリーゴはスペインの古都アランフェスがスペイン内戦で被害を受けてしまったことから、スペインとアランフェスの平和への想いを込めてこの作品を作曲したと伝えられています。

特に有名となった第2楽章については、病を得て重体となっていた妻の平癒を願う神への祈りや、亡くなった娘セシリアに対する追慕の念が込められているとも言われています。この楽章は単独で様々に編曲されて親しまれていて、特に1959年に発表されたトランペット奏者マイルス・デイヴィス(1926〜1991)のアルバム『スケッチ・オブ・スペイン』でのバージョンは有名ですし、今年他界したチック・コリア(1941〜2021)は自身の楽曲『スペイン』のイントロにこの楽章のフレーズを使っていますので、そちらのバージョンでメロディを御存知の方も多いのではないでしょうか。

勿論、有名な第2楽章だけでも十分聴き応えのある曲ですが、ギター協奏曲としてはやはり全曲聴いてこそ真価を感じることができます。そんなわけで、ロドリーゴの誕生日である今日は《アランフェス協奏曲》全曲を、山下和仁さんのギターソロでお楽しみください。


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今日はフランシスコ・タルレガの誕生日〜隠れた名曲《ラグリマ(涙)》

2021年11月21日 16時45分40秒 | 音楽
今日は昼前から段々と雲の広がる、ちょっと生憎な天候となりました。気温も昼にかけて下がっていき、さしもの暑がりの私も

「…寒っ!」

と思ったほどでした。

ところで、今日11月21日はフランシスコ・タルレガの誕生日です。



フランシスコ・タルレガ(1852〜1909)はスペインの作曲家・ギター奏者です。

スペインのヴァレンシア地方、ヴァリャレアルに生まれたフランシスコ・タルレガは、大変貧しい家庭に育ったと伝えられています。 両親が共働きだった為、幼いフランシスコはベビーシッターに育てられていました。

ある日、むづがって泣く幼いフランシスコをあやすことを諦めたべビーシッターは、腹いせに街の汚水処理用の水路に彼を放り込んでしまいました。この時に受けた身体的衝撃と寒さによって幼いフランシスコは生死をさまようほど衰弱し、彼の両目の視力は遺伝的な要因も重なって、遂に全快できないほどの損傷を受けてしまいました。

その後、8歳の頃からギターを始めた幼いタルレガは、学校を休んでまで家計の手助けをしなければなりませんでした。 しかし貧しいながらも芸術好きな父親の理解もあり、ソルフェージュの手ほどきを受けるようになります。

自分の息子に音楽的な才能が眠っていることを予感した父親は、遺伝的にフランシスコの眼が完全に見えなくなった場合でも音楽の道で生きていけるようにと熟慮して、ギターをバレンシア有数の盲目のギタリストであるマヌエル・ゴンザレスに学ばせる他にソルフェージュやピアノも学ばせました。1862年、当時有名なコンサートギタリストだったフリアン・アルカスがタルレガ親子の住む街に立ち寄った時に幼いフランシスコの演奏を聴いて神童と褒め称え、将来は音楽勉強の為にバルセロナへ行くことを強く薦めました。

1874年、22歳でマドリッド国立音楽院に入学したフランシスコはギター、ピアノ、ヴァイオリン、作曲において優秀な成績を修め、 翌年の1875年に開催されたコンクールで第1位を獲得しました。卒業後はバルセロナやマドリードなどの主要都市で多くの演奏会が開いて従来のギター演奏には見られなかった新鮮で独特の奏法で聴衆に熱狂的に迎えられ、ヴァイオリンの名手で《ツィゴイネルワイゼン》の作曲者でもあるパブロ・デ・サラサーテ(1844〜1908)になぞらえて『ギターのサラサーテ』と評されるまでになりました。



さて、フランシスコ・タルレガの作品と言えば何と言っても名曲《アルハンブラの思い出》が有名ですが、ひねくれブログとしてはそんなメジャーな曲は紹介しません(オイ…)。今回、拙ブログで紹介するのは《ラグリマ》という小品です。

《ラグリマ》とはスペイン語で『涙』を意味します。

1891年12月、タルレガは演奏旅行を終えて帰宅した際、妻から娘のコンチータが3日前に亡くなった事を知らされます。一説によると《ラグリマ》は、このコンチータの死に触発されて生み出された作品だと言われています。

甘美で優しいホ長調の主題にもの悲しく感傷的な中間部が同主短調(ホ短調)で交代して現れるところにタルレガの娘に対する愛情と、その死に対する悲しみが表現されているのかも知れません。開放弦が多いことでギターの発表会等でも演奏されることが多い曲ですが、その作曲の陰にはこんな悲しい物語があったのですね。

そんなわけで、今日はタルレガの誕生日を祝して《ラグリマ》の演奏動画を転載してみました。《アルハンブラの思い出》とはまた違った、優しくも哀しいギターの名曲を御堪能ください。


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久々お絵描き

2021年11月20日 16時20分30秒 | アート
昨日の部分月食、皆さんのお住まいのところでは御覧になれましたでしょうか?厚木市は、昨日書いた通り残念な結果となりました…。

ところで月食のことですっかり忘れていたのですが、昨日小学校支援級の図工の時間に子どもたちに『トロトロ絵の具』というものをさせました。これは、通常なら絵筆にとって描く水彩絵の具を指に直接つけて絵を描くというもので、筆で描くのとは違った風合いの絵を描くと共に絵の具の手触りそのものも楽しむというものでした。

子どもたちが思い思いにいろいろな絵を描いていた中で、ひとりの子が

「先生(私)も描いて〜。」

と言ってきました。個別指導の立場であまり余計なことはしないようにしているのですが、担任の先生が紙を渡してくださったので私も参加することにしました。

とは言ったものの、いざ紙を前にすると何を描いていいのか分からずにしばらく考えていました。そうしているうちに不意に頭の中に絵が浮かんできたので、子どもたちが使っていた絵の具を使わせてもらってそれを描いてみることにしました。

そして出来上がったのが



これです。照明で見ると平べったい感じに見えるのですが、窓からの光で見てみると



少し鏝絵(こてえ)のような感じになって、絵の具を直接指で厚塗りした凹凸感がよく見えるかと思います。

子どもたちの自由な発想のものと違って、私のものは何処やらで見た日本画ような出来上がりとなりました。ただ、まぁそれはそれで御愛嬌ということでお目溢しいただけましたら幸いです。

描き終えた後に先生方に

「綺麗な牡丹の絵ですね。」

と好評を頂きました。ただ、実は八重咲きの山茶花を描いたつもりでしたが、とりあえず黙っておくことにしました。

やっぱり私にとって、図画工作は難敵です…。

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140年ぶりのほぼ皆既月食!ですが…

2021年11月19日 18時55分25秒 | 日記
今日は、日本のほぼ全域で部分月食が観察できる日となりました。部分月食なら今までにも何度かありましたが、今回は満月の98%が侵食するという、ほぼ皆既月食に近いものとなります。

ここまで大規模な部分月食は明治時代の1881年12月6日以来、実に140年ぶりとなります。こんな稀有な天体ショーを子どもたちにも知ってもらいたい!ということで、今朝小学校に出勤してから教室の黒板に



こんなイラストを描いてみました。

ただ、月食が始まる時と終わっていく時とをきちんと調べずに適当に描いてしまったため、実際の欠け方とは違うものとなってしまいました。なので、

「なんか違うぞ!」

というクレームは御遠慮ください(汗)。

今日の理科の時間を使って



月食の仕組みを子どもたちに説明しました。反応は何だか今ひとつでしたが、それでも何やら珍しいことが起こる…ということは感じてくれたようです。

そして夕方になり、食が最大になる頃に出かけてみました。理想は



こんな感じのものを期待していましたが、実際には…



こんな感じでした。因みに、画面の真ん中にある光る点が最大食になった満月…のはずですが、薄雲の向こうに隠れてきちんと観ることはできませんでした(涙)。

後で調べてみたら、埼玉県川口市では



こんな感じに見えたようですし、小田原市内でも場所によっては



こんなにくっきり見えたところもあったようです。つくづく悔しい限り…(泣)。

因みに、次回日本国内で月食が観測できるのは2022年11月8日の皆既月食とのことです。なかなか天候に恵まれることのない月食ですが、次は観測できることを期待したいと思います。

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ゴメン、やっぱり好きになれない…

2021年11月18日 18時05分18秒 | 日記
すっかり忘れていた…と言うかそもそも興味もないのですが、今日は今年のボジョレーヌーボーの解禁日です。今年も酒屋の店頭には



ボジョレーヌーボーの山が出来ていました。

昨年と比べると、今年はいくらか盛り上がってきている感はあります。それでも店頭に掲示されていた

『おうち時間にボジョレーを』

というキャッチフレーズは、だいぶ事態が鎮静化してきた昨今にあっては若干無理があるようにも思えてきます。

それにしても、ワインの新酒は何回試しても好きになれません。確かにアルコールっ気はあるのでグレープジュースとは違うのですが、ちゃんと熟成していない感の方が際立っているような気がしてしまうのです。

何しろ、あの未熟成の新酒ならではの酸っぱさが受け入れられません。あの酸っぱさでは何の料理と合わせたらいいのかも分かりませんし、だからといって単体で飲むのも辛いので、結果毎年買わずにいます。

今年は試飲も配っていたので受け取って飲んでみたのですが、やはり酸っぱくて私はダメでした。ここまで私と相性が悪いとなると、今後も買って飲むことはなさそうです…。

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期間限定サックサクスイートポテトパイ@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2021年11月17日 18時18分40秒 | カフェ
今日もいいお天気に恵まれた中、小学校支援級の勤務をしてきました。今日は天候が安定していたせいか昨日ほど荒れませんでしたが、それでも給食後の5時間目や6時間目になると

「眠い」「疲れた」「もうイヤだ」

の3点セットが教室内を飛び交うカオスとなりました…。

そんなシッチャカメッチャカの支援級勤務を終えて、一路横浜あざみ野の音楽教室を目指しました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日は周年記念特別メニューのひとつ



『スイートポテトパイ』をお願いしました。昨年はティラミスパイでしたが、今年はさつまいもスイーツとなりました。

サックサクのパイの上にスイートポテト風の自家製さつま芋クリームがあしらわれ、ほろ苦いキャラメルソースとクラッシュナッツがトッピングされています。添えられたバニラアイスにはさつま芋チップスもあしらわれ、食感のアクセントになっています。

滑らかなさつま芋クリームとサクサクしたパイとの相性は抜群ですし、キャラメルソースとナッツの組み合わせは間違いありません。それらが口の中で合わさると、何とも幸せな気持ちになります。

今日も期間限定のブルーマウンテンブレンドコーヒーと共に、美味しく堪能しました。こうした至福の時が週に一度あるということは、実に幸せなことです。

立冬過ぎになって、陽が落ちるのがどんどん早くなってきました。何となく時間間隔がおかしくなりそうですが、うっかりくつろぎ過ぎないように気をつけなければ…。

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今日はパウル・ヒンデミットの誕生日〜愛妻に捧げた《木管楽器とハープのための協奏曲》

2021年11月16日 18時35分20秒 | 音楽
今日も小学校支援級では様々な事件がありました。ただ、その多くが子どもたちの自分本位な我儘なので、一つ一つを拾い上げ過ぎないようにしないと、こちらの身が持ちません(汗)。

ところで今日は、パウル・ヒンデミットの誕生日です。



パウル・ヒンデミット(1895〜1963)はドイツ・ハーナウ出身の作曲家、指揮者で



ヴィオラ奏者としても活躍していました。その他にもヴァイオリン、クラリネット、ピアノなど様々な楽器を弾きこなす多才な演奏家だったそうです。

ヒンデミットは第一次世界大戦後、ロマン派音楽からの脱却を目指して新即物主義を推進し、20世紀ドイツを代表する作曲家として同時代の音楽家に強い影響を与えました。また生涯に600曲以上を作曲し、交響曲やオペラばかりではなく、オーケストラを構成するほぼすべての楽器のためのソナタを作曲しました。

1934年当時、ドイツの新進気鋭の作曲家だったヒンデミットの代表作の一つ《画家マティス》は、世界有数の名門ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とベルリン国立歌劇場の音楽監督の地位にあったヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886〜1954)によって初演されて大成功を収めました。しかし、ナチスの強力な一党支配の下で後に『ヒンデミット事件』と呼ばれる政治的な音楽家排斥事件が起き、ヒトラーの独断的見解によって当時の気鋭の作曲家たるヒンデミットを「無調の騒音製造者」であるとする攻撃的講演会が行われ、これを受けてドイツ国内のナチス寄りの新聞は一斉にヒンデミットを批判し始めました。

このことによってヒンデミットは当時就任していた帝室音楽院の顧問を辞し、音楽大学の教授職を休職した上でドイツから離れてスイスへ移住することとなりました。その後は度々アメリカを訪れ、作曲の講演会を開いたりヴィオラ独奏者としての演奏活動を行ったりして、1940~53年まで米国コネティカット州にあるイェール大学で作曲科主任教授を務めました。

私も何度かヒンデミットの作品を演奏したことがありますが、その中でもとりわけ印象深いのが《木管楽器とハープのための協奏曲》です。

《木管楽器とハープのための協奏曲》は、アメリカ・コロンビア大学アリス・ディットソン基金の委嘱によって1949年に書かれ、同年5月15日にニューヨークで初演されました。フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットの4種の木管楽器とハープというソリスト群、そして金管楽器群と弦楽合奏というユニークな編成となっています。

この曲は全3楽章からなり、金管楽器群と弦楽合奏とによる勇壮なトゥッティと木管楽器4本とハープという室内楽的なソリスト群とのやり取りが魅力となっています。特に終楽章ではメンデルスゾーン作曲の《夏の夜の夢》の中の『結婚行進曲』のメロディがクラリネットで通奏されますが、これはコロンビア大学のディットソン基金の創設者だったアリス夫人との銀婚式を記念して、サプライズで曲の中に取り入れたものとされています。

知っているメロディのため、終楽章を聴いているとどうしてもクラリネットの『結婚行進曲』に耳が行きがちになりますが、そればかり聴いてしまっては折角のヒンデミット作品としての真価は感じられません。なので、終楽章になったらなるべくクラリネット以外のメロディラインを聴くように集中してみていただきたいと思います。

そんなわけで、今日はヒンデミットの愛に満ちた《木管楽器とハープのための協奏曲》をお楽しみいただきたいと思います。先程も言いましたが、終楽章のクラリネットのメロディラインに惑わされないようにして、あくまでもヒンデミット作品としての魅力を御堪能ください(笑)。



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