共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

地味でもいい曲 ~ ベートーヴェン ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 Op 19,

2020年01月31日 20時55分20秒 | 音楽

早いもので、今日で一月が終わります。何だか、ついこの前初詣したばかりのような気がするのですが(オイ…)。

さて三月に、以前にも出演した埼玉県加須市で開催される室内楽コンサートに出演することになりました(17年3月20日の記事参照)。オファーは年明け前に頂いていたのですが、先日楽譜が届いたのです。

このコンサートのメインプログラムはベートーヴェンのピアノ協奏曲です。ピアノ協奏曲というと通常はフル編成のオーケストラを従えての演奏ですが、前回の第1番の時と同じく今回も室内楽版での演奏となります。

昔は今と違ってレコードやCDなんぞありませんから、話題の新曲を聴くためにはコンサート会場へ足を運ぶしか方法がありませんでした。それをより手軽に聴くために、新曲が発表された後で小編成の室内楽に縮小編曲した楽譜が出回り、それが今日で言うレコード代わりとなっていたのです。今回も、そうしたバージョンでの演奏となります。

ベートーヴェンの5曲のピアノ協奏曲の中で唯一オーケストラにティンパニが使われていないこともあってか地味な印象を持たれることが多いのですが、練習してみると実はなかなか内容の充実した難しい曲だということに気づかされます。もっと演奏される機会が多くてもいいと思うのですが、どうしても続く第3、第4、第5番と比べると知名度の低さが気になるところです。

そんなわけで、せめて拙ブログを御覧の皆様にこの名曲を知って頂きたくて動画を転載してみました。30分程ですが、耳を傾けて頂ければ幸いです。クリスティアン・ツィンメルマンのピアノ弾き振り、ウイーンフィルによる演奏です

Krystian Zimerman, Beethoven, Piano Concerto No 2, Op 19, Sheet Music, Partitura

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久々の味 〜 福岡物産展

2020年01月30日 23時23分16秒 | グルメ
今日はたまプラーザの教室の日でした。

駅に着いて教室に行こうとしてふと見上げると、駅前の東急百貨店の上に燦然と輝く『福岡物産展』の文字が! 

『もしや…』

と思いつつ、はやる心を抑えて会場に向かってみると…ありました!梅ヶ枝餅です!

前にもここで福岡物産展が開催された時に出店していましたが、今回も太宰府の『かじの家』さんが出店していました。アクリルで囲われた中では




餅であんこを包むお兄さんと、それを焼き型に入れて焼くお兄さんとが、ひっきりなしに梅ヶ枝餅を作り続けていました。アクリル越しに伝わってくる熱は相当なもので、このブースの中が如何に過酷な状況であるかが容易に想像がつきます。

とりあえず自分で教室で食べる分だけということで、今回は



2個買いました。出来たてアツアツの梅ヶ枝餅は柔らかな部分と型に挟まれてパリッとなった部分と、2つの異なる餅の食感を楽しむことができます。甘さ控えめのあんことも絶妙なバランスで、頂くと口いっぱいに幸せが広がります。生徒が来る前に、お茶と一緒に美味しく堪能しました。たまにこうした地方物産展があると、楽しいものです。

本当は『博多通りもん』やかねふくの明太子なども買いたかったのですが、あまり調子に乗ってあれこれ買うと帰りが大変になるので自重しました(汗)。でも、またいつか梅ヶ枝餅食べたいなぁ…と思います。
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喫茶メニューの王道 〜 ピザトーストとブルーマウンテン

2020年01月29日 23時12分00秒 | カフェ
今日はまた、異様に暖かな陽気となりました。日中は上着すら必要ない感じで、ちょっと走れば暑いくらいです。

今日は、たまたま仕事の移動中にあざみ野に来たという知人を伴って《雫ノ香珈琲》に行きました。ランチ時は過ぎていたのですがお腹は空いていたので、ブレンドコーヒーを頂いた後に、そう言えば一度もオーダーしていなかったピザトーストをお願いしました。

特製ソースを塗った厚切りのイギリスパンに、ピーマンとダイスカットしたトマト、角切りベーコンが散らされ、ピザチーズをたっぷりとのせて焼き上げられたピザトーストは、喫茶店メニューとしての王道を行く安定の美味しさです。やはり喫茶店には、こうしたメニューが似合います。

その後で、



最近よく出ているというブルーマウンテンNo.1をオーダーしてみました。通常こちらでは白地のカップでコーヒーが饗されるのですが、このブルーマウンテンだけは御覧のように、地模様の入った深めのカップで提供されます。

もう、カップを鼻先に持ってきた段階で、明らかに他のコーヒーとは違う豊かな香りを感じます。丁寧に自家焙煎されたブルーマウンテンの深い風味は格別です。さすがに他のコーヒーと扱いが違うだけのことはあります。

こうした美味しいコーヒーを頂ける時間というものは、何とも幸せなものです。途中で仕事に出てしまったものの、知人もこの店のコーヒーを気に入ってくれたようで何よりでした。

活気のあるランチタイムもいいのですが、落ち着いた雰囲気になる黄昏時の《雫ノ香珈琲》も、またいいものです。ゆったりと過ごしたい方には、夕方から日没以降がおすすめですので、是非いらしてみて下さい。
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秘儀!小田原の通り抜け

2020年01月28日 20時10分59秒 | 日記
深夜に雪が降るかも…と散々脅されていた空模様は雨のままに終わり、最悪の事態は回避できたようです。どうも首都圏は降雪に弱くて困ります。

さて、今日も小田原の放課後子ども教室の日でした。小田急線で小田原駅の10番ホームに電車が到着すると、終点なこともあって大勢の乗客が一斉に降車します。そして改札口に向かうエスカレーターに乗ろうとするのですが、この10番ホームと9番ホームの前方にあるエスカレーターは元々狭いホームに作られたうえに階段が併設されていないため、間口の狭いエスカレーターに降車した客が全員乗ろうとしてホームに長蛇の列が出来ます。中には大きな旅行用キャリーを携えて乗り込む人もいるため、特に電車の到着直後、このエスカレーターはかなり渋滞してしまうのです。

ところが、そんな時に小田急線小田原駅にはエスカレーター渋滞を回避する裏技があります。9番ホームと8番ホームの間に電車が停車していて両方のドアが開いている時に、車両の中を渡り廊下よろしく通り抜けて向かい側の8番ホームに渡ってしまうのです。上の写真で、車両の向こう側に人が並んでいるのが9番ホームで、手前の誰もいない側が8番ホームです。すると8番ホームにも同型のエスカレーターがあるのですが、こちらは殆ど人がおらずガラガラなので、何の支障も無く乗って改札口に向かうことができるのです。

車両を渡り廊下代わりにして隣のホームへ移動するという光景は兵庫県尼崎市の阪神尼崎駅の通り抜けが有名ですが、これもさながら小田急版小田原の通り抜けといったところです。もし小田急線で小田原においでの機会があって、エスカレーターが渋滞しているようなことがありましたら、一度お試しになってみて下さい。
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ウズベキスタンの風 〜 口琴とドゥタール

2020年01月27日 23時52分00秒 | 音楽
今日は小田原の放課後子ども教室を終えてから、その足で一気に東京・高円寺まで移動しました。

高円寺駅から歩いて3分程のところにある雑貨店《円盤》で、今夜『日本口琴協会』なる団体の定例会が開催されていました。そこに、年末に日暮里の《夕焼け酒場》の忘年会にいらしていて偶然知り合ったウズベキスタンの弦楽器『ドゥタール』の日本人奏者である駒崎万集さんが参加されるというインフォメーションがあったので、これは興味深いことと参加しに来たのです。

口琴とは英語でJew's harpと呼ばれているもので、



このような形をしたもので、丸い部分を下唇に当てて画像右側にあるバネ状になっている部分を指で弾いて振動させ、その振動で発生した音を口腔の中に共鳴させて音を聞かせるという原始的な楽器です。或る程度以上の世代の方に分かるように言うと、TVアニメの『ど根性ガエル』のオープニングで「ピョコン、ペタン、ピッタンコ♪」と歌っている後ろでビョンビョン鳴っていた音が口琴の音です。

この楽器の歴史は古く、また使用地域もヨーロッパから日本まで広域に渡っています。そして、ウズベキスタンの一部や隣のタジキスタンの特定地域でも口琴が親しまれているとのことで、今回のライブが開催されるはこびとなったのだそうです。

ドゥタールは



ウズベキスタンやタジキスタンといった中央アジア圏に存在する民族弦楽器です。名称の『ドゥ』が数字の2、『タール』は弦を表しています。専用のものもあるそうですが、今回の奏者が使われているのは筑前琵琶にも用いられる絹糸の弦だということでした。

棒状の棹には何箇所か糸を巻き付けて作られたフレットがあり、ギターのようなピックを使わず直接右手の爪で弦を弾いて演奏します。胴体には



遠くから見たら分からないくらいの小さなトーンホール(音の出る穴)が開けられているのですが、演奏法の力強さもあってか十分に聞こえるものでした。

この楽器を見ていると



昨年の『正倉院宝物』展で観た螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんのごげんびわ)を彷彿とさせます。通常の琵琶は



このようにネックの先の糸倉が90度に曲がっていて、三日月形のトーンホールもそれなりに大きさがあります(写真は雅楽に用いられる楽琵琶)。一方五絃琵琶はネックがストレートで、トーンホールも驚くほど小さいのです。(五絃琵琶画像右側の花模様が3個と4個並んでいる間にあるシミのように見えるもの)。こうしたことからも、日本の伝統楽器との関係性が垣間見えます。

今回のライブではウズベキスタンやタジキスタンの紹介と、参考資料として駒崎さんが現地で記録された音楽祭の動画などが紹介されました。

演奏も、口琴とのセッションは勿論



ドゥタールのソロもあり、また



現地の歌の弾き語りもあったりと、なかなか本格的なものでした。また



最近手にしたばかりというタジキスタンの弦楽器タンブールの初お披露目もされ、



それを使っての演奏も披露されました。タンブールは弦が7本あり、ドゥタールと違って木製のピックを使って演奏されます。

因みに今回駒崎さんがお召になっているのはタジキスタンの民族衣装ということでしたが、

白地に赤のコントラストが美しい、如何にも中央アジア的な御衣装でした。

東京音楽大学ピアノ科を卒業された駒崎さんがドゥタールと出会われたのは、ピアノの指導をするために青年海外協力隊でウズベキスタンを訪れた時ということでした。そこから現地で修行を重ね、プロ奏者として活躍されるまでになられたのだそうです。今後も彼女は現地に赴いて、更なる技術の習得に勤しまれるとのことでしたので、プロ奏者としての今後の活躍が期待されます。

雪が降るかも…と言われていた寒い中でしたが、非常に有意義なひと時となりました。会場内では新たな出会いもあり、今後の音楽ライフがますます充実しそうで楽しみです。
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ごめんあそばせ(*´艸`*)

2020年01月26日 23時35分00秒 | グルメ
今日は人と会うために、一日外に出ていました。当初はそんなに時間がかからないはずだったのですが、ちょっと話が錯綜してしまい、気づけばほぼ半日使ってしまっていました。

何だか精神的に疲れてしまい、今日はもう夕食はものぐさして外で済ませてしまおうと思い立ちました。それで、何となく口がカレーの気分になったので、厚木に戻ってから《CoCo壱番屋》に入ることにしました。

メニューを見るまでもなく、オーダーを店員さんに伝えて出てくるのを待ちました。そして出てきたのが上の『やさいカレー納豆トッピング』です。

カレーに納豆?と思われる方もあろうかと思いますが、これがなかなかどうして結構美味しいのであります。出てくる時には、納豆のパックから直にライスの上に乗せたでしょ!というくらい四角くなっているのを、スプーンの先を使ってネリネリして食べます。

カウンターで食していたら、オーダーを取った後で私の横に座った御仁が妙にガサゴソし始めていました。何だろうな…と思いつつ続けていると、突然荷物を持って私から離れていき、かなり離れたカウンター席に座り直してこちらを睨みつけて来たのです。どうやら納豆がお嫌いな方だったようで、その臭いが耐えられなかったのかも知れません。

それはそれで若干申し訳無い気もしたのですが、開き直って内心

「ごめんあそばせ〜♪」

という感じで、無事に完食しました。

人の嗜好というものは、なかなか難しいものですね。
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レオナルド・ダ・ヴィンチの夢

2020年01月25日 18時36分00秒 | アート
今日は代官山ヒルサイドテラスというところに来ました。こちらでは、昨年で没後500年を迎えたルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチの作品にスポットを当てた《夢の実現展》という独自の試みによる展覧会が開かれています。

レオナルド・ダ・ヴィンチは《最後の晩餐》や《ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)》等、世界で最も知られた絵画を手がけた画家として有名ですが、実は67年の生涯の中で残した作品は16点しかありません(同じく作品数が少ないといわれているヨハネス・フェルメールですら35点現存していますから、レオナルドの絵画作品数がいかに少ないか分かって頂けるかと思います)。しかもレオナルドの絵画作品の多くは未完成だったり欠損してしまっていたりして、完品に至ってはわずか4点しかないのです。

この展覧会は、東京造形大学の教員と学生たちが『レオナルドが嘗て抱いていた夢の一部を500年後の現代に実現させる』をコンセプトに、実物の赤外線写真や様々な資料を基にして、未完成作品に彩色を施したり、欠損部分を科学的根拠に基づいて補ったりして、レオナルドの全16の絵画作品をヴァーチャル復元するプロジェクトを行った成果の展示を行ったものです。

会場に入ると



『ジネヴラ・デ・ベンチの肖像』が展示されています。メディチ銀行の番頭格だったベンチ家の息女ジネヴラの姿を描いたもので、現在ワシントンのナショナル・ギャラリーに所蔵されています。

この作品の現在の姿は



このようなほぼ真四角のものとなっています。実物の右端と下部に切断された痕があるのですが、どうやら水に浸かってしまったか何かで顔料が剥離してしまったらしく、その結果、当時の所有者が切断してしまったようなのです。

この復元に際して参考になったのが、レオナルドの師匠であるヴェロッキオが残した『花束を持つ婦人』という彫刻と、レオナルド自身による手の習作です。『花束を持つ婦人』像は同じくジヴブラ・デ・ベンチがモデルとなっていることが分かっているので、恐らくその制作現場の横でレオナルドが筆をとっていた可能性が高いという考察に基づいて、それらのポーズがこの絵の欠損部分の復元に応用されました。

この絵には裏側もあって



この絵の注文主ベルナルド・ベンボの紋章に似せた賛辞が描かれています。現在は額に入っているため、この裏面は現地でも見ることは出来ません。そういった意味でも貴重な展示です。

次の部屋は、エンジニアとしてのレオナルドの一面を伺わせる展示室となっています。

レオナルドがフィレンツェを離れて当時新興国だったミラノに自身を売り込むにあたり、自薦状に書いた10の項目のうちの9項目は軍事に関わるものでした。ここでは



レオナルドが構想していた戦闘武器や



当時の技術では実現不可能だった工学系発明等を、縮小模型や3DCGなどによって具現化したコーナーです。

ミラノへの売込みのメイン項目だった軍事技師としては、発想はともかく、実際に使うには重過ぎたり、大き過ぎたり、当時の技術では制作出来なかったりして実用には向かないものが殆どでした。ただ、軍事の一環として地形把握のために作った手押し車式の距離計測車というものを開発し、間宮林蔵や伊能忠敬もビックリの正確無比な地図を作ったりもしています。

またレオナルドは、様々な工学系作品のアイデアを書き残しています。その中に、初動を加えれば永遠に動き続ける永久機関に関するものがいくつかありますが、作成計画を立てると同時に永久機関が実際には成立しないことも、実はレオナルドには分かっていました。

ただ、転んでもただでは起きないレオナルド、逆にどうして永久機関が成立しないのかを考察して摩擦が抵抗力となることに気づきます。そして摩擦抵抗を極限まで小さくするためにはどうすればいいかと考えた上で、物体として一番接地面積が小さいのは球体だという結論に至り



今から500年前に、今日で言うボールベアリングを考え出していたのです。このあたりが、レオナルドを天才と言わしめる要因です。

さて、次はいよいよ絵画作品の展示です。



こちらに展示されている作品は、退色した色彩や何らかの事情による欠損部分を、下絵の赤外線写真や残されたスケッチ等に基づいて科学的に再現したものとなっています。

余談ですが、上の写真の右端にある『サルヴァトール・ムンディ(世界の救い主)』という絵は2017年10月にニューヨークのクリスティーズで開かれたオークションで、史上最高値である508億円(手数料込)で落札されてニュースにもなりました。

フィレンツェで活躍していた頃のレオナルドの唯一の完成品と言えば、何と言っても



ウフィツィ美術館所蔵の『受胎告知』です。レオナルド20歳頃の作品で、聖母マリアに神の子であるイエス・キリストを宿したことを大天使ガブリエルが伝える聖書の場面を描いた作品で、2007年に初来日した時には5時間待ちの大行列となりました。

一見すると聖母マリアと書見台の場所が合わなかったり、聖母マリアの右腕がやたら長かったり、大天使の衣が寸詰まりだったりして、何だかアンバランスな感が否めません。

しかし、



このように斜めに観るとマリアと書見台の位置もいい感じになりますし、大天使の衣の裾も自然な長さに見えます。

この絵には元々教会の聖具室という縦長の部屋の壁の上の方にあった絵なので、正面から見ることはありませんでした。レオナルドはその『正面から見ない』ことまで考察して、この絵を描いたのでした。ここまで来ると天才を通り越して、変態の域に達していると言っても過言ではありません(褒め言葉です)。

『受胎告知』の隣には



ヴァチカン美術館所蔵の『聖ヒエロニムス』が展示されています。この絵は元々着色されることなく放置されたものですが、同時代の画家による同じ主題の絵や『モナ・リザ』の背景の技法等から、レオナルドの意図していた色彩を割り出し再現したものとなっています。

更に、嘗てレオナルドがフィレンツェ市庁舎の500人広間に描いたものの未完に終わった『アンギアーリの戦い』の再現彩色もありました。今は上から別な絵が塗り込められてしまっているこの絵にはルーベンスらによる模写が残されていて、それを元にした再現となっていました。ただ、この絵だけはイタリア本国の所蔵先からの撮影許可がなかったようなので、



その彩色画から起こした立体フィギュアを撮影させて頂きました。実物を見ると、これはこれでかなりの力作です。

その隣のコーナーには



ミラノ時代の名品である『白貂(しろてん)を抱く貴婦人』や



『ラ・ベル・フェロニエール』、それにレオナルドが生涯手元に置いて離さなかった三つの作品、



『聖アンナと聖母子』、



『洗礼者ヨハネ』、



そして言わずと知れた『ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)』が展示されていました。

我々が今日ルーブル美術館等で観るこれらの作品は、経年変化や上に塗られたニスの変色等によってだいぶ黄色っぽく見えるようになっています。それを今回のプロジェクトで可能な限り往時の色彩を割り出して再現してあるのですが、こうして見ると、背景や人物の肌の色鮮やかさに驚かされます。

そうこうしていると、何やら私がさっきまでいた部屋が賑やかになってきました。何かと思ったら、



何とこの展覧会を監修された東京造形大学教授の池上英洋氏による解説トークが始まっていました。なので、私もちゃっかり混ぜて頂くことにしました。

最初に観た『ジネヴラ・デ・ベンチの肖像』の絵のところでいろいろな解説があったのですが、そこで池上教授から衝撃的な裏話がありました。この絵の中程の画面に、何とレオナルドの指紋が残っているというのです!



上の写真の画面中央辺り、松の木の幹の瘤のようなものの下に、縦に7〜8本出ている筋が、レオナルド・ダ・ヴィンチ自身の恐らく左手小指の指紋だというのです。これはワシントンのナショナル・ギャラリーに行って本物を観ても、恐らく分からないのではないかと思われます。そうした衝撃の事実を目の当たりに出来るのも、こうした高精細な復元技術の成せる技と言えるでしょう。

嘗てヴァチカンのシスティーナ礼拝堂のフレスコ画『最後の審判』を修復した際、漆喰に塗り込められた絵の具の中からミケランジェロが使っていた絵筆の豚毛が数本発見されたことがありました。その豚毛と言いこの指紋と言い、こうした巨匠の痕跡の発見の最先端に居られることも、修復作業に関わる人間の醍醐味と言えるかも知れません。

ところで今回の展覧会の特徴は、どの作品も基本的に原寸大で展示されているということです。図版で見ているだけでは分かりませんが、例えば



『モナ・リザ』の横にこうして人が立つと、思いの外大きさがあることが実感できます。ルーブル美術館では防弾ガラスの遥か彼方に展示してあって、決してこんな近くで観賞することは出来ません。こうしたことも、私にとって貴重な体験となりました。

次の部屋は、建築家レオナルドのコーナーです。

レオナルドの手稿には様々なアイデアが記録されていますが、建築もそのひとつです。実際に建てられたものはフランスのシャンボール城の二重螺旋階段等しかありませんが、手稿の中には



6つの墓室を備え、頂上にブラマンテ風の円形神殿を構えた大墳墓や、



『集中式聖堂』といったアイデアが、模型と3DCGとで実像化されていました。これらは学生諸氏が時間をかけて制作したものとのことでしたが、その精巧さから制作時の御苦労が窺えます。

次の部屋に入ると



2つの『岩窟の聖母』が並んでいました。右が始めに制作されたもので現在はルーブル美術館に、左はその20年後に制作されたもので、現在ロンドンのナショナル・ギャラリーに収蔵されています。この2つがこうして並ぶことは先ず有り得ませんので、貴重なツーショットということになります。

因みに斜めな写真になっているのは、ちょうどこの絵の正面が大きな窓になっていて、正面から撮影すると光の反射で画面が真っ白になってしまうため、やむを得ない措置です…。

始めにレオナルドがミラノの教会から依頼を受けて描いたのは、



ルーブル美術館版でした。しかし、教会から伝統に則った事細かいディテールの注文があったにも関わらず、レオナルドは聖母子や幼子の姿の洗礼者ヨハネの頭上の光輪やヨハネの十字形の杖といったリアリティの無いものを描きませんでした。そのことによって注文主たる教会は受け取りを拒否、更に支払額の問題も加わって、何と20年にも及ぶ裁判沙汰となるのです。

このバージョンの魅力は、何と言ってもレオナルド特有の艶めかしくすらある登場人物たちの眼差しと、



同じく登場人物たちの手の表情です。幼子イエス・キリストに合掌する洗礼者ヨハネ、そのヨハネに祝福を与えるイエス、意味ありげにこちらを見つめながらヨハネを指差す天使、そしてそれらを包み込むような聖母マリアの左手…これらの交錯する手と手が、この一瞬の場面に程よいリズムと緊迫感を与えています。

そして、前作の裁判の結審後に改めて制作されたのが



ロンドン・ナショナル・ギャラリー版です。描き直す気の全くなかったレオナルドは、何と係争中にルーブル美術館版の絵を売却してしまいます。そして新たにこのバージョンが制作され、頭上の光輪といったディテールもほぼ注文主の意図通りとなりました。ただ、この絵の制作期レオナルドはミラノには定住していなかったため共同制作者であるアンブロージョに殆どの部分を任せて、レオナルド自身はミラノに通いながら時折筆を入れていたようです。なので、正直こちらのバージョンからは、いわゆるレオナルドらしさがあまり感じられません。

その隣には



これまたウフィツィ美術館所蔵の名品である『東方三博士の礼拝』がありました。

この絵は1481年にサン・ドナート・ア・スコペート修道院からの発注で制作が開始され、下絵から彩色の途中まで描きこまれていました。しかし、主題の解釈、或いは例によって支払い方法かで揉めて制作が中断されてしまい、そのまま放置されて完成を見ることはありませんでした。

困った修道院はその後、サンドロ・ボッティチェリの弟子で、ボッティチェリの師匠フィリッポ・リッピの息子であるフィリッピーノ・リッピに制作を依頼、無事に納品されました。

この絵も半分以上が下描き状態のまま放置されていて、全体的に黄色っぽくなってしまっています。その退色部分を科学的に解析し、フィリッピーノ・リッピが完成させた補填作を参考にして彩色を施したのが上の写真です。

この絵も



横に人が立つと、その大きさがよく分かります。図鑑に243✕246cmなどと数字だけで書かれていてもよく分かりませんが、こうして実物大を見せられると圧倒されます。

ところで池上教授の解説によると、この絵には興味深い特徴があります。

先ず、三博士がイエス・キリストの誕生した場所に導かれたというベツレヘムの星が何処にも描かれていません。しかし、この主題の絵にベツレヘムの星が描かれないということはありません(因みに描き直しであるフィリッピーノ・リッピ版には、しっかりと輝く星が描かれています)。

いくらリアリストのレオナルドとは言え、カトリック教徒としてそこまで省略してしまうというのもなかなか大胆ではあります。では一体、この絵のベツレヘムの星は何処にいってしまったのか…

実はよく見ると、後ろの階段のところにいる人物の何人かが額に手を当てて、眩しそうに空を見上げています。つまり、ベツレヘムの星はこの画面の遥か上で輝いていることになるというのです。

言われてみれば、誕生したイエス・キリストの頭上にベツレヘムの星が輝いているわけですから、この画面上に見えていたら星とイエスの場所が大幅にズレてしまって不自然なわけです。こうしたことも、リアリストなレオナルドの一面を表しているのでしょう(もっとも、そういうところで注文主と揉めたのかも知れませんが…)。

また、この場所が『東方』であることを表すため、レオナルドはある動物を描き込みました。通常の『東方三博士の礼拝』には東方感を出すために孔雀が描かれることが多いのですが、さて、レオナルドが描いたのは…

何と『象』!

赤外線写真による解析の結果、下絵の右上の山のところに象の姿が発見されたとのことで、この復元画に象の姿が再現されました。スマホのカメラではどうしても撮れなかったので諦めてしまったのですが、山の下に確かに象の姿がありました。

ただ、さしものリアリストたるレオナルドも実際に象を見たことが無かったようで、出入りの商人などから姿かたちのことや、世界最大の陸上動物だというエッセンス的な話を総合して象を描きました。なので画面には、後ろの山とほぼ同じ大きさの縮尺の象(!)がハッキリと描かれています。

さて、その横の窓の上には



名作『最後の晩餐』の復元画像が投影されていました。

この『最後の晩餐』はいくつもの不運な出来事をかいくぐってきました。

この頃の壁画と言えば、例えばシスティーナ礼拝堂の『最後の審判』に代表されるように、漆喰を塗った壁に漆喰が乾かないうちに絵を描いて絵の具を定着させるフレスコ画が一般的でした。漆喰が乾くまでの時間との勝負であるこの技法には、何よりも速筆性が求められます。

ところがレオナルドは普段から致命的なまでに遅筆な画家でしたから、速さを要求されるフレスコ画は向いていません。なので、漆喰壁に通常板絵に用いる油彩とテンペラ画(油ではなく卵の黄身で絵の具を溶いて描く絵画技法)を採用するしかありませんでした。

また、制作過程を側で見ていた人物の手記によれば、制作時のレオナルドは現場では腕組みをしたまま壁を下から見上げてしばらく睨みつけ、突然何かをひらめいたかのように絵筆をもって足場を駆け上がると、ほんの少し絵を描いて足場を降り、その補筆箇所を下から眺めて満足すると、その日はそのまま家に帰ってしまった…といいますから、とんでもなく遅々として制作が進まなかったであろうことが窺えます。

しかも、壁画の制作に全く不向きな技法で描かれたこの絵は、制作直後から早くも絵の具の剥離が進んでいきました。しかも描かれた場所がサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院の食堂(じきどう)だったため、食堂の裏手にある厨房からの蒸気の湿気によって黒カビに覆われてしまうという惨状を招きました(絵の具を溶くために卵の黄身を使っていたこともいけなかったかも知れません)。また、厨房からものを運びやすくしようと出入り口の間口と高さを広げるために、後世よりによってキリストの足が描かれた壁を削ってしまったのです。

更に、ナポレオンによってミラノが占領されていた時代、この食堂は厩舎として使われることになりました。その時、当直の兵士たちが暇つぶしに、何と聖人たちの目を的にして槍投げ遊びをしていたというのです。いつの時代も、どこの国でも同じですが、下層の兵士にはロクなのがいません

更に更に、第二次世界大戦ではアメリカの爆撃機が投下した爆弾が壁画からわずか数メートルのところに着弾し、壁画のある壁を残して全壊しました。本当に、末端の兵士にはロクなのがいません。

そんなわけで、この壁画が…と言うかこの壁が残っていることそのものが最早奇跡以外の何物でもないのですが、1979年から修復作業が開始され、修復を終えたのは何と20後の1999年のことでした。それでも壁画は今もなおかなりの部分が剥落した痛々しい姿を晒しています。

現地でこの絵を観賞するためには、何人か毎に壁画のある薄暗い部屋に案内されて、一定時間鑑賞すると「はい次〜」と係員に出されてしまいます。しかしここでは、残された模写や現物のデータに基づいた最新の科学による復元画を思う存分堪能することが出来るのです。時折、神秘的な音楽と共に原画の中の聖人たちがモゾモゾと動き出すというアニメーション的趣向が凝らされていますが、それは学生たちによる御愛嬌ということで…。

最後に登場するのは、レオナルドのスケッチに基づいた再現彫刻です。その名も




『スフォルツァ騎馬像』です。

レオナルドがミラノで取り組んだ中でも史上最大のものが、君主ルドヴィコ・スフォルツァの父フランチェスコ・スフォルツァの姿を古代ローマの凱旋将軍よろしくブロンズ製の巨大騎馬像を計画したものでした。君主ルドヴィコとレオナルドの野心は一致して計画はどんどんと肥大化していき、遂にはレオナルドの師匠ヴェロッキオが制作したヴェネツィアのコッレオーニ騎馬像を凌ぐ規模で計画されるに至りました。

しかし…

原寸大の塑像模型を作ってお披露目し、70トンもの青銅を準備して、後は鋳造にとりかかるばかり…となったところでフランスが越境してミラノに侵入。折角集めた青銅は全て大砲鋳造のために軍事転用され、巨大模型も破壊されてしまいました。

始めにレオナルドがこの像を制作するにあたっては、この再現像のように馬が両前脚を上げていななくポーズを考えました。ところが全重量を後脚2本で支えるのは困難とみて、馬が3つの脚で接地する、ある意味伝統的なポーズでの準備を始めていました。

しかし、晩年にフランスから『トリヴルツィオ騎馬像』の制作をを依頼された時に、レオナルドは又しても二脚接地を挑戦しています。結局はこちらも計画倒れに終わってしまいましたが、レオナルドはやはり、それまで誰もやったことがなかったことがやりたかったのではないでしょうか。

そうした意志を尊重して、このブロンズ像も二脚接地の形で制作されました。ただ製作担当者の話によると、この大きさ〜120✕50✕107cm〜よりも大きく作ると、このサイズでも後脚2本で全重量を支えられないのだそうで、どれだけ二脚接地像というものの制作が大変かということが偲ばれました。

はからずも生解説をして頂けたことによって、よりレオナルドの世界を深く堪能することができました。

この展覧会は明日26日まで、代官山ヒルサイドテラスで開催されています。何と入場無料ですので、興味のある方はこの貴重な機会をお見逃しなく。
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絶好の思索時間

2020年01月24日 23時02分00秒 | 日記
今日はまた、何だか中途半端に暖かな陽気となりました。

ここ最近、ちょっといろいろとあって頭がスッキリしないので、リセットも兼ねてたまった洗濯物をやっつけてしまうことにしました。今までは片道10分くらいかかるコインランドリーに通っていたのですが、最近もっと近くに新しいコインランドリーが出来たので、近頃は専らこちらに通うようになっています。

以前のコインランドリーは窓や扉が無いところで、暑いにつけ寒いにつけ外気温と同じ環境で洗濯しなければならなかったのですが、ここはキチンと扉が付いていて、しかも冷暖房完備。室内にはラジオがかかっているので、シン…とした中で時間を過ごさなくてもいいようになっています。

しかも



靴を洗える専用の洗濯機や



羽毛布団が丸洗いできる大型洗濯機まで完備されているのです。

いずれにしても全自動洗濯機ですから、洗濯物を放り込んでスタートさせれば後は特にやることがありません。なので、こういう待ち時間は格好の思索の時間となります。

あれこれと思索を巡らせている間にお洗濯まで終わってしまう…何とも贅沢かつ効率のいい時間ではありませんか。

さて、明日はちょっと都内まで出かけることにします。
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結局は王道

2020年01月23日 20時30分28秒 | グルメ
今日は冷たい雨のそぼ降る、生憎のお天気となりました。

たまプラーザの教室を終えたところですっかり空腹になってしまったので、今日は久しぶりにたまプラーザのイトーヨーカドーの中にある



フードコート《ポッポ》で夕食を摂ることにしました。ここのお目当てと言えば、何と言っても醤油ラーメンです。



御覧下さい、この王道っぷり。醤油味の澄んだスープの中にチャーシュー、玉子、メンマ、ナルト、ネギ、そして程よい太さの縮れた中華麺…もう『これでもか!』というくらいの昭和感的潔さをもって見る者に迫ってくるのです。

ともすれば昨今は、やれ家系だ、やれ豚骨醤油だとパヤパヤしたラーメンが幅を利かせていますが、昭和の人間の私からしたら

「うるせえ!」

ってなモンです。もう、『ラーメン』っちゃあコレでしょう。むしろ『ラーメン』と言うより『中華そば』、私の祖父の言い方だと『支那そば』といった様相を呈しております。

心して面をすすれば、何の変哲も無い醤油味が口の中を駆け巡ります。この『何の変哲も無い』ことが、実はとても大切なのではないかと思うのです。この見た目から一切の期待を裏切らない想像した通りの醤油の風味、硬めだ柔らかめだと客に仕上がりを委ねない『この弾力と食感』の麺、いい意味で安っぽく味わい深いメンマ…これ以上、ラーメンに何を望むことがありましょうや。

しかも、この仕上がりで税込¥490というコスパの良さ!懐寂しい中高年には堪りません。

イトーヨーカドーでも《ポッポ》の入っていない店舗がありますが、とりあえず私は職場近くにあってくれるおかげで、このノスタルジックなラーメンを堪能することができます。あとはお願いだから閉店・撤退しないで!と願うばかりです。
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雫ノ下珈琲新メニュー『リンゴのパフェ』

2020年01月22日 21時45分44秒 | カフェ
今日はまた、冬らしい寒さに見舞われました。一昨日が暦の上での大寒でしたから不思議は無いのですが、ちょっとばかり麗らかな陽気が続いた後には堪えます。

さて水曜日、今日もあざみ野の教室の前に《雫ノ下珈琲》に立ち寄り、美味しいコーヒーを頂くことにしました。メニューを見てみるとまたしても新メニューが登場していたので、今日はそれをお願いすることにしました。それが『リンゴのパフェ』です。昨年から年明けくらいまであった『栗のパフェ』が終了しての新登場で、先月の期間限定ワッフル『アップルカスタード』に使われていたリンゴが、パフェにかたちを変えて再登場しました。

頂くと、生の果実とコンポートとの2つのリンゴの食感や風味が楽しめて、かなりお得感があります。最頂部にあしらわれたカスタードクリームと頂くと、程よい甘さと仄かな酸味が口の中で踊ります。

前回の栗のパフェ同様にカリカリにローストして散りばめられたクロワッサン生地ワッフルが、食感とアイスクリームで冷えた舌をリセットするウェハースの役割とを果たしています。アイスクリームもバニラだけではなく、食べ進めていくと途中にチョコレートアイスクリームもサンドされていて、その風味の変化が絶妙です。最近お気に入りのキリマンジャロと共に、美味しく頂戴しました。

最近、体調を崩して休む生徒がチラホラ見受けられるようになりました。大陸からも春節に事寄せて良からぬウイルスが運ばれてきているようですので、体調管理には万全を期したいと思います。皆様もくれぐれもお気をつけ下さいませ。
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蝋梅の甘い香りに

2020年01月21日 19時43分31秒 | 
今日も昨日に引き続き小田原の放課後子ども教室の日でした。快晴の空の下を学校まで歩いていると、道すがらのお宅のいくつかに蝋梅の木があって、ぽつぽつと花を咲かせているのが目につくようになりました。

それは小田原駅も同様で、今年も小田急線のコンコースに蝋梅の生け花が登場しました。これは小田原の隣の松田町寄(やどりぎ)地区にある、日本一とも言われる蝋梅園の『ろうばい祭り』をPRするためのもので、毎年この時期になるとここに飾られています。

近づくと




黄色く透き通った花弁の蝋梅の花から何とも言えない甘い香りが漂い、鼻先をくすぐります。

この他にも、いつも学校の行き帰りに参拝している福泉寺満願弁財天の御堂の横には




愛らしい水仙の花も咲き始めました。

再来週には節分を迎え、それを越したら暦の上では春になります。季節は着実に移ろっているものですね。
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美しい日本語を子供たちへ ~ 冬の星座 ~土居裕子

2020年01月20日 20時50分55秒 | 音楽

今日は小田原の放課後子ども教室がありました。

以前にも書きましたが、この教室ではいつも帰る前に子供達に歌を歌わせています。月毎に曲を変えているのですが、今月は《冬の星座》を採り上げています。

この曲は元々はアメリカの作曲家ウィリアム・シェイクスピア・ヘイス(1837~1907)が作曲した 《いとしのモリー(Mollie Darling)というポピュラーソングで、後にそのメロディに日本の作曲家であり訳詞家でもあった堀内敬三(1897~1983)がオリジナルの日本語の詞をつけ、昭和22年に文部省(当時)の編集教科書で発表されたものです。現在は中学校の音楽の教科書に掲載されており、2007年には『日本の歌百選』にも選出されています。

因みに堀内敬三はドヴォルザークの交響曲第9番《新世界から》の第2楽章のメロディを歌った 《遠き山に日は落ちて》やチェコのオペレッタのメロディを元にした《鎌田行進曲》の日本語作詞、《ラジオ体操の歌》の作者でもあります。

この《冬の星座》の魅力は流麗なメロディもさることながら、堀内の充てた美しい日本語の歌詞にあります。

 

木枯らし途絶えて 冴ゆる空より

地上に降りしく 奇(くす)しき光よ

もの皆憩える 静寂(しじま)の中に

煌めき揺れつつ 星座は廻(めぐ)る

 

ほのぼの明かりて 流るる銀河

オリオン舞い立ち 昴はさざめく

無窮(むきゅう)を指差す 北斗の針と

煌めき揺れつつ 星座は廻る

 

昔の人の詞というものは、何とも詩情に溢れているではありませんか。これが、元曲はアメリカのものながら、すっかりと日本の名曲たり得た要因であろうと思います。

昨今は文部科学三流省のつまらん意向により、こうした叙情性に満ちた文部省唱歌が教科書から駆逐されつつあります(『文部省唱歌』なのに!!)。やつらに音楽教育を任せっきりにしていたら、そのうち《ふるさと》すら歌えない日本人が出来上がりかねません。それを何とか打開すべく、小田原の地から美しい日本語歌曲復興の烽火を挙げようと思います。

そんなわけで、今宵はその《冬の星座》を、元音楽座の土井裕子さんの美しい歌唱でお楽しみ下さいませ。

~冬の星座~土居裕子

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新銀座線渋谷駅

2020年01月19日 23時58分00秒 | 日記
今日昨日と打って変わって、穏やかな晴天に恵まれました。

そんな中、今日は予定があって都内まで出ました。そしてその都合上、改装を終えた新しい銀座線の渋谷駅に初めて降り立ちました。

ニュースにもなりましたが、銀座線は渋谷駅の移転工事に伴い、昨年末29日から渋谷から青山一丁目までが全面運休となりました。そして明けて今年3日に、それまでより130m程場所を移してリニューアルオープンしたのです。そのニュースは聞いていたのですが、実際に降り立ったのは初めてでした。

新渋谷駅の特徴と言えば、何と言っても



このM字型の天井です。この形になったことで柱の数を減らし、空間を広く取ることが可能となりました。なので、



圧倒的にプラットホームが広くなったのです。そして昨年まで使われていた、人がこぼれ落ちそうだった狭い旧ホームは、





新しい改札口の向こう側にありました。

新しい銀座線渋谷駅は今までよりもぐっと明治通り側に位置することになったので、山手線への乗り換えは近くなったのですが、逆に井の頭線への乗り換えはかなり遠くなりました。なので、今までの感覚で井の頭線〜銀座線間を乗り換えようとすると結構慌てることになりかねないので、中途半端に渋谷駅に慣れている人ほど注意が必要です(笑)。

この新ホーム工事が完成したことを期に、旧ホームの上にある東急百貨店は旧ホームと共に取り壊されることとなり、3月末日で閉店されて85年の歴史に幕を下ろすこととなります。いつもそうですが、長く慣れ親しんだものが無くなるというのは、何だかセンチメンタルな気持ちにさせられるものです。

渋谷全体の再開発が完了するのは2026年の予定です。その時渋谷は、一体どんな街に変貌を遂げているのでしょうか。
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様々アンサンブルコンサート

2020年01月18日 23時20分00秒 | 音楽
未明から降り出した雨は夜更け過ぎ…ではなく昼前に雪へと変わりました。一時は窓の外の景色も煙る程に強くなりましたから、センター試験に臨んだ受験生諸君はさぞかし大変だったことでしょう。

さて、今日私はJR横浜線橋本駅の隣のビルにある『杜のホールはしもと』で開催されるアンサンブルコンサートを鑑賞するために、相模原市橋本まで出かけました。大学時代の同期のトロンボーン奏者がこのコンサートの企画実行委員長を務めていて毎年facebookで案内をもらうので、予定が合う時には足を運んでいます。

こちらのホールは



535席という中ホールながら2階席も備わっていて、なかなか響きの良いホールです。こうした駅直結の使い勝手のいいコンサートホールが、厚木にもほしいところです。

このアンサンブルコンサートは


吹奏楽を始めとして、邦楽やラテン・フォルクローレ、オカリナアンサンブルまで多岐に渡りました。今年で19回目を迎えるとのことでしたが、こうした盛況ぶりを見るだに、ここまで牽引してこられた関係各位の尽力が窺えます。

記念すべき第20回目のアンサンブルコンサートも来年1月の開催が決定しているとのことですので、それも楽しみです。
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久々のタルトタタン

2020年01月17日 22時50分09秒 | カフェ
お寒うございます。何だか、急にこの時期らしい寒さに見舞われたような気がしております。

そんな寒い中ではありますが、いろいろと予定を入れてしまっていたこともあって出かけていました。そして、思いの外早くにそれらが済んでしまったので、思い立って久しぶりに厚木市寿町の《Cafeあつめ木》に行ってみることにしました。

しばらく御無沙汰していたので、先ずは念頭の御挨拶を交わしてから席に着きました。久しぶりに来たこともあってメニューを見てしばらく悩んだのですが、今日はこの店のこの時期名物であるタルトタタンをお願いすることにしました。

御覧頂ければ分かるように、紅玉りんごをじっくりと煮含めたコンポートが、しっかりとしたタルト生地の上に分厚くのせられています。オーダーを受けてから上にグラニュー糖をふりかけ、熱したスプーンを当ててキャラメリゼした状態で提供されるこのタルトは、パリパリとしたキャラメリゼの甘さと紅玉りんごコンポートの仄かな酸味とが合わさって、実に味わい深いものとなっています。苦味の効いたコーヒーと共に、美味しく頂戴しました。

さて、今夜降り出した雨は夜更け過ぎに雪へと変わる予報が出されています。明日は大学センター試験初日ですが、各交通機関に大きな混乱が起こらないように願うばかりです。
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