共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

閏日生まれのロッシーニ〜《6つの弦楽のためのソナタ》より第1番ト長調

2024年02月29日 17時40分35秒 | 音楽
昨日の6年生を送る会準備の疲れがきて、今日は節々の痛みで目が覚めてしまいました。本来なら今日は勤務先とは別の小学校の放課後子ども教室のある日なのですが、有給休暇を取得しているので自宅でゆっくりと過ごすことにしました。

ところで、今日は4年に一度の閏日です。そして今日は、今まで紹介できずに待ちに待ったロッシーニの誕生日です。



ジョアキーノ・アントーニオ・ロッシーニ(1792〜1868)は、言わずと知れたイタリアの作曲家です。今や定番となっている《セビリアの理髪師》や《チェネレントラ(シンデレラ)》といったオペラ・ブッファをはじめとして《タンクレーディ》や《セミラーミデ》などのオペラ・セリアも作曲し、フランスに移ってからは序曲も有名なグランド・オペラ《ウィリアム・テル》を作曲しました。

1792年2月29日にイタリアのペーザロに生まれたロッシーニは、1800年(8歳)にボローニャに移り住み、ボローニャ音楽学校で学びました。1810年(18歳)にはフィレンツェで一幕のオペラ・ファルサ《結婚手形》を初演して、オペラ作曲家としてデビューを果たしました。

1812年(20歳)にミラノ・スカラ座で初演されたオペラ・ブッファ《試金石》が初のヒット作となり、この功績からロッシーニは兵役を免除されました。翌年の1813年(21歳)に発表した《タンクレーディ》や《アルジェのイタリア女》が初演後たちまち大ヒットし、ヨーロッパ中にロッシーニの名声が轟くこととなりました。

1815年(23歳) にナポリで《エリザベッタ》を初演し、以後この地のサン・カルロ劇場の音楽監督として精力的にオペラ・セリアの傑作を生み出すこととなりました。翌年の1816年に《セビリアの理髪師》、更に翌年の1817年に《チェネレントラ(シンデレラ)》を発表したロッシーニは1822年(30歳)に歌手のイザベラ・コルブランと結婚し、翌1823年にはイタリアでの最後のオペラとなる《セミラーミデ》を初演しました。

1824年(32歳)にフランスに移住してパリのイタリア座の音楽監督に就任したロッシーニでしたが、1829年(37歳)の時にグランド・オペラ《ウィリアム・テル》を発表したのを最後にオペラ作曲家としての筆を折って早々に引退してしまいました。その後は美食家として名を馳せたり、ヴェルディやリストといった後進の指導をしたりすることとなります。

そんなロッシーニの誕生日である今日は、《6つの弦楽のためのソナタ》をご紹介しようと思います。

《6つの弦楽のためのソナタ》は、ロッシーニが少年時代に作曲した弦楽合奏のための6曲のソナタ集です。前世代の古典的な型を意識しながらも後年の変化への予兆がみられ、後のロッシーニ・オペラの旋律の才を見せている作品です。

1804年の夏、当時12歳のロッシーニはラヴェンナのアマチュアのコントラバス愛好家のアゴスティーニ・トリオッシの家に滞在していて、そこでこの《6つのソナタ》を作曲しました。ソナタでコントラバスが目立っているのは、トリオッシの影響によるものと思われますが、後年にロッシーニは、

「第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、コントラバスのパート譜。この《6つのひどいソナタ》は、私がまだ通奏低音のレッスンすら受けていない少年時代に、パトロンでもあった友人アゴスティーノ・トリオッシの別荘で作曲したものである。」

「すべては3日間で作曲・写譜され、コントラバスのトリオッシ、(彼の従兄弟で)第1ヴァイオリンのモリーニ、彼の弟のチェロ、そして私自身の第2ヴァイオリンによって聴くに堪えない演奏が行われたが、実を言えばその中で私が一番まともであった。」

と回想しています。

因みに、




このソナタにはヴィオラパートがありません。理由としては高音と低音で全曲をまとめたいという音楽的なものではなく、単に当時周りにヴィオラを持っている人間がいなかっただけのようです(涙)。

この作品は後の1823年から1824年にかけて一般的な弦楽四重奏曲の編成に改められてパリで出版されましたが、一説には1825年ごろに第3番を除いた5つがリコルディ社から発表されたのが初出版とも言われています。後にロンドンでも出版されたほか、アマチュアによる演奏を見込んで、ピアノ独奏や、フルート・ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ、もしくはフルート・クラリネット・ファゴット・ホルンといった管楽四重奏編成への編曲も作られていました。

しかし、最終的にこのソナタの楽譜の所在は不明となって謎に包まれ、研究者たちはそれらが失われたものと推測していました。ところが、1942年にリコルディが出版した楽譜が再発見され、1954年にはロッシーニのオリジナルの譜面がワシントンのアメリカ議会図書館で発見されました。

さて、全6曲紹介すると1時間以上かかってしまうため、今回は冒頭をかざる第1番ト長調をご紹介しようと思います。

この曲は急緩急の3楽章構成で、後のロッシーニのオペラの序曲やアリアを思わせるような軽やかなヴァイオリンのメロディで始まります。続いて、セレナーデのようなしっとりとした第2楽章、スキップでもしなくなるような主題から各楽器にメロディが渡っていくロンドの第3楽章と、イタリアオペラ界を先導していくロッシーニの片鱗が窺える愛らしい作品です。

そんなわけで、今日はロッシーニの《6つの弦楽のためのソナタ》より第1番ト長調をお聴きいただきたいと思います。思わず口角が上がってしまうような、若きロッシーニの可愛らしいメロディをご堪能ください。


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突貫工事の送る会準備と『チョコレートムース』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2024年02月28日 18時15分50秒 | カフェ
今日は午後から、5年生たちと一緒に『6年生を送る会』の準備をしていました。これは毎年の恒例行事で、5年生が中心になって送る会の会場である体育館や校舎内の廊下などをデコレーションするというものです。

この作業の大変なところは、前年のデコレーションを踏襲しないことです。つまり、今の6年生は去年5年生としてあれこれと考えながらデコレーションをしていますから、それと全く同じものを作ったのではつまらないのです。

その際に彼らにとって頼りになるのは、自分たちや先生方の去年の記憶と感のみです。なので、なるべく去年と被らず、尚且つ去年よりも華やかなものを目指すので、いきおい気合が入ります。

高いところに飾り付けをする際には脚立や机に乗ったりするのですが、それでも足りない時には私が子どもを肩車して補助していました。おかげで、折角よくなってきた腰に再びダメージを食らい、またしても腰痛気味になってしまったのでありました…。

そんな小学校勤務を終えてから、横浜あざみ野の音楽教室へ移動しました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日で2月の限定メニューが終わってしまうので、



『チョコレートムース』をオーダーしました。本当は『キャラメルバナナワッフル』にしたかったのですが、なんと好評過ぎて品切れしてしまっていたのです…。

美味しいデザートと美味しいコーヒーをいただいて、ひと心地つくことができました。明日は放課後子ども教室の日ですが、有給休暇を取得したのでゆっくりとしようと思っています。

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ようやく本番!折り紙コマ

2024年02月27日 17時55分10秒 | 工作
今日は放課後子ども教室の日でした。この日のために用意した折り紙コマが、いよいよ日の目を見ることになりました。

土台の部分は事前に準備してあったので、子どもたちには黄色い軸の部分を自分たちで作ってもらうことにしました。ゆっくりと折り方を説明したものの、不器用に折って少々歪んでしまったり、そもそも人の話を聞いておらずに上手く出来なかったりといろいろでしたが、それでも



どうにか形にすることができました。

出来上げてからしばらくは子どもたちに自由に遊ばせていましたが、色とりどりのコマが回る様は実に美しいものでした。こうした光景を見ることができて、時間をかけて準備した甲斐がありました。

気温差なのか何なのか、インフルエンザや溶連菌感染等での欠席する子どもたちが目立って来ました。学年末も迫ってきているので、先ずは自分が倒れてしまわないように気をつけようと思います。

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寒風の中で咲く櫻

2024年02月26日 18時10分55秒 | 
今日は冷たい強風の吹く、寒い一日となりました。気温は13.3℃まで上がったようですが、寒風のせいでそれを全く実感できずにいました。

それでも、商業ベースでは春を感じさせる工夫があちこちでされていて、本厚木駅の花屋の店頭では



山形県から送られた啓翁櫻の花が咲いていました。こうして見ると、春が確実に近づいていることを感じます。

さて、明日は放課後子ども教室の日です。



折り紙コマの増産体制も佳境に入っていますので、明日の本番に間に合うように頑張ります。
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そぼ降る雨にショパンの《雨だれ》を

2024年02月25日 16時50分48秒 | 音楽
今日は、またしても冷たい雨の降る日となりました。昨日のうちに洗濯をすませておいて、本当によかったと思います。

今日も放課後子ども教室で使う折り紙を折りながら、いろいろと音楽を聴いていました。そんな中で、今日はショパンの《雨だれのプレリュード》をとりあげてみようと思います。

《雨だれのプレリュード》は



フレデリック・フランソワ・ショパン(1810〜1849)が1836年から1839年にかけて作曲した《24の前奏曲Op.28》という作品の中の15曲目の作品です。

ピアノ音楽の作品において12や24という数字を見かけることが多いかと思いますが、これはバッハの《平均律クラヴィーア曲集》が1巻2巻共にすべての調性を用いた24曲で構成されていることに始まるものです。ピアノ音楽における旧約聖書とも言われる《平均律クラヴィーア曲集》に影響を受けて書かれたショパンの24の前奏曲はまさにロマン派の時代における聖書のような作品であり、後にも先にもない傑作の一つです。

この《雨だれのプレリュード》が作曲された当時、ショパンは女流作家のジョルジュ・サンド(1804〜1876)と親密な関係を築いていました。音楽家として名を馳せていたショパンと、社交界で多くの男性との浮名を流していたサンドの関係はスキャンダルとして話題になりました。

そんな中、ショパンとサンドは噂好きが多い社交界に嫌気がさして、パリから離れるために、また、ショパン自身の結核の療養の為にスペインのマヨルカ島に滞在することにしました。しかし、滞在中は良いことばかりではなく、結核療養を嫌う島民から邪険に扱われたり、ショパンの症状が一時期悪化して生死の境を彷徨ったりしていました。

そんな中、ある嵐の日にサンドが必需品などを買いに出た際に、朦朧とした意識の中サンドの帰りが遅いことにショパンは神経を擦り減らしていました。そんな不安定な状態の中で、ショパンはこの美しく物哀しい作品を生み出したのでした。

変ニ長調という柔らかな響きのメロディの裏で、音階のソの音に該当する変イの音が8分音符で鳴らされ続けます。それが窓の外にずっと滴る雨だれの音のように響き、中間部の嬰ハ短調の部分では冷たい僧院にひとり取り残されたショパンの不安を表すように不気味に響きます。

そんなわけで、今日はショパンの《雨だれのプレリュード》をお聴きいただきたいと思います。そぼ降る雨を眺めながら、ショパンの描く雨模様をお楽しみください。


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地名に託された先人たちの知恵

2024年02月24日 18時05分18秒 | 日記
今日は、久しぶりに気持ちのいい晴天となりました。なので、たまっていた洗濯物を一気に済ませて、折り紙を買い足しに有隣堂に出かけました。

目的の買い物を済ませてから何となく書籍コーナーに寄ってみたら



この『一個人』があったので購入しました。今回の特集は『地名の謎と歴史』とのことで、興味を惹かれたのです。

日本には様々な地名がありますが、それにはそれぞれ由来があります。この『一個人』は、そうした地名の由来や謎について特集したものです。

例えば私が住まう厚木は、かつて相模川に現在の愛川町や相模原市の山から切り出された材木を流し、それを一時的に集めた貯木場=木場のあった河川貿易の拠点でした。そのことで『あつめぎ』といわれていたのが、いつの頃からか音韻変化して『あつぎ』になったといわれています。

こうした地名の由来というものは、大変面白いものです。実際に本を紐解いてみると、興味深い事実がたくさん載っていました。

明日は、また天候が崩れるようです。一雨毎に春に近づいているということなのでしょうが、もう少し天候が落ち着いてくれないものでしょうか…。

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性格が垣間見える自筆譜〜ドビュッシー《神聖な舞曲と世俗的な舞曲》

2024年02月23日 18時10分18秒 | 音楽
今日は令和の天長節です。今年は4年ぶりに制限なしの皇居一般参賀も開催されていたのですが、霙混じりの冷たい雨だったことと折り紙コマの下準備のために出かけるのを断念しました。

今日もひたすら折り紙を折っていたのですが、その間にいろいろと音楽を聴いていました。今日はそんな中から《神聖な舞曲と世俗的な舞曲》をとりあげてみます。



《神聖な舞曲と世俗的な舞曲》(Danse sacrée et Danse profane)は、



クロード・ドビュッシー(1862〜1918)が1904年に作曲したハープ独奏と弦楽合奏のための作品です。この作品は、



ピアノメーカーとして有名なプレイエル社が開発した半音階ハープ(クロマティック・ハープ)のために作曲されました。

従来のハープが全音階に調律されて半音階にペダル操作を必要としたのに対し、半音階ハープは弦の数を増やしてクロスさせることで半音階の演奏を容易にしようとしたもので、



こんな大型のものまで製造されていました。発明当時、この半音階ハープは注目を集め、1900年にはブリュッセル王立音楽院でこの楽器の講座が開かれました。

プレイエル社は、この楽器の普及のため1904年に音楽院でのコンクールのための楽曲をドビュッシーに依頼し、それを受けてドビュッシーは、同年4月から5月にかけてこの作品を作曲しました。ただし、ドビュッシー自身は半音階ハープを特に気に入ったわけでなく、むしろペダル・ハープの方が優れていると考えていたようです(今日ではこの作品もペダル・ハープで演奏されています)。

結局この半音階ハープは奏法の煩雑さや楽器の重さなどがネックとなって普及には至りませんでした。現在ではエラール社の開発したダブル・アクション方式のペダル・ハープが、改良を重ねて用いられています。

この作品は2つの部分から出来ていて、『神聖な舞曲』は



調性の曖昧な弦楽合奏に導かれてハープが典雅なメロディを奏でます。一方、『世俗的な舞曲』は



ワルツのような軽やかな曲調で、最後にはハープによる印象的なアルペジオが華やかに演奏されます。

自筆譜を見ると、かなり繊細な線で書かれていることが分かります。そんな中にも、ドビュッシーが到達した円熟味のようなものを感じることができます。

そんなわけで、今日はドビュッシーの《神聖な舞曲と世俗的な舞曲》をお聴きいただきたいと思います。かつて一世を風靡し、今では姿を消してしまった半音階ハープの存在を現代に伝える貴重な作品をお楽しみください。


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梅桃桜、分かるかな?

2024年02月22日 16時35分10秒 | 
朝から雨が降り続いて日照が全くなかったこともあって、今日もまた寒くなりました。火曜日のプチ夏日からこうも一気に寒くなると、心身がおかしくなりそうです。

そんな中でも、放課後子ども教室は開催されました。今日も帰りがけに《春よ来い》を歌ったのですが、そこに出てくる桃の花に因んだクイズを出しました。

Q:次の写真のうち、桃の花はどれでしょうか?











分かりましたか?

正解は…




























①でした。②は河津桜、③は梅の花です。

白い花なら見分けやすいのですが、



こうして薄桃色の花を見比べると結構似ていてゴッチャになりやすいことが分かります。

簡易な見分け方としては

●花の付き方
●花弁の形状

が挙げられます。


(ウェザーニュースHP引用)

梅は軸を持たずに枝から直接花を咲かせますが、桃は短い軸の上に花が咲き、桜は軸の長さが三つの中で一番長くなっています。花弁の形状も、梅は丸く、桃は花弁の先が鋭角で、桜は花弁の先に切れ込みが入っています。

子どもたちは思いの外この話に食いついてきていて、上の見分け方を一生懸命覚えようとしてくれていました。勿論、《春よ来い》も元気よく歌ってくれました。

明日は令和の天長節でお休み、今月に入って初めて何も予定のない日です。明日は南関東でも降雪の予報が出されていることもあるので、とにかく自宅でゆっくりと過ごそうと思います。

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二日連続の担任不在!からの『コーヒーぜんざい』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2024年02月21日 18時10分18秒 | カフェ
昨日は出張で、支援級の担任がいませんでした。そして今日は、高学年の校外学習の引率で支援級の担任がいませんでした。

明後日は祝日なので、今週一度も支援級の担任と顔を合わせないという異常事態となってしまいました。そうなると昨日に引き続いて私が自動的に留守居役となるのですが、昨日に引き続いてシッチャカメッチャカな一日となりました。

低学年の子は、担任が用意していったプリントを

「やりたくない〜…」

とワガママをくり出して放棄しようとするし、中学年の子たちは一応プリントに手を付けるものの、ちょっとした間違いを指摘すると

「もうムリ!」

と鉛筆をぶん投げてしまったりして、なかなかなカオスでした。こちらも気圧低下に伴う天気痛も相まって、小言の数がどんどん多くなっていったのでした…。

そんな二日連続の怒涛の支援級勤務を終えてから担任への報告書を作成し、横浜あざみ野の音楽教室に移動しました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日はとにかく頭を整理したくて



『コーヒーぜんざい』をオーダーしました。マスターさん曰く、

「今年は暖かくなるのが早いので、ぜんざいは今月中で終了予定」

とのことでしたので、改めてゆっくりと堪能させていただきました。

それにしても、

『こんなに担任が不在になるなら、もっと早くから言っておいてほしい…』

と思わずにはいられない昨今でした。今日も帰ったら、さっさと寝ることにします…。

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ぐったり留守居役と河津桜

2024年02月20日 18時18分18秒 | 
今日は春を通り越して、まるで初夏のような暖かさとなりました。小田原の最高気温は24℃に達し、長袖シャツを着て子どもたちを追いかけ回していると汗ばんでくるほどでした。

そんな中、今日は何だか大変な日でした。というのも、今日また支援級の担任が出張で一日いなかったのです。

そうなると、一部の高学年の子がこちらをナメくさって、ぞんざいな態度を取り始めます。基本的に支援級の子は素直なボンヤリした子が多いのですが、そうした一部の子は正規の教員と個別学習支援員とをしたたかに区別していて、教員の目の届かないところにきた途端に態度が豹変するのです。

女性の支援員さんだとヤンワリと注意したりオロオロしたりすることが多いのですが、私はきちんとシメてあげます。物騒な言い方ですが、小学生のうちからそんな狡いマネを覚えてもらっては困るのです。

シメられた子は、時にものすごい被害者面して他の先生のところに助けを求めに行くことがあります。ただ残念なことに、その子の普段の行いの悪さから全面的に信用してもらえることは殆どなく、むしろ

「君が先生(私)に何をしたからそんなことになったの?」

と逆に詰問されてしまうことすらあるのです。

そんな支援級の授業を終えてから、そのまま放課後子ども教室に移動しました。こちらは低学年の子たちばかりなこともあって素直な子が多く、ちょっとササクレ立った気持ちが和みました。

子どもたちを送り出して退院してから、チンタラ歩いて小田原駅へ向かいました。すると、



小田急線の改札内コンコースに生けられた河津桜の生け花が花を咲かせていました。

これは



来月3日まで開成町で開催されている《まつだ桜まつり》のPRのために設置されたものです。つい先日まで殆ど花が咲いていなかったのですが、今日の暖かさに刺激されてか一気に開花していました。

今日は、何だか変な疲れ方をしました。帰ったら、早めに休みます…。

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雨の月曜にカーペンターズ〜名曲《雨の日と月曜日は》

2024年02月19日 17時55分17秒 | 音楽
今日は二十四節気のひとつ『雨水』、空から降るものが雪から雨に変わる頃という日ですが、今日はそれを象徴するように朝から雨の降る生憎のお天気となりました。そんな中、私は絶対に出かけないつもりでいたのですが、家で折り紙コマの準備をしていたら折り紙が足りなくなってしまったので、仕方なく有隣堂に買いに出かけることになりました。

本厚木の駅前には



色とりどりの傘の花が咲いていました。ここ最近はずっと晴れの日が続いていたので、こうした光景も久しぶりです。

こういう時にふと思い出すのが



カーペンターズの名曲《雨の日と月曜日は》です。この曲カーペンターズが、私が生まれた1971年に発表したシングルです。

ご存知の方も多いかと思いますが、歌詞は以下の通りです。



《Rainy Days And Mondays》
(Paul Williams/Roger Nichols)


Talking to myself and feeling old
独り言をつぶやいては 歳を取ったなって感じる

Sometimes I'd like to quit
時には投げ出してしまいたくなる

Nothing ever seems to fit
何かどうにもしっくりこなくて

Hanging around, nothing to do but frown
時間を持て余しては、ただしかめっ面をするだけで

Rainy days and Mondays always get me down
雨の日と月曜日はいつも私を憂鬱にする



What I've got they used to call the blues
こういう感じを、昔の人はブルーな気分って言ったんでしょうね

Nothing is really wrong
別に何も間違ったことなど起きてはいないけれど

Feeling like I don't belong
自分には居場所がないように感じるの

Walking around some kind of lonely clown
彷徨い歩く孤独な道化師のように

Rainy days and Mondays always get me down..
雨の日と月曜日はいつも私を憂鬱にする..



Funny but it seems I always wind up here with you
おかしいけれど、結局いつも最後はあなたと一緒にいることを考えている

It's nice to know somebody loves me
誰かに自分は愛されているんだって感じられるのは幸せなこと

Funny but it seems that it's the only thing to do
おかしいけれど、こうすることしか思い浮かばないの

To run and find the one who loves me
私を愛してくれる人に、走って会いに行きたいってことしか



What I feel has come and gone before
今までに時折感じていたこの気持ちを

No need to talk it out
言葉にする必要はないわ

We know what it's all about
だってお互い分かっていることだから


Hanging around, nothing to do but frown
時間を持て余しては、ただしかめっ面をするだけで

Rainy days and Mondays always get me down..
雨の日と月曜日はいつも私を憂鬱にする..



カレン・カーペンター(1950〜1983)の低く落ち着いた声は何とも心地よく、私は子どもの頃から大好きでした。こんな素晴らしい歌手が拒食症に蝕まれて、わずか32歳で亡くなってしまったことが惜しまれてなりません。

そんなわけで、雨の月曜日である今日はカーペンターズの名曲《雨の日と月曜日は》をお聴きいただきたいと思います。サラ・ヴォーンやオリヴィア・ニュートン・ジョンもカヴァーした名曲を、カレン・カーペンターならではの女性低音の魅力に溢れた歌唱でお楽しみください。


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53年目の誕生日に〜アンセルメ、スイス・ロマンドによるベートーヴェン《田園》

2024年02月18日 17時25分20秒 | 音楽
今日、また一つ齢を重ねました。1971年のこの日に生まれて、今日で53年目を迎えました。

何の根拠も無いのですが、私はこれまで52歳で他界した母の歳を自分は越えないような気がしていました。今日この日を迎えてその歳を越えてみて、様々な感慨にとらわれています。


亡き母の
齢を越へて
長らへし
己が命の
行く末いかに


今日も昨日に引き続き、ひたすら折り紙を折るという地味な一日を過ごしていましたが、そんな中で今日は様々なBGMをかけていました。そのひとつが



エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団演奏によるベートーヴェンの交響曲第6番《田園》です。

これは祖父のコレクションのひとつで、私が幼少期から祖父の家でずっと聴いていたLPレコードです。私の中では、ベートーヴェンの《田園》といえばこの演奏がベストになっています。

そんなわけで、今日は私の個人的ベストと思っているエルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団演奏によるベートーヴェンの交響曲第6番《田園》をお聴きいただきたいと思います。派手さはありませんが、素朴で暖かなベートーヴェンをお楽しみください。


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頑張って作っています!

2024年02月17日 17時55分20秒 | 工作
今日は曇りがちな、肌寒い一日となりました。そんな中、今日はひたすら自宅で内職をしていました。

再来週ですが、放課後子ども教室で



折り紙のコマを子どもたちに作らせる予定でいます。その土台になる部分を、一人でひたすら折り続けています。

始めは普通の千代紙で作っていたのですが、どうしても模様の無い部分が白いだけになってしまうのが面白くありませんでした。そこで



裏にも色のある両面千代紙を使ってみたところ、かなりカラフルなコマになりました。

これをあと40個くらい作らなくてはならないのですが、折り方さえ慣れてくれば進みも早くなります。再来週の本番までには間に合わせるべく、ブログ書き終えたらまた作業に勤しみます。

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これ以上、、涙腺を刺激しないで…

2024年02月16日 16時50分30秒 | 日記
今日は久しぶりに、6年生の音楽の学習支援に入る時間がありました。今年度に入ってからは低学年の子たちの支援に入ることが多く、そもそもあまり彼らの支援に入れていませんでした。

6年生のこの時期の音楽の時間といえば、今や卒業式の定番ソングとなった『旅立ちの日に』の練習です。非常にシンプルながら2部に分かれてハモる部分もある華やかな曲なので、担任の練習にも熱が入ります。

ただ、どうしても低音部を担当する男子の歌唱が上手くいきません。早い子ではもう変声期をむかえてしまっていたりすることもあり、また男子ならではの気恥ずかしさも相まって声が出ないのです。

それでも、やはり本番まで一ヶ月間を切っていることを本人たちも自覚しているので、何とか形にしようという思いは伝わってきます。私も及ばずながら音取りのアシストをしたりして、何とか彼らに歌ってもらえるように後押ししてみました。

しかし、自身の学生時代には影も形もなかった曲とはいえ、やはり聴いているとグッと来るものがこの作品にはあります。元々学校の先生が作られたものであることも要因の一つなのかも知れませんが、指導している最中ちょっと涙腺が刺激されたのは内緒です(汗)。

何とか無事に授業を終えて子どもたちを送り出して教室の後片付けをしていた時に、支援級の担任から



これを渡されました。これは支援級の6年生に贈るプレゼントのメッセージカードで、在校生と担任、個別支援員全員のメッセージを集めてプレゼントにしようというものです。

折角落ち着いた涙腺が、この桜のカードを見ていたらまた刺激されてしまいました。今の6年生には個人的にいろいろと思い入れがあり過ぎて、こんなチンケなカードに書き切れるようなものではないのです。

教員というものは大きな流れの中に立つべき存在ですが、私は個々と関わりを持ち過ぎてしまう傾向があります。それ故に、他の支援員には見せないような表情を見せてくれたり、担任にも言わないような悩み事を聞いてきたりすることがあるのですが、それが果たしていいことなのかそうでないのかは分かりません。

とりあえず自宅に持ち帰って、一人一人の顔とこれまでの軌跡を思い返しながらメッセージを考えようと思います。誤字脱字と、長文をブチ込まないようにだけは気をつけなくては…。

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因縁めいた今年の春一番

2024年02月15日 16時48分38秒 | 日記
今日は勤務先とは別の小学校の放課後子ども教室の日でした。その最中に、気象庁から関東地方で『春一番』が吹いたという発表がありました。

春一番には気象庁による明確な定義があり、



①立春から春分までの間に日本海で低気圧が発達したことにより、
②北日本と沖縄を除いた広い範囲で初めて吹く、
③前日より暖かく強い風速8m以上の南よりの風

となっています。そして、この気象庁の定義に則った状況の風が吹かなければ、その年の春一番は『吹かなかった』とされます。

今年の春一番は昨年の3月1日より14日早いもので、横浜市中区では昼前に最大瞬間風速19.9メートルの南西の風を観測しました。気温も高くなっていて神奈川県内の全5地点で今年の最高を更新し、横浜で午後2時までに19.7度、小田原市では20.2度を記録しました。

実は、奇しくも今日は『春一番名付けの日』ともされています。

今から165年前の安政6(1859)年旧暦2月13日、壱岐郷ノ浦の漁師53人が五島沖で突風に遭い、全員が死亡するという痛ましい出来事がありました。それ以前から郷ノ浦の漁師の間では春の初めの強い南風が『春一』と呼ばれていて、これが後の『春一番』の語源とされていることによるものです。

ちょっと春一番のことを調べていた時にこの事実を知って、ちょっと偶然とは思えない何かを感じました。子どもたちも、そんな日に今年の春一番が吹いたということに、何らかの思うところがあったようです。

子どもたちを送り出して学校を出たら、時ならぬ『狐の嫁入り』がありました。私は一応常に折り畳み傘を持ち歩いているので大丈夫だったのですが、ここ数日の腰痛に事寄せて久々にバスに乗って小田原駅まで向かったのでした…。

さて、早くも明日は金曜日です。最近またインフルエンザ等で欠席する子どもたちが増えているのですが、一体どうなりますでしょうか…。

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