共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日は山田耕筰の誕生日〜身近な『あるもの』の名付け親

2024年06月09日 15時55分51秒 | 音楽
昨日の暑さから一転、今日は空一面に雲の広がる涼しい一日となりました。まだ関東地方は梅雨入りもしていませんが、このままシレ〜っと涼しい夏になってくれないかな…と願ってみたりしています。

ところで、今日6月9日は山田耕筰の誕生日です。



山田 耕筰(旧字体:山田 耕󠄁筰、1886〜1965)は、日本の作曲家・指揮者で、旧名は山田 耕作(旧字体:山田 耕󠄁作)といいます。日本語の抑揚を活かしたメロディーで、《赤とんぼ》《待ちぼうけ》《あわて床屋》などの童謡をはじめとした日本音楽史に残る多くの作品を残しました。

山田耕筰は日本初のプロフェッショナル管弦楽団を造るなど、日本における西洋音楽の普及に努めました。また、ニューヨークのカーネギー・ホールで自作の管弦楽曲を演奏したり、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やレニングラード・フィルハーモニー交響楽団等を指揮するなど、国際的にも活動していた人物です。

音楽的な話は勿論なのですが、実は山田耕筰は今日我々の生活に馴染みまくっている『あるもの』の名付け親であることはあまり知られていません。さて、その『あるもの』とは一体なにか、皆さんはご存知でしょうか。

それは…



なんと『カルピス』です。この『カルピス』という名前をこの商品につけたのが、何を隠そう山田耕筰なのです。

カルピスの創業者の三島海雲(みしまかいうん、1878〜1974)は新たな乳酸菌飲料商品の命名について、親交のあった作曲家・山田耕筰や、浄土宗の僧侶でサンスクリット語の権威・渡辺海旭(わたなべ かいきょく、1872〜1933に相談しました。そして、日本語に沿う音楽作りで定評のある音声学の権威・山田耕筰は、

「『カルピス』は、Ca-lu-pi-suの4シラブル(音節)ではない。Cal-pis、すなわち、アの母音とイの母音の2つのシラブルである。」

「アの母音は明るく開放的、積極的であり、人間が口を開いた形。イの母音は、消極的で口を閉じた形であるが、堅実である。『カルピス』なる音は非常に発展性のある名前である。」

このような考えのもとに、「カルピス」という名に太鼓判を推したのだそうです。

また、サンスクリットの権威である渡辺海旭は次のように論じて、命名に大賛成しました。

「『カルピス』について、“カル”は、牛乳に含まれるカルシウムを表す。“ピス”は、サンスクリット語に由来する熟酥(じゅくそ=サルピス)をあらわす。乳・酪・生酥・熟酥(サルピス)・醍醐(だいご=サルピルマンダ)の五味があり、最高位は“サルピルマンダ”(醍醐)である。」
(この五味の最上位である『醍醐』から派生した言葉が『醍醐味』)

「なので、最高位をもじって“カルピル”と呼びたいところであるが、この名では歯切れが悪い。そのため、次の位である熟酥サルピスをもじって『カルピス』と呼ぶが、最高に美味しいという点から問題はない」

こうして山田耕筰がらみで命名されたカルピスは大ヒットし、軽やかな名前と共にスッキリとした味わいが万人に愛される飲み物となりました。言葉を大切に扱う日本歌曲の大家・山田耕筰ですが、まさかカルピスの命名にまで関わっていたとは驚きです。

因みに、昭和時代の人間にとってカルピスのポスターといえば、



パナマ帽を被った黒人男性がストローでグラス入りのカルピスを飲んでいる図案化イラストでした。これは第一次世界大戦終戦後のドイツで苦しむ画家を救うために、当時の社長である三島海雲が開催した「国際懸賞ポスター展」で3位を受賞したドイツ人デザイナーのオットー・デュンケルスビューラーによる作品を使用したものです。

しかし、1989年に一部から“差別思想につながる”との指摘を受け、1990年のパッケージリニューアル時にこの「黒人マーク」は使用されなくなってしまいました。

なぜ「黒人マーク」の使用を中止したのかというと、アメリカでの「黒人マーク」いついての意識調査で「差別を感じる」という回答が多くあったためです。つまり、日本人がそのイラストに差別を感じるからではなく、アメリカ人がそのように感じたから中止を決めたということなのです。

この頃には童話の『ちびくろサンボ』が発禁になったりと、エキセントリックなまでに黒人差別を錦の御旗にされて世の中から抹殺されたものがありました。今ではその揺り戻しなのか『ちびくろサンボ』は再び書店に並ぶようになっていますが、カルピスのポスターは戻ることは…ないのでしょう。

今日は作曲家の紹介ながら、音楽の話はありませんでした。その代わり、これからカルピスを召し上がる機会がありましたら、一連の山田耕筰の逸話を思い出していただければ幸いです。

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