日々の覚書

MFCオーナーのブログ

Since God Invented Girls

2007年08月11日 00時08分46秒 | 与太話

最近よく見かけるが、柳原可奈子という女芸人がいる。一人芝居で、今時のギャルを演じる訳だが、これが結構面白い。周囲でも評判良くて、「ああいう女の子っているよねぇ~」なんてウケている。「ああいう女の子」ってのは何かというと、合コンが始まる前と後ではコロッと声が変わったり、人に話しかけておきながら、相手が喋り始めるとずっと携帯を見てたり、その場の話題とは関係なく、突如自分が面白いと思う事を喋り出したり、とまぁこのような女の子の事を指すのだろう。要するに、いつでもどこでも、常にマイペースで、周囲の事なんて気にしない、人の話だって聞いちゃいない、って訳だ。これが“今時の女の子”という事なのである。

が、僕に言わせると、↑に書いたようなのは、今時のギャルの特徴って訳でもないような気がする。というか、女はだいたいこんなもんだ、というのが偽らざる気持ち。昔から女というのは、自分のペースで自分の喋りたい事を喋るし、興味のない話題だと知らん顔してるものだ。人が話してる時に、急に関係ない事を言い出す(彼女と食事してる時、話題とは関係なく、いきなり“あー、これ美味しいー”なんて声をあげる、という経験はありませんか?)のはしょっちゅうだし、こちらに話しかけながら携帯に目を落とす、なんてのは年齢とは関係ない。

僕も若い頃は、女性が↑のような態度をとる度に、自分が嫌われてる、または相手が自分に退屈している、と思い落ち込んだりしたものだが(笑)、必ずしもそうではない、というのが分かってきた。女ってそういうものなのだ。もちろん、全ての女性がそうだ、というのではないが。

しかし、不思議なもので、↑に挙げたような特徴も、女なら気にしないが、男だと頭にくる。人の話を聞かない男、自分でひたすら喋りまくる男、他人の話の最中にいきなり関係ない事を言い出す男、どれも最低である。女なら許せるのに、男だと許せないのは何故か。

やはり、自分の中では、男と女は別物、という認識があるのだろう。男らしさとか女らしさとかを言うつもりはないが、男と女では性格や習性が違って当たり前、男ならではの性格女ならではの気性、というのが存在する、という気がするのだ。だから、同じ性格なのに、男なら許せないが女なら許す、という事になる。ある意味、これ男女差別である(笑)

男女平等の世の中に於いては、「男だから」「女だから」という目で見てはいけない。男の性格とか女の性格なんてのは存在せず、性格というのは人間の特徴である。だから、男も女も関係ない。悪い性格、というのが存在するのなら、それに当てはまるのは男も女も悪いヤツなのである。性格に限らず、能力や才能についても同じ。「男なのに」「女のくせに」なんて言っちゃいけない(これは僕も賛同するが)。とにかく、相手を「男」「女」という目で見てはいけない。一個の人間として接するべきなのである。

となると、男と女の違いは肉体的・生理的な事のみになる。そうなってくれば、異性に求めるものは、おのずと限られてくるね(これ以上は言わないが)。でも、それだけってのは、本能に忠実と言えるけど、なんか味気なくないか?

男と女、生物学的なもの以外にも、違いがあって当然。だからこそ面白いのだ。なんだかんだ言っても、世の中には男と女しかいないのであるから、「男と女」を楽しみたいと思う。なんたって、「人間」なんですから(笑)

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ようこそ、ムーミン谷へ

2007年08月06日 23時41分43秒 | 与太話

某ミネラルウォーターの、1リットルのペットボトルに付いてくるジオラマ・フィギュアを、つい集めてしまった。

200708062320000

200708062321000

フローレンって、誰だ? ノンノンじゃないのか??

最初のうちは気にもしなかったが、数が増えるにつれて、意地になって集めてしまった。全8種類揃えるのに、結構時間を要したのである(笑) おかげで、スニフはこの他に3個、スナフキンとミィは2個、ニョロニョロは1個ある。誰か、貰って下さい(爆)

コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

追悼:阿久悠

2007年08月02日 22時19分40秒 | 音楽ネタ

ご存知の人も多いだろうが、昭和歌謡界最大のヒットメーカーとして知られる、作詞家の阿久悠氏が昨日亡くなった。享年70歳。尿管癌だそうだ。

また一人、昭和を象徴する人が亡くなった。謹んで冥福をお祈り致します。

僕が歌謡曲に興味を持ち始めた1970年代半ば、というか昭和40年代終わり頃には、阿久悠は既にヒットメーカーとしての地位を確立していた。好むと好まざるとに関わらず、彼の曲(歌詞)は自然と耳に入る環境だったのだ。でも、子供心にも、“阿久悠ならでは”みたいな歌詞は少なかったように感じていた。「えっ、これも阿久悠なの?」というのは、たくさんあったけど。

阿久悠で思い出す話があって、中学の頃の友人が、阿久悠が書いた「作詞入門」みたいな本を持ってて、借りて読んだ事がある。作詞法をレクチャーした本というより、詞を書く時の自身の経験や思い出を書いたような感じで、内容はほとんど忘れているが、その中で強烈に覚えているのがある。当時の僕は知らなかったけど、阿久悠のヒット曲に「白い蝶のサンバ」というのがあり、その出だしの歌詞“あなたに抱かれて私は蝶になる”という部分が、発売当時かなり話題になった、というか物議を醸したらしい。阿久悠本人によると、「意味が分からない」という声が圧倒的だったそうな。「蝶になる、ってどういう事よ。説明してよ」と、会う人ごとに言われたとか。ただ、そんな周囲の反応を見て、阿久悠は「この曲はヒットする」と確信したそうな。で、その通り、大ヒットとなった。

阿久悠曰く、きちんと情景が描写された歌詞もいいが、抽象的で意味不明な歌詞だと、何が言いたいのか、と聴く人の興味をそそるのだそうだ。で、その歌詞について考えているうちに、曲が頭から離れなくなり、結局買ってしまうのだとか。これだけだと、「ふ~ん、なるほどねぇ~」で済んでしまうのだが、僕が凄いと思ったのは、阿久悠がこの「あなたに抱かれて私は蝶になる」という歌詞を狙って書いた、と言っていた事だった。ヒットするという確信のもとに、いや、ヒットさせるために書いたのだ、と本人が断言してるのだ。ヒットした後だから、何でも言えるよ、とは思うけど、この人は本気だったような気がする。「阿久悠って、プロ(職人)なんだ」と、僕は強烈に感じたのだ。

そう、彼の作品はいずれも「プロ(職人)」の作品なのだ。歌い手のイメージを損なう事なく、大衆にアピールする歌詞を書いてヒットさせる。正しくプロの仕事。彼の作品はどれも、ひたすらそんな“プロ意識”に貫かれていた。個人的な思いや感情、独りよがりな技巧等は一切感じられない。阿久悠は“表現者”ではなく、“プロの作詞家”に徹していた。彼のすごさはそこにある。

ただ、そんな“プロ意識”が強すぎて、僕は阿久悠の歌詞に感情移入する事はなかった。好きな曲はあるけど、歌詞が好きかというと、ちょっと違うような気がしていた。「いい歌詞だなぁ」と思う事もあったけど、冷めていたような気がするのだ。分かりますか、この感じ(笑)

とはいえ、今にして思うと、実に素晴らしい歌詞、と絶賛したくなるのもある。何故か演歌系だったりするのだが(笑)、「津軽海峡冬景色」とか「北の宿から」なんて、本当に素晴らしい。正にプロの仕事(やや論旨が変わってるけど、気にしないように)。

昭和のヒットメーカーとしてのなんて欲しいままにした阿久悠であるが、1980年代から徐々に名前を見かける事が少なくなっていった。本人が小説を書き始めた、というのもあるだろうが、音楽に関しては購買層が低年齢化し、底辺が拡大した事により、完璧なプロの仕事より、素人でも自身で表現する事をもって良しとする風潮になっていたのが、大きな理由だろう。アマチュアリズムにリアリティを求める時代になったのだ。それは決して悪い事ではない、しかし、現状を見ていると、“プロの仕事”も随分変わったもんだ、と皮肉を込めて呟くしかない。

阿久悠・・・単に作詞をする事を生業としているという意味だけでない、本当の“プロの作詞家”だった。今、こういう仕事をする人が、一体何人いるのだろうか?

コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緊張のランチ

2007年08月01日 22時32分50秒 | 与太話

Yakiniku

今日の昼食は焼肉だった。U-500を標榜する人間が、焼肉なんて食べていいのか、とお叱りを受けそうだが、たまにはいいのだ(笑) それに、今日は上司の奢りだったし(爆)

普段、焼肉を食べに行く事は滅多にないが、この焼肉ほど緊張する食べ物もあるまい。夜食べに行くと、カルビなりタンなり、種類別に皿に盛られている訳だが、今日はランチということで、一人分をそれぞれ皿に分けてあった。これはどういう事かというと、一人が食べる量がきっちりと決まっている、という事だ。そして、当たり前の事だが、自分で食べる分は自分で焼く訳である。緊張が走る理由は、ここにある。

つまり、自分のを焼いている間、他の人に食べられてしまわない様注意してないといけない。自分の肉から、目を離してはいけないのだ。同様に、他の人のを間違えて食べてしまう事があってもいけない。このカルビは○○さんので、このロースは△△さんの、と把握していなければならない。これが案外と疲れる。久々に焼肉を食べて実感した。

と言いつつ、美味かったけどね。肉もさることながら、ご飯(米)がまた美味かった。年に何度あるか分からないが(笑)、とても豪勢なランチだったのである。ま、たまにはいいでしょ(爆)

注:写真と本文とは関係ありません。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする