「性同一性障害」・・・この言葉をご存知の人も多いだろう。精神と肉体の性差に悩む人たちの事だ。心は男(女)なのに、体は女(男)である、という受け入れがたい現実を受け入れざるを得ない人たち。男になりたいとか、女になりたいとか、そういうのとは違う問題だ。女装趣味とも、かなり違うだろう。最近、小学校低学年の男子が「性同一性障害」と診断され、学校では女子として生活している、という記事を読んだが、今では低年齢層にまで及ぶ深刻な問題であるのだ。が、非常にシビアな問題であるし、僕も一家言ある訳ではないので、この問題にはこれ以上触れない。
ただ、こういう話を聞くと、男って何だろう、女って何なのだ、と考えてしまう。前述の小学生男子は、小さい頃からぬいぐるみや人形の好きな子で、いわゆる男の子らしい遊びは好まなかったらしい。だけど、男の子らしい遊びって何なのだ。男が人形好きだといけないのか。女が外で泥んこになっちゃダメなのか。聞いた話だけど、確かに親が何も教えなくても、男の子と女の子とでは、自然と嗜好や行動に違いが出てくるらしい。けど、男(女)の子だからこうでなければ、と決め付けるのは良くないような気がするんだけど。人形の好きな男の子が、周囲に男の子なのにおかしい、なんて言われ続けていると、本当に自分は異常なんだ、なんて思い込むようになってしまわないか。
男とは何か、女とは何か、なんて考えれば考えるほど分からない。僕は、生まれてから自分が男である事を疑った事はないが、それはおそらく女にはない物がついてるからだろう。それがあるから男なんだ、と言われて、そうか俺は男なんだ、という事でこれまで生きてきたに過ぎない、という気もしてしまう。体は男だけど、本当に男かどうか、よく考えてご覧なさい、ともし小さい頃に言われてたら、無茶苦茶混乱したに違いない。
結局、性差なんてのは肉体的特徴だけの事であって、それ以外はっきりとした区別はないように思う。特に嗜好や行動パターンに於いては。編み物は女がするもので、トラックの運転手は男の仕事、なんて決め事はない方がいいのではなかろうか。男と女の絶対的な違い、つまり子供を生めるか生めないか、さえ受け入れられれば、他はどうでもいいのではないか、なんて気もしてくる。ま、それが受け入れられないからこそ「性同一性障害」なのだろうけど。
ま、古来より社会生活に於いては、男と女の役割分担というのが、明確に決められてきた。そうした方が都合良かったからだろうと思う。だからこそ「男らしさ女らしさ」が求められたのだ、とも言える。世間が男に男らしさを要求する間は真の女性解放はない、と田○陽子先生もおっしゃっている(笑) 男らしく女らしく、というのは結局互いを縛っているだけのものであり、真の男女平等とは性差を超えた所にある。
一体何が言いたいのか、さっぱり分からなくなってきたが、「男らしい男」の定義とは、「男より女の方が好きなこと」そして「いざという時○○○すること」である(笑) 生物学的に見ても間違ってないと思うけどね(笑)
余談だが、小学生の頃、「アー・ユー・レディ?」というのは「あなたは女ですか?」という意味なんだぜ、なんて知ったかぶりしてるのがいた。そいつは「ready」と「lady」の発音が違う事に、ちゃんと気づいたのだろうか?