皆さま、暑中お見舞い申し上げます。
もう既に本格的に夏になってて、神奈川県は先月の梅雨明け直後に猛暑日となったけど、その後は30度前後に落ち着いてて、比較的過ごしやすいせいか、今年はセミがよく鳴いてる。ここいらのセミはミンミンゼミなのだが、一説によるとミンミンゼミはあまりに暑過ぎると鳴かなくなるそうで、要するに猛暑日が続くと、鳴き声が聞かれなくなるのである。言われてみれば、去年も一昨年もセミの鳴き声をあまり聞かなかったような...セミが鳴かない夏なんて、やっぱり物足りない。そういう意味では、今年の夏は夏らしくてよろしい。ま、西日本は猛暑続きみたいなんで、夏らしいのもここいらに限っての話らしいけど。
所で、唐突だが、皆さんは「風立ちぬ」と聞くと、何を連想するのだろう?
1.堀辰雄の小説
2.クリストファー・クロスのヒット曲
3.松田聖子のヒット曲
4.宮崎駿監督の最新作
堀辰雄の『風立ちぬ』は1937年に出版された。軽井沢での結核の療養中に知り合った男女の恋物語である。堀辰雄の代表作と言っていいだろう。教科書にも載ってたし(題材になったのではなく、文学史のページに代表作として記載されていた)。読んだ事はないが。また、確か、三浦友和・山口百恵コンビの主演でも映画化されていた。見た事ないけど(笑)
ちなみに、タイトルの『風立ちぬ』は、“風立ちぬ、いざ生きめやも”という、フランスの詩人ポール・ギャリーの誌の一節を引用したものらしい。意味はよく分からんけど(笑)、ちょっとした蘊蓄ってことで(爆)
クリストファー・クロスが鳴り物入りでデビューしたのは1980年のこと。デビュー・アルバム『南から来た男』からの第一弾シングルが、その名も「風立ちぬ」。原題は「Ride Like The Wind」、“風のように跨る”みたいな意味なんで、「風立ちぬ」ではないのだけど、つむじ風のような効果音から不穏なイントロが始まると、確かに“風が立った”ようなミステリアスなムードに包まれる。クリストファー・クロス自身が、顔もプロフィールも公表せず、実にミステリアスな雰囲気で登場してきたというのもあり、僕にとっては、独特の美声のせいもあって(また、この声が好奇心をかき立てる声なのだ)、「風立ちぬ」はとことんミステリアスな逸品なのである。実際、FMとか聞いてても、「風立ちぬ」が流れてくると、場の雰囲気が一変するような気がしたものだ。なので、話題となっていたデビュー・アルバムをFMで聴いた時には、「風立ちぬ」以外の曲があまりにポップだったので、腰が砕けてしまったのを覚えている(笑) その後、顔が公表されると、最初のミステリアスなイメージは、すっかりどこかへ行ってしまった(笑)
クリストファー・クロスは、「風立ちぬ」以降もデビュー・アルバムからヒットを飛ばし、アルバムもベストセラーにして、この年のグラミー賞の主要4部門を独占する、という快挙を成し遂げた。正に彗星のような華々しいデビューだった訳だ。それだけに、次作に過剰な期待が集中してしまった為、満を持して発表された2nd『アナザー・ペイジ』は、1stほどの評価を受ける事なく終わってしまったような気がする(ちなみに、当時オリコンではアルバム・チャートの1位になったらしい)。個人的には、1stにも決してひけは取らない出来と思ったけどね。惜しいなぁ。
その後のクリストファー・クロスはというと、派手な話題とは縁遠くなってしまったけど、良い作品を出していたように思う。「チャーム・ザ・スネイク」とか好きだったけどね。勿体ないよなぁ。「風立ちぬ」だけのミステリアスな一発屋で終わってたよりは良かったんだろうけど。
という訳で、「風立ちぬ」なんである。100m先で聴いても一発で分かるマイケル・マクドナルドの必殺コーラス(笑)が、ミステリアスな雰囲気を盛り上げている(ほんとか?)。素晴らしい。
http://www.youtube.com/watch?v=HNOn6enPC7U
ここで少し話は逸れるが、この「風立ちぬ」もなかなか秀逸な邦題と思うのだが、思えば80年代半ば頃から、良い邦題というか、邦題そのものが少なくなり始めたような気がする。原題をそのまま、或いは一部の単語だけを日本タイトルとするのが多くなった。それが90年代以降エスカレートし、そのうち古い作品の再発時ですら、かつての邦題をなくして原題で曲タイトルなどを表記するのが目立つようになってきた。70年代からの洋楽ファンとしては、これは悲しいどころか由々しき事態である。洋楽の楽しみのひとつが、邦題でもあるのに。確かに、トホホな邦題もあったげと、秀逸な邦題も多かった。そんな愛しき邦題をなくして、洋楽の楽しみを奪おうとする動きが活発化しているのは何故なのか。「邦題なんて、原題と全く違う意味になっててて、おかしいわよ。英語が分からない人がつけてるんじゃないの。そんな邦題なんて必要ないわ。」とか、「オレって子供の頃から輸入盤とFENで育ってるから、邦題言われてもピンとこないんだよね。」などと、通を気取る自称洋楽マニアが、あろうことか、レコード会社のディレクターかなんかになってたりして、かねてからの野望を実現すべく、邦題撲滅運動に邁進してるせいだ、と僕は長いこと思っていた。
ところが、最近知ったのだが、邦題が少なくなったのは、似非洋楽マニアのディレクターの陰謀ではなく、大手レコード会社、つまりユニバーサルとかEMIとかワーナーとかの海外の本社が、日本で勝手にタイトルを決めるな、と圧力をかけているからなのだそうだ。邦題はもちろん、昔はよくあった日本独自のシングル・カットも許されないらしい。なんか、小せぇな、って気がする。日本人が親しみやすいように、宣伝しやすいように邦題をつけて、それでヒットが生まれるのなら、別に何の問題もないではないか。ピンク・フロイドの『あなたがここにいてほしい(原題:Wish You Were Here)』という邦題は、当時ピンク・フロイド側から指定してきたらしいけど、これくらいの度量の広さが欲しいもんだ。勝手に出鱈目なタイトルつけるな、というのなら、海外で最も有名な日本の歌を「スキヤキ」と呼ぶ事は、金輪際止めて貰いたい。
脱線した。、閑話休題(笑)
さて、同じ「風立ちぬ」でも、松田聖子のは全く雰囲気が違う。ミステリアスというより、なんとなく文学的な香りがある。つい高原とか白樺とか連想してしまうのも、堀辰雄のイメージに近い。ただ、小説のような死や病気と向き合う深いテーマが歌われてる訳ではないので、念の為(分かってるって)。
ちなみに、「風立ちぬ」と聞くと、この曲を連想する人は結構多い。ある程度の年齢以上の人は堀辰雄の方を連想すると思ったけど(僕もその一人)、意外とそうでもなかった。百恵ファンなら、絶対堀辰雄だろうけどね(笑)
ご存知の通り、この曲松本隆・大瀧詠一コンビによる作品である。松本隆は昔の書生というか、やや屈折した文学青年みたいなイメージがあるし、大瀧詠一は自身の作品について、元ネタはどうとかこうとか、あれこれ語りたがるタイプで、要するにオタクなのだが(笑)、そんな2人が作った曲なのであるので、一筋縄ではいかないのは確かなんだけど、どちらの素養もない松田聖子が歌うと、割と普通のポップスに聞こえるので救われる(爆) 森高千里だとこうはいくまい(爆爆)
そして、最後の『風立ちぬ』だが、今回はこっちが本題だったりして(笑)
スタジオジブリといえば、今や東京ディズニー・ランドと並ぶ、日本を代表するエンタテインメント企業である。新作が上映されるとなれば、各メディアが争って取り上げるし、世間もそっちの話題一色になって、正に国民の一大関心事と言わんばかりの様相を呈してくる点でも、この2社はよく似ている。ま、どちらもメディア戦略が巧み、という事ね。政治家だって、そうでないと生き残れないとすら言われる昨今、民間のエンタテインメント企業がメディア戦略下手だったら致命的である。ま、それはそれでいいのだが、ちょっとやり過ぎじゃないの、なんて思ったりもする訳で、何事もほどほどが一番ですよ(って、誰に言ってるんだか)
さて、そんなスタジオジブリの新作にして、宮崎駿監督の最新作が、先月から公開されている『風立ちぬ』である。公開直前から、あちこちのテレビ番組で特集が組まれ、CMもヘビロテ状態だったので、内容を知ってる人も多いだろう。もちろん、堀辰雄の『風立ちぬ』のプロットをベースに、堀越二郎という実在の人物(零戦の設計社として知られている)を主人公にした物語だ。2人の堀(越)さんに対するオマージュである訳だ。宮崎監督が何年も構想を温め続けてきた作品で、非常に自信作でもあるらしい。という訳で、見に行ってきた。
公開前から、宮崎駿監督をはじめとするスタッフがテレビに登場して、あれこれと映画について語ってはいるものの、「これ以上は言えません」とか「続きは劇場で」なんて、肝心の部分は黙ってたように思えた。が、実際見てみると、そうでもない。『風立ちぬ』というタイトルその他、公表された情報を繋ぎ合わせてみれば、主人公と不治の病に冒された女性との悲恋物語かな、となんとなく想像がつく。で、実際、それは間違っていない。ただ、それだけではない。
宮崎駿監督自身が、完成して試写を見た時、思わず泣いてしまった、と言っていて、それは監督にとっても、珍しい事らしい。そして、恥ずかしながら、僕も見終わって涙してしまった。映画は、堀越二郎が子供の時に、飛行機の設計技師を志す所から始まり、その後の彼の人生を淡々と描写していく訳だが、子供の頃から憧れているイタリア人の飛行機設計技師、就職した飛行機メーカーの上司や同僚、そして若くして結核で死んでしまう妻、といった登場人物との絡みも淡々とした印象。宮崎駿監督は、元々自身の作品の中で、そのテーマを声高に叫ぶ人ではないけど、今回もそんな感じで、根底には、夢と理想を追求する男の葛藤とか、不治の病の為に幸福になれないと分かっていても貫き通す夫婦愛、とかいったテーマが潜んでいるのだろうけど、でも淡々とストーリーは進む。で、見ている方は、映画の世界に浸りつつ、ラストには涙してしまうのだ。最愛の妻が死んでしまうこと、ただ美しい飛行機を作りたいだけなのに、結局は戦闘兵器になってしまうこと(“零戦は半分以上帰ってきませんでした”という堀越二郎のセリフが印象的)、といった悲しみがじわじわと伝わってくるからではないか、という解釈も出来るけど、それだけでは説明し切れない何かがある。今までの宮崎駿監督作品と、『風立ちぬ』はどこか違うのだ。何故、この映画はこんなに泣けるのか?
私見だが、これまでの宮崎駿作品は、老若男女問わず楽しめるものであった。宮崎監督が意図したかどうかは分からないが、とにかく誰が見ても楽しい、「ラピュタ」も「トトロ」も「ポニョ」も、そういった特色を備えた映画であったと思う。しかし、この『風立ちぬ』は違う。大人の為の映画だという気がする。なにか、異色な雰囲気があるのだ。何がどう異色なのか、それはご自分でご覧になって確かめてみて下さいませ(宣伝かよ。笑)
ジブリ作品というか、宮崎駿作品には、いわゆるプロの声優でない人が声優として起用される、というのが多い。今回の『風立ちぬ』では、主人公の堀越二郎の声を、エヴァンゲリオンで知られる監督の庵野秀明が担当していたが、これがかなりハマっていた。やや棒読みのきらいはあったが、違和感はなかったしね。
あと、関係ないが、主人公がシベリアを買うシーンがある。シベリアとは、もちろん地名ではなく、カステラであんこをサンドした食べ物だ。映画の時代背景からすると昭和初期と思うのだが、その頃既にシベリアは存在してたのだ。意外だった。ちなみに、僕はシベリア食べた事ない。スーパで売ってるのは見かけるけど。今度、買ってみるか。
エンドロールに流れるのが、ユーミンの「ひこうき雲」である。この曲がまた、映画のテーマとぴったりなのだ。なので、余計に泣ける(笑)
ユーミンと言えば、プロコル・ハルムに影響されて作曲を始めた、というのは有名な話だけど、去年(だったっけ?)そのプロコル・ハルムとユーミンの共演が実現した。その時、この「ひこうき雲」を演奏していたのを、たまたまテレビで見たのだが、なんというか、全くもってプロコル・ハルムそのものの世界になっていて、少なからず驚いた。ユーミン単独バージョンは何度も聴いてたけど、プロコル・ハルム的なものには全然気づかなかった。両者の共演による「ひこうき雲」を聴いて、ようやくプロコル・ハルムがユーミンに与えた影響の大きさが分かったような気がする。
またも余談だが、ユーミンには姉がいて、その姉がロック好きで、あれこれと聴かされていた、とラジオで本人が言ってた。プロコル・ハルムもお姉さんに聴かせて貰ったのかな。偉大なお姉さんだなぁ(笑)
と、そんな訳で、今年も暑い夏を乗り切っていきましょう(意味不明な締め)