日々の覚書

MFCオーナーのブログ

沈黙

2017年03月06日 00時07分04秒 | 映画
先日、マーティン・スコセッシ監督の『沈黙-サイレンス-』を見た。あの有名な遠藤周作の小説が原作である(余談ながら、最近、同じ遠藤周作の小説『真昼の悪魔』がテレビドラマ化されている。偶然?)。遠藤周作は自身もクリスチャンとして知られているけど、その日本人のクリスチャンが書いた重いテーマの作品を、アメリカ人のマーティン・スコセッシ監督がどんな解釈で映画化するのか、結構興味津々だった。キリスト教国家アメリカで、この作品がどう受け止められるのだろう。

遠藤周作の小説は若い頃読んだ。衝撃的だった。ネタバレになるかもしれんが、神のしもべたちが苦しんでいて、神の助けを必要としているのに、神は声すらかけてくれない。本当に神はおられるのか? 本当に神は我々しもべの事を思っていて下さるのか? 本当に神は我々に道を示して下さるのか? 僕のような無宗教とは違い、信徒にとっては重大な問題である。というか、信徒というのは神を信じているのが当たり前であり、その信徒がわずかでも神の存在を疑う、という事自体あり得ないのであり、矛盾した行いなのてあるにもかかわらず、いや矛盾しているからこそ、小説の主人公は苦しみ続ける。これ自体、キリスト教徒として失格と言えるのではなかろうか。アメリカ人は、そういうのを許すのか?

という訳で、『沈黙-サイレンス-』である。ま、確かに、原作同様暗く重い映画だった。キリシタン達をあの手この手で拷問するシーンには、目を背けずにはいられなかった。信徒たちの、そして宣教師たちの苦しみはイヤというほど伝わってくる。宣教師は悩み、苦しむ。自分が転べば(棄教すれば)信徒たちは苦しみから解放される。どうしたらいいのか。でも神は何も言ってくれない。彼の苦しみは果てしなく続く。

ネタバレになるかもしれんが、原作では、悩み苦しんだ末に、この宣教師は棄教し、日本人の僧侶となる。いや、映画でも同じだ。けど、さすがハリウッド映画である。かような、キリスト教徒にとって到底受け入れられない結末を、ただで許す訳にはいかないと見えて、予防線を張ってある。言い訳とか逃げ道とかに言い換えてもいい。その逃げ道(と僕には思えたもの)については、ここでは触れずにおくが、良くも悪くもハリウッドというか、自国民の反感を買わないように手は打っている(笑) さすがに、巨匠マーティン・スコセッシと言えども、その呪縛からは逃れられないようだ。アメリカ人というか、キリスト教徒の業は深い(意味不明)

という訳で、良い映画ではあるものの、手放しでは評価出来ない、中途半端な作品になってしまったのは残念だ。所詮、遠藤周作が小説に書き綴った思いは、日本人だからこそ理解出来る類のものなのか。

あと、ついでに言うと、登場人物の大半は日本人なのだが、ほとんどがカタコトとはいえ英語が喋れる、というのも、ハリウッド映画のお決まりだな、と思った。それと、主人公の宣教師の同僚で一緒に日本に来て、棄教を拒んで死んでいく宣教師が、アンガールズの山根によく似てたなぁ(爆)

ところで、『沈黙』といえば、この曲をご存知の人はどれくらいいらっしゃるのか?

https://www.youtube.com/watch?v=F7W8NWw2HtQ

そう、野口五郎の「沈黙」である。1977年のシングル曲だ。人気絶頂の頃である。この頃の野口五郎は、正に飛ぶ鳥落とす勢い、出す曲出す曲ヒット・チャートを賑わせていた。そんな時期の一曲がこの「沈黙」であり、ツインギターによるイントロのフレーズが印象的だった。確かに、40年近くが経過した今となっては、知る人ぞ知る名曲に過ぎないんだろうな、とは思ってたし、それなりに覚悟(?)はしてたんだけど、こないだ行ったカラオケボックスには、やっぱりこの曲はなかった(笑)

ま、なんたって野口五郎と言えば、「私鉄沿線」であり「甘い生活」であったりする訳で、これらにも顕著なように、哀愁漂うメロディとドラマティックな曲構成の昭和青春歌謡路線なのである。野口五郎自身はギターが得意で、青春歌謡路線ではなく、もっとAOR風の音楽を志向していたのは有名な話だけど、でもやっぱり彼には青春歌謡が似合う。「私鉄沿線」に代表されるように、この手の曲は素人が歌うと平坦になってしまって、なかなか盛り上げる事が出来ない。野口五郎みたいに感動的に歌い上げる、なんて事は不可能。結構難しいのだ。やっぱり五郎って上手いよな、って改めて思う。

僕自身は、この「沈黙」の他、「針葉樹」とか「季節風」とか好きだった。当時は知らなかったけど、「沈黙」の作詞は松本隆で、サビの♪どんな気がする~、というフレーズはディランのあの曲から貰ってきたのか? みたいな事を書いてるのを近年読んだ。松本隆とディランって、切っても切れないのかね(笑)

ところで、さらに「沈黙」と言えば、こんなのもある。

https://www.youtube.com/watch?v=QkqAEjZfVv8

アラン・パーソンズ・プロジェクト(APP)の1979年のヒット曲である。邦題は「Damned If I Do」、後々ヒット・チャートの常連となるAPPであるが、思い起こせばこの曲が初めてのヒット曲だったような気がする。というか、APPってシングルカットするの?なんて驚いた記憶がある。40年近く前のことだが(爆)

ほとんどの人がそうだと思うけど、APPは単発的なプロジェクトだと、僕も思っていた。1976年の『怪奇と幻想の物語~エドガー・アラン・ポーの世界』というアルバム自体、ポーの作品をモチーフにしたコンセプト・アルバムだったし、このアルバムの為だけに、ミュージシャンが集められたのだ、と思っていたのである。なのでその1年後(だったかな?笑)、APPの新譜というのを渋谷陽一の『ヤングジョッキー』で紹介してたのには驚いた。あれ、単発じゃなかったの? って感じ。そしたら、いつの間にか、単発どころか、押しも押されもせぬヒット・メーカーになっていた。人の人生なんて分からないもんだ(意味不明)

数あるAPPのヒット曲の中でも、僕が好きなのは「沈黙」の他、「タイム」「ドント・アンサー・ミー」あたりかな(聞いてません)

さらに「沈黙」というと(もういいです)
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続・荒野の用心棒

2016年02月27日 20時38分55秒 | 映画


昔、テレビで映画をよく見ていた時期があった、というのは何度も書いているので、ご存知の方もいらっしゃるかも(笑)。その頃、西部劇は好きだったけど、マカロニ・ウエスタンはあまり見てない、というのに今さらながら気がついた。ま、なんというか、ガキからすると、マカロニは暗いとかストーリーが分かりにくいとか、そういうのがあったのかもしれない。

これも耳タコだが(笑)、映画だけでなく、映画音楽にも熱中していた。いや、もしかすると、映画そのものより、音楽の方が好きだったかも。ま、あの頃(10代前半)からずっと映画音楽を聴き続けていた訳ではないのだが、ある時ふと懐かしく思い出し、あれが聴きたいこれが見たい、なんていう気になってCDを買ったりする事も、何年か周期で巡ってくるのだが、実はここ3~4ヶ月そういう状態である。前にも書いたけど(笑)

で、その懐かしの映画音楽、最近買ったのが『続・荒野の用心棒』である。CD買う前に、レンタルのDVD見た。去年の夏頃、ふと古い映画が見たくなり、レンタルでたまたま目についたのだ。ちゃんと見たのは初めてで、意外とマカロニ見てなかったなぁ、なんて気がついたのは前述した通り(笑)

この映画、マカロニの古典的名作として、今でも根強いファンがいるそうな。DVDの解説やらネットのレビューなどを見て知ったのだが、セルジオ・レオーネ監督の『荒野の用心棒』や『夕陽のガンマン』をマカロニの元祖とするなら、この『続・荒野の用心棒』は、マカロニの基本的スタイルを確立させた重要作なんだそうな。要するに、ダークな雰囲気、陰鬱なストーリー展開、派手なガンファイト、そして美しい音楽、というマカロニのパターンは『続・荒野の用心棒』で固まっており、この作品以降に作られたマカロニの諸作品は、多かれ少なかれ、そのパータンを踏襲した、つまりクローンみたいなものだという事だ。『続・荒野の用心棒』は昔から知ってたけど、そんな重要な作品とは、今の今まで全く知らなかった(苦笑)

フランコ・ネロ演じるガンマン、ジャンゴが棺桶を引きずって登場する導入部からして、異様な雰囲気を漂わせているが、ストーリーそのものは割と単純だ。ただ、全編血みどろのアクションと撃ち合い、略奪と裏切りとリンチの連続で、面白いと感じない人も多いだろうね。いくつか、やや間抜けなシーンもあって、笑えるとこもあったりなんかして(笑) 出演当時、主演のフランコ・ネロは22~3才だったらしいけど、今見るとなかなかのイケメンでカッコいい。後に、『ダイ・ハード2』に出た時も、なかなかの風格だったけどね。マカロニというと、ジュリアーノ・ジェンマのイメージが強いかもしれないが、フランコ・ネロも忘れちゃいけませんぜ(笑)

と、賛否が分かれると思われるマカロニだけど、音楽が魅力的である事は、誰しもが認めるのではなかろうか。平尾昌晃も『必殺』シリーズの音楽を引き受けた時、マカロニの音楽を参考にしたそうだし(確かに雰囲気バッチリ)。という訳で、聴きたいなと思ってた所に、サントラが再発されたので、すかさず買ったという次第。ランブリング・レコーズという、あまり馴染みのない会社だけど、DSDリマスタリングされた『続・荒野の用心棒』を含む35枚のサントラが一気に再発されたのだ。興味のある方はこちらをどうぞ。で、話を戻すと、この『続・荒野の用心棒』も、哀愁を帯びたメイン・テーマがたまらない。やや演歌にも通じる雰囲気もあり、公開当時日本でも主題歌がヒットした、というのも大いに納得。さすがカンツォーネの国イタリアってとこだが、『続・荒野の用心棒』の音楽を担当したのはルイス・エンリケス・バカロフという人で、アルゼンチン人らしい。ちょっと意外な感もありだが、その哀愁溢れるメイン・テーマの他、メキシコ人の一味が登場する場面の曲がマリアッチ風だったりなんかして、なかなか面白い。マリアッチ風の雰囲気というと『荒野の七人』のサントラを思い出してしまったりするが。このルイス・エンリケス・バカロフという人、『続・荒野の用心棒』以外にも映画音楽を多く手がけているようで、オリビア・ハッセー主演の『サマータイム・キラー』の音楽担当もこの人らしい。これは知らなかった。『サマータイム・キラー』のサントラも、今回の再発の中に入ってるので、いずれ買おうかな。

所で、知ってる人は多いと思うけど、『続・荒野の用心棒』は『荒野の用心棒』の続編ではなく、この2本はストーリーも何も全く関係がない。日本の配給会社が勝手に付けた邦題な訳だが、マカロニの邦題って、『○○の用心棒』『○○のガンマン』『○○の一匹狼』等々、似たようなタイトルが多いのだが、これ配給会社によって分かれていたそうで、東宝東和配給の作品には『○○の用心棒』という邦題が付いていたそうな。なんというか、いい時代だったな(爆)
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映画音楽ノススメ

2015年12月13日 23時30分33秒 | 映画
たまにブログネタにさせて貰ってるけど、僕は自分の手持ちの音源からセレクトして、コンピを作る事が多い。つーか、近頃ではほとんど道楽である(笑) テーマはあるようなないような(笑) 作ったコンピは、車で聴いたりするだけなので、全くの自己満足でしかないのだが、最近こういうの作ったみた。題して「懲りないコンピ20」

1. ミセス・ロビンソン~『卒業』/サイモン&ガーファンクル
2. ザ・プッシャー~『イージー・ライダー』/ステッペン・ウルフ
3. ワイルドで行こう~『イージー・ライダー』/ステッペン・ウルフ
4. ザ・ウェイト~『イージー・ライダー』/ザ・バンド
5. 若者の鼓動~『砂丘』/ピンク・フロイド
6. 51号の幻想~『砂丘』/ピンク・フロイド
7. メロディ・フェア~『小さな恋のメロディ』/ビージーズ
8. イン・ザ・モーニング~『小さな恋のメロディ』/ビージーズ
9. うわさの男~『真夜中のカーボーイ』/ニルソン
10. 黒いジャガーのテーマ/アイザック・ヘイズ
11. スーパーフライ/カーティス・メイフィールド
12. 007死ぬのは奴らだ/ポール・マッカートニー&ウィングス
13. 007黄金銃を持つ男/ルル
14. フレンズ/エルトン・ジョン
15. 動物と子供たちの詩/カーペンターズ
16. スカイ・ハイ/ジグソー
17. 追憶/バーブラ・ストライザンド
18. 故郷への道を教えて~『サンダーボルト』/ポール・ウィリアムス

ご覧頂いてお分かりと思うが、映画音楽つーかロック系ミュージシャンが手がけた映画の主題歌を集めたものだ。まだロックも何も知らず、映画に流れる曲(つまり、映画音楽)ばかりを聴いていた頃の想い出の曲たちである。当然、アーティスト名も何も知らなかった。S&Gやピンク・フロイドがどんなに凄い人たちか、なんて事すら、あの頃は知らなかったのだ。そういう時があったのである。今思うと、なんと純真な年頃だったことか(爆)

『卒業』と言ったら、「ミセス・ロビンソン」よりも「サウンド・オブ・サイレンス」でしょう、と言う人は多いと思うし、僕も同感なのだが(笑)、なんとまぁ意外というか何というか、僕は実は「サウンド・オブ・サイレンス」の音源持ってないのである。こんなチョー有名なロック史いや大衆音楽史に残るであろう名曲の音源を持っていないなんて、たとえ1200枚以上のCDを保有してても、画竜点睛を欠く、みたいなもんではなかろうか(意味不明)。

これらの曲を手がけたアーティストたちの事は何も知らなかったけど、この曲たちの素晴らしさは理解できた。『イージー・ライダー』や『砂丘』の音楽は衝撃だったし、「黒いジャガーのテーマ」なんて、中学生にはあまりにもカッコ良すぎた(笑) 「フレンズ」なんて、エルトンのあまたあるヒット曲と比較しても遜色のない名曲だと思うし、「故郷への道を教えて」は、前にブログネタにしたけど、地味ながらも名曲だ。『小さな恋のメロディ』は映画も音楽も大好きだった(笑)

ほんと、どの曲も刺激的だった。今聴いても、それは変わらない。若かったせいかもしれないけど、それだけではない、あの頃のロックは本当に凄かったのだ、と思いたい。毎回言ってるけど(爆) 聴いてると、あの頃に帰りたい、とは思わないけど、あの頃を懐かしく思い出してしまうのは確かだ。当時住んでたアパートの部屋とか、エアチェックに使ってた小さなラジカセとか、部屋から見えたFM局のアンテナとか。それで、ちょっと感傷に浸ったりもする訳だね(笑) う~ん、年とったなぁ、ご同輩(爆)

このコンピについては、一曲ごとに解説かましたいとこだけど(爆)やめとく(爆爆)
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ベイビー大丈夫かっ

2013年11月10日 00時30分23秒 | 映画

ふと気づけば平成も25年が経過し、80’sもすっかり遠くなってしまった。今となっては、バブルの事ばかりが語られ、軽薄短小な時代であったかのように、後世の人たちは思っているのかもしれないが、80’sはそれなりに熱いものも感じさせた時代でもあった。特に、音楽をはじめとするポップ・カルチャーに関しては、新しい概念・表現が数多く生まれ、アングラではなく、立派なメインストリームとなった。要するに、マイナーで終わるはずのものが、メジャーになっていったのも少なくない、という訳だ。個人的には、音楽に関しては80年代の後半になると、、ジャンルや形態の細分化が進んで、マイナーとメジャーの区別が曖昧になったような気がした。売れるけどマイナー、というのが増えてきたのである。ウォークマンの登場に端を発したとされる聴き手の“孤立化”は、新しい市場を形成し始めていたのだった。

そんな(どんな?)1987年8月22日、熊本は阿蘇でオールナイト・ロック・フェスティバルが行われた。その名も「ビート・チャイルド」。J-POPという言葉はまだなかったけど、ニューミュージックという言葉も使われなくなっていた頃、当時の日本のロック界を代表するビッグ・ネームたちが一堂に会した音楽イベントである。80年代前半には、ジャズの野外フェスが長野県とかで開催されていたけど、野外ロックフェスは記憶にない。「ビート・チャイルド」は日本初の野外ロックフェスだった。

その「ビート・チャイルド」が、26年の歳月を経て、記録映画となった。映画のタイトルは『ベイビー大丈夫かっBEAT CHILD 1987』。

当日の出演者は、ブルーハーツ、レッド・ウォリアーズ、岡村靖幸、白井貴子、ハウンド・ドッグ、BOØWY、ストリート・スライダーズ、渡辺美里、尾崎豊、佐野元春など13組。なるほど、凄い顔ぶれだ。当日は72000人が集まったそうだが、それも納得。映画に登場するのは、この10組。貴重な映像である。

という訳で、『ベイビー大丈夫かっBEAT CHILD 1987』見に行ってきた。

この「ビート・チャイルド」が伝説のロック・フェスになったのは、日本初の野外ロック・フェス、豪華な出演者はもちろんだが、イベント当日の昼間から翌日の朝まで、一晩中降り続いた豪雨のせいもある。真夏とはいえ、一晩中豪雨にさらされた観客たちもよく耐えたなと思うし、会場スタッフも大変だったろうし、出演者たちも悪条件の中で演奏せざるを得なかった訳だが、豪雨のせいで逆にテンション上がってしまった感じもあり、結果的には熱のこもったパフォーマンスが繰り広げられ、素晴らしいイベントとなった。ここいらは、しっかりと映画に記録されている。

それにしても、改めて感じたのは、出演者たちのパフォーマンスの質の高さである。前述したが、豪雨のせいでテンション上がったというのはあると思うが、それを差し引いても、どの出演者も素晴らしい演奏ぶりだ。コンディションの悪い中でのスタッフの頑張りもあったのだろうけど、元々皆実力者なのだ。90年代以降、大規模会場でのコンサートは日常茶飯事となり、デカいPAとモニター、大人数の演奏者が当たり前となったが、1987年の時点では、まだそんな事にはなっていなかった。ごまかしのきかない中での生演奏が当たり前だったのだ。雨の為、モニタースピーカーが使えなくなった中で歌い続けた白井貴子とかを見てると、凄い人たちだったんだな、という思いを強くする。叩き上げというか何というか、この頃の彼らは決してバブリーではなかった。

実は、僕はこの「ビート・チャイルド」というイベントの事を、全く知らなかった。覚えていないのではない。知らなかったのだ。これだけの規模のイベントなのに知らなかった、とは不思議だが、とにかく知らなかった。つい最近、妻から映画の事を聞かされてから知ったのである。何故知らなかったのだろう? この頃は、音楽雑誌も読んでたし、あれこれ情報交換する友人もいたんだけど。豪雨に見舞われて大変だった、なんて記事にならなかったのか? テレビや新聞では紹介されなかった、というのは分かるんだど。とにかく、何故知らなかったのか。僕だけが知らなかったのか、それとも一般には知られていなかったのか。謎である。

この『ベイビー大丈夫かっBEAT CHILD 1987』は、あくまでも記録映画であるので、豪華な出演者の演奏も聴けるけど、豪雨に見舞われた会場と観客の姿を伝えるのが主眼と思う。とにかく、皆よく耐えたよなぁ。確かに豪雨ではあったし、雨で体調崩して救急車で運ばれた人もいたようだけど、それ以外には大きな混乱はなかったみたいで、主催者側もほっとした事だろう。映画の終盤、イベントのプロデューサーが登場して、雨が降って申し訳ありません、とお詫びしてたけど、こればっかりは仕方ないよね(笑) 出来れば、この日会場にいた人の話も聞いてみたい。

ま、そんな訳で、1987年のイベントから26年後のいま公開された『ベイビー大丈夫かっBEAT CHILD 1987』は、日本初の野外ロック・フェスの記録、というだけでなく、80’sの音楽シーンの貴重な記録でもある。日本のロックが売れ始めた頃、彼らはまだ本気でロックしてた、というのがよく分かる。今ではすっかりバラエティ・タレントになってしまった大友康平やダイヤモンド・ユカイにしても、この頃は立派なロッカーだった。ほんと、時代は変わってしまったなぁ、大丈夫かっ?(爆)

あ、ご存知と思うけど、この『ベイビー大丈夫かっBEAT CHILD 1987』テレビ放映やDVD化の予定は全くないらしい。見たければ、いま映画館に行くしかないという訳だ。そんな事言ってて、一年後にDVD出たりしたら大顰蹙だけど(爆)、ま、とにかく、興味ある人は是非お近くの映画館へ^^

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風立ちぬ

2013年08月06日 22時29分46秒 | 映画

Christophercross

皆さま、暑中お見舞い申し上げます。

もう既に本格的に夏になってて、神奈川県は先月の梅雨明け直後に猛暑日となったけど、その後は30度前後に落ち着いてて、比較的過ごしやすいせいか、今年はセミがよく鳴いてる。ここいらのセミはミンミンゼミなのだが、一説によるとミンミンゼミはあまりに暑過ぎると鳴かなくなるそうで、要するに猛暑日が続くと、鳴き声が聞かれなくなるのである。言われてみれば、去年も一昨年もセミの鳴き声をあまり聞かなかったような...セミが鳴かない夏なんて、やっぱり物足りない。そういう意味では、今年の夏は夏らしくてよろしい。ま、西日本は猛暑続きみたいなんで、夏らしいのもここいらに限っての話らしいけど。

所で、唐突だが、皆さんは「風立ちぬ」と聞くと、何を連想するのだろう?

1.堀辰雄の小説
2.クリストファー・クロスのヒット曲
3.松田聖子のヒット曲
4.宮崎駿監督の最新作

堀辰雄の『風立ちぬ』は1937年に出版された。軽井沢での結核の療養中に知り合った男女の恋物語である。堀辰雄の代表作と言っていいだろう。教科書にも載ってたし(題材になったのではなく、文学史のページに代表作として記載されていた)。読んだ事はないが。また、確か、三浦友和・山口百恵コンビの主演でも映画化されていた。見た事ないけど(笑)

ちなみに、タイトルの『風立ちぬ』は、“風立ちぬ、いざ生きめやも”という、フランスの詩人ポール・ギャリーの誌の一節を引用したものらしい。意味はよく分からんけど(笑)、ちょっとした蘊蓄ってことで(爆)

クリストファー・クロスが鳴り物入りでデビューしたのは1980年のこと。デビュー・アルバム『南から来た男』からの第一弾シングルが、その名も「風立ちぬ」。原題は「Ride Like The Wind」、“風のように跨る”みたいな意味なんで、「風立ちぬ」ではないのだけど、つむじ風のような効果音から不穏なイントロが始まると、確かに“風が立った”ようなミステリアスなムードに包まれる。クリストファー・クロス自身が、顔もプロフィールも公表せず、実にミステリアスな雰囲気で登場してきたというのもあり、僕にとっては、独特の美声のせいもあって(また、この声が好奇心をかき立てる声なのだ)、「風立ちぬ」はとことんミステリアスな逸品なのである。実際、FMとか聞いてても、「風立ちぬ」が流れてくると、場の雰囲気が一変するような気がしたものだ。なので、話題となっていたデビュー・アルバムをFMで聴いた時には、「風立ちぬ」以外の曲があまりにポップだったので、腰が砕けてしまったのを覚えている(笑) その後、顔が公表されると、最初のミステリアスなイメージは、すっかりどこかへ行ってしまった(笑)

クリストファー・クロスは、「風立ちぬ」以降もデビュー・アルバムからヒットを飛ばし、アルバムもベストセラーにして、この年のグラミー賞の主要4部門を独占する、という快挙を成し遂げた。正に彗星のような華々しいデビューだった訳だ。それだけに、次作に過剰な期待が集中してしまった為、満を持して発表された2nd『アナザー・ペイジ』は、1stほどの評価を受ける事なく終わってしまったような気がする(ちなみに、当時オリコンではアルバム・チャートの1位になったらしい)。個人的には、1stにも決してひけは取らない出来と思ったけどね。惜しいなぁ。

その後のクリストファー・クロスはというと、派手な話題とは縁遠くなってしまったけど、良い作品を出していたように思う。「チャーム・ザ・スネイク」とか好きだったけどね。勿体ないよなぁ。「風立ちぬ」だけのミステリアスな一発屋で終わってたよりは良かったんだろうけど。

という訳で、「風立ちぬ」なんである。100m先で聴いても一発で分かるマイケル・マクドナルドの必殺コーラス(笑)が、ミステリアスな雰囲気を盛り上げている(ほんとか?)。素晴らしい。

http://www.youtube.com/watch?v=HNOn6enPC7U

ここで少し話は逸れるが、この「風立ちぬ」もなかなか秀逸な邦題と思うのだが、思えば80年代半ば頃から、良い邦題というか、邦題そのものが少なくなり始めたような気がする。原題をそのまま、或いは一部の単語だけを日本タイトルとするのが多くなった。それが90年代以降エスカレートし、そのうち古い作品の再発時ですら、かつての邦題をなくして原題で曲タイトルなどを表記するのが目立つようになってきた。70年代からの洋楽ファンとしては、これは悲しいどころか由々しき事態である。洋楽の楽しみのひとつが、邦題でもあるのに。確かに、トホホな邦題もあったげと、秀逸な邦題も多かった。そんな愛しき邦題をなくして、洋楽の楽しみを奪おうとする動きが活発化しているのは何故なのか。「邦題なんて、原題と全く違う意味になっててて、おかしいわよ。英語が分からない人がつけてるんじゃないの。そんな邦題なんて必要ないわ。」とか、「オレって子供の頃から輸入盤とFENで育ってるから、邦題言われてもピンとこないんだよね。」などと、通を気取る自称洋楽マニアが、あろうことか、レコード会社のディレクターかなんかになってたりして、かねてからの野望を実現すべく、邦題撲滅運動に邁進してるせいだ、と僕は長いこと思っていた。

ところが、最近知ったのだが、邦題が少なくなったのは、似非洋楽マニアのディレクターの陰謀ではなく、大手レコード会社、つまりユニバーサルとかEMIとかワーナーとかの海外の本社が、日本で勝手にタイトルを決めるな、と圧力をかけているからなのだそうだ。邦題はもちろん、昔はよくあった日本独自のシングル・カットも許されないらしい。なんか、小せぇな、って気がする。日本人が親しみやすいように、宣伝しやすいように邦題をつけて、それでヒットが生まれるのなら、別に何の問題もないではないか。ピンク・フロイドの『あなたがここにいてほしい(原題:Wish You Were Here)』という邦題は、当時ピンク・フロイド側から指定してきたらしいけど、これくらいの度量の広さが欲しいもんだ。勝手に出鱈目なタイトルつけるな、というのなら、海外で最も有名な日本の歌を「スキヤキ」と呼ぶ事は、金輪際止めて貰いたい。

脱線した。、閑話休題(笑)

さて、同じ「風立ちぬ」でも、松田聖子のは全く雰囲気が違う。ミステリアスというより、なんとなく文学的な香りがある。つい高原とか白樺とか連想してしまうのも、堀辰雄のイメージに近い。ただ、小説のような死や病気と向き合う深いテーマが歌われてる訳ではないので、念の為(分かってるって)。

ちなみに、「風立ちぬ」と聞くと、この曲を連想する人は結構多い。ある程度の年齢以上の人は堀辰雄の方を連想すると思ったけど(僕もその一人)、意外とそうでもなかった。百恵ファンなら、絶対堀辰雄だろうけどね(笑)

ご存知の通り、この曲松本隆・大瀧詠一コンビによる作品である。松本隆は昔の書生というか、やや屈折した文学青年みたいなイメージがあるし、大瀧詠一は自身の作品について、元ネタはどうとかこうとか、あれこれ語りたがるタイプで、要するにオタクなのだが(笑)、そんな2人が作った曲なのであるので、一筋縄ではいかないのは確かなんだけど、どちらの素養もない松田聖子が歌うと、割と普通のポップスに聞こえるので救われる(爆) 森高千里だとこうはいくまい(爆爆)

そして、最後の『風立ちぬ』だが、今回はこっちが本題だったりして(笑)

スタジオジブリといえば、今や東京ディズニー・ランドと並ぶ、日本を代表するエンタテインメント企業である。新作が上映されるとなれば、各メディアが争って取り上げるし、世間もそっちの話題一色になって、正に国民の一大関心事と言わんばかりの様相を呈してくる点でも、この2社はよく似ている。ま、どちらもメディア戦略が巧み、という事ね。政治家だって、そうでないと生き残れないとすら言われる昨今、民間のエンタテインメント企業がメディア戦略下手だったら致命的である。ま、それはそれでいいのだが、ちょっとやり過ぎじゃないの、なんて思ったりもする訳で、何事もほどほどが一番ですよ(って、誰に言ってるんだか)

さて、そんなスタジオジブリの新作にして、宮崎駿監督の最新作が、先月から公開されている『風立ちぬ』である。公開直前から、あちこちのテレビ番組で特集が組まれ、CMもヘビロテ状態だったので、内容を知ってる人も多いだろう。もちろん、堀辰雄の『風立ちぬ』のプロットをベースに、堀越二郎という実在の人物(零戦の設計社として知られている)を主人公にした物語だ。2人の堀(越)さんに対するオマージュである訳だ。宮崎監督が何年も構想を温め続けてきた作品で、非常に自信作でもあるらしい。という訳で、見に行ってきた。

公開前から、宮崎駿監督をはじめとするスタッフがテレビに登場して、あれこれと映画について語ってはいるものの、「これ以上は言えません」とか「続きは劇場で」なんて、肝心の部分は黙ってたように思えた。が、実際見てみると、そうでもない。『風立ちぬ』というタイトルその他、公表された情報を繋ぎ合わせてみれば、主人公と不治の病に冒された女性との悲恋物語かな、となんとなく想像がつく。で、実際、それは間違っていない。ただ、それだけではない。

宮崎駿監督自身が、完成して試写を見た時、思わず泣いてしまった、と言っていて、それは監督にとっても、珍しい事らしい。そして、恥ずかしながら、僕も見終わって涙してしまった。映画は、堀越二郎が子供の時に、飛行機の設計技師を志す所から始まり、その後の彼の人生を淡々と描写していく訳だが、子供の頃から憧れているイタリア人の飛行機設計技師、就職した飛行機メーカーの上司や同僚、そして若くして結核で死んでしまう妻、といった登場人物との絡みも淡々とした印象。宮崎駿監督は、元々自身の作品の中で、そのテーマを声高に叫ぶ人ではないけど、今回もそんな感じで、根底には、夢と理想を追求する男の葛藤とか、不治の病の為に幸福になれないと分かっていても貫き通す夫婦愛、とかいったテーマが潜んでいるのだろうけど、でも淡々とストーリーは進む。で、見ている方は、映画の世界に浸りつつ、ラストには涙してしまうのだ。最愛の妻が死んでしまうこと、ただ美しい飛行機を作りたいだけなのに、結局は戦闘兵器になってしまうこと(“零戦は半分以上帰ってきませんでした”という堀越二郎のセリフが印象的)、といった悲しみがじわじわと伝わってくるからではないか、という解釈も出来るけど、それだけでは説明し切れない何かがある。今までの宮崎駿監督作品と、『風立ちぬ』はどこか違うのだ。何故、この映画はこんなに泣けるのか?

私見だが、これまでの宮崎駿作品は、老若男女問わず楽しめるものであった。宮崎監督が意図したかどうかは分からないが、とにかく誰が見ても楽しい、「ラピュタ」も「トトロ」も「ポニョ」も、そういった特色を備えた映画であったと思う。しかし、この『風立ちぬ』は違う。大人の為の映画だという気がする。なにか、異色な雰囲気があるのだ。何がどう異色なのか、それはご自分でご覧になって確かめてみて下さいませ(宣伝かよ。笑)

ジブリ作品というか、宮崎駿作品には、いわゆるプロの声優でない人が声優として起用される、というのが多い。今回の『風立ちぬ』では、主人公の堀越二郎の声を、エヴァンゲリオンで知られる監督の庵野秀明が担当していたが、これがかなりハマっていた。やや棒読みのきらいはあったが、違和感はなかったしね。

あと、関係ないが、主人公がシベリアを買うシーンがある。シベリアとは、もちろん地名ではなく、カステラであんこをサンドした食べ物だ。映画の時代背景からすると昭和初期と思うのだが、その頃既にシベリアは存在してたのだ。意外だった。ちなみに、僕はシベリア食べた事ない。スーパで売ってるのは見かけるけど。今度、買ってみるか。

エンドロールに流れるのが、ユーミンの「ひこうき雲」である。この曲がまた、映画のテーマとぴったりなのだ。なので、余計に泣ける(笑)

ユーミンと言えば、プロコル・ハルムに影響されて作曲を始めた、というのは有名な話だけど、去年(だったっけ?)そのプロコル・ハルムとユーミンの共演が実現した。その時、この「ひこうき雲」を演奏していたのを、たまたまテレビで見たのだが、なんというか、全くもってプロコル・ハルムそのものの世界になっていて、少なからず驚いた。ユーミン単独バージョンは何度も聴いてたけど、プロコル・ハルム的なものには全然気づかなかった。両者の共演による「ひこうき雲」を聴いて、ようやくプロコル・ハルムがユーミンに与えた影響の大きさが分かったような気がする。

またも余談だが、ユーミンには姉がいて、その姉がロック好きで、あれこれと聴かされていた、とラジオで本人が言ってた。プロコル・ハルムもお姉さんに聴かせて貰ったのかな。偉大なお姉さんだなぁ(笑)

と、そんな訳で、今年も暑い夏を乗り切っていきましょう(意味不明な締め)

コメント (9)
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