日々の覚書

MFCオーナーのブログ

こどものばんど

2008年09月26日 22時37分52秒 | テレビ番組

先日、サブタイトルが「仰天超絶インパクト人間&世界天才キッズSP!!」という、とあるテレビ番組を見た。ま、だいたい内容は想像できますね(笑)

なんとなく見始めて、結局最後まで見てしまったのは、「世界の天才キッズ」と称して、子供のミュージシャンたちが出てきたからだ。11歳の時アメリカの素人オーディション番組で優勝し、“奇跡の声”を持つと言われる現在14歳の少女、2歳でギターを弾き始め、ギブソンと史上最年少で契約した8歳の少年、プロミュージシャンの息子で、弱冠9歳ながら父親のバンドでプロとして演奏するベーシストの少年、そして日本からは11歳の天才ドラマー、となかなか興味をそそられる子供たちが登場し、一人一人腕前を披露した後、番組の最後で一緒に演奏する、というので、つい見続けてしまったという訳(笑) おかげで、ゴールデンタイムの2時間、ずっとテレビの前に座ることになってしまった。2時間である。返してくれ(爆)

この子供たち、VTRで紹介する時から、すごいすごいと連呼してたもんで、一体どんなに凄いのか、と思って見てた訳だが、年齢や経験年数を考えると、確かに凄いお子達だ。皆上手い。けど、子供にしては上手い、というレベルで、子供だからという色眼鏡で見なければ、それほど凄い訳でもない。キブソンと契約してる少年のプレイを聴いて、これくらいならオレでも弾ける、と胸をなでおろした中年ギタリストも大勢いたはずだ(笑) もちろん、子供なのにこれだけ弾ける、という事は、逆に考えれば大人になったら、もっと上手くなるという事で、これこそ発展途上。8歳のギタリストに関しては、ギブソンはその将来性を買って契約したのだろう。発育途上なのに、大人と同じサイズの楽器を弾いている、というマイナス点も考慮すると、やはり凄い子達だ、と思わざるを得ない。

ま、そのスーパーキッズたちによる、即席バンドだが、これは演出があざとかったように思う。単に、スタジオで「では、よろしくお願いします」で演奏させればいいのに、彼らが初めて顔を合わせてから本番に至るまでを、VTRで見せたりする。スタジオで1曲(2曲)演奏させる為に、6日前に集合させ、リハーサルをさせていたらしいが、子供とはいえプロなんである。6日もリハの時間を取るなんて、失礼というものだろう。本番前日、或いは当日本番前に2時間、で十分ではなかったか。彼らの凄さを強調するのなら、その方が効果的だ。要するに、涙と感動のキッズバンド、という安直なドラマを作ろうとしてるだけなんである。相手が子供だと思って舐めてるよね(笑)

なぜか、このスーパーキッズバンドのプロデューサーとして、つんくが登場したのも解せない。つーか、一体彼は何の為に呼ばれたのだ? 一応、選曲とアレンジをしたらしいが、VTRを見てる限り、彼はリハにはほとんど顔を出していない。前日にようやく顔を見せた程度。つんくがいない間は、代理が指導してたようで、子供らからすれば、代理の方がよっぽど先生ではないか。直前に来て、偉そうな顔されても困るよなぁ。

しかも、前日になって、予定してたキーボードの少年が来日出来なくなったので、急遽大阪の天才少年ピアニストを呼ぶ、という設定もわざとらしい。どうして、近頃のテレビ局の連中は、全く関係ないサイドストーリーを本編に付加したがるのか。そういうエピソードがあれば、感動も大きいとでも思ってるのかね。

と、あれこれあって(笑)、本番で、子供たちはレイ・チャールズの(つーか、サザンの)「いとしのエリー」とジャクソン5の「I Want You Back」を演奏し、スタジオの大人たちからやんやの喝采を浴びた。確かに、落ち着いた演奏ぶりだったけど、6日もリハしてますから(笑) 相手が子供だから、というだけで必要以上に持ち上げようとするのが、却ってイヤな感じだった。ほんと、子供たち、食い物にされてます(笑)

ま、本番終えた後の、8歳ギタリストの一言、「子供だけでバンドやるのが夢だったので、とても嬉しい」というのが、とにかく印象的だったな。天才ともてはやされ、大人たちとばかり演奏している彼らも、やはり同年代と一緒にやりたいのだろう。意外と、大人に混じって演奏するのは、窮屈に感じているのかもしれない。さりげない一言だけど、実に深い一言でもあった(笑)

と、結局は大人のいい慰み物になってしまった、スーパーキッズバンドな訳だが、やはり子供とバンドをネタにした、もっとひどい番組を見てしまったことがある。

その番組は、スーパーキッズではない、フツーの子供たちが出演する番組だった。なんというか、自分が存在する意義は何なのか、とか、どうしようもなくイヤな自分を変えてしまいたい、とかで悩んでいる子供を連れてきて、様々なことに挑戦させて、生きる価値を見出してやろう、という誠におせっかいな番組である。つーか、10歳かそこいらの子供が、こういう心境に陥っていることだけでも、現代の学校教育が間違っている事の証明であると、僕は思うのだが、どうなんでしょう?(笑)

その番組では、5人の女の子が集められ、進行役のタレントに「何をやりたいか、ここで決めなさい」と迫る。で、5人のうち一人が「バンドやってみたい」と言い出すと、タレント(ちなみに千秋である。コイツ嫌いだ)が、「ではバンドでいいですね」と強引に決めてしまう。かくして、ハーモニカやリコーダーくらいしか触ったことのない女の子たちが、勝手にパートを決められ、生まれて初めてギターやらドラムやらを手にする。それから、10日程練習させて、人前で演奏させる、というのであるから、もう無茶苦茶だ。僕の目には、拷問としか見えなかった(爆)

サンプラザ中野がスーパーバイザーとして登場し、楽器の弾き方を教え、彼が作った曲を課題曲として練習させる。各楽器には中野以外にも先生が付き、マンツーマンで指導する。さすが、若いだけあって、少女たちは徐々に楽器を覚え、簡単な事なら出来るようになっていく。この辺の進歩の速さは、確かに凄い。ヤラセでなければ、だが(笑)

しかし、ある程度まで来ると、急に中野は無理難題を言い始める。初めて楽器に触れ、少しづつ演奏する楽しみを感じ始めた少女たちに、挫折を味あわせようとしてるのだ(と、僕には映った)。そして、彼女らが投げ出してしまうように仕向けていく。でもってお約束、「やる気がないヤツは出て行け」の一言。本当に、スタジオを飛び出してしまう少女もいた。

さらに、そんな少女に千秋が追い討ちをかける。「ここで諦めるなんていくじなし」「自分でバンドやりたいと言っといて、投げ出そうってつもりなの」「自分を変えたいと言ってたのは嘘だったの」「カッコばかりつけて、結局自分では何も出来ないなんてサイテー」 これだけ言われて打ちのめされない子供がいたら、お目にかかりたい。ここで、僕は耐え切れなくなり、テレビを消してしまった。

ま、サンプラザ中野も千秋も、演出の一部として、ああいう発言をしている訳で、本気で言ってるのではないと思いたいが、それにしても、あまりにあざとい。自分が何をやりたいのか分かってない少女に、勝手に楽器を押し付け、挫折してまた戻ってきて、血の滲むような特訓に耐え、そして本番を迎えて、涙の大団円、という感動ドラマ(ヘドが出る)を演出したいがために、いたいけな少女たちをいたぶっている訳だ。こんなものを見て感動している人間とは、付き合いたくない。

最後まで見ていなかったので、何とも言えないが、おそらくスタジオを飛び出した少女も、心を入れ換えてスタジオに戻り、皆と練習して、本番ではちゃんと演奏したのだろう。で、上手く出来た事に喜び、皆と抱き合って涙を流す、そして「つらくてもやり抜くこと、仲間と一丸になって目標に向かって頑張ること、彼女たちはバンドを通して、かけがえのない大事なものを学びました。きっと、彼女たちは、これからの人生で出会うどんな障害にも、諦めず立ち向かっていくことでしょう」なんてアナウンスが流れ、大人たちは目頭を押さえる、という結末になったに違いない。なんとおぞましい。あー、見ないでよかった(爆)

僕は断言するが、ここで生まれて初めてバンドを経験した少女たちのうち、誰一人として、今は楽器すら触ってないと思う。初めてなのに、あんな経験をすれば、収録終わったらバンドなんてこりごり、と感じるに違いないからだ。画面を見ていても、彼女らが楽しそうにしてたのは、最初だけで、あとは苦痛にしか見えなかった。確かに、練習しなければ楽器なんて弾けるようにならないけど、単に収録が終わるまでというノルマを果たす為に練習していても、楽しくないし上達もしない。上手くなりたい、という気持ちがなければダメなのだ。そして、上手くなると、もっと楽しいという事が分からなければ。テレビの収録とはいえ、せっかく楽器に触れた彼女たちが、その楽しみを放棄してしまうような方向に持っていった大人たちの罪はデカい。しかも、ちょこっとだけ達成感らしきものを味あわせただけで。

この少女たち、今どうしてるんだろう? 追跡調査してみたいな(笑)

と、つまらぬ感動を大人が味わいたいが為に、あれこれいじられる子供たちって、本当に不憫だと思う。大人のためにではなく、子供たち自身の楽しみのために、色々な事を教えてあげるのが、大人の役割のはずなんだが。

結局、今の大人って、子供を可愛がるのも自分が楽しいから、だけなのかもしれない。子供にとっては、不幸な時代である(笑)

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財布の中身

2008年09月06日 15時36分38秒 | テレビ番組

関西ローカルで『たかじん胸いっぱい』という番組がある。毎週土曜日の昼12時放送中だ。この番組の中のコーナーで、街行く人の財布の中身、つまり今の所持金を当てる、というのがある。

どういうのかというと、街で捉まえた30人の所持金を教えて貰い、スタジオで出演者たちが、その中から順番に3人づつ選び、その3人の所持金合計が多い方が勝ち、というゲームだ。但し、合計額が10万円を超えた場合、ドボンとなり失格。また、30人の中に、一人で10万円以上持ってるのが2人いて、これを引いてしまったときもドボンで失格。所持金を公開する30人の年齢・職業なども紹介されており、それを判断材料として出演者たちが、「この年ならせいぜい2万円くらい持ってればいい方」とか「この職業の人は、そんなに現金を持ち歩かない」とか、あれこれ勝手な事を言いながら回答してる様子がなかなか笑える(笑)

ここで財布の中身を見せる30人というのは、基本的に一般人なのだが、時折スペシャルと題して芸能人特集というのがある。この場合、所持金を公開するのは、もちろん芸能人(有名人)な訳だが、一般人の時と違い、ドボンとなる金額は10万円ではなく、20万円または30万円に設定される。つまり、一般人より芸能人の方が、現金を多く持ち歩いている、という解釈になる訳だ。

実際、そういう傾向にあるのは確かなようで、次々と公開される所持金の額を見てると、一般人より芸能人の方が多い。もちろん、芸能人でも所持金が少ないのもいるのだが、失礼ながら、それほど大物とは思えないような人でも、10万円台の現金を持ってたりするのだ。一般人の場合は平均所持金額だいたい3万円前後だけど、芸能人だと10万円は超える。なんだかんだ言っても、芸能人は金持ってるんだな、と思う。逆に言えば、一般とは金銭感覚がずれてる、というか。

ちなみに、よく「これだけ持ってれば安心、という現金はいくらくらい?」というアンケートを見かける。結果はアンケートによってまちまちなので、何とも言えないけど、だいたいフツーの人は5万円持ってると安心、という人が多いみたいだ(実際に常に持ってるかどうかは別として)。実は、僕もそうである。財布の中に5万円あれば、何が起きても大丈夫、という気がするし、また、当分銀行(ATM)へ行かなくても平気、という目安でもある。もちろん、5万円の現金が財布に入ってる事は滅多にない(爆)

20代前半、つまり学生の頃や就職したばかりの頃は、1万円持っていれば安心だった(笑) それが次第に2万円になり3万円になり、今では5万円である。ライフスタイルの変化によるものだろうか(笑)

実際の所、フツーに生活してる分には、毎日そう金を使うものではない。飲みに行ったりしても、一晩で万単位で使う事もないし。僕の場合だと、会社と自宅を往復してるだけなら、一日に使うのは食費とタバコと缶コーヒー等の飲み物程度で、大した金額にはならない。外食が多いので、結構使っているのかもしれないけど^^; 普段の生活の中で大きな金が動くのは、出張とか接待とかの仕事絡みで、そういう時でも新幹線や飛行機のチケット、或いは飲食代をカードで支払うことが多いので、現金は使わない。所持金1万円前後で出張に行くなんて、しょっちゅうである(笑)

いざとなればカードがあるから、現金は持ち歩かなくても大丈夫、という人も近頃では多いだろう。つまり、現金をどれくらい持ってれば安心か、という数字は昔と比べても低くなってると考えてしまうが、でも5万円という安心ラインは不変のようだ(20年前、30年前の調査結果は知らないけど^^:)。僕のような貧乏人にとっては、一回で5万円使う、なんて簡単には出来ないし、滅多にそういうのもないので(爆)、ある意味5万円というのは大金である。10万円持ってると鼓動が早くなったりして(爆) ああ、小市民(爆爆)

という訳で、今日の僕の所持金は○○○○○円です(笑)

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CHANGE

2008年07月15日 23時13分08秒 | テレビ番組

前にも言ったと思うけど、僕はテレビをあまり見ない。一日の平均テレビ試聴時間は、おそらく30分以下だろう。当然の事ながら、ドラマも見ない。特に連続ドラマ。だいたい、決まった曜日の決まった時間に家にいなければいけない、というのが面倒なのだ。

と、そんな僕ではあるが、これは見てしまった。

『CHANGE』最終回、08ドラマ最高視聴率27.4%

ご存知、木村拓哉主演の連続ドラマである。今回は、木村拓哉が総理大臣を演じる、という事で、鳴り物入りで放送が始まったものの、試聴率が伸び悩み、「キムタクの時代は終わった」なんて言われたあのドラマだ。伸び悩んだといっても、平均20%前後をキープしていたのだから、別に悪くないと思うのだが、かつては30%超えのドラマを連発していた訳だから、20%でも低迷なんて言われてしまうのだろう。トップに立つ人は大変だ(笑)

視聴率もさることながら、内容もお粗末、なんて一部のワイドショーや週刊誌では叩かれていた。どうも、世間は木村拓哉というだけで、良くも悪くも過剰に反応するようだ。スターはつらいね(意味不明)。ジャニーズ事務所やフジテレビ側も話題作りのためか、放送スタートを通常よりずらしたり、木村拓哉以外のキャストをギリギリまで伏せていたりと、あれこれ策を練っていたようだ。これも全て、高い数字(視聴率)を残し、木村拓哉の名に傷をつけまいとする配慮なのか。本人はどう感じてるのかね。

というドラマなのだ、『CHANGE』は(なんのこっちゃ)。

で、そんなドラマを、最終回だけとはいえ、僕は見てしまった訳だ。何故、見てみようという気になったのかというと、数日前に偶然ちらっと『CHANGE』の再放送を見て、案外面白いのではないか、と思ったからだ。それで昨夜見てみた、という次第。最終回とは知らなかったけど(笑)

という訳で感想。結構面白かった。一部で言われていたような、ひどいドラマではない。ちゃんと作られているドラマだ。批判としては、「設定にリアリティがない」「荒唐無稽すぎる」「あんな総理がいるはずない」といった意見を聞いたけど、リアリティがなくて荒唐無稽でも、ドラマだから仕方なかろう。リアルだから良いってもんでもあるまい。だいたい、最終回を見ただけなので、なんとも言えないが、この『CHANGE』というドラマ自体、ついこないだまで小学校の教師をしていた男が国会議員となり、どういう訳か総理大臣になる、というあり得ない設定のもとに作られているのだから、リアルでないのは当たり前だ。前述の批判は的外れと言わねばなるまい。

この最終回では、木村拓哉演じる総理が、国民にメッセードを送りたい、とテレビに出演し、ワンカットで約20分間、カメラに向かって語り続ける、という場面があった。このシーンは余計だ、という声もあるようだし、僕自身もこれが成功していたかどうかは、やや疑問に思うけど、少なくとも、この20分間の木村拓哉の長台詞に、ドラマの持つ意味は込められていたと思う。今さら言われんでも、という気もするが^^;、国民一人ひとりが政治に関心を持つ事は大事だし、日本を良くしようと思うのなら、その一人ひとりの声が政治に反映されねばならない。決して、政治に無関心になってはいけない、というのが表のメッセージであり、そういう庶民の目線で政治を語ってみよう、というのが『CHANGE』のコンセプトであったのだろう。

『CHANGE』の主人公は、いきなり放り込まれた政治の世界で奮闘するが、決して絶望する事はなく、ずっと政治家として生きていこうとする。そういう愚直というか純粋というか青いというか(笑)、そんな姿勢は清々しい。政治の素人が、海千山千の政治家たちと渡り合って、巨悪を駆逐し改革を進めていく、というストーリーだったなら、さらに溜飲が下がったであろう(笑)

ま、そんな訳で、『CHANGE』なかなか面白いドラマではなかったのかな。木村拓哉の演技はワンパターンだ、という批判もあったが、過去の恋愛モノでの演技と比較すれば、全く違うものだ、というのが分かると思うし、脇を固めた役者たちも良かったと思うし、オーケストラを使ったBGMも雰囲気出てたし。何故、あれこれ批判されたのかというと、それは一言“キムタクのドラマだから”これに尽きるような気がする(笑)

トップに立つのは大変だね。俳優でも総理大臣でも(爆)

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未確認飛行物体

2008年06月21日 16時25分44秒 | テレビ番組

いささか唐突ではあるが、UFO(未確認飛行物体)と聞くと、何を思い浮かべる人が一番多いのだろう?

1.空飛ぶ円盤
2.ピンク・レディのヒット曲
3.インスタントカップ焼きそば
4.イギリスのロックバンド

ご存知のように、UFOとはUnidentified Flying Objectの頭文字を取ったもので、つまり正体不明の飛行物体という意味だ。よって、その飛行物体の正体が判明した場合(宇宙人の乗り物だとか)は、UFOとは呼ばない。写真や目撃証言から類推して、空飛ぶ円盤だとか鳥だとか飛行機だとかスーパーマンだとか、あれこれ議論されている場合にのみ、UFOという呼称が使われるのである。世間でよく言われる、UFO=空飛ぶ円盤=宇宙人の乗り物、という概念は残念ながら間違っている。けど、否定する気はない(笑)

先日、某大臣も、UFO(この場合は、地球外から飛んできた飛行物体の意)について、政府としては、その存在を確認してないし対策も考えてないけど、個人的には存在すると思う、と発言して話題になった。こういう発言を現職の閣僚がするというのは、可笑しくもあり微笑ましくもありってとこかな(笑)

空飛ぶ円盤といえば、四人囃子の曲に「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」というのがある。ある夜、弟と一緒に屋外にいたら、空飛ぶ円盤がやってきて、弟が乗せて貰った、という内容の歌だ。シュールというか何というか(笑) しかも、円盤に乗せて貰える条件というのが、映画に出た事がある、というのだから、余計に意味不明である(笑) ちなみに、歌そのものは、弟が乗った円盤が飛び去っていくのを兄が見送る所で終わっており、その後弟がどうなったのかは不明だ(笑) いわゆるアブダクション(誘拐)ではないの?、なんて解釈は無粋というもの(爆)

これで思い出したが、実は中学生の頃、「UFOの歌」という曲を作った事がある(恥)。既に30年以上経過しているので、詳しい内容は忘れたが(爆)、東西南北の空にUFOが出現し、それを目撃した人たちの混乱ぶりを歌った曲ではなかったかと(爆爆)。曲が完成してから、自宅で2トラック録音したのだが(爆)、そのテープは現在行方不明である(爆) 一本しか作らなかったしなぁ(爆爆) 友人たちの間を行ったり来たりしているうちに、行方が分からなくなってしまったのだろう。これを見ている人で、そのテープを預かってます、という人がいたら、是非連絡下さい(まずいないと思うが)。

僕がこの「UFOの歌」を作った頃、巷ではピンク・レディの「UFO」が大ヒットしていた。別にパクったのではありません(笑) 曲調全然違うし(笑) ま、でも、その頃のピンク・レディ人気はほんと凄かった。毎日テレビで見ていたような気がする。ある説によると、現在40代の女性の大半は「UFO」が踊れるそうだが、それは本当かもしれない、なんて思わせるほど猫も杓子も「UFO」だった。平和な時代だったな(爆)

余談だが、僕はピンク・レディの曲の中では「SOS」「渚のシンドバッド」あたりが好きである(ほんとに余談だな)。

その、ピンク・レディの「UFO」で思い出すのが、10年くらい前に放送されていた“写ルンです”のCMである。沢口靖子が出ていたアレだ(同時に稲垣吾郎によるバージョンも放送された)。盆踊りの夜、男が沢口靖子に「実はオレ、火星人なんだ」と告白する。が、彼女は動じず、男に「いいのか」と聞かれて、「いいわよ。地球の男に飽きた所なの」と答える、というストーリーだった。思い出したら見たくなって、YouTubeで検索してみたらありました。さすがYouTube(笑)

http://jp.youtube.com/watch?v=unndo50NP6w

ちょっとダウンロードの遅い動画なので、お気をつけ下さい。って、うちだけか?(笑)

このCMの最後の沢口靖子のセリフ「でも、長男じゃないわよね?」というのが、一部で物議を醸し、違うセリフに差し替えられたのも、記憶に新しい。また、火星人役の男が、今や売れっ子のくりぃむしちゅー有田というのも面白いね。当時は海砂利水魚っていってたけど(笑)

カップ焼きそばのUFOも、歴史の古い商品だ。おそらく、ピンク・レディの「UFO」が流行ってた頃に発売されたような気がするので、こっちも既に30年。若き日のサザン・オールスターズがCMやってた記憶がある。みんなで「サザンが喰う」なんて言ってたな(笑)

僕は、このUFOはあまり食べたことない。カップ麺自体、あまり食べないのだが、カップ焼きそばなら、ペヤングの方が美味いと思うからでもある。この、ペヤングソース焼きそば、関西ではあまり見かけないと思っていたが、最近目にするようになった。未経験の方は是非お試し下さい(笑)

で、最後になったが(笑)、最近またマイ・ブームとなりつつあるのが、ロックバンドのUFOだ。1960年代終わりに結成され、かの有名なマイケル・シェンカーを迎え入れてから1stアルバムを発表した。彼らが1979年に発表した2枚組ライブ盤『Srangers In The Night』は、今でも高い評価と人気を集めている(と思う)。中高生の頃、このアルバムを聴きまくった人は多いのではないかな(笑)

Strangersinthenight

Starngers In The Night/UFO

正直に告白すると、高校生の頃、僕はハードロック離れを起こしていて、この手のバンドはあまり聴いてなくて、UFOも例外ではなく、この傑作ライブ盤をちゃんと聴いたのも、数年経ってからである(恥)。いわゆるハードロックとはいえ、UFOのようなタイプは、おそらくハードロック離れを起こしていた時期でも、すんなりと聴けたと思うので、ちょっと残念だったかな(笑) でも、このライブ盤、確かに周囲でも評判になっていた。同時期に出たシン・リジィやスコーピオンズのライブ盤と並行して聴いてた人も、結構いたと思う。

このUFOというバンド、今にして思うと、単なるハードロックでもないのだが、当時のハードロックというカテゴリーの中では、ディープ・パープル(及びそのファミリー)、レッド・ツェッペリン、ブラック・サバスといった大物よりも下の方に位置するバンドで、人気面でも3番手か4番手あたりだったかと思う。いわばB級バンドであった訳だが、そういうバンドでも実に素晴らしい作品を残していた訳で、本当に70年代ロックの奥深さを思い知るのである。以前に取り上げたホワイトスネイクと同様、UFOもブリテイッシュ・ロックという呼び名がふさわしいバンドだった。

ところで、このバンド名だけど、由来は“未確認飛行物体”ではなく、ロンドンにあったクラブの名前だと思うけど、どうなんだろう?

いやしかし、「UFO」ネタでも、結構書けるもんだな(笑)

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本当に変身したいですか?

2008年02月20日 22時29分28秒 | テレビ番組

先日、偶然見てしまった、とあるテレビ番組。恐ろしいというか、悲しいというか、やりきれないというか、とにかく、あまり見ていて気持ちのいい番組ではなかった。

知ってる人も多いと思う。整形希望の女性をスタジオに連れてきて、形成外科医、歯科医、美容師、メイクアップアーティスト、スタイリスト、といった、いわば美のエキスパートたちが、彼女たちを美しく変身させる番組だ。で、僕が見たのは、そのスペシャルという事で2時間枠だった。見たのは途中からだったけど^^;

番組では、その女性たちの変身前、数ヶ月後の変身後を見せる。その、変身前がなんというか、壮絶だ。失礼ながら、決して美しくはない女性が、この容姿の為にどれだけ周囲から冷たい仕打ちを受け、今までどれだけ悲惨な人生を歩んできたか、涙ながらに告白する。そして彼女たちは訴える。

「せめて普通の顔になって、普通の人生を送りたいんです」

そこで、司会者が「覚悟は出来てますね。変身しようという気持ちに迷いはありませんね。」と問いかけると、彼女たちは「決して後悔しません」と答え、先程の美のエキスパートたちの前に連れて行かれて面談を受ける。エキスパートたちはどういう方法で彼女たちを変身させるかを協議する。

見ている僕は、唖然とするばかりである。確かに、世の中には美人ばかりではない。容姿に恵まれない人もいるだろう。しかし、その容姿のせいで、いじめられ、友達も出来ず、働くことさえ出来ず、いつも下を向いて歩き、孤独な日々を過ごしている人がいるとは...現代でも、こういう事があるなんて思わなかった(ヤラセでなければの話だが...と、つい考えてしまうのも悲しいが)。「せめて普通の顔になりたい」なんてやるせない言葉だろう。

そんな女性たち、とにかく自分を外側から変えたい、人生やり直したい、という思いで、番組に応募してきたのだろうけど、ものすごく勇気のいる事だと思う。スタジオでは、はっきり言って晒し者だ。わざと醜い部分を強調してデフォルメしたのでは、と思わせるVTRをイヤというほど流し、耳を覆いたくなるような体験談をこれでもか、というくらい喋らされる。そして、それをブラウン管を通じて、日本中の人が見ているのだ。消えてしまいたい心境ではないだろうか。実際、見ていた僕の方が、テレビを消したくなってしまった。そんな思いをしてでも、彼女たちは自分を変えたいのだ。

一部の人を除いて、誰しも「もっと美しく生まれたかった」と、内心思っているはずだ。僕だってそうである。けれど、実際に整形してみましょうか、と言われると、多分尻込みすると思う。自分の顔にメスなんて入れたくない。それに、たとえ美しくなったとしても、鏡を見る度に違和感を覚えるだろう。ほんとにオレなのか?なんて。なんだか、精神は変わらないのに、顔だけ変わってしまうと、心のどこかが変調をきたしそうな気がする。変身したい、とは思っていても、いざその時になると、決心がつかない。ほとんどの人がそうではないのか。

かように、整形手術を受ける、というのは勇気のいる事なのだと思う。強靱な意志が必要、とでもいうか。それに、手術を受ける決意をしたとしても、大抵の人はこっそりと病院の門をくぐる、のがせいぜいではないか。テレビに登場して、変身したいんです、なんて晒し者になってまで訴えるなんて出来ないと思う。僕には耐えられない。スタジオから逃げ出してしまうだろう。

こうした試練を耐え抜き、女性たちは手術を受け、さらには髪型・メイクも変えて、変身する。実際、見事と言うほかない。最先端の技術は実に素晴らしい。大げさでなく、顔を作り替えてしまうのだ。全くの別人になってしまう訳ではないが、でも手術前の面影がほとんど残ってない人もいた。現代の技術をもってすれば、顔を変えて別人になる事は、決して不可能ではない。

しかし、こんな事すると、金かかるんだろうな。出演した女性たちは、費用はテレビ局持ちで、手術を受けられるのだろう。当たり前だ。あんな屈辱的な仕打ちに耐えているのである。逆に言えば、それだけの見返りがあるから、晒し者になるのも耐えられた、という事なのだろうか。

変身した女性たちは、見違えるような姿をスタジオで披露する。ゲストの芸能人たちも感嘆している。もちろん、全ての女性が美しくなる訳ではない。が、初めに吐露した、「せめて普通の顔になりたい」というのは、完全にクリアしている。その女性たちのほとんどが、なんとなく表情に乏しく、ただ笑ってるだけに見えたけど、おそらく変わってしまった自分の顔にまだ慣れてなくて、上手く表情をコントロール出来ないのではなかろうか。でも、すぐ慣れるのだろうね。

それにしても、この番組の意図はどこにあるのだろう? 最新の形成外科技術をアピールしたいのか。容姿で悩む女性たちに勇気を与えようとしてるのか。それとも、少々容姿が劣るだけで、悲惨な人生を送らねばならない理不尽を世間に訴えようとしてるのか。まぁ、どれもアリだろう。けど、この番組を見ていて感じるのは、真剣に自分を変えようとするなら、どんなに恥ずかしい事でも耐えなければならない、ということ、そして、高度な技術を享受するには、相当な金がかかる、ということ。どちらも、普通の人には無理な相談だ。本当に、容姿に悩む女性たちに勇気を与える事が出来るのかどうか、はっきり言って疑問。

そんな訳で、ある意味見れば見るほど、やりきれなくなる番組だった。見事に変身した女性を見ても、不思議と感動はなかったな。もし、この女性たちが、変身した事によって、幸せを掴んだりすると、余計にやるせない気持ちになるのだろう。

二度と見たくないです。自分のイヤな部分を暴かれたように気分になるし(笑)

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