いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

東日本大震災・・・被災した福島県いわき市に取材に行きました。圧倒的な被害です。

2011年04月29日 02時24分20秒 | 日記
 
 東日本大震災で被災した福島県いわき市に、4月24
日の日曜日、取材に行きました。取材のかたわら、市内
の避難所に寄り、支援物資も届けました。
 
 実際に見る津波の被害は圧倒的です。
 ジャーナリストは言葉が仕事です。
 だから、
 「言葉がない」
 という言い方は、使わないようにしています。
 しかし、この圧倒的な被害を目にすると、一瞬、言葉
を失うのは事実です。

     *****

 東京・京橋で首都高に乗り、隅田川沿いを北上し、常
磐道に入ります。
 早朝であることに加え、やはり、人出が少ないのでし
ょう。常磐道は渋滞もなく、三郷の料金所を過ぎ、水戸、
日立と進んでいきます。
 いわきの市街地の手前、いわき勿来のインターで高速
を降り、小名浜港に向かいました。津波の被害のあとが
どんなものか、見るためです。

 小名浜港に入ると、いきなり、岸壁に打ち上げられた
漁船が目に飛び込んできました。
 大きな船体が、まるまる、完全に陸に上がって、横渡
っています。

 こんな船体を、津波は軽々と持ち上げてしまったので
すね。
 同じ船を逆方向から見ました。


 近くには、漁業会社のビルがありましたが、骨組みだ
け残って、一階も二階も、破壊されています。


すぐ横には、観光案内所がありますが、やはり同じよう
に屋内が破壊されています。


 こういう感じで破壊された建造物は、今回の津波被害
のひとつの特徴のようです。津波が建物を飲み込み、壁を
破壊し、中の机や家具をひっさらっていくのです。
 だから、建物の骨組みだけ残って、一階も二階も屋内
は空っぽになってしまっています。
 
 港には獲れた魚を扱う卸売市場があります。
 卸売市場は、もともと、取り引きがしやすいように広
く平らなスペースを確保し、しかも、出入りがしやすい
ように、壁で囲っていません。
 これは、津波に対して無防備ということになります。
 魚市場は、柱と天井だけ残って、後はなにもかもなく
なっています。


 小名浜の街は、どの家も、一階が津波でやられました。
 かっさらわれた家具や、水につかって使えなくなった
家具、日用品が、街のあちこちに集められて、山のよう
に積まれています。


 小名浜港から、海沿いの道を。しわきの中心部へ移動
しました。
 小名浜港より、さらに大きな被害を受けています。
 海岸沿いの道の両側には、家が建ち並んでいたのでし
ょうが、そうした家々が、根こそぎ、津波にやられてい
ます。


 地震でゆさぶられたあと、巨大な津波が来て、家を飲
み込んでいく。そして、家を破壊し、引き波で海に引き
ずっていく。
 残ったのは、家の残骸です。
 道の両側に、残骸の山が並びます。
 ここには人々の生活があったのに、もとの生活がどん
なものだったのか思い浮かばないほど、完全に破壊され
ています。




 たまに、残った家があります。
 残った家も、よく見ると、一階は壁が持ち去られて、
柱だけになっています。骨組みだけの家になってしまっ
ているのです。




 
 海岸沿いの道の両側は、ずーっと、こうした破壊のあ
とが続くのです。

 
 海岸から離れても、低地は、みな津波にやられていま
す。
 しかし、少し高台に入ると、地震で屋根が壊れたと言
う被害はありますが、津波が来なかったので、町並みが
きれいに、というと変ですが、これなら十分やり直せる
というぐらいに町並みが残っています。
 津波に襲われた場所とは、ほんの少しの距離だったり
します。
被災した方は、やりきれない思いでしょう。

 これほど圧倒的な被害を見ると、被災した方に、なん
といえばいいのか、言葉がみつかりません。
 「がんばれ」とか、「がんばってください」などとい
う言葉はつかえないと思います。

 海岸線を離れ、いわき市内に入りました。
 日曜のお昼というのに、人も車も少なく、静まりかえ
っています。

 (続く)