いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

福島原発・・・会見の質問が聞くにたえません。記者の質が落ちてきているのではないかと心配です。

2011年04月12日 02時55分46秒 | 日記

 福島原発の事故で、会見に出る記者を見ている
と、記者の質が落ちているのではないかと、心配
になってきました。
 
 4月11日の月曜日には、東電の清水社長が福
島県庁を訪れ、知事に会おうとしました。断られ
はしましたが、県庁の秘書課の職員に名刺を渡し、
あいさつをしました。

 このとき、清水社長を取り囲んだ報道陣の中で、
どこかの記者がこういったのです。
 「社長、いまごろ来て、遅すぎると思いません
か?」。
 
 いったい、なんという質問でしょう。
 ひとつめは、「遅すぎるのではないか」という
自分の主観で取材しようとしていることです。遅
いという自分の感想をもとに、初めから、清水社
長を非難しようとしている。被災者なら清水社長
を責めたくなるでしょう。しかし、この記者は、
被災者ではありません。記者が、被災者のような
顔をして東電の社長を非難してどうなるというの
でしょう。
 ふたつめは、この記者は、清水社長が事故から
2,3日のうちに県庁を訪れたとしたら、そのと
きは「県庁に来てもしようがないでしょう。あな
たは原発に行くべきでしょう」と責め立てたに決
まっています。
 みっつめは、とにかく、この記者は、清水社長
が悪者だという前提で問い詰めようとしている。
 よっつめは、人に話を聞くとき、こんな居丈高
な調子で聞くものではない。
 いつつめは、これが一番の問題かもしれません
が、この記者の質問は、品がない。下品です。人
間として、社会人として、守るべきエチケットが
あるでしょう。

 清水社長が、なにも反論できないという状況で、
社長を責め立てているのです。
 この記者が、清水社長の家の隣りに住んでいた
として、お隣さんにこんな居丈高に話をします
か?けんかになりますよ。

 もうひとつ。
 東電が計画停電を発表してすぐのころ、どこで
いつごろ停電するのか、東電が毎日、会見をして
発表していました。計画の中に、午後6時から9
時だったか、夜の時間帯に停電する地区がありま
した。
 それを見たどこかの記者がこういったのです。
 「冬の夜に3時間も停電したら死ぬだろう。
  東電、人を殺す気か?」。
  これもまた、なんという言いぐさでしょう。

  首都圏の3月に、3時間、停電したからといっ
て、だれが死にますか。冗談もいい加減にしなさい。
  
  それになにより、相手に対し「人を殺す気か?」
というのは、相手の人格をふみにじるものです。
  
計画停電は、東電の不手際が目立ちました。
このときの会見でも、要領を得ない答えがありま
した。それに対し、同じ記者が
 「どうなんだ。東電、答えろ」
 と言ったのです。

 ネットでは、
 「記者はやくざか?」
 「記者会見にやくざが紛れ込んだのか?」
 と揶揄されています。
 
 「東電、答えろ」
 というのは、「殺す気か?」と同じように、相手
の人格を踏みにじる言い方です。

 いずれの質問も、東電側が苦しい立場にあって
何も反論できない状態にいるのを承知で、東電を
責め立てているのです。
 卑怯でしょう。
 人間として、品性のかけらもありません。

 こういう手合いが、「記者」として記事を書く
などというのは、恥ずかしい限りです。
 両方とも、どこの記者か、名乗っていないので、
所属先などはわかりません。

 しかし、こんなことは、取材でもなんでもあり
ません。
 ただ、自分の感情をぶちまけているだけです。
 
 記者の質が落ちてきたとしか、いいようがあり
ません。
 記者というのはこういうものだと、社会の人々
が思ったとすれば、本当に悲しいことです。