イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

心から愛したもの、そのひとまずの終焉

2009年02月24日 01時26分34秒 | Weblog
日テレがプロレス中継を終了したというニュースが飛び込んできた。プロレスファンの僕としては感慨深いものがある。以下、時事通信配信のニュースを引用させていただきます。

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日本テレビの久保伸太郎社長は23日の定例記者会見で、開局直後から55年間にわたって続けてきた全国ネットのプロレス中継を今春で打ち切ることを明らかにした。CSの有料放送「日テレG+(ジータス)」では引き続き放送する。

同局のプロレス中継は、開局翌年の1954年2月からスタート。街頭テレビの時代から国民的人気を集め、63年5月のデストロイヤー対力道山戦では視聴率64.0%(ビデオリサーチ調べ)を記録するなど、テレビの普及に大きな役割を果たした。

しかし、近年は格闘技の種類も増えて人気が低迷、視聴率は深夜枠ということもあって1~2%台が続いていた。久保社長は「時代の変遷とともに(視聴率の)極端な落ち込みもあり、コアなファンに見ていただける有料課金放送に移すことになった」と述べた。

地上波でプロレスを放送するのはテレビ朝日系だけとなるが、同局では「今のところ、打ち切りなどの予定はない」としている。
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実に55年の同局のプロレス中継の歴史に終止符が打たれる。しかし、デストロイヤー対力道山の試合が64%の視聴率を記録したというのはすごいことだ。幸せな時代だったのかもしれない。みんな暇だったのかもしれない。他にすることがなかったのだろうか。ともかく今、プロレス中継に同じ視聴率を期待することはほとんど不可能だ。文化が成熟し、価値観が多様化した。プロレスという「野蛮なショー」を見ることは、ごく限られたファンによるマニアックな行為になってしまった。それにしても、1~2%しか視聴率がなかっただなんて、ファンとしてはさびしい。小学生のころはゴールデンタイムでやっていたし、放送時間がどんどんテレビ欄の後ろに下がっていっても、深夜テレビにかじりつくようにして、四角いリングで繰り広げられる戦いに胸を躍らせていたものだった。

今でこそ、真剣勝負の総合格闘技が人気を博しているけど、僕はずっとプロレスは真剣勝負だと思っていた。猪木こそが世界最強だと信じて疑わなかった(ただし、本当に一番強いのはアンドレ・ザ・ジャイアントかもしれないとも思っていた)。プロレスがエンターテインメントの世界だとはっきりと悟ったのは、世間では十分大人として見なされる年齢になってからだった。「サンタさんはいない」と知った時より、衝撃は大きかった。

だが、プロレスは単なるショーではない。いかに観客を楽しませるか、いかに鍛え上げられた肉体と技で観る者を魅了できるか、という意味においては、「真剣」な世界以外の何物でもない。たとえ筋書きがあったとしても、それは必然的に存在しているものなのであり、誰かをだまそうとしているわけではない。その点、同じ格闘技でも、世間一般からは真剣勝負、スポーツと見なされている相撲で八百長があるのだとしたら、その方がかなりたちが悪いのではないだろうか。

プロレスは虚実が入り混じった闘いの世界だ。たとえるなら、演劇だ。芝居を観るとき「これはしょせん作りごとの世界だから」といってしまったら何も始まらない。虚構の世界のなかで、どれだけ真実に迫れるか、どれだけ観る者に何かを伝えることができるか。そして観客はどこまでそれに乗ることができるか。それがエンターテインメントの世界なのだ。

テレビ中継が終わってしまったことは残念ではある。だけど、時代の流れにはさからえない。いちファンの僕でもそう思う。長いあいだ斜陽だと言われ続けた何かが、あるとき遂に終焉を迎える。「やはりか」と誰もが心の中でつぶやく。プロレス中継も、その例にもれなかったということなのだ。

ただし、55年の歴史は簡単には消え去らない。メジャーな存在ではないかもしれないけれど、僕をはじめプロレスLoveな人間は世の中にたくさんいる。今では昔ほど積極的なファンというわけではないけれど、これからも僕はプロレスを観続けると思うし、昔からのファンは根強く残っていくはずだ。

プロレスに限らず、自分の好きなものがどんどん世の中の表舞台から消え去っていく。年をとっていく過程で、それは避けられないことなのかもしれない。新しい何かを好きになれる自分ではありたいとは思うけど、これまで愛してきたものをずっと忘れずにもいたい。そもそも、子供のころに心から愛したものをすっかり忘れられるほど、人生は長くはないのだ。

テレ朝、がんばれよ~!