翻訳者の仕事はもちろん「訳すこと」なのだけど、「読むこと」でもあると思う。スポーツ選手が体を作るために「食べることも仕事のうち」と言うのと一緒。つまり翻訳者にとっての読書は、相撲取りにとってのちゃんこ鍋なのだ。読むことが好きで好きで、それが高じて、「ねえねえ、外国にこんな面白い本があったよ、日本語にしたら、こんな感じだよ」という風に、その面白さを誰かに伝えたくてたまらない、そんな気持ちで翻訳をするのが、僕の理想だ。秘かに、一日のうち、起きている時間の半分を仕事、半分は読書で過ごすパターンを確立したいという夢あるいは目標もある(これ、結構真面目に計画しています)。もちろん、その他人間らしい生活をするための諸々も当然あるわけですが......。しかし、もしその夢を叶えたとしても、長時間ずっと読書の姿勢をとっているのは辛い。なので、ずっと前から、あの大○望さんも愛用されているとかいないとかいう「アレ」がとっても気になっているのであった。
だけど、もしアレを買って、寝そべって読書するのが格段に楽になったとしても、起きてる時間の半分をこの姿勢で過ごすというのはそれはそれでなんとも微妙なものがあるんだよな~。たしかに楽だとは思うんだけど。
「書を捨てよ、街に出よう」――っていうのは、寺山さんみたいに病臥の床で万巻の書を読みつくした人だからこそ言えるセリフなのであって、まだまだ全然読み足りないといつも不満を感じている今の僕の辞書には、「書を捨てる」なんて言葉はありえない。それでも、やっぱり外(電車のなかとか、喫茶店とか)で読む本というのは格別に面白いし、街を歩き回ってワイルドネスを体で感じることも僕の基本だと思っているので、一日中家にいることに飽いてきたと思ったら、書を持ってさっそうと街に出たい。と、はやくもそんな虫がモゾモゾし始めているのでした。
だけど、もしアレを買って、寝そべって読書するのが格段に楽になったとしても、起きてる時間の半分をこの姿勢で過ごすというのはそれはそれでなんとも微妙なものがあるんだよな~。たしかに楽だとは思うんだけど。
「書を捨てよ、街に出よう」――っていうのは、寺山さんみたいに病臥の床で万巻の書を読みつくした人だからこそ言えるセリフなのであって、まだまだ全然読み足りないといつも不満を感じている今の僕の辞書には、「書を捨てる」なんて言葉はありえない。それでも、やっぱり外(電車のなかとか、喫茶店とか)で読む本というのは格別に面白いし、街を歩き回ってワイルドネスを体で感じることも僕の基本だと思っているので、一日中家にいることに飽いてきたと思ったら、書を持ってさっそうと街に出たい。と、はやくもそんな虫がモゾモゾし始めているのでした。