イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

訳文の整理整頓

2008年10月17日 00時06分00秒 | 翻訳について
片づけが昔から苦手だ。だが、これから家で仕事をしていくに当たり、いつまでも雑然とした状態いるわけにはいかない、仕事の基本は整理整頓だ、と思って少しずつ仕事場兼書斎の片づけを始めている(母もこの部屋にはいっさい手を出さなかった)。

仕事の合間に細々としたモノを整理しているのだけど、なかなかすっきりしない。モノが異常に多いということもあるけど、片づけた後のモノたちの様子を見ても、確かにきれいに並び替えられてはいるものの、釈然としない。いつまでたってもごちゃごちゃしている。そして、その釈然としないモノたちは、「どうせ俺たちまたすぐにごちゃごちゃになるんだろ?」という負け犬根性丸出しの視線で僕を見つめている。たしかにモノに罪はなく、散らかしてるのは僕なのでモノを責めるわけにはいかないのだが.....。ともかく、片づけたわりにはあんまりすっきりしないという虚しさに包まれて、「なんでいつもこうなんだ......」って思いましたね。

原因はわかっている。考えてみると、スペースを占拠しているのは、ほとんど使わないもの(未読の本を含め)ばかりなのだ。性格的にモノを捨てることができなくて、ついつい何でもとっておいてしまうのだが、やっぱり思い切って使わないものは捨てるか、押入れにしまい込むか、誰かに譲るか、そのほか何らかの手を打たなければならない。頻繁に使うモノ、必要なモノだけに囲まれてすっきりと暮らす。少なくとも仕事場はそうする。そうしなければよい仕事はできない。妙にそんな気分が高まっている(といいつつ、昨日買って今日速攻で読み終えた、『佐藤可士和の超整理術』に影響されてるだけだったりして....)。

たとえばペン類。今日、一箇所にすべて集めてみようと思って、さまざまな場所からペンたちをかき集め、整理し、分類して、机の上のペン立て数個にまとめてみた。ペンが好きなので、ボールペンを筆頭にやたらとたくさんある。マーカー、シャーペン&えんぴつ、万年筆など、全部あわせたら3百本近くもある。少々時間をかけて律儀に分類してみたのだが、よく考えたらいつも使うものが数本と、予備にいくつかあればそれで当分は事足りるのだ。その他大勢のめったに使わないペンたちのために、わざわざ机のスペースを常時与えておく必要はない(そして貴重な時間を整理に使う必要もない)。だから数本を残して後はバックヤードにリタイヤしてもらうことにしよう。あるいは、ここは思い切ってあまり活躍していないペンたちとはサヨナラするという手もある。でもやっぱりまだ使える物を捨てるなんてもったいない。とはいえ、ふだんはまったくといっていいほど使わないシャーペンや鉛筆を何百本も持っていても、いつまで経っても消耗されないではないか。シャーペンなんて、ボールペン派の僕はいつ使うんだ? しかも、シャーペンってなかなか消耗しないぞ(芯替えるから)、高校生でもない限り。う~ん......

と、そんなことを思いながら翻訳を再開したのだけど、よく考えたら、無駄な物を捨てれないこういう優柔不断な自分の性格は、訳文にも表れていることに気づいた。つまり、無駄な表現や言い回しが多い。ボールペン1本あれば事足りるところを、2本にしてしまう。最近やたらとそういうのが気になるのだ。見直しのときに少しでもまどろっこしいところを見つけると、もう刈り込まずにはおられない。すっきり五分刈りにしないと気持ちがわるい。これはいい兆候かもしれない。それだけ細かいところに眼がいくようになってきたのかもしれないからだ。ただし、あんまり淡白な表現も好きではないので、「ふくらませどころ」では、文章ならではの味わいを出してみたいとは思っているが。

無駄なもの、なくてもいいものを見つけたら小まめに片づける。その小さな気づきがないと、部屋全体が雑然としてしまう。翻訳も同じで、なんでもかんでも詰め込んだり、きちんと整理していないと、必要な表現とそうでないものが混在してしまう。だから、そうだ、翻訳は整理整頓なのだ、日常生活で小まめに片づけをすることは、よい訳文を作ることにつながるのではないか、などと思いながら、まるっきり片づいていない部屋のなかで今日も作業を進めていたのだった。

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