イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

あたしゃalone

2009年03月07日 18時10分37秒 | Weblog
Love Psychedelicoの「I will be with you」は、曲も素晴らしく冴えてるけど、歌詞もすごくいい。


I will be with you, darling with you
あたしゃalone
ありきたりの旅の果てに
あたしゃhold on me baby


あたしゃalone...語感がすごい。
この「あたしゃ」には気負いが感じられない。
思いっきり英語っぽさの溢れるサウンドの中に、べっとりとした「和」が自然に入り込んでいる(玉川カルテットも真っ青だ)。この一節では、冒頭を「あ」で揃えていることにも今、気づいた。

日本語の中に英語の歌詞を織り交ぜるというのはよくあるパターンだけど、デリコの歌詞はむしろ英語のなかに日本語をアクセントとして入れているような気がする。あるいは、英語、日本語、どちらがメインの言語であるかに対して、執着がない。無理をしていないから、聴く方も心地よい。誰がどの言語で何について歌おうが、それは自由。そんな音楽が本来持つ自由さ、制限のなさが持つ可能性を、あらためて気づかせてくれる。

残念ながら翻訳ではここまで自由な言語表現はできない。原文をところどころに残して、英語と日本語を混在させたような表現にしてみても面白いのに、と思ったりはするのだけど。つまり文学的実験として、登場人物Aのセリフは英語のまま、Bのセリフだけは訳す。地の文は偶数章は英語で、奇数章は日本語に訳すなんてことをやってみるわけだ。でも、それを勝手にやったら間違いなく次から仕事が来なくなるだろう(というか、その仕事でも報酬を払ってもらえない)。

納品時に「今回はデリコ風に訳してみました。つまり、ファイルの前半は日本語、後半は英語をそのまま活かしてみました」なんてコメントするのは、翻訳が終了しなかった言い訳にしか聞こえないですよね...