アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリング、コンサルティングを行っています。
アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

昨日(11月12日)のMSN産経ニュース の【清水満のSPORTSマインド】日本球界の『CHANGE』に西武ライオンズ、讀賣ジャイアンツ共に管理野球から脱皮し、CHANGEしつつあることが書かれていました。

長い文章ですが、引用します。

ちょっと“異様な光景”に映ったが…。「オッケー、次、頑張ろう」。目は笑い、手をたたいて出迎える。西武・渡辺久信監督である。日本シリーズ第3戦、0-4とリードされた三回無死一、三塁、ボカチカ三ゴロ併殺打。好機をつぶしたことでベンチに落胆ムードが漂うはずが、それがない。今年の西武の強さの秘密であろう。

「選手は精いっぱいやっている。それをミスしたからといっていちいち怒っていたら、選手は萎縮(いしゅく)しちゃうでしょう。たとえばベースカバーや全力疾走、ボーンヘッドがもしあったら“それを教えなかったコーチの責任”って思うんです。ま、何度も同じミスはいけませんが…」。シーズン中にこう話した渡辺監督の流儀は“ホメ育て”である。

「“ゆとり世代”で育った選手は管理野球では動かない」という考え方は、放任による空中分解を起こしかねない危険性もあるが、「その見極めには目を光らす…」と渡辺監督。盗塁王の片岡、最多安打を記録した栗山、46本塁打とブレークした中村という25歳トリオは急成長、26歳の中島が早くもチームの精神的支柱となった。この流儀、巨人・原監督にも通じるものがある。

「いまの子たちはしかったらすぐにシュンとしちゃう。鍛える段階ではガツンというのは必要ですが、プレーで動けるようになってから押しつけてはソッポを向くし、時代は変わったんです」。原監督もまた“ホメ育て”主義だった。我慢で全試合起用した遊撃手・坂本の成長、中継ぎ投手の越智、山口らの台頭もそれが基盤となっていた。

“任せる勇気”。これは2人に共通している。渡辺監督は1999年から台湾球界に3年間在籍、選手兼投手コーチを経験した。「すべてを任すといわれたんです。監督の指示でなく、方針に従って自分で考える。逆にとても大事な時間だった」。何をするか、考えることによって自らが成長していく。もちはもち屋という専門分野で…。

だからいま「打撃は任せっきり」と大久保博元コーチに委ねた。「任命権者として僕が責任とればいい」が根底にある。原もまた投手部門を尾花高夫コーチに委ねたのと一緒である。

日本球界は長い間、長嶋、王の時代が続き、ONに頼り、すがってきた。それを支えていたのが独特の管理野球であったが、今回のシリーズでは『渡辺vs原』という“新しい波”が選手を動かし、ファンを魅了した。最終戦は28・2%(ビデオリサーチ調べ、関東地方)の高視聴率をマーク、来年のWBC原監督体制がきょう12日正式に発表される。日本球界の『CHANGE』は確実に始まっている。


西武ライオンズの渡辺監督、讀賣ジャイアンツの原監督とも「勇気づけ監督」と言って間違いないでしょう。

プロ野球界も他球団、オーナーを含めて「勇気づけ旋風」が波及するといいのですが。



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週刊ダイヤモンド

おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

昨日(11月11日)は、心理学界の人気スター、諸富祥彦先生が『児童心理』誌の編集委員のお立場から「編集後記」の欄でアドラー心理学に高い評価を与えてくださった話を書きましたが、アドラー心理学への評価は、ビジネスの世界からも押し寄せてきています。

『週刊 ダイヤモンド』(2008年11月8日号) の「使える心理学」の特集で、経営コンサルタント(評論家)の大前研一氏がアドラー心理学を次のように話していました(同誌より)。

特に、大前さんが勧める“アドラー心理学”は、「心の持ち方によって人生はいくらでも変わる」というものですが、これが日本の経済成長の原動力であったとともに、彼のキャリアアップにもつながってきた考え方であると話されています。


もう少し詳しく書くと、大前氏は、コラム欄の「心理学に2つの大きな流れ―プラス思考のアドラー心理学」でアドラー心理学をフロイト心理学と対比して、ポジティブな側面で正反対であり、大前氏をして次のように語らしめています。

じつは私も典型的なアドラー派である。どのくらいアドラー派かというと、人生で「私にはできない」と思ったことがない。


ここからが裏話です。

確か1990年代前半のことでした。大前氏は、マッキンゼー・ジャパンの代表者で、平成維新の会を立ち上げたばかりのころでした。

大前氏がアドラー心理学を知ったのは、ヒューマン・ギルドでアドラー心理学を学んだSさんが大前氏に1冊の本を貸したのがきっかけでした。

その本は、今日の『アドラー心理学教科書』(野田俊作監修、ヒューマン・ギルド出版部、当時のタイトルは『実践カウンセリング』)でした。


大前氏は、ニューヨークに行く飛行機の中でその本を読みふけり、空港に着くや否や秘書に連絡し、ヒューマン・ギルドに『実践カウンセリング』を270冊ほど発注しました。忘年会の席でスタッフに配って読ませるためでした。


なんだか忘れていたことをしっかり思い出させてくれたプラス思考のアドラー心理学の話でした。


いずれにしろアドラー心理学の本格的なブームは、各方面でこれからのようです。
是非力を貸してください。一緒にやっていきましょう。


(注)『アドラー心理学教科書』(2,000円+税)は、ヒューマン・ギルド で現在も扱っております。ご注文ください。

*この『週刊 ダイヤモンド』の情報は、DHC文化事業部の西尾奈保さんから寄せられたものです。西尾さんに厚くお礼申し上げます。



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

以前お知らせしておりました『児童心理』2008年12月号臨時増刊「子どもを勇気づける心理学―教師と親のためのアドラー心理学入門」金子書房から出ました!

アドラー心理学が1つの雑誌の特集号になるのは、初めてのことです。

しかも、分担執筆者28人中25人がヒューマン・ギルドの会員です。




特集号は、アドラー博士シリーズで有名な星一郎さんの巻頭言「いま、なぜ『勇気づけ』なのか」から始まり、「基礎理論編」、「実践応用編」、「Book Guide」、「コラム」、「編集後記」と続きます。

私は、「基礎理論編」で「勇気づけの原理」を担当し、「そもそも勇気づけとは何か?」と「勇気づけの5大原理」を書いています。


ここでは、『児童心理』誌の編集責任者のお1人で、この号の提唱者であられる諸富祥彦先生(明治大学教授)の「編集後記」の一部を紹介させていただきます。

(アドラー心理学は)クラスの中で生じる子どもたちのさまざまな問題行動を、見事に解き明かし、その対処策を教えてもくれる。実際、1990年代の後半に学級崩壊が社会問題として騒がれた折に、フロイト派もユング派もロジャーズ派も認知行動派も・・・・つまりは、現代の主要な心理学理論のいずれも、教師が納得のできる理論的な根拠と処方箋を示すことはできなかった。そのなかで、唯一異彩を放ち、書籍や週刊誌などを通して、クラスで起きる問題の心理と処方箋を明確に説いていたのがアドラー心理学であった。

もう1つ、アドラー心理学の最大の魅力の1つは、この心理学に惹かれて集まる人々のあたたかさにある。たとえば日本のロジャーズ派は共感とか受容とか言うけれど、実際に会ってみると、意外に冷たかったり、専門家ぶっていたりする。けれどもアドラー心理学は違う。じつに、あたたかい人がなぜかこの心理学の周りに集まる。そして実際、こちらが落ち込んでいるときなど、見事に勇気づけられてしまうのだ。

こんな魅力ある心理学なのに、なぜか、アカデミックな分野ではほとんど知られていない。本号が日本におけるアドラー心理学の健全な発展に多少でもお役に立てれば幸いである。


ありがたいお言葉です。

こんな『児童心理』2008年12月号臨時増刊「子どもを勇気づける心理学―教師と親のためのアドラー心理学入門」(金子書房)ヒューマン・ギルドでは大量に仕入れました。
ご注文ください。
数量割引もございます。ご相談のほど。

本体971円(税込み1,020円)

売れ行きがいいと、増刷にはならない代わりに単行本になります。
みんなで単行本にしましょうよ。


<お目休めコーナー> 宇都宮駅の餃子像(右)



11月10日(昨日)入院中の義姉を宇都宮に見舞いに行った折に撮影してきました。

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仕事の思想―なぜ我々は働くのか (PHP文庫)
田坂 広志
PHP研究所

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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

ここ2-3年、リーダーシップやモチベーションに関心があり、その関連の本をポツンポツンと読んでいます。

その中の1つとして読んだ本がこの『仕事の思想―なぜ我々は働くのか』(田坂広志著、PHP文庫)です。

この本は、「なぜ我々は働くのか?」と問いながら次の10のキーワードをもとに読者にも考えさせながら書かれた本です。

思想・・・現実に流されないための錨
成長・・・決して失われることのない報酬
目標・・・成長していくための最高の方法
顧客・・・こころの姿勢を映し出す鏡
共感・・・相手の真実を感じ取る力量
格闘・・・人間力を磨くための唯一の道
地位・・・部下の人生に責任を持つ覚悟
友人・・・頂上での開会を約束した人々
仲間・・・仕事が残すもうひとつの作品
未来・・・後生を待ちて今日の務めを果たすとき

私が参考になったのは、第2話の「成長・・・決して失われることのない報酬」です。

田坂氏は、「仕事の報酬は何か?」について高みの登るにつれて次々と新しい世界が見えてくる山登りにたとえます。

最初に見えてくる報酬は「給料」

その次に見えてくる世界は「能力」

仕事のスキルやノウハウを身につけ、仕事の能力を磨いていくと、その向こうにさらに新しい世界として「仕事」が見えてくる

そして、その行き着く先は「人間としての成長」

それは、「こころの世界が見えるようになってくる」ということ

つまり、給料→能力→仕事→人間としての成長 ということなのです。


じっくりと仕事の意味を考えたい人にお勧めの本です。



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

昨晩(11月8日)TBSテレビの「ニュースキャスター」を何気なく観ていたら、具志堅用高(元プロボクシング世界チャンピオン)のとぼけぶりが紹介されていました。
思わず大笑いしてしまいました。

質問(左側)に対する彼の回答(右側)は、次のとおりです。

母校の伝統は?・・・・ナショナルの蛍光灯
座右の銘は?・・・・左右2.0
1から9までで好きな数字は?・・・・ラッキーセブンの5
家紋は?・・・・ブロック塀
母から言われていたことは?・・・・人を殴ってはいけない


なんだかこの人「太陽はどっちから上る?」の質問に「左から」と答えたガッツ石松より面白い人ですね。

 
<お目休めコーナー> うかい竹亭の滝



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

今朝(11月8日)の朝刊に「タバコ税増税断固反対!!」の意見広告が出ていました。

そこでは、2つほどの主張がありました。

●たばこは、過去10年間に3度も増税されています。

さらなる増税は、“取りやすいところから取る”という公平性を欠くものです。


この意見広告はさておき、下の●の表現は、文脈から理解できるのですが、区切り方によっては、誤解を招きかねません。

ちなみに、下の2つの読み方をしていただけませんか?

「“取りやすいところから取る”という公平性」

“取りやすいところから取る”という公平性を欠く」


私なら「“取りやすいところから取る”、という公平性を欠くものです」と「、」(句点)を入れるか、もっと誤解をなくすため次のようにするでしょう。

「さらなる増税は、(公平性を欠くものです。)“取りやすいところから取る”という不公平なもの(だから)です」((   )は、除いてもOK)


日本たばこ産業さん、しっかりした日本語を使って意見広告を出してくださいね。


<お目休めコーナー> うかい竹亭の竹の庭園(日本情緒豊かですね)



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稲盛和夫の哲学―人は何のために生きるのか (PHP文庫)
稲盛 和夫
PHP研究所

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『稲盛和夫の哲学』(PHP文庫)を読んでいたら、第20章の「『足るを知る』ことについて」で次のような記述に出合いました。

チンパンジーの生態研究のためにアフリカに何カ月も滞在し、その時に原始狩猟民族の集落である体験をした故伊谷純一郎先生(京大の霊長類研究の第一人者)の話です。

その集落では、狩りをするときに、一族の男が総出でそれぞれ弓矢を手に出かけるそうですが、誰か1頭でも獲物を倒すと、その日の狩りは終わりとなり、みんな村落に帰ってきて、獲った獲物を解体し、みんなで分け合うそうです。

まずは、仕留めた男がいちばんおいしい部分を家族向けに取り、あとは血縁の濃い順番に、親、きょうだい、義理の親というように、少しずつお裾分けをするため、末端に行けば行くほど、肉片は小さくなっていきます。

それを見た伊谷先生が、その集落の人をつかまえて、「量が少ないのではありませんか。1頭獲ったからといって狩りをやめずに、もっと獲物をとって、ふんだんに食べられるようにしたらどうか」と聞きました。

すると、「いや、それは村の掟でしてはならないことになっている。誰かが1頭倒せば、その日は狩りは終わりということが昔から決められている」と言って、けっして1日1頭以上の獲物を獲ろうとなしないそうです。

伊谷先生は、欲望のおもむくままに獲物を獲っていけば、やがては野生動物の減少を招き、いずれ自分たちの食糧難を招来することになっているということを、原住民たちが知っていたからではないかと言います。だから再生産可能な範囲を超えてまで狩猟をしないのです。


このことに近いことを稲盛氏は、第19章の「共生と競争について」で次のように書いています。

自然界は普遍的な愛にあふれ、全体としては共生しています。それは、自分だけ繁栄したのでは必ず相手を破滅させ、自分も疲弊してしまうということを知っているからだろうと思います。


ところで、今朝(11月7日)の新聞各紙には、ヒマラヤの山岳国ブータンの首都ティンプーの王宮で6日、ジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王(28歳)の戴冠式が行われ、正式に即位したことが報じられています。

ブータンは、インドの北西部に位置する世界でも最貧国ですが、憲法で国民の精神や文化面の幸福度を追及する「国民総幸福量」(GNH、gross national hapiness)の強化を定めています。

先進国、または発展途上国が、ひたすら「国民総生産」(GNP、gross national products)を求めている中で、GNPと、ブータンの追求するGNHとを比較すると、何が幸福で、何が自然界に調和をもたらすか、価値観の転換を迫られます。



 



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『致知』2008年12月号

私の愛読する月刊誌の1つは、『致知』(致知出版社)です。かれこれ20年以上愛読しているでしょうか。

その12月号で日野原重明先生(聖路加国際病院理事長)の素晴らしい言葉に出合いました。

日野原先生と塩谷靖子さん(視覚障害者初のコンピューター・プログラマー、ソプラノ歌手)との「命ある限り歩み続ける」という対談での次の言葉です。


 僕が97歳になって感じることはね、人間の思惑を超える大きな力があって、そういう目に見えない力に私たちは生かされているということです。

 若い頃の僕は本当に負けず嫌いでね。人に遅れるのがいやで、常にトップを走っていなくては気が済まない人間でした。医学部に入って早く教授になって、そして学長になってと野心そのものだったの。ところが21歳の時に結核を患って1年間療養生活を送ったんです。最初の頃は絶対安静で8か月の間トイレにも行けなかった。仲間からどんどん引き離されると思うと、いたたまれない気持ちでしょうね。もう医学はやめようとまで考えました。

 療養生活を終えた時、僕は1年間をロスしたと思っていたんです。しかし後になってね、これはロスではなかった。逆に病気をしたから患者さんの気持ちが本当に読めるようになったし、どういう言葉をかけたらよいかが、だんだん分かるようになったんです。

 もし健康なまま医者になっていたら患者さんの苦しみは分からなかったでしょう。「あ、そう、どこが痛い?」という調子でね。でも僕は「腰が痛い」と聞くと、早くどうにかしてあげたいという気持ちが自然に湧き上がって、腰の下に私の前腕を差し入れて、「どうですか」と聞いてみたくなる。これもやはり自分が病気になったからこそです
よ。 

 僕は人間が病むというのは大変重要な経験で、人間形成にとってもマイナスではないと思っています。失敗したり悲しい思いをした時こそ、もっと不幸な人の悲しみを分かつことができる豊かな感性が自然と育まれるんです。

97歳になってもお元気で10年先まで約束がある、とおっしゃる日野原先生。
病むことの意味を教えてくれました。



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(DHC飯倉ビル前から見た東京タワー)

おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です(このパターンは久しぶりですね)。

さて、昨晩(11月4日)は、DHC文化事業部主催の「カルチャースクール」『ライフ・スタイルでわかるあなたの運命』の2時間研修をしてきました。

参加者は女性だけ。

アドラー心理学の理論を40分でわかりやすくお伝えし、その後のテーマは、「ライフ・スタイル」。ペアでの演習も入れてライフ・スタイルのありようが以下に人生に、運命に影響を与えるかのお話をしてきました。

この講座は、DHC文化事業部所属の西尾奈保さん(プロフェッショナル・キャリア・カウンセラー、「人間塾」心理カウンセラー、ヒューマン・ギルド会員)のお声がけによるものです。
西尾さん、ありがとうございます。

11月11日(火)は、「夢診断で、未来を読み解く」です。

講師としても勉強になります。


ところで、東京メトロ南北線の六本木一丁目の駅を降りてDHC飯倉ビルに行く途上「ニコラスピザハウス」六本木店の前を通りました。



この店は、日本で最初にピザを始めた店で、1970年に私がサラリーマンになったとき、所属部署で新入社員歓迎会をやってもらった、思い出の店です。
その日、生まれて初めてピザを食べたのであります。うまかった~。ワインもおいしかった~。

懐かしさ一杯になり、カミさんに思わず電話してしまいました。

 



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フランク永井が10月27日にこの世を去った、と新聞報道で接しました。

私は、フランク永井にはことのほか思い入れがあります。
というのは、私のカラオケの十八番は、「おまえに」だからです。
この曲だけは、音程をはずさずに歌えます。
「岩井さん、フランク永井のまねうまいね」と言われたことがあります(まねしていたわけではないのでしたが)。


そのフランク永井。1950年代から60年代中半にかけて「低音の魅力」で次々とヒット曲を飛ばしました。
しかし、その後表舞台に出なかったところが、1977年に「おまえに」で復活。しかし、その後も85年の「六本木ワルツ」で復活したと思ったら、同年自殺未遂。

1992年には離婚。その後は、お姉さまの介護のもと入退院を繰り返していたとか。

なんだかやるせない気持ちです。


今度フランク永井を偲んで、思いっきり「おまえに」を歌いたい。


<お目休めコーナー> またもや昭和記念公園のコスモス

 



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(カミさんと歩いていたときに思わず目を止めた名前知らずの花)

今日(11月3日)は、久しぶりの休日でした。
自宅でこんなにゆったりできたのでは、8月中旬以来です。

起床は7時20分。こんなことはめったにありません。熟睡感がありました。

ゆったりと朝食を終えてから古本屋に売る本を整理。14冊が候補に。

ブックオフの10時開店を待って中野早稲田通店に。
文庫4冊、単行本8冊で1,520円。2冊は買い取り不能。ついでに4冊買ったら1,500円近くに。
ま、こんなものか。

家に帰ったら待ち受けていた妻と一緒に島忠ホームセンター中野店に。
ネオボールを買い、妻はのれるん台(踏み台)と花の苗を購入。
定年のおじさんならこういう生活が普通なんだろう、とふと思いました。

道路を挟んで肉屋さん。卸価格で提供の表示。
今夜の夕食用に豚もつを1キロ購入。620円は安い(午後出かけたコモディイイダでは400グラム670円でした)。

13時半には原島陽一さんから電話。

原島さんは、11月16日(日)11時から13時までの2時間「アドラー心理学ゼミナール」で『私のパーソナルチェンジ』のタイトルでご講演(ヒューマン・ギルドにて)。

資料について打ち合わせ。内容は、パワーポイント55画面の力作。「この人はやがて講演で確実に人々を魅了する講師になる」との予感。

途中はぶいて、夕食は、私の大得意のタップリもつのキムチ鍋。

白菜、人参、ニンニク、コンニャク、エリンギ、エノキ、豆腐、モヤシ、ニラなどに500グラムのもつ、1瓶近くのキムチを入れて、醤油と味噌と日本酒で味つけをして、我ながら満足のもつ入りキムチ鍋が完成。

息子が大好物のもつ鍋。ご飯を4杯もオカワリ。たった3人の夕食なのに、ほとんど鍋が空になってしまいました。
私には、日本酒(熱燗)とビールがとてもおいしかったこと。

仕事を離れた、充実感いっぱいの、たまのホリデーはいいな。


<お目休めコーナー>昭和記念公園の紫のサルビアとコスモス



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11月1日の讀賣新聞の夕刊にパナソニックが三洋電機を2009年4月をめどに子会社化し、GEの売上高17兆3000億円に続く11兆2200億円の世界第2位の電機メーカー(日立製作所の10兆9000億円をしのぐ日本1)が誕生する旨の記事が載っていました。

ただ、GEはゼネラル・エレクトリックとは名ばかり、もはや実態は電機メーカーではありません。
重電機こそ製造していても、航空機のエンジン、原子力、金融などを扱っていて、小型家電品、エアコンなどは取り扱い品目からは姿を消しています。

このような事業形態を作り上げた張本人が「選択と集中」を徹底し、事業分野の№1か№2だけを志向したウェルチの戦略そのものだったのです。

確かに1981年から売上高を5倍、純利益を8倍に伸ばし、GEを世界一の株式時価総額を誇る巨大複合企業に育て上げたことでウェルチは評価されたかもしれませんが、このようなビジネス・モデルそのものが、本当に評価に値するのでしょうか?

グローバル・スタンダードという名のアメリカン・スタンダード、GEモデルの人間軽視経営。

こんな風潮を学んでしまった日本の経営者に私は「ジャック・ウェルチは、経営者モデルとしても、その前に人間モデルとしても値しない人だった」と申し上げたいのです。
 

 



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第3回目では、ジャック・ウェルチが「タイプA」のライフ・スタイルを持つ人間であったことを書きました。

このタイプは、経営面で「急げ、急げ」病を発揮しますが、個人生活でも破綻を来たしやすいのです。

事実、彼の結婚生活は、以下のとおりです。

1980年代半ば、RCAの買収など仕事上で最大規模の交渉を進めている間に、わが私生活で最大の合併話が壊れつつあった。妻のキャロラインとの間がうまくいかなくなったのだ。

私は一貫して極め付けのワーカホリック(仕事中毒)であり、妻は4人の子供を育てる仕事を立派に果たしてきた。長女はハーバード大ビジネススクールで勉強している。長男は私の出たイリノイ大の化学工学の修士課程にいる。二女はハーバード大の建築学の修士課程だ。二男はバーモント大に入った。

私は妻には引き続き家庭にいてほしかったが、妻の方は子育てを終えて、外で新しい道を歩みたがった。あれほど私の出世を支えてくれた妻だったが、私がGEの頂点に立って以来、仲がギクシャクしていた。お互いに友情は感じ、尊敬はしていたが、共通するものがなかった。長い間つらく、苦しんだ末、87年4月に、28年間の結婚生活に幕を閉じた。友好的な離婚だった。子供たちに分別があり、理解してくれたのが幸いだった。もし子供がまだ幼かったら離婚は大変な痛手になり、傷ついたことだろう。

*『私の履歴書』(日本経済新聞社)より引用

「仕事中毒で家庭を顧みなかった」と自ら述懐するジャック・ウェルチは、その後17歳年下の弁護士と再婚します。

ところが、です。

GEを引退したが、人生から引退したわけではない。終わりでなく新しい人生の始まりだ。95年に心臓のバイパス手術をして、体調はすこぶるいい。もっと妻と一緒にゆっくりできる時間が増えるのを期待している。

と同じ『私の履歴書』を結んだウェルチは、2度目の妻からも離婚されているのです。

1999年に『フォーチュン』誌で「20世紀最高の経営者」に選ばジャック・ウェルチ。個人的には、心臓のバイパス手術をしたり、2度の離婚をしたり、幸福だったとは言えそうもありません。



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