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『致知』2008年12月号

私の愛読する月刊誌の1つは、『致知』(致知出版社)です。かれこれ20年以上愛読しているでしょうか。

その12月号で日野原重明先生(聖路加国際病院理事長)の素晴らしい言葉に出合いました。

日野原先生と塩谷靖子さん(視覚障害者初のコンピューター・プログラマー、ソプラノ歌手)との「命ある限り歩み続ける」という対談での次の言葉です。


 僕が97歳になって感じることはね、人間の思惑を超える大きな力があって、そういう目に見えない力に私たちは生かされているということです。

 若い頃の僕は本当に負けず嫌いでね。人に遅れるのがいやで、常にトップを走っていなくては気が済まない人間でした。医学部に入って早く教授になって、そして学長になってと野心そのものだったの。ところが21歳の時に結核を患って1年間療養生活を送ったんです。最初の頃は絶対安静で8か月の間トイレにも行けなかった。仲間からどんどん引き離されると思うと、いたたまれない気持ちでしょうね。もう医学はやめようとまで考えました。

 療養生活を終えた時、僕は1年間をロスしたと思っていたんです。しかし後になってね、これはロスではなかった。逆に病気をしたから患者さんの気持ちが本当に読めるようになったし、どういう言葉をかけたらよいかが、だんだん分かるようになったんです。

 もし健康なまま医者になっていたら患者さんの苦しみは分からなかったでしょう。「あ、そう、どこが痛い?」という調子でね。でも僕は「腰が痛い」と聞くと、早くどうにかしてあげたいという気持ちが自然に湧き上がって、腰の下に私の前腕を差し入れて、「どうですか」と聞いてみたくなる。これもやはり自分が病気になったからこそです
よ。 

 僕は人間が病むというのは大変重要な経験で、人間形成にとってもマイナスではないと思っています。失敗したり悲しい思いをした時こそ、もっと不幸な人の悲しみを分かつことができる豊かな感性が自然と育まれるんです。

97歳になってもお元気で10年先まで約束がある、とおっしゃる日野原先生。
病むことの意味を教えてくれました。



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