アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリング、コンサルティングを行っています。
アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。アドラー心理に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

昨日(9月17日)は、10:00~18:30にヒューマン・ギルドで SMILEリーダー養成講座 の1日目を行っていました。

参加者は、直近のキャンセルもあって9名です。

このことについて詳しくは、明朝まとめてお伝えします。

 さて、「ユングからアドラーが見えてくる」シリーズの2回目です。

『ユングの生涯』 (河合隼雄、第三文明社 レグルス文庫)を読んでいたら、次のような文章に出合いました(P.91)。

ユングの生涯 (レグルス文庫)
河合隼雄
第三文明社

 1936年にイギリスの精神科医ベンネットはフロイトを訪問し、その際にフロイトから分かれていった人々についてフロイト自身の意見を聞いた。

彼(フロイト)は「アドラーの分離は損失ではなかった。アドラーが〔精神分析のサークルから〕出て行ったのは後悔しません。彼はもともと分析家ではないからです」と答えました。

(一部省略)

ベンネットはさらにユングについて尋ねた。

フロイトはしばらく間をおいて、「ユングは大きな損失だった」と言い、それ以上何も言わなかったという。

ユングとフロイトは1907年に出会ってから2人の協調は急激に進み、1908年にはザルツブルグで事実上の第1回国際精神分析学会を開催。
1910年にはニュールンベルグで国際精神分析学会が創設され、ユングはその会長となりました。

その間の1909年には一緒にアメリカに講演に出かけ、途中フェレンツィを交えた3人で夢の分析をし合っています。
また、二人の間にはおびただしい書簡が交わされています。

フロイトとユングの間の心理的距離は、フロイトとアドラーとの関係よりもずっと近かったのです。


ところで、フロイトの後継者たちは、アドラーとユングを「フロイトを裏切った弟子」だとののしっています。
  
ユングはさておき、アドラーはフロイトの弟子だったのでしょうか?

このことに関してアドラー自身の見解が『生きる意味を求めて』(岸見一郎訳、アルテ、2,000円+税)に次のように書かれています。

生きる意味を求めて―
アドラー・セレクション
Alfred Adler,岸見 一郎
アルテ

(夢の解釈について)私は彼の誤りから学んだのである。私は一度も精神分析を受けたことはない。
(P.206-207)

続けて憤り気味に次のように書いています。

フロイトと彼の弟子たちは、明らかに自慢するように、私がフロイトの弟子であったということを大いに好む。私が精神分析のサークルでフロイトと大いに論争したからである。しかし、私は一度もフロイトの講義に出たことはないのである。このサークルがフロイトの見解を支持することを誓わせることになったとき、私が最初に彼のもとを去った。
(P.207)
 
この2つの点をつなぐと、フロイト自身もアドラーを弟子とはみなしていなかったし、アドラーもフロイトの弟子であった意識はまったくなかったようです。

<お目休めコーナー> 9月の花(17)

 

人気ブログランキングへ 
(クリックして勇気づけを)



コメント ( 0 ) | Trackback ( )