おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。
気骨の作家、城山三郎氏の遺作で、夫婦愛の物語です。
イタリアの経済学者パレートが好み、城山氏がいくつかの作品で引用している
静かに行く者は健やかに行く
健やかに行く者は遠くまで行く
という箴言がBGMのように何度か登場します。
『そうか、もう君はいないのか』(新潮社、1,260円+税、文庫だと380円+税)をお勧めします。
ある部分を引用します。この本のタイトルの由来です。
2000年2月24日、杉浦(注:城山氏の本姓)容子、永眠。享年68。
あっという間の別れ、という感じが強い。
癌と分かってから4ヶ月、入院してから2ヶ月と少し。
4歳年上の夫としては、まさか容子が先に逝くなどとは、思いもしなかった。
もちろん、容子の死を受け入れるしかない、とは思うものの、彼女はもういないのかと、ときおり不思議な気分に襲われる。容子がいなくなってしまった状態に、私はうまく慣れることができない。ふと、容子に話しかけようとして、われに返り、「そうか、もう君はいないのか」と、なおも容子に話しかけようとする。
この文章を書きながらも、なんだか鼻がくしゅくしゅしてきます。
城山氏が大学生、容子さんが高校生の頃の2人の名古屋での出会い、交際を容子さんの親から禁じられたいきさつ、奇跡的な再開・結婚、新婚時代、直木賞受賞、喧嘩を一度もしたことがない夫婦生活が、作風の気骨とは違ったトーンで、情感豊かに語られています。
圧巻は、ほぼ1日かけた検査の結果、夫が原稿用紙に向かいながらも落ち着かぬ気分をよそに病院から帰る容子さんの様子。
私なども知っているポピュラーなメロディーに自分の歌詞を乗せて、容子は唄っていた。
「ガン、ガン、ガンちゃん ガンたらららら・・・・・」
癌があきれるような明るい歌声であった。
おかげで、私はなにひとつ問う必要もなく、
「おまえは・・・・・」
にが笑いして、重い空気は吹き飛ばされたが、私は言葉が出なかった。
かわりに両腕をひろげ、その中に飛び込んできた容子を抱きしめた。
「大丈夫だ、大丈夫。おれがついてる」
何が大丈夫か、わからぬままに「大丈夫」を連発し、腕の中の容子の背中を叩いた。
こうして容子の、死へ向けての日々が始まった。
容子さんの死後、城山氏の書いた「妻」という名の詩の最後の部分が涙を誘います。
「おい」と声をかけようとして やめる
五十億の中で ただ1人「おい」と呼べるおまえ
律儀に寝息を続けてくれなくては困る
次女の紀子さんが寄せたあとがき「父が遺してくれたもの―最後の『黄金の日々』」が娘から見た夫婦愛と伴侶亡き後の城山氏の姿を描き出し、花を添えてくれています。
気骨の城山氏の作品の陰に容子さんとのこのような夫婦愛があったことを知って、もっと城山氏の本を読みたくなった私でした。