関西思い出旅日記

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淨域への窓 法然院

2010年01月21日 | 日記
鎌倉時代の初め、専修念仏の元祖法然房源空上人が、鹿ヶ谷の草庵で弟子の安楽・住蓮とともに、六時礼讃を唱えられたのに由来する。建永元年、後鳥羽上皇の熊野臨幸の際、女房松虫・鈴虫が安楽・住蓮を慕って出家し、上皇の逆鱗に触れるという事件が生じる。この事件により法然上人は讃岐国へ流罪、安楽・住蓮は死罪(建永の法難)となり、その後草庵は久しく荒廃することとなるが、江戸時代初期に知恩院の萬無と弟子の忍澂によって再興される。 浄土宗内の独立した一本山であったが、昭和28年に浄土宗より独立し、単立宗教法人となる(法然院HPより引用)。山号は善気山、寺号は萬無教寺、本尊は阿弥陀如来で、境内には谷崎潤一郎、九鬼周造、河上肇らの文人の墓がある。方丈庭園内の善気水は、洛中名泉の一つとして知られている。

京都における浄土宗の寺院といえば知恩院の大きな伽藍を思い浮かべてしまうが、法然院は草庵というイメージが強い。これは法然院参道から見る山門が大変印象深いためであろう。

法然院は京都の街中と言ってもよいロケーションにありながら、多くの人が訪れている事を目にした事があまりない。静寂に包まれた境内はゆっくりと時が流れているかのようである。

早春、参道の石段に椿の花が散っている様も実に趣があるが、今の季節にはやはり雪の山門がふさわしい。



大上段に構えた山門とは違い、藁葺の屋根から四角に開け放たれた空間は、現世と淨域をつなぐ窓のようにさえ思える。

参道から眺める山門の光景は、四季を問わず心を癒してくれる空気を持ち合わせ、時間を忘れてその風情を楽しみたい衝動にかられる。



山門をくぐると参道の両側に白砂壇と呼ばれる盛砂がある。この白砂壇は水を表すとされ、参拝者は砂壇の間を通る事で心身を清め浄域へ入る事となり、視点を変えると実に合理的な造りともいえる。



白砂壇に描かれる文様は雲水さんの修行のひとつであり、日々変わっていると聞き及んだ事がある。



方丈や本堂も大きな建物ではなく、方丈はもと伏見にあった後西天皇の皇女の御殿を移建したものといわれている。方丈の襖絵には、重要文化財指定の狩野光信筆と堂本印象筆のものが納められているとされるが実見した事はない。

法然院は境内の拝観は自由であるが、残念ながら方丈や本堂は通常非公開で、春・秋の特別公開時以外は拝観する事ができない。府外、それも遠方に住む私にとって、特別公開の日程に合わせて訪れるのは容易な事ではない。

いまいち、このサイトのエディターの要領を得ないためか記事作成が大変です。


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