学習障害の子どもたちは知的にかなり高くても、
”普通の”授業では落ちこぼれる可能性がとても高い。
英語の支援状況は、5教科で、一番悲惨です。
国語への支援はかなり小学校で開発が進んでおり、
特別支援の先生方も専門的な教材を使った指導ができつつあります。算数も同じです。
指導がうまくいって、
国語と算数がわかるようになれば、社会と理科の成績もあがります。
社会は特に国語と、理科は算数と関連しています。また社会と理科は多感覚を使った授業がやりやすい科目でもあります。
ですが英語の落ちこぼれだけは、支援の先生も専門的な知識はなく、英語ができないからといって支援級に来たとしても、
適切な支援はほとんど期待できません。
英語の躓きにはディスレクシアの知識が欠かせません。国語ではないので同じ方法(漢字を何度も書くように暗記させる)は全くうまくいきません。
英語教員すらディスレクシアについて知らないため、現時点では対応ができてないのです。
小学校で先生方が「英語よりも国語をもっと時間をかけ、優先すべき」
という声が聞こえる背景には、
私の解釈では
「国語がしっかりしていれば、他科目の水準も上がる」
という意味も含まれているのではないかと感じています。
でも英語にいくら時間をかけたところで、
1科目の向上にしかつながらないのです。
さらに、時間をかけたところで、適切な指導法もわかっていなければ、無駄になる可能性が非常に高い。
そこに教員や子どもがどれだけの価値を感じるべきなのか。
英語にかける時間がもったいないので、
国語を優先したいと思って当然ではないでしょうか。
英語は、現時点では決して「落ちこぼれ」を出してはいけない科目なのです。
なぜなら、機能すべきセーフティネットが存在していないからです。
このような状況下でアルファベットやデコーディングの難しさも理解しないままの、小学校の英語教科化には危惧しかありません。
中学校ではいっそう大量の落ちこぼれが出てくることと、
そして支援級の先生方が英語に時間を取られることで、
国語と算数の支援がおろそかになってしまうことを心配します。
英語に関しては早急に読み書き指導の強化(ディスレクシア対策)、ユニバーサルデザイン化によって授業の質的な変革を進めボトムアップを測りつつ、
合理的配慮で取りこぼしがないよう、
教育の機会均等への努力を続けることが必要です。
ですがユニバーサルデザイン化は非常に遅れることが予想されますので、
他教科以上に積極的な合理的配慮(問題の代読、ワープロ使用の許可、課題を選択肢に変更など)によって対応を進めるべきだろうと考えています。
必修科目には「すべての子どもの学び」への保証がなくてはなりません。それすらできないなら、英語は一貫して選択科目として扱われるべきではないでしょうか。
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