学習障害と英語指導を考える

特別支援の視点から。
どの子もハッピーになるような指導を。

LDのある小学生が、カナダの高校でオールAを取るまで(2)

2015年05月06日 | 学習障害について

クラスで最下位であろうテストの点数の数々。

 

6年生の担任は小学校の最終学年を中学進学準備期間と位置づけ、

提出物の提出忘れ、宿題の提出の有無、

持ち物などの忘れ物をポイント制にして、

そのポイントがたまると、

作文と言うペナルティになって課されました。


 

『学校で指導された事、一般的に求められる事ができて当然』

 

 

それが出来ない娘、

それをやらせられない母親の意見は『我がまま』であり、

『身勝手な言い分』に過ぎません。


 

 

まずは先生方に耳を傾けてもらえるように、

『学校が求める事は時間がかかっても、寝る時間を削ってでも』

やらせました。


 

そして時には『どなり』

『叩き』『髪の毛を引っぱり』『罵声を浴びせ』てやらせました。

 

 

何度も何度も泣きながら叩いたのです。

 


でもどこまでやっても、やっても先生方の耳には届きません。

 

 

そして、6年生の2学期が始まってすぐ、

もう小学校の卒業まで後半年という時期ですが、

個人懇談があり、泣きながら担任の先生に訴えました。

 

 

「先生方の仰る通り、先生方が求めるものを出来るように努力してきました。

やらせる為には、怒鳴り、叩き、罵声を浴びせてきました。

私はこんなの間違っていると思います。」

 

 

その後の、
先生の一言で、私の糸が切れました。

 

 

 

『いずれ、お母様の気持ちがお嬢さんに分かる時が来ますよ』

 

 

 


『はぁ?』

 

 

私の気持ちの為に、私は娘を叩いたのでしょうか?

 

 

『学校が求めるものを娘にやらせる為に怒鳴り、叩いたのですよ?』

『それ意外は許さなかったではないですか?』

『あれだけ努力してもまだ努力が足りない、頑張れと言い続けてきたのは先生方ですよ?』

 

 


その時に分かったのです。

 

 

『ああ、最初から娘のような子は受け入れる気がないのだ』と。

 

 

 

なまじ努力したから先生と戦うはめになってしまいました。

 


『努力しなければ、ただの頭の悪い子』で済んだのに、

 

『努力しても出来ない、本当の頭の悪い子』というレッテルを貼ってしまったのは私だと。


 

自宅で娘と話し合いました。

 

このまま小学校に通い、

地元の中学へ進学するか

私立中学を受験するか。

 

その話の中でインターナショナルスクールへの転校の話が出て、

娘はインターを希望しました。


 

すぐさま友人に連絡を取り、

インターナショナルスクールへ勤務する方を紹介してもらいました。

 

その方を介して、

転校の試験を受ける段取りをつけてもらい、

娘は12月、小学校の卒業を直前に控え、

転校しました。


 

その後無事転校し、

1時間半もかかる通学ではありましたが、

生気を取り戻し、楽しく通学するようになりました。

 

3月地元小学校の卒業式がありましたが、

娘は卒業証書を受け取りに学校に行くのを拒否しました。

 

校舎に入りたくないと。

 

村上:小学校の当時の娘さんの様子はどのようでしたか?

 

Iさん: やってもやっても終わらない宿題。努力をしても、結果が出ない。

その度に先生に注意され、監視され、努力が足りないと言われ、 

娘はどんどん萎縮していきました。

 

どうせ、やっても出来ない。

 

何をやっても怒られる。

 

信じてくれない。

 

先生が受け取ってもくれない、自主学習がランドセルの中でくしゃくしゃになって、たまっていく。

 

 

「ママのやり方じゃなくて、先生のやり方じゃないとダメだ」

と泣き出す。

 

追いつめられていきました。

 

本当に死んだようになっていて、自信が無く、何もやりたくなく、

ただただ貝のように黙ったまま学校で過ごしていました。

 

友達も少なく、

唯一の友達はお母さんが『出来損ないの同級生』の友達は好まないらしく、

娘を拒絶していました。

(挨拶をしてくれない、家に上げてくれない、など)

 

 

娘には小学校の記憶が殆どありません。

 

辛かった、という事だけは覚えているようですが、

何をしたとか、どうだったかとか覚えていないそうです。

 

困難を抱えている子たちは

同じような経験をしているかもしれないですね。

 

私はもう少し早く手を打つべきだったのか、

と未だにそこだけは分からないです。

 

特に我が家はインターナショナルスクールに入れる事をもともと希望していたわけではないですから。

 

私立(小学校)に言っても国立(小学校)に行っても、同じだったのか。

 

それとも感度の良い先生がいて、

理解してもらえたのか、

それは分からないですが、

カリキュラムが同じである以上、

海外へ行くか、インターかどちらかしかやっぱり道はなかったのではないかと思っています。

 

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村上:娘さんと英語の勉強についてお聞かせ下さい。

 

Iさん:娘にとっては2歳からやっていた英語はセーフティネットでした。

 

でも小学校の先生は『英語』お嫌いな方が多いのでしょうか。

5年生のとき、オーストラリアからのALTが娘の学校にやってきました。

 

日常会話程度なら問題の無かった娘はALTの先生と給食の時間に話していたそうです。

 

そして担任の先生に呼び出され、

『お前だけの(ALTの)先生じゃないだ!』

とお叱りを受けました。

 

もしALTが娘だけに話していたと言う事が問題であれば、

ALTの先生に担任が言うべきですが、

なぜか、娘が叱られました。

 

娘にとって、英語の時間は娘に取って苦痛以外の何ものでもない時間になりました。

 

ちょっとでも『英語ができるそぶり』を見せるだけで、

先生にも嫌われ、

同級生からも悪口を言われました。

 

きっと(小学校の)先生方からすると

「なまじ英語なんてやっているから、学校の勉強がおろそかになる」

と思われていたのかもしれません。


 

でもその英語を諦めなかった事で、

インターへの転校の道が開け、

今に至るわけですから、後悔はありません。

 

(3へ続く)


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