学習障害と英語指導を考える

特別支援の視点から。
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中学英語の「習熟度別指導」全国拡大検討

2014年02月03日 | 日記

2月3日YOMIURI ONLINE
-中学英語の「習熟度別指導」全国拡大検討へ

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20140202-OYT1T00920.htm?from=tw


「アルファベットの読み書きが困難な生徒と、日常英会話が堪能な生徒が混在し、

教員から「授業が進めにくい」との声が出ている」


「アルファベットの読み書きが困難だけれども日常会話が堪能な生徒はどうする?」

と思ったがそれは置いといて、

読み書きと、会話、文法、読解を同じように考えてはいけない。


同じように伸びるものではないし、凸凹が大きいのだ。


「読み書きが伸びない」からといって、

他の技能を習得しないかといえば全くそんなことはない。

ずば抜けた語学センスを持つディスレクシアはたくさんいる。


この記事からはわからないが、
どこを基軸にして「習得している」と判断するつもりなんだろうか。



やっぱり読み書きだろうか。

英語における読み書き困難者の存在をちゃんと認めてもいない教育機関が

「読み書き」を基準に「習得度」を測るとすれば、

これは読み書き障害を持つ子(ディスレクシア)にとって親切なのか、差別なのか。



教える側の知識と技術を伸ばしていかなければ、

習熟度もただ「ゆっくりやる」だけの授業にならないか。


理解度の高い「読み書き困難者」はそのクラスに入るべき対象なのか。



いろいろと疑問が湧くなあ。


(追記)

 

ちなみに、「中学校英語の習熟度別指導」とからめるつもりはなかったけれど、
単語の書き取りテストをやらせたら(無意味語)、

一番できたのが、文字と音のルールを習得していた小学5年生、

次にできたのが、現在文字音対応指導進行中の中学1年生、

そして一番できなかったのが、普通の大学生だった。

 



文字の読み書き(デコーディングレベル)は、

内容理解とは全く関係なく伸ばすことができる。



また、日本の中学校校の英語教育は、

授業中に読み書きができることが”最低条件”になっている。



そうであるなら、

「読み書きができる・できない」は”習熟度”の基準にするものではない。


それ以前の問題である。



補習や支援ツール等で生徒の学習条件を揃えた上で、

理解度、内容の定着度などで分けるのが正しいのではないか、と思う。



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