学習障害と英語指導を考える

特別支援の視点から。
どの子もハッピーになるような指導を。

『読めなくても、書けなくても、勉強したい』ディスレクシア当事者の書籍

2012年04月17日 | 学習障害について

ディスレクシアは、英語圏だけのことではありません。

日本にも、読み書きが困難なディスレクシアの人は多数存在しています。

でも、今でこそ「読み書き障害」とか「読み書き困難」という言葉が広まり、

生まれつき読み書きが弱い人がいることがわかってきましたが、

それまでは、理由がわからず「怠けている」「頭が悪い」と

教師や保護者に言われたり、自分でも自分は馬鹿なのかと思い、

一人悩み苦んでいたのではないでしょうか。

今でも状況はあまり変わっていないのかもしれませんが、

当事者の声を聞くことで、

「こんな風に見えたり、感じたりしていたのか」

「ああ、そういえばあの子もそうかもしれない」と、

気づくことが多くなります。

 

 

私は子どもがアスペルガーと診断されてから

多くの自閉症の方の本を読みました。

世界がどんな風に違って見えているのかを知ることで、

同じ空間にいてもこんなに違う体験をしているんだなあ、と驚いたり

その世界を大切にしようという気持ちも生まれました。

 

2012年1月に出版された、

井上智著『読めなくても、書けなくても、勉強したい』は

以前このブログでも紹介した、「成人ディスレクシアTORAの独り言」

を改めて書籍の形で出版したものです。

 

理解されずに学校にいることがどんなにつらいことか、

自分を理解しないまま社会で馬鹿にされることを受容するのがどんなにつらいことか、

彼が自分が”ディスレクシア”だと気づいたのは、43才の時です。

わたしはそのページから読んでほしいと思います。

http://sky.geocities.jp/dyslexia_tora/sub9.html

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読み書きができても、何でも思うとおりになるわけではないことぐらいわかってる。
みんな、

当たり前にそれができたって、いろんな挫折や苦労をしてきていることだってわかる。

でも、オレがたまらなく悔しいのは

読み書きができないことでスタートラインにすら立てないことだ。

(ブログより)

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40年以上、自分の読み書きの弱さの理由がわからず生きていくということは

どういうつらさを抱えたまま生きると言うことか、

当事者の必死の思いが伝わってきます。

「ああそうだよね、わかる、わかる」と涙が出てきます。

 

初めてToraさんのブログを読んだ後、

彼だけが特別なんじゃなくて、

学習困難な子の20年後、30年後がどうなるかが、見えた気がしました。

 

もう、「知らない」ではすまされないなあ、と思いました。

 

Toraさんのような困難を持つ子の困難は、

先送りしてはいけない。

 

 「忘れられない二人の先生へ」

 http://sky.geocities.jp/dyslexia_tora/sub12.html

では、

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学校という場所は残酷だ。特に教師は容赦がない。
友達からの嘲りも、ほとんどは教師発信ではなかったかと感じることがある。
読めない・書けないのに口は立つオレは、さぞかしうっとおしい存在だったんだろう。
ことあるごとにバカにされ、笑われた。
ヒステリックな声、容赦ない体罰。
「はぁ~」という嘲るような溜息・・・。
教師のそんな姿を見て「ああアイツはアホなんや」「こんなこともでけへんのや」と、周囲の評価が決まっていく。
先生なんて大嫌いだった。

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「スタートライン」にしっかり立たせてやりたい。

でも、もしそれができる知識と指導力がないのなら、

 

せめて、「君を信じているよ」「こうすればできるよ」

というメッセージを伝え続ける。

 

つい、目の前の教材や指導目標だけに意識が行きますが、

本当はそれこそが一番大切なことなのかもしれません。

 


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