一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

247    飼主によく似た犬や薔薇の庭

2011年05月16日 | 

  NHKラジオ深夜便の最後に、「今日の花」を毎日紹介しているのだが、今日はバラ(薔薇)だった。花言葉は「愛」。津田清子の「薔薇の園引き返さねば出口なし」という俳句も紹介された。

この句は、単に薔薇園の出入り口が一か所である、と言う風にとれるのだが、解説によるとどうやら社会性を帯びた句のようである。最後に布施明の「五月の薔薇」でしめくくっていた。

 

さて、それはいいとして本題。飼主と犬が良く似ている、と言われている知人がいる。犬はブルドッグである。飼主がどんな風に似ているかは、勝手に御想像下さい。

飼主は、薔薇を育てるのが趣味で、見事に咲いた薔薇を囲んでのパーティーに、私達を呼んでくれるのです。

 

 

ホオ(朴)

 

 

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246   吸いこまれそうな青空朴ひらく 

2011年05月15日 | 

 吸い込まれそうな青空に、朴の花の咲いているのを発見した、という。きつと、作者は高台にいて、朴を見下ろしているに違いない。青と白の色の対比が明快である。                                         

 

と言うのも、私の窯場には樹高十メートルを越える朴の木が二本あり、毎年、純白の大輪を咲かせてはいるが、朴は葉が大きく、花を支えるように掌状になっているので、見上げても葉に隠れていて、ついつい見逃してしまう年のほうが多い。香りも素晴らしいというが、余りに高いところにあり、下まで届くことはない。しかし、今年は早々と朴の花を発見した。

 

 その代わり、秋になって葉が落ちると、穴の開いていない葉を集め、朴葉味噌で一杯やるのが呑兵衛の楽しみである。

ヒナゲシ(雛芥子)    

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ゐもり捕る少年つかみ慣れてをり

2011年05月14日 | 

245

 

ゐもり捕る少年つかみ慣れてをり

                                  

十国峠から芦ノ湖へ向かう途中に、小さな池がある。浅瀬で少年が何かを捕っていた。私も靴を脱いで池に入ってみた。石がごろごろしていたが、ここの石はやや小粒で歩き易かった。

 

少年の手元を見ると、イモリがいた。イモリは、背がまっ黒、腹がまっ赤、動きが鈍重な両生類だ。その数が結構いる。少年がイモリを掴んでバケツへ投げ入れる。その迷いのない手つきが見事だった。

 

後で調べて分かったことだが、イモリの雄雌を焼いて粉末にしたものを「イモリの黒焼き」という。好きな相手にこっそり振りかけたり、食べ物や酒に入れて飲ませると、「惚れ薬」として効果があるらしい。こんな話は聞いたことがないから、きっと江戸時代以前の話だろうが、もしかすると少年は、小遣い稼ぎにイモリを捕っていたのかもしれない。ある筋では、漢方として珍重されているらしい。

 

あれから、もう二十年以上経った。よく考えてみると、その時の少年は、既に三十歳を越えているはずで、その少年が父親となり、再び子供を連れて池を訪れる年齢になっている。そう思うと私はうきうき楽しくなってきて、近いうちその池を訪ねてみようと思っている。

 

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244   忍音や始まる雨の一日が

2011年05月13日 | 

(しのびねや はじまるあめの いちにちが) 

 

 一面の青葉の世界がやってきた。初鰹も食べた。そして昨日,ホトトギスの初鳴き,

いわゆる「忍音」を聞いた。台風1号が列島に接近して、一昨日から雨が続いていた。

 

ホトトギスは、時鳥、杜鵑、子規、不如帰、杜宇、蜀魂、田鵑、などと書かれるが、田長鳥、沓手鳥、妹脊鳥、卯月鳥などとも呼ばれるそうで、その数の多さと人気に驚く。

 

 ヒヨドリより一回り大きく、大陸から渡って来る夏鳥。自分で子育てせず、鶯などの巣に卵を産み育てさせる、いわゆる托卵をする図々しい輩だ。

 

 正岡子規は、結核で喀血したことから、血を吐くまで鳴くと言われるホトトギスから「子規」と名乗った。明治30年に創刊した俳句雑誌「ホトトギス」は、正岡子規の俳号にちなんだもの。

 

ホトトギスは、天下人の比較にも登場する。

 

鳴かぬなら殺してしまえ時鳥       信長

鳴かずとも鳴かしてみせふ時鳥    秀吉

鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥      家康

鳴かぬならそれでいいじゃん時鳥    信成

 

「信成」は、フィギアスケートの織田信成君。

平成の好男子らしい明快な句。

 

尚、夏は来ぬ(佐々木信綱作詞)の一番に「忍音」があります。

 

卯の花の匂う垣根に

ほととぎす早も来鳴きて

忍音洩らす夏は来ぬ

 

 

 

オシダ(雄羊歯)

 

 

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初夏や五体を投げて犬眠る

2011年05月12日 | 

 243 

 

初夏や五体を投げて犬眠る 

 

五体とは、体全体のことであるが、何をもって五体なのか、は色々ある。

◎頭・首・胸・手・足 ◎頭・両手・両足 ◎(漢方では)筋・脈・肉・骨・皮

など解釈はまだまだ多い。

 さて、暑くもなく寒くもなく、心置きなく安心して、木陰に眠る2匹の犬。何という幸福な犬たちか。

 

しかし、それを見ている私は、一体何者なのだろうか。私という不可解な存在。

 

 

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道祖神新樹光着ておわすなり  

2011年05月11日 | 

242

 

道祖神新樹光着ておわすなり  多留男

 

道祖神は、賽(さえ)の神、岐(ちまた)の神、庚申塔などとも呼ばれ、歴史的にも古く、大和朝廷成立頃まで遡る。

集落の入口にあって、様々な大きさや形があるが、いづれにしても悪神や災いを防ぐための石塔の神様である。

 

裸木が芽吹き始める。新葉が次第に伸びて大きくなってくる。太陽の光が視界を覆う新緑を透かして道祖神に注ぐ。

緑がかった道祖神を「新樹光を着ておわす」と言っている。暑くもなく寒くもなく、新緑が心地よく眼に沁みる季節だ。

 

 

タツナミソウ(立浪草)

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沖の島光るよ母の日なりせば  

2011年05月10日 | 

241

 

沖の島光るよ母の日なりせば  苔波

 

 天気のいい日は、熱海から初島、伊豆大島、利島、新島が見える。しかし、光るとなれば、どの島だろうか。

 

 そして問題になるのは、作者の母上は生きておわすかどうか、ということ。又「なりせば」というのも特殊な表現で「であるから」「であるので」という意味であろう。

 

 結論を言えばやはり、母上はお亡くなりになられていて、母を偲んでいるのであろう。「母の日だから光るよ」というのが、何とも切ない感じがする。

 

 

マルバ ウツギ(空木)

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生きて帰れよと蟇がつぶやく   

2011年05月09日 | 

240

 

生きて帰れよと(ひき)がつぶやく   弘一

 

 蟇(ひき、ひきがえる)(蟇蛙)は、水場が近くにあれば、結構一般家庭の庭にも住んでいるものだ。

 

 さて、「生きて帰れよ」とは、死ぬ可能性を示唆しているのだから、戦争にでも行くのか?古い話だ。それともこれから大手術でも受けるのか?ありそうな話。海外旅行で飛行機に乗る。又は豪華客船で世界一周。これくらいが明るくていい。

 

つまり、難しく考えなくてもいい。人間家を出たら無事に帰れる保証は一切ないのだ。それにしても、蟇に「生きて帰れよ」とつぶやかせる作者は、余程蟇が好きなのだ。破調が、句の雰囲気を強調して面白い。

  

カザグルマ?orクレマチス?orテッセン?

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筍を煮たるこころも含みけり

2011年05月08日 | 

239

  

筍を煮たるこころも含みけり 

 

植物や魚介類の一番美味しい時期を旬(しゅん)という。筍(たけのこ)は、竹冠(たけかんむり)に旬だから、正に旬の代表と言って良かろう。

 

但し、魚介類などは、例えば鰆(さわら)は、魚偏(うおへん)に春と書くほど、春の魚の代表のように思われがちだが、その理由は1年で最も大量に漁獲されるからで、肝心の味からいうと夏だそうだ。こういう事例は沢山あるので御注意を。

 

さて、筍を掘りに行き、帰ってから皮を剥き、茹でて、更に味を付けて料理する。その人の客人への心遣いを思いながら筍を味わうのは、食べる側の当然の心構えであろう。

 

エビネ(海老根)

 

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キラキラと光る眼差し子供の日

2011年05月07日 | 

238

  

キラキラと光る眼差し子供の日    歩智

 

 射るような眼差し、悩殺の眼差し、食い入るような眼差しとか、眼差しにも色々ある。凶暴な眼差しや死んだような眼差しなど、眼は口ほどにものを言う。

 

幼稚園や小学校と縁遠くなって久しいが、学力社会のため塾通いの子供たちの多い日本では、虚ろな眼をした子供が多い。

それにひきかえ、報道などの写真によるものだが、発展途上国の子供たちの眼は本当にキラキラ輝いている。戦後の日本は貧しかったが、やはり輝いていたのではないか。

 

そういうキラキラ輝く眼差しの子供たちが、日本の巷に溢れて欲しいものだ。

 

さてこの句、眼差しの主が子供であるなどと、一言も言っていない。つまり私達は、どんな人物を想像してもいいのである。

 

ハルジオン(春紫苑)

 

 

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237    恐るべき君らの乳房夏来たる   三鬼

2011年05月06日 | 

 今日は立夏、暦の上では今日から夏である。立夏と言ったらこの句を思い出す。余りに有名だから載せたくない気もする。しかし、載せることにした。

 

 太平洋戦争の最中、女性たちは縞木綿や藍絣のもんぺの地味な服装だった。今のイスラムの女性たちを想像したら良かろう。

 

そして、女性たちに終戦の1年後の夏が来た。と同時に女性たちは、白の木綿のブラウスを着出したのであって、別に女性たちの乳房が変化したわけではない。

これは65年も前のことで、現在と比べたら、露出度ははるかに地味だったに違いない。しかし、三鬼は恐るべきと言っている。恐るべきは、「君ら」と「乳房」のどちらにかかっているかによって、意味が違う。私は、あえて「君ら」にかかるを取りたい。

 

 この句の主題は、「敗戦後の日本は、これからどうなっていくのだろう、という作者の想い」なのである。うら若き女たちの着衣の変貌ぶりを表現することによって、作者の危惧を表したのだ。又、君らの「ら」によって、この句が社会性を帯びていることも分かる。

 

 

 

ホソバテンナンショウ(細葉天南星)

 

 

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236    校長満悦美容学校潮干狩

2011年05月05日 | 

俳句をやっていると、必ず漢字だけの句を作ってみようと思うはずだ。この句は確か「東京やなぎ句会」の誰かの作だったと思うが、残念ながら原本が紛失していて分からない。

 

さて、今どきのカリスマ美容師はほとんど男性のようだし、美容学校で潮干狩りに行くはずもない。この句、生徒が女性だけだった頃の古い話なのではないのか。とすると、本来なら校長も女性の可能性が高いはずだが、「満悦」という言葉からどうしても男性でなければならない。きっとこの学校の経営者に違いない。

 

この句、句会で高得点をさらい、御満悦の作者が想像される。

 

  

ハナイカダ(花筏)

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236   妖艶のハスキーヴォイス春の風邪

2011年05月04日 | 

 誰でも経験があると思いますが、熱はないし、頭痛はないし、下痢もないし・・・なのに声だけがかすれていて、やや鼻詰まりという、至って元気な風邪がある。聞き慣れた馴染みの声が、俄然色香を放つのです。

 

「艶っぽい」「色っぽい」というのが俗語として適当だと思いますが、「妖艶」という語を使ってみました。見目まで麗しく感じていただければ、幸甚でございます。

 

 

シャクナゲ(石楠花)

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235   赤潮のたゆたうている余生かな

2011年05月03日 | 

 「たゆたう・揺蕩う」とは、物がゆらゆら動いて定まらない。ただよう。心が動揺する。ためらうこと。漂うと同義の古語。

 

 最近の朝日俳壇の選句された句のほとんどが東日本震災関連で驚いたが、こんな単純な句も何とも言えない不安が内蔵されているのではないか、と勘繰ってしまう。

 

 作者は、確かに海の見える、赤潮の見える場所に住んでいるから、単に赤潮と余生を取り合わせただけかもしれないが、地震や放射能汚染の不安が潜んでいるのではないか、いや潜んでいるに違いないのである。

 

タンポポ(蒲公英)

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234   葉桜や今も変わらぬ虚栄心

2011年05月02日 | 

虚栄心とは、「自分を実質以上によく見せようとする心」とある。となれば、虚栄心のない人など、この世にいるはずがない。但し、虚栄心をあからさまに出すか出さないか、つまり、自制心があるかないかが問題だ。

 

 若い頃から知っている、私自身の心の中に潜む虚栄心。ある状況になると、思わず出て来る、押さえようとしても押さえきれない虚栄心。

 そんな自分を嘆いているのか、持て余しているのか、諦めているのか、笑っているのか、作者の心の中は?

 

 いづれにしても、自分の心の中の見せたくないはずの汚点を俳句によって表現するのは、自制心のある証拠だ、と私は信ずる。

 

ツツジ(躑躅)

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