(あかとんぼ/しょうねんおいて/きたりけり)
私(遊石)は、一日は長く、裏腹に一年はなんて短いのだろうと思い、生きている人間です。今は毎年老い衰え続けています。
昔は、足腰も呼吸も比べものにならぬくらいしっかりしていたのに等と、過去を振り返って見ることも有りますが、その時の過去はたかだか十年程度のことです。
その時、この句に出会い驚きました。過去を振り返るスケールの大きさにです。トンボを追いかけ遊んでいる少年と言えば まあ十才以下と思いますが、この会のメンバーの年から考えれば五十年以上前のことでしょう。
ところがこんな大過去と比べ、俺も老けたものだなー、とは面白過ぎます。思わず笑ってしまいましたが、座主の作と知り納得です。(遊石記)
アサマフウロ(浅間風露)
雲水様の赤とんぼの句を読んだ時、咄嗟に、「少年老い易く、學成り難し」の漢詩を思い出しました。
少年易老學難成
一寸光陰不可輕
未覺池塘春草夢
階前梧葉巳秋声
少年老い易く、學成り難し、青春時代の夢ははかなくて、
庭先のアオギリの葉も すでに秋の装いになって、秋の声を聞いている
と言うような意味でしょうか。
素晴しい漢詩ですね。この詩を読むと、しみじみと自分の人生は此の通りだと思います。
issyouさんも この詩が頭の中におありだったのかなあと、俳句を味わいさせていただきました。
朱熹の詩を想像されましたか。当然そうですよね。
久し振りに会った友人と「お互い年を取ったなあ」と笑っただけのことでは、ありました。
しかし、「まだまだやることはある」と軒昂でもありました。