一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

380  霧深しされどこの道ひたすらに   遊石

2011年09月29日 | 

(きりふかし/ されどこのみち/ ひたすらに)

 

来日したインドのお坊さんが言っていた。「生きることは苦である。もしも疑うなら、例えばあなたの大好きな食べ物を、食べ続けてごらんなさい。好きな音楽を聞き続けてごらんなさい。必ず苦痛になります」この時は、何故か「なるほど・・・」と納得したものだ。

   

つまり、老病死が苦であることは誰でも分かるが、生きることが苦であることは、現代のように物の溢れた未曾有に豊かな時代では、なかなか分かりにくいのだ。

 

しかし、戦争も病気も飢餓も知らずに、人生を謳歌してきた幸福な私達にも、必ず老病死という苦がやって来るのであって、誰ひとり逃れることはできない。

 

この句の「霧深し」は、そういう人生の先行きに対する不安や恐怖を意味しているのだが、「この道をひたすらに歩もう」という作者の決意表明に、私は大いなる賛辞を送りたい。

 

イヌタデ(犬蓼)赤まんま、とも


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