一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

890   花仰ぐ一年生の母として   友季子

2013年03月30日 | 

  この句には、作者の万感の思いが詰まっている。7年間の産んでから今日までの子育ての様々な記憶と、20数年前の作者自身の1年生時代の記憶。同じような入学式であっても、現在と過去の全く異なる立場の入学式。人智を越えた過去から未来へと、時間の船はよどみなく進んでいることに想いは至るだろう。

  良く考えて見れば、小学生、中学生、高校生、大学生、社会人まで、1年生は様々あるから、読者は様々な解釈が成り立つ。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 889  実朝の沖の小島も... | トップ | 891  旧友の握手握手や... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

」カテゴリの最新記事