一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

2233  エンディングはGの音の法師蝉  炎火  

2021年10月15日 | 

投稿  籠りの鯨児

 「法師蝉はGの音をあげてあの世に行く、読売ジャイアンツファンの私もこうありたいものだ」

この句を読んだ時、作者は絶対音感の持ち主で、熱狂的なジャイアンツのファンと思った。あとでお聞きしたら、ひいきは中日とのこと。それであればCとか、Dとかにすればと思った。しかしCには広島、そしてDには、DeNAがあってなかなかむずかしい。ただ絶対音感の方は、あたっていたみたいで、最後の音を、ピアノで弾けばソ(G)になると、句会でことなげにお話になった。

絶対音感の持ち主は、蝉の音を含めて、こんな風にありとあらゆる音の高さを瞬時に認識できる。そして楽器があればすぐその音を再現することができる。たとえば、赤ちゃんの鳴き声を聞いて、それをピアノで演奏できるということである。ひょっとしたら、この方は家のピアノで、これが今のミンミン蝉の鳴き声、これが法師蝉のトリル、そしてソ(G)のフェルマータで終わりなんて、楽しんでいるかもしれない。夏休みにお孫さんが来たり、友人など招きパーティなどした時には、大うけ間違いなしであろう。絶対音感とは言わないが、このように何か秀でたものがあると、人生はがぜん楽しくなり、そして「幸せ指数」が増すことになる。

今「幸せ指数」などという言葉を使った。これは、格差社会のコロナ渦で、旅行であるとか宴会そしてコンサート等々、従来の楽しみがなくなった世の中に、トレンドになっている言葉である。そしてこれは、出かけられないこともあって、これまで「楽しみ」とされなかった家庭のものに光があてられることになる。たとえば、料理包丁。家で料理を作る機会が増え、一ランク上の包丁を買い求める人が増え、合羽橋の包丁屋さんでは、売り切れ続出となったということである。切れ味抜群の包丁で調理し、美味しいものを食べる。確実に「幸せ度」アップである。コロナ渦、こんな価値変換も行われ、いろいろな幸せが評価あるいは再評価されることになり、興味深い。時代は「お金持ちから幸せ持ちへ」である。

 さしあたり、私は虫の音にDの音を見つけ、ピアノで鳴らしてみたい。ちなみに私はDeNAのファンである。 

ヨメナ(嫁菜)

 


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