この句の作者は、昼の猛暑と熱帯夜によって気がおかしくなり、幻聴によって蝉時雨を聞いたのではないだろうか。真夜中に蝉が寝ぼけたようにジジッと鳴く声はよく聞くが、深夜の蝉時雨など聞いたことがない。
ところが作者に聞くと、「気がふれたわけではなく、事実です。都会では深夜なお明かるく、蝉の合唱が続いていた」という。本当だろうか。
作者が正気だったか狂気だったか、どちらを選ぶか。鑑賞者の私としては、狂気を選ぶ。何故ならその方が面白いからだ。作者にとっては実に失礼な話であり、私としては実に無責任な選択である。
さて、蛇足ですが、昭和24年、旧漢字の「氣」は当用漢字ではなくなり、「気」が当用漢字になりました。「氣」は八方に広がる字であり、「気」は真逆の内向する字である。国語審議会が何故変えたのか、不思議でならない。
ウド(独活)の花