一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

228   他人事と思えてならぬ春の果

2011年04月26日 | 

 単に、過ぎ去る春が、春の過ぎ去ることが、他人事と思えてならない、というわけではない、と思う。

 

この作者の身近な親しい者に、ある変化が起こったのだ。例えば、孫が合格したとしよう。しかし、他人事にしか思えない。身内の誰かが亡くなったとしよう。しかし、他人事にしか思えない。

 

本来なら喜んだり悲しんだりするべきなのに、そういう感慨が湧かない自分を訝しがり、自責の念にかられているのだ。

 

自殺した伊丹十三監督に「お葬式」という映画があったが、制作動機はこの句の主題に他ならない。葬式に泣き屋を雇う国もあるというが、意外と現実はそんなものかもしれない。

 

 

 13才になりました(モモ)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする