Islander Works

書いて、読んで、人生は続く。大島健夫のブログ

明日に向けて。

2010-06-03 21:22:12 | 出たもの
人間はひとりでは生きていけない。「自分は人生の全てをひとりでやってきた」なんて言う人がいたら、それは正気の沙汰ではない。私は人の親になったことはまだないけれど、犬や猫なら育てたことがある。そのような、人間よりずっと成長の速い生き物でさえ、誰かが世話をしなければ、瞳が開いて世界を見ることができるようになるまで命を永らえることさえできない。

Poe-Triは昨日、6月2日で2周年を迎えた。たったの2年ではあるけれど、多くの人々の有形無形の助力によってここまでやってきた。心から感謝したい。主宰として私に恩返しができるなら、それは次の一回、その次の一回に向けて、その局面局面を精一杯やることしかないと思う。その時空間を共有する中で、居合わせた人々がお金では買えない何かを得ることができるなら、そんなに嬉しいことはない。

今回は、オープンマイクなしのキャスト7人、15分ずつのライヴである。

人選が固まった時点で、またしても私の中では、出順を巡って壮絶な自分会議が繰り広げられていた。特に、服部剛さんと死紺亭柳竹さんのどっちにオープニングをお願いするかでセルフ紛糾していたのであるが、結局、前説の「オッケ~」をイベントの最初に聴きたい、というだけの理由で死紺亭さんに先鋒で登場していただくことになった。



その死紺亭さんは、15分の持ち時間をフルに使って、一本の長い作品を朗読。その内容は時事ネタであったのだが、奇しくもこの夜は首相辞任のニュースがあったばかりで、まるで予定していたかのようにあまりにもタイムリーであった。

開場前、リハーサルをしている服部剛さんを観て、その場にいた他の出演者全員が狼狽した。あまりにもカッコ良かったからである。



本当に、「ただライトの下で男がひとり、紙に書いたものを読んでるだけ」なのである。なのに、一体あの空気はどういうことだろう。潮が満ちるように静かに押し寄せるエモーション。しなやかで厳しい波動。オフタイムのフニャフニャした服部さんはどこへ消えたのか。

猫道さんがステージに上がると、オーディエンスの「期待値」みたいなものがぐっと上がっていくのが感じられる。



構成的でありながら硬直していない、自由でありながら破綻していない声と言葉と動き。CDにも収録されている「海底杉並区」を私は何回か生で聴いているけれど、このステージのものが今まででベストだと思った。ギリギリの線に達している何かがあった。

紛糾していた自分会議の中で、鶴山欣也さんを前半のトリにすることだけは最初から決まっていた。



鶴さんの詩を耳で聴き、そして目で見ることは、森や海、風や光といった自然物の動き、あるいは昨日から今日、明日へと流れてゆく時間の動きを前にするのに似ている。答えは多分、受け手の中に既にあるのだ。

後半は、あしゅりんさんから始まる。出演者中最も堅い職業に就いているにもかかわらず、最も怪しいオーラを醸し出す男。



ドライヴ感抜群の、笑えて気持ち悪くてもっていかれる作品世界。その裏にあるのは「掘り下げ」なのかもしれない。そのワンフレーズの後ろにあるもの。その一つの名詞の後ろにあるもの。そこにかける繊細さと好奇心を、この夜ふと垣間見たような気がした。

川島むーさんは、おそらく現在までPoe-Triに最多出演の詩人である。



初期なんてそれこそ毎回のように出演して頂いていた。だが、実のところ誰からも「飽きた」という声を聞いたことがない。本当に飽きないのである。人前でパフォーマンスとしての朗読を行うことの一つの真髄がむーさんにはあると思う。

最後に私が、後藤理絵さんの「四六時中」、ケイコさんの「ラムネびんの中から」、自作の「バレンタイン」を朗読し、締めさせて頂いた。初めて他の詩人の作品をカバーさせてもらったのだけれど、緊張感があってパワフルな体験だった。

改めて、皆様にお礼を申し上げるとともに、今後も地道に頑張っていきたいと思います。

次回のPoe-Triは、お店の都合により、第一水曜ではなく、一日ずれて7月8日木曜の開催となります。

オープンマイク枠も復活し、「普段着」に戻っての、声と言葉の夜。池袋で皆様のお越しをお待ちしております!