好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

石動(いするぎ)神社NO4

2007-03-26 22:58:34 | Weblog
石川雲蝶(いしかわうんちょう)1814年
~1883年(明治16年)幕末期の彫物師
本名は安兵衛は20歳頃からすでに彫物師と
して知られていた、
越後の国永林寺(魚沼)にそして当時から鑿(のみ)
等の町三条へ三条に婿養子に(酒井姓)に
三条本成寺本堂の欄間のの彫刻等の傑作が、
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ご近所懇親会参加、

2007-03-25 23:41:45 | Weblog
今日PM5時から町内の集会所で
たまに一杯やろう会のお誘い 喜んで参加、
子供たちが小さい頃は近くの家族でのピクニック
にも 花火見物も だんだん子供が大きくなると
親たちも疎遠に、皆が忙しい事もあるが、
今回企画して頂いた事は有り難い事だ。
12軒で23名で夫婦の参加(1人だけの方も) 女性陣は色々
工夫して大変なご馳走だ 鍋もの お刺身
から揚げ こんにゃくの刺身 えだまめ
お寿司 お酒にビール ウーロン茶 いかの塩辛手造り
まだ がら汁 お漬物いやはや女性に任せて
置けば頑張ってくれる。
1番若い方と30歳くらいの年齢差が有るが
ご近所でもなかなかお話する事が無いので
こんな機会は有りがたい。
今度一番若手に幹事になって頂いたから若い方に
頑張って頂こう、
遠くの親戚より近くの他人 本当に昔から言われているが
コミニケィションが近くに住む人が楽しい地域に
なればこれからも楽しく生活できる。
これからもご近所さんと交流には参加させて頂こう。

今回の幹事さんご苦労さんでした。
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加茂山公園 青海神社 NO1

2007-03-24 22:59:11 | Weblog
三条市にグループの作品展と同じ所に
ユキワリソウ展が出かけたがユキワリソウは
趣味で育て毎年売上を 寄贈している奇特な方だ
安い物だが2点買い求めてきた、来年は花が咲くか
枯らしてしまうか、グループ展は趣味の多彩な人が
一同に絵あり 書 陶芸 写真 パッチワーク 
翁面 水墨 三条りバテイ ライオンズ
熟年の方だと思うが みんな作品も凄いが何かの
趣味を持ち発表できる、素晴らしことだ、
私の目標は幾つになってのそんなことに、
挑戦する事なんだ、

加茂山公園まで足をのばして、近くなのに
今まで 訪れた事がないので いつも通り過ぎるだけで、
整備され だが余り開発され過ぎない方が
良いかも知れませんね 今は危険さえ無ければ
これからは大人も子供も楽しめる。
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加茂山公園の杉木立 NO3

2007-03-24 22:57:00 | Weblog
加茂山を覆い尽くす杉木立だが
天然のものでなく 江戸時代初期に
1656年 加茂の大庄屋浅野三郎右衛門
が加茂山一帯に大稙林事業を興し

1689年に到る34年間わたり
多くの杉が植えられた、直径2M~3M
の老木がたくさんある、

市内で地の利と規模は素晴らしい、
森林浴 散策 ジョギングに 手頃な
公園だ 5月頃に来てみよう。
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雪椿 NO4

2007-03-24 22:56:08 | Weblog
雪椿 加茂山と云いば
やぶツバキととか大島椿とか
最近は種類も多い
雪椿とやぶツバキ見分けが難しい
やぶ椿の葉は厚くつやつやした感じ
そして花びらも厚めで開きさらすおしべの
つけ根が筒状に 現物の比較が一番だが。
雪椿は花びらも葉も薄い感じで
幹は地面を這うようにそして雪の下に
なっても大丈夫のように枝はしなやか。

雪椿の歌碑が黒御影石の音符も

小林幸子  雪椿  星野哲郎作詞 遠藤実作曲

やさしさと かいしょのなさが
裏と表に ついている  そんな男に 
惚れたのだから 私がその分 がんばりますと
背をかがめて 微笑みかえる 花は越後の
花は越後の 雪椿
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加茂山 良寛歌碑 NO5

2007-03-24 22:55:23 | Weblog
加茂の社の 杉さへ 見れば
 過ぎし 昔が思はるゝ
    良寛
加茂には しばしば托鉢に来た良寛は
青海神社の老杉を眺めて文政10年
(1827年)に加茂で亡くなった
親友分水中島の医師 原田鵲斎(じャくさい)
を偲んだ歌と思われる。
晩年は加茂に隠居してから余年斎といった


当時もう植林された大森林の杉山だった。
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加茂山公園 翁杉(じじすぎ) NO2

2007-03-24 19:48:57 | Weblog
翁杉(じじすぎ) 樹齢約1000年。
幹太さ は約635センチ 大人5人が
手をつないだ太さ 青海神社の神木として
翁杉と1対で媼杉(ばばすぎ)とよばれた
巨木があったが、 昭和36年の第二室戸
台風で倒れた、

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良寛さん托鉢中

2007-03-24 00:15:03 | Weblog
国道116号和島方面から分水大橋を
渡り吉田方面 分水町で道路の側に
良寛さん托鉢中分水は良寛修行の地だからか、
楽しい交通安全看板だ、

ゆっくり走ろうてえ


 
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スミレ(アオイ)か?

2007-03-24 00:06:41 | Weblog
出雲崎中山 良寛の古道
昔の山道で現在の出雲崎から山越え
に今は代官所跡の道から通りぬける広い
道があるが、 古道も少しだけ歩いてみたが
杉林を山越えの道で車の為に引き返した、

山道のところにスミレがもうたくさん咲いていた
日当たりの良さもあるのか綺麗に キクザキイチゲも
もうこれからは山野草の花盛りがすぐだ、

スミレの種類は47もあり なかなか解かり
難い物もある、これは アオイスミレと思うが

今年は近くの山で生えている スミレは何種まで
見分けられるか、調べよう、
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蓮花寺の大杉

2007-03-23 23:33:04 | Weblog
県指定天然記念物
蓮花寺の大杉
目通り  地上 1,5M 約9M
根回り  地上 0,3M 約12M
樹の高さ 約 50M
樹齢  推定  1200年
旧三島郡三島町蓮花寺 7社宮境内
少し山手の為杉の樹木には条件的には
良いようだし現在でも樹の勢いがある
近くに森の散策公園もある、
個の神社の文化財で大正時代に社宮s境内の
工事の際に土中から発見の古鏡がある
4面 銅製  山吹双鳥鏡  松喰双鶴鏡
 草花双鳥鏡  菊楓双鳥鏡

1000年以上もの生命力そして今でもこれからも
きっと生き続ける事だろう、凄いの一言だ 
まだ近くに巨木が沢山ある筈だ、これらも訪ねて
紹介しょう、
三島は出雲崎から長岡方面へ                        
歴史の有る寺が 此処も調べて訪ねると
面白そうだ、小木の城跡も訪ねたいが今は
まだ山手は雪が残っている、
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解良栄重 良寛禅師奇話( 続)NO4

2007-03-22 22:01:57 | Weblog
良寛禅師奇話 これは思い出したものから
年代に関係なく書く下書きとか原稿は無く
其のまま清書だ。
学問好き 50音の考えていたようだ、
研究中か、

ひふみ歌
ひふみよいむな やこともち、ろらねし、
きるゆゐ、つわぬそ、 おたはく、
めかうを,ゑにさ、りへて、のます、あせえ

と平仮名に書き

人含通 ,善命報名、親子倫元因、心顕練忍
君主豊位、臣私盗勿,男田畠芸,女蚕績織
家饒栄、 理宣照、法守進,悪攻絶

漢字でふり仮名

ヒトハフクムミチアリテ、 ヨキイノチムクヒナアリ、
ヲヤコハトモガラモトノチナミ、ココロハアラハシネリシノベ、
キミハアルジユタカニクラヰシ,ヤツカレハワタクシニヌ
スミナシソ,オトコハタガヤシハタウチクサキレ、
メハカイコシウミヲレ イヱハニギハヒサカヤセ 、 
コトハリハムベテラセノリハマモリススメ 
アシキハセメタエセ、
片カナで読みを。

持ち物私有物にしない、
自分の持ち物に良寛と名前は書かない
おれがの (新潟弁の方言で私の物)との意味か
ほんにおれがの (本当に私のもの)か
有名な話で良寛のかな は伝小野道風筆( 秋萩帖)
を学んだようだ、其の手本にした本が伝えられている
其の裏側に 『おれがの』とかいてあるが、
この本は良寛の本ではなく 新潟の人から借りた
本で返す時に おれがのサインがしてあるのを
とがめられて良寛は 良寛と書いたらなら悪いが
おれがのと書いたのだから、私がもっている時は
私のもの貴方のお返しすれば あなたのもので
それで良いではないか、といって笑った。

 
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解良栄重 良寛禅師奇話(続)NO3

2007-03-22 19:44:57 | Weblog
無欲
ある人が地位も財産も何一つ不自由は無いが
何とか100年生きたいといったら、
良寛はそれはたやすい事だ。今日まで
100年生きたと思いば良いと答えた。
大道商人から万年生きる亀だと買ったら
翌日死んでしまい文句を言いに行ったら
今日が万年目だといった論法だ。

三条地震の見舞い状に親しい人に災難に
逢う時節には逢うがよく死ぬ時節には死ぬが
よく これが災難を逃れる妙法と
良寛は命に就いても無欲にと。
でも貞心尼や由之に見守られながら病床で
死にたう無い とつぶやえたとも、

元気ならやっぱり由之や貞心尼とも楽しい
春が来て 酒を呑み 一緒に歌も詠める
し本当はこれが本心かも勿論凡人の我々では
解からない 悟りが有るんだろうが、
若く美人が自分を慕い敬ってくれる そして 
素直に自分の気持ちを互いに歌にして
そんな時間がもう少しでも在ればと思う
そんな良寛のほうが私は好きだなぁ。
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解良栄重 良寛禅師奇話( 続)NO1

2007-03-21 23:33:32 | Weblog
踊り上手
良寛は 盆踊りが大好きだったようだ、
手ぬぐいで頭、 顔を包んで 女を装いで踊った、
人が聞こえよがしに この娘はしなやかで、振る舞いが
上品だと言った、勿論良寛と知っていたが、良寛はこの
ことを素直に喜び 人に褒められた事他人に 誇っていた、
良寛の短冊に
てぬぐひで 年をかくすや ぼんおどり

私たちの子供のころからお盆には夜中まで
町中では朝まで 17,8歳頃は盆踊りの
経験がある、若い男女の出会いの場でもあり、
娯楽の無い田舎の楽しみだったのだろう、

質素な生活
国上の庵に住んでいた時に客が草庵をを訪ねた時、
昼飯を盛るお椀が無かった、そこで近くの火葬場へ行き
こわれたお椀を拾ってきてお汁を出した、
訪ねたとき足を洗う たらいが無い為、味噌擂り鉢に水を
入れて出した、1つの鉢で足も洗い ご飯も盛る、まさに
一衣一鉢 だ 訪ねた客もこれではご馳走になるのも大変だ、
酒好き
詩歌にも酒を詠んだ ものがかなりある、良寛の手紙の
礼状に酒が一番多いとか、酒好きだが度を越した事は無い
大酔いすることも無い 人と一緒に飲むときは 汝一杯 
吾一杯と自分だけ余分に飲むことも無いし相手にたくさん
飲ませる事も無かった。弟由之に酒や行状を戒めた書簡が、

当時の農家や田舎の人は何か祭りか祝えごとか特別のとき
でないと酒を飲む機会はない、良寛は其の点では贅沢で
御三家あたりや与板の大阪屋 山田家では結構庶民が食べ
られないものを、口にしていたかも、
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解良栄重 良寛禅師奇話( 続)NO2

2007-03-21 23:22:33 | Weblog
ユーモア
良寛の茶席での話いわゆる濃茶であった、
茶碗のお茶を全部口の中に含んでしまってから
ふと次客の居る事に気がついた。やむなく再び
茶碗の戻して まわした。つぎの客人は念仏を
とないながら呑んだという、
同じ茶席か 鼻くそを取って右側に置こうとしたら
右側のお客がおよしなさいと 袖を引いた、そこで
左に置こうとしたら今度は左の客が 袖をひく、
良寛は仕方なく鼻くそを 鼻の中に戻した、

茶席の話 次客は困ったろう、いかに生き仏の
良寛さんから でも口に含んで吐き出された 
お茶では たまったものではない、

鼻くその話も愉快だ 懐紙になら良いのだが また
鼻の中に戻したとは、この話に尾びれがつき
その鼻くそは 良寛がクシャミをしたとたん、
どこかへ飛んでいった。

盗人が国上の草庵に入ったが何も取るものが無い
そため良寛の寝ている布団を盗ろうとした。
良寛はわざと寝たふりをして寝返りをうち
盗人が盗りやすいようにしてやった。
これは有名な話だが、

盗人に とり残されし 窓の月

口ずさんだとか。良く出来過ぎた話だ、

如何ですか、少しは楽しく笑っていただけましたか、
書きながら1人で可笑しくてなかなかキーボードが
打てないでした。  加藤僖一著 谷川敏朗著 参考
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原田 鵲斎(じゃくさい) 邸 (中島)

2007-03-21 00:02:10 | Weblog
現燕市分水中島 原田家は元々は国上の真木山
庄屋で此処中島村庄屋斎藤源右エ門所有を譲り受けて
移住良寛と親交が子陽塾の同門の医師で原田鵲斎
漢詩 和歌 俳諧にすぐれ、
良寛から鵲斎への詩

鵲斎に与う
秋風まさにしょうさく のうえ みだれて
かすみのごとし 一条の枯藤(ことう)のつえ
旧によって君が家に訪う

原田正貞(しようてい)鵲斎の長男で江戸に遊学後
医師に詩歌も

国上の山にのぼりて そこなる寺にやどりて
よあらしに降り来るものは 雨ならば軒ばにつもる
紅葉なりけり、    正貞

かえらむと しける山の主のよみ出けるうた
此山のもみじも今日は限りかな 君しかへらば
色はあらまし 良寛

前は原田良寛資料観として展示も そして解良家
からゆづり受けた、 茶室が良寛が出入りし宿泊した
良寛遺跡の重要な建物だ、
現在は展示館としては観られないようだ、残念、

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