好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

信濃川  NO1

2007-01-30 17:57:13 | Weblog
信濃川辺りだと建築用の砂採掘船がある
中之口川では観られなくなったが、寒い冬の川舟で
子供のころは手で掘る砂取る船頭さんが居たが、
漢詩の世界で情緒がある風景だったが、蓑 笠をつけて
船べりでの砂採り 冷たい川風吹かれながら大変な
仕事だったろう、それで生活も出来たろうが。

最近の採掘船は大掛かりでそれで無いと
ダンプで建築現場に運ぶのに採算が取れないのかも、

ここも採掘権があり国土庁か 河川法があるんだろうし。

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信濃川  NO2

2007-01-30 17:33:27 | Weblog
分水より少し上流で今では狭くなっているんだろうが
それでも広い川幅だ
1月末なのに この晴天今年はどうなっているんだろう、
本当に暖かい 雪国は雪が降らないのは 有り難いが
逆に春からの水の心配 農作物の生育が 又稲作の方は
病虫害 等そしてつゆの時期に今度わ毎日雨なんだろうか
地球がおかしくなったのか。今年だけか

信濃川~国上山 弥彦山 多宝山を
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論語(サライ)より    NO1

2007-01-29 19:46:34 | Weblog
常用句として使われる言葉の論語

友遠方より来る...原文 学而第一
子曰く、學而時習之。  不亦説乎。有朋自遠方来。
不亦樂乎。人不知而不慍。不亦君子乎。

子曰く 学びて時(つね)に之(これ)を習(なら)う
亦(また)説(よろこ)『悦』ばしからずや。
朋(とも)遠方(えんぽう)自(より)来(き)たる有(あ)り。
亦楽しからずや。人 知らずして慍(いか)らず。
亦君子ならずや。

現代語訳
老先生は、晩年に心境をこう表された。(たとい不遇のときであっても)
学ぶことを続け、(いつでもそれが活用できるように)常に復習する。
そのようにして自分の身についているのは、なんと愉快ではないか。
突然友人が遠いところから(私を忘れないで)訪ねて来てくれる。
懐かしくて心が温かくなるではないか。
世間には私の能力を見る目がないとしても。耐えて怒らない。
それが教養人というものだ。

良寛と論語 論語は大森子陽の狭川塾で学んでいた事だろう、
良寛は論語はよく読んでいたようだが 註訳にはあまりとらわれず
自分なりに読むことを重視していたようだ、他のことにも共通して
いたようだが。
あるとき和歌を勉強するのに何を読んだらよいか尋ねました、
良寛は万葉集を読みなさいと答えられた。
万葉集は詞が古くよく解からないというと、自分が解かるとこるだけ
読みなさい。それで十分だと、歌も自分の言葉で自分の思うところを
そのまま素直に歌えばそれで十分だと、
阿部定珍の依頼で万葉集の注解をしているので精読していたんだろう
だから註訳でなく独自の解釈 訳が出来ていたんだ。
あまり注釈にとらわれずに。論語も と言う事か。

俳人で歌人でもある人が 日頃 字が下手なので嘆いておりました、
それを良寛が聞きつけて言いました、字が綺麗だとか醜いとか
そんなことに心を使うのはやめなさい。 そうすれば自然に上達
するものです、これを聞いて字を書くことに気を使わないですむよう
なった。本当でしょうか?字が下手で困っているんだが。
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午前3時30分の電話

2007-01-25 11:24:13 | Weblog
真夜中の電話で起された、
覚悟はしていたが、まだ2日ほど前は話が出来ていたし、
でも昨夜から様子が、
私の10歳年上の兄貴3年ほど前に食道がんで 手術昨年から
入退院を繰り返していたが、 お正月は帰宅していたし、
兄貴は連れ合いに早く先立たれ子供が中学と高校だったが
主婦業も兼ね 苦労の多い夢中走った人生だったと思う、
でも内孫3人 外孫2人それなりの楽しみがあつたが、
本人は手先が器用で何でも特に大工仕事は自分で造る
絵は日本画で繊細な筆 山野草を育て 特別資産を残す事もないし、、
特に出世した訳でもない曲がった事が嫌いな少し頑固で、
世渡りが下手なほうだった。10人の兄弟の次男で(弟は3年位前に亡くなったが)
兄弟が皆が仲良くて男8人女2人他人から兄弟が仲が良い
と羨ましいと言われていた、これは兄貴が上手く皆の事を考えて
いたからなんだろう、自分が苦労したから曲がった事が嫌いなだけに
自分だけ良ければの考えが無く兄弟が皆のためにといつも家持ち(分家)
と皆自分の家のように気楽に遊びに行っていたもん、
人が必ず通る道、
27日がお通夜で行年82歳の人生の卒業式 翌日
28日が告別式で仏門への入門式 子供達からきっと努力賞が             妻に子供たちが立派に成長した事を報告出来るだろう、
なみあぶだぶつ、 安らかに、
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越後三条 良寛の道

2007-01-25 10:24:32 | Weblog
三条図書館前からスタートして時間のあるときにゆっくり
散歩がてら(図書館でお願いすると地図が貰います)
良寛像があり館内の2階に最古の良寛碑がある~
日吉神社で炊くほどは 風がの句碑 ~八幡公園
村山半牧の碑 良寛歌集編集 画家 
図書館にある大火で破戒した、良寛乞食の詩歌が再建
歌碑 八幡の森の木下に子供らと遊ぶ夕日の暮れ間惜しいかな、
~今町屋跡(この浴衣あらっておくれ)と置手紙を添えての逸話
 (三浦や ここは場所が解からず後日に)
神明神社境内
団子や跡良寛がよく立ち寄り団子でも食べたのか~良寛放毬の碑
ここまで あとわ後日に

十字街頭乞食了(罷)  じゅうじかいどう 食(じき)を乞(こい)了(お)わり
八幡宮辺方徘徊  はちまんぐうへん 方(まさ)にはいかいす
児童相見共相語  じどうあいみて  ともにあいかたる
去年痴僧今又来  きょねんのちそう いままたきたると
 
近くのミスタードーナツでコーヒー ドーナツ休憩

ちょうと一言 ミスタード-ナツが初めて日本で開店するとき
大阪寝屋川で ここにドーナツの の抜き型や特殊な道具を
現役営業マンの時に制作納入した思い出のお店だ、
外食産業が盛んに成りり出した時だったころ、
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 『論語』を今こそ

2007-01-24 00:57:53 | Weblog
人生の真理、すべてここに極まれり、
最近の雑誌での論語の特集 永遠なる人生の指南書
又 先日新聞広告の書いて味わう人生の応援歌
時代は写経から写論 これはなぞり書きで生きる活力を

少し覗いてみては 特別これを読んで直ぐに自分に何が出
来る事と言うものでもないだろうが、
約2500年前に孔子と弟子たちと交わした問答をまとめたのが
論語。時を越えて現代に生きる我々の心を打つ。
若い頃読んでも分かりづらくとも、年齢を重ねるとその面白さと
深さに気付く、
こんな事が雑誌 特集の最初に、書いてありますが、
執りあえず目に付く所だけ、論語を語るにはまず その中心
人物である孔子の生き方を知ることが人柄や思想、行動こそが
この偉大な古典を生んだ、
論語は単なる道徳論でなく。東北アジアに住む我々の精神的
礎である、
世界に永遠のベストセラーと呼べる本は2冊しかない、
1冊は欧米を中心に読まれている新約聖書。
そしてもう1冊は日本 中国 朝鮮半島 北ベトナムに至る
東北アジアで広く読まれている『論語』とか
ともすると、論語は単なる古臭い道徳論 それも人間を抑圧する
ものとして否定的のに捉える向きもありますが、
論語にはいつの時代にも誰にも通ずる真理が盛られ、
人々に知恵を与え
生きる力の源とさえなる。
孔子とは、いかなる人物だったのか

子曰 吾十有五而志千學 三十而立。 四十而不惑。
五十而知天命。 六十而耳順。 七十而従心所欲不踰矩。

現代語訳 老先生最晩年の回想

私は15歳になったとき学事に心が向こうようになった、
30歳に至って独りで立つことが出来た。やがて40歳に
の時、自信が揺るがず、もう惑うことがなくなった。
50歳を迎えたとき、天が私に与えた使命を自覚し奮闘する事になった
その後苦難の道を歩んだ経験からか、60歳になると、他人の言葉を聞くと
その細かい気持ちまで分かるようになった、
そして70歳のこの歳、自分の心の求めるままに行動しても規定
規範から外れるというような事がなくなった。

時間がありましたら三条市の図書館で毎月 第3木曜日にPM1.30~3.30
論語を勉強 習う会があります、高井 茂 主宰
先ず素読からです、
なかなかむずかしい 解からない だからこそ面白い、



 
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弥彦の滝  沢登 NO2

2007-01-22 18:39:53 | Weblog
ここが弥彦山 沢登り口
25歳ころから山登りが趣味になり弥彦山は
少し高い山に行く時とスキーの為の足慣らしの場で
山登りとは考えていなかった、今なら弥彦山でも山登りだ、

谷川岳は夜行列車で行き直ぐに登り 夏山だからと谷川
連峰の縦走も 白馬縦走はお盆休み 粟ケ岳 五頭山も
今なら無理だろうがここの沢登りは若さか疲れとか
危険は感じなかった、 当時は神社の通りのお店で草鞋が売られていた、
草鞋でないと水コケですべる為の途中に確か一枚岩という
岩盤が此れが垂直に20~30Mくらいあったのか此れは
眺めるだけで無理だったが、パーテーでロープで岩登りを楽しんで
いたグループがいたが、
もう沢登りは無理だが一枚岩と緩やかだが岩谷の流れの滝
手先と足の指で 掻き登った所を写真で撮りたいが今年の夏場は
どうだろう 迂回しながらなら行けるかも、春先のほうが見透視
よく良いかもスケッチも 滝を見ながら そんなことを考えた、
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弥彦お滝場  NO1

2007-01-22 17:55:33 | Weblog
雪の少ない弥彦の滝を覗いてきました、
雨も少ないせいか 水量は少ないしやはり
勢いが無い。
子供のころのに夏場だったんだろうが親に連れられて
滝に打たれに来た事がある 沢かにを捕まえて遊んだ
り納涼か弥彦お詣での信仰で健康祈願だったのか
弥彦のお滝場といわれていた
今は土砂止めのダムができている
景観は今いちだが これは下流の安全の為だから、
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写論  絵画展洋画と色紙展

2007-01-21 00:31:07 | Weblog
論語  時代は写経から写論
  書いて味わう人生応援歌
此れは最近の新聞の広告で最近は写経や文学 漢詩
古典 なぞり書きの本が(ノート雑誌か)が多く出てきた、
薄く書かれた文字をなぞり 漢字と本が読めれば
現代風にいいのか売れているんだろうな、 つぎつぎと
色んな本が(ノート)画も花や風景で昔の塗り絵本だ
面白い時代だ、下書きなしで色付けだけ手本の色を
出来た作品を額で飾り楽しむのか、パソコンの絵の
似たようなものだが、皆さん綺麗に描いているが、

三条市で 白陽会 昭和9年創設 中央公民館
今日案内を頂いた画の会の作品を鑑賞させていただいた
此処は歴史がある会でもう先生と呼ばれる方の作品で
さすがに素晴らしい 近くだとよく良さが解からないが
少し離れると本当に少しの濃淡でぐっと作品が生きてくる
全部計算されているんだと関心まだ出来ないが勉強に、

丸井 今井邸
もう1つの会場は色紙で花が主で此れも皆さん大分書きこみ
たくさん描かれていろと感じた、
昨年は展示会の時に近くの火災で中止になったので
今年はその分多く展示されて見応えがありました、
此れは下書きなしで花や葉を 濃淡でのボリューム 繊細な筆
全神経の集中で描かれた作品 バランス感覚どれを見ても
キャリアを感じます、
いい作品を見てくると 、出来なくても制作意欲がわきます、
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 渡部 阿部家門前の 良寛詩碑

2007-01-20 10:27:42 | Weblog
阿部家7代造酒右衛門阿部定珍(さだよし)
良寛より20歳年少)は家業のかたわら5合庵
乙子草庵時代の良寛を詩歌の師として又親交が深く
外護者として親しく訪ねたりしていた万葉集など
貸したり 良寛さんと2人で唱和した詩歌も多く
残されている国上からだといちばん近いか友人か、

間庭百花発  間庭百花発(ひら)き
餘香入此堂  余香 此の堂の入る
相対共無語  相対して共に語無く
春夜〃将央  春夜 夜将(よるまさ)に央(なかば)ならん

静かな庭の一室で定珍と私は相対している.庭に咲き乱れる
百花の香りがゆっくりと流れてくる、
心の通い合った2人、語る言葉も無く、夜の更けるのも忘れて
春夜を楽しんでいる


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良寛と子供たちの像

2007-01-19 23:50:56 | Weblog
良寛さんは子供が大好き

この里のに 手毬つきつつ  子供らと
  遊ぶ春日は 暮れずともよし

霞立つ  永き春日を 子供らと
 手毬つきつつ この日暮らしつ

良寛は子供たちと遊んでいたが特に女の子は
未だ貧しい家が多く口減らしとわずかな金のために年端かも行かない内に
奉公の出されたり 遊郭にもそんな未来を知り不憫に
思いながらどうする事も出来ない、
そんなことを考えながら遊んでいたんだろうか、
若くして病で亡くなったそんな子達の墓碑が越後地蔵堂村。。。
遠く離れた関東の宿場町で残されているとか聞く、
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霧の晴れ間の風景 NO1

2007-01-19 00:10:05 | Weblog
何かゆったり夕ぐれが近づくそんな風景
畠で農家の方が今日の夕餉の野菜を
いいですね こんな冬ならやはり
私はこんな田舎がいい自分で育てた野菜は
はやり美味しいんだ、
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霧で見えなかった山が NO2

2007-01-18 23:57:50 | Weblog
霧で霞んだ弥彦山 多宝山 近くの小山
霧が流れる様 予定に無いシャターチャンスで夢中で
何枚か 水彩画でこんな美しさが表現できたら
楽しいのだが。それにしても今年は雪がない
有り難いがどうなんだろう、
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弥彦山麓の霧NO3

2007-01-18 23:47:11 | Weblog
山の天候変わりやすい先ほどまで霧で先は何にも
見えなかったが、晴れてきたらその様子は霞んだ
木々も美しい 見とれているうちに流れていく雲
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旧北国街道の面影の道 NO4

2007-01-18 23:39:55 | Weblog
弥彦から杉並木の道を観音寺を過ぎて
弥彦麓から西生寺へ山を越えるが未だ当時の
面影の道 地元の方とお話したらそこに昔は
首切り場があったとのお話が 今わ墓地と
そこにお地蔵さんが何体もあるから、
黒滝城の城下町で館もあったはずだから
刑場があるのか、春先のまだ浅いうちなら
国生寺までの山の中も歩けるぞ、
山城は戦いのときに立てこもるが 普段は警備の武士が
館で村落の近くのいわゆる城下で暮らしていたようだ。
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