好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

燕市展今日まで

2006-10-30 23:10:07 | Weblog
燕市吉田産業会館
今年は第1回新燕市になっての美術展 会場も今までの燕文化会館より
広くゆっくり鑑賞できた、無鑑査の方 の作品も今年はれ力作が多かったし
見ごたえあった、 年1回の市展来年も挑戦できればしたいものだが、
私は洋画(水彩)で最低でも30号かなぁ 視点変えるか 自分の好きな物を
描くか 考える事も又楽しい、まあ楽しく入賞は無理でもそれが実力なのだから

先輩の作品 常に入賞されている やはり努力が違うようだ 
弥彦を書くも今展示中だ 此れにも入賞されていた あちこちの
美術展でも名前が出ているし、凄いの一言。
これから各会や仲間の作品展示会からも たくさん案内を頂いている
楽しめる季節だし勉強にも成るし 刺激にも、
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越後三十三観音札所 第24番

2006-10-27 23:54:17 | Weblog
大悲山 景清寺(だいひざん けいしょうじ)
巻町 新潟カントリー500メートル
平沢清水すぐ 
景清という号の寺 平家の悲運の人で両親は源平に分かれ 
(歌舞伎の阿古屋の琴責め)主人公上総七兵衛景清ゆかりの寺
歌舞伎は見たことがないし 解からないが


9月のブログで椎谷観音の紹介の中で
芭蕉の句  草臥れて 宿かるころや 藤の花
貞享4年に芭蕉が 奥の細道の途中で詠んだ 
此れは間違いではと 新潟日報事業社に手紙を出したが
返事がないので編集者のブログにメールしました。
10月18日メールで新 新潟紀行を担当者から執筆者に確認している
との返事 10月23日に担当者から史実と異なっていたことが

判明した、現在歴史紀行(6)は初版ですが 再版以降に関しては
奥の細道の途中からを 笈の小分(おいのこぶみ)に改めたいとのこと

おくのほそみちは
元禄2年3月27日(旧暦)深川 隅田川を出発した)

越後三十三観音札所 巡礼の旅も 同じ所が間違いなのだが
どうするのか 人気のロングセラーとか こちらも
新潟日報事業社発行なのに (改訂版)平成10年10月1日
(1600円+税)H14年4月20日購入


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平沢清水の由来

2006-10-27 22:27:36 | Weblog
平等の 利益にもれぬ しるしおば 
 汲む人ぞしる 平沢の水 
いつ頃誰が詠んだのであろうか、
何時ころから湧き出ていたのか景観を整えるに当たり
石器時代のものと思われる石斧のような物が出てきた
縄文時代頃に人がこの清水を使っていてのかも
大木のケヤキがあると書いてあるが解からなかった、

ここの水でコーヒーでも沸かして飲んで しばし北国街道
の旅人に 思いをはせるか、
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平沢清水

2006-10-27 21:55:27 | Weblog
平沢清水
今も北国街道の風情が残っていると言われている、
新潟カントリーの17番と18番の横あたりか
清水はあるが湧き出ている感じではない
2人汲みに来ていたがどうなんだろう今は生で呑めるか
北国街道の旅人たち あの芭蕉も良寛も文人も多くの人々が
のどを潤し一休みした事だろう
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三根山藩 牧野家 と北国街道

2006-10-26 00:15:56 | Weblog
一山寺
牧野家の永世菩提寺で参道を入り本堂の左に
歴代藩士のお墓がある 今は質素な佇まいの寺だ

山の中の寺で杉林に囲まれて
すぐ近くの街道沿いに子育て地蔵や墓地が
此処は罪人が処刑されると晒し首にした所らしい

法誉山隆崇寺には家老神戸武正の妻
山本五十六の叔母 山本教子のお墓が

この道は北国街道の風情が残る道 平沢清水 へ
越後三十三観音第24番大悲山景清寺もすぐ
今はゴルフコース巻カントリ10番と18番横切る

ゴルフをしていた時は気が付かなかったなぁ、
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米百俵 積み出し口

2006-10-25 23:42:56 | Weblog
矢川 ~西川~分水~ 信濃川から長岡へ15日もかけて
運ばれた 米百俵の積み出し船着場
この川は弥彦の麓に源流が田の用水にも使われて
一度大雨が降れば弥彦山系の谷水が集まり
矢の様に流れ それで矢川といわれるようになったとか。
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続  三根山藩

2006-10-25 23:27:40 | Weblog
幕末には町人の子にも門戸を開いた入徳館という
後世に残る藩校を 学問と武芸に努め徳を磨く教育が
今は当時の偲ぶ タブ の老木がある、
(イヌグス) 地元では じょてい と呼ぶそうだ

初めて聞く名前だが 暖かい地方の木か?
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第1回燕市展27日~30日

2006-10-24 19:30:05 | Weblog
新燕市合併記念第1回燕市美術展 吉田産業会館にて
日本画 洋画 工芸彫刻 書道 写真 部門に242人
295点の応募 240点の入賞 入選 (市展のため2点以上
の出品の方から1点にして多くの方の作品を展示する為か)

無鑑査はこれからは市展賞1回を含む入賞3回 美術協会会員
100名 今年は楽しみです、今までは無鑑査の人は付き合いで
の出品のようで 手抜きのような作品も見られた、が今年は中央で活躍の作家も
感想は展示作品を見てからだ、

私も今年は写真と水彩 (洋画部門)に出品 なんか参加して
居るだけだが 今度はどんな構図で何を考えるだけでも
楽しい 作品はまだまだだが、知り合いの入賞作品も楽しみだ、
今年もシニア展と市展に挑戦しただけでも良いとするか、
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三根山藩

2006-10-24 01:01:57 | Weblog
三根山藩の当時の総面積89707坪
戊辰戦争で長岡の町は焼け野原に三根山藩は
積年の恩を返す為 義援米百俵を送った
これを長岡の小林虎三郎等重臣は長岡の復興は
次世代之子供達の教育に
後に山本有三の戯曲(米百俵)として広く知られた、

三根山藩址の碑 
大正6年元藩の士族により建てられた、石碑の位置は
旧藩庁の正面玄関あたり、

巻の新潟カントリ近く
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三根山藩

2006-10-24 00:34:25 | Weblog
三根山藩は長岡牧野家よりの分家
牧野忠成の4男定成に6000石を1634年に分地
この地は家が1軒もない山林そこを20年掛けて山を削り
谷を埋めて 藩と領民がお互いに助け合い信じあい
藩風が
文武に励んで人を育てることに力を入れ
陣屋前に百間の直線道路を造り1周300メートルの馬場に
1863年1万1千石の大名に 
安政の頃42か村1万5千59石
明治3年
三根山藩改名 峰岡藩に
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旧庄屋佐藤家 

2006-10-21 21:17:08 | Weblog
誰も居ないので家の中に 今も住んでいられるようだが
お座敷に上がらしていただいた いつごろ造られたのか
お聞きできなかったが いい材木や造りのようだ今でもがっしりした感じ
隣に物置のような所に農具や藁の当時の蓑 かさ 雨具 ばんどる等が
50年くらい前の農家の仕事の様子を写した写真が
 資料館として 自分で電気をつけて入れさせて頂いたが、

もしかして此処は馬屋 牛小屋なのかも

近くはまだまだいろいろ楽しく散策できそうだ、
後日 三根山藩の紹介のとき 旧北国街道は夢が沢山ありそうだ、
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巻 福井地区

2006-10-21 20:52:51 | Weblog
北国街道の町並
静かで歴史が感じられる町 最近ではほたるの出る時期は
幻想的風景を楽しみに訪れる人が多い、 それだけ自然を大切にしているのか
旧庄屋 佐藤家 家屋は大きくは ないが庭の木々を見ると
当時が偲ばれる 樹齢の木
三根山藩のすぐ近くで藩主の菩提寺 家臣の墓所
家老 神戸武徳 山本教子の墓所 長岡藩に
米百俵を送った人たちか

ゆべし 名物江戸時代から 徳川14代将軍家茂にも献上されたとか

平成観音 じょんのび館  トンネルを越えるとそこは日本海
角田山の登山口も 角田山は私の知るだけで登山口は6箇所くらい
3箇所からしか登っていないなぁ。
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巻郷土資料館

2006-10-21 00:39:55 | Weblog
少し狭いのと分類がまだたくさん 珍しい物が有りそうだ
考古資料の中の土器など興味があるか知識があると面白いんだろうが
年に数回は特別展が一般公開されている

入館料は無料でした、
近くを通る時に覗いて見たら、
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巻郷土資料館

2006-10-21 00:25:38 | Weblog
巻町の指定文化財の のぞきからくり 一式は珍しいようだ
懐かしい民具農具も

看板のようなものか 今のポスターか
のぞきからくり のストーりから連想しての
手作りのものだろう

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越後の毒消し

2006-10-21 00:12:18 | Weblog
当時の行商の衣しょう (ユニホーム)だ
日本海側の小さな魚村から各地に
若い娘さんやお母さんが子供を家に置いて
毒消しは いらんかねーと声掛け セールスして
いたんだろうか 子供ころ そんな声を聞いたような
腹痛だと 毒消しを呑まされたよう記憶が
今の正露丸のような用途かだったのか、

そんな時の小道具 行李 薬を丸くする
製造道具も

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