好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

良寛と西照坊(中山) NO1

2007-03-06 23:35:59 | Weblog
出雲崎町から山を越えた集落に
現在の出雲崎駅から右方面を352号を
丁度中間あたり海岸方面へ公民館左に
中山集落に(西照坊)がこの場所にあり
現在の庵は新しく作られたものだが

縁の下から生えて来た竹の子の為に縁板を
取り去り、更に伸びてやねにつかえたので
ろうそくで穴をあけてやろうとして庵を
焼いてしまったのは、この西照坊でのこと
で此処中山に住めなくなった、逸話も。

良寛がこの坊を知ったのは光照寺での
修行をしていた頃かと思われる、山菜を採り
焚き木を拾い 山を歩いて知り この坊を
利用したのではないかと、安永初め(1772年~)

妙喜尼が開基した小堂で 光照寺時代に係わりが
あった、
中山より 三輪 徳充院 の手紙は此処から
3月2日 ブログ参照NO2の中の NO4の手紙参照
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西照坊 歌碑  NO2

2007-03-06 23:35:32 | Weblog
いずもざき  良寛詩

はるののに わかなつみつつ
きじのこえ きけば むかしの
 おもほゆらくに

此処で詠んだ歌ではないかも知れないが

寛政8年に帰国した良寛はここで争いの
渦中にあった生家の情報を得た、間もなく
郷本に移ったが、しばし西照坊を訪れたが、
文化8年生家橘屋が没落した後は良寛がここを
訪れることがなくなった、

帰国した時は生家の前を通りここに仮住まい
したのでは無いだろうか、

今は良寛の古道ハイキングコースもあり、

『伝説の越後、佐渡』と言う本に、西照坊の
事が書いてあると事なので図書館で探して 
詠んでみよう、
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