出雲崎町から山を越えた集落に
現在の出雲崎駅から右方面を352号を
丁度中間あたり海岸方面へ公民館左に
中山集落に(西照坊)がこの場所にあり
現在の庵は新しく作られたものだが
縁の下から生えて来た竹の子の為に縁板を
取り去り、更に伸びてやねにつかえたので
ろうそくで穴をあけてやろうとして庵を
焼いてしまったのは、この西照坊でのこと
で此処中山に住めなくなった、逸話も。
良寛がこの坊を知ったのは光照寺での
修行をしていた頃かと思われる、山菜を採り
焚き木を拾い 山を歩いて知り この坊を
利用したのではないかと、安永初め(1772年~)
妙喜尼が開基した小堂で 光照寺時代に係わりが
あった、
中山より 三輪 徳充院 の手紙は此処から
3月2日 ブログ参照NO2の中の NO4の手紙参照
現在の出雲崎駅から右方面を352号を
丁度中間あたり海岸方面へ公民館左に
中山集落に(西照坊)がこの場所にあり
現在の庵は新しく作られたものだが
縁の下から生えて来た竹の子の為に縁板を
取り去り、更に伸びてやねにつかえたので
ろうそくで穴をあけてやろうとして庵を
焼いてしまったのは、この西照坊でのこと
で此処中山に住めなくなった、逸話も。
良寛がこの坊を知ったのは光照寺での
修行をしていた頃かと思われる、山菜を採り
焚き木を拾い 山を歩いて知り この坊を
利用したのではないかと、安永初め(1772年~)
妙喜尼が開基した小堂で 光照寺時代に係わりが
あった、
中山より 三輪 徳充院 の手紙は此処から
3月2日 ブログ参照NO2の中の NO4の手紙参照