好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

はざ場

2006-09-30 22:43:44 | Weblog
はざ木 たま木(燕ではこう発音)する
ハンノキも少しはあったようだ、
子供の頃は自分の小使い欲しさに たま木蝋
枝先に虫が卵を産みつけた白い巣を朝 木に登り
手ぬぐいで袋を作り その中に入れた
大変だが 頑張ると良い金になり近くで買ってくれたし、

大人でもそんな人がたくさんいた、
誰も危ないからやめろなど言われなかった
遊びも自然相手川に入り鮒 なまず 捕りも皆んなが
年上の子は下の子に遊びも教えていた

小学校では イナゴ採り 落穂拾いをして
田んぼに皆でそんな時間があった
ニワトリをたくさん飼っている所に売り
そんなお金で図書を買っていたようだ



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はざ架けと角田山

2006-09-30 22:09:32 | Weblog
自然乾燥 はざ架け
今は珍しい風景になっている、
写真に撮る人や絵の対象に
私もスケッチに良く行くが刈り取られた稲かぶ
たま木(たも木)書き尽くされているが
絵になる木が 特に冬の吹雪のあとのはざき 

木枯らしの中 耐え偲んで春を待つそんな姿
いいのかなあ、

見える山は 角田山 

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弥彦山と多宝山

2006-09-30 21:44:58 | Weblog
旧岩室(新潟市)夏井
もうほとんど稲刈りも済んだ、
観光と村おこしのはざ木(たも木)はざ場(はぜ場)

子供のころは何処でも 今ごろは家族総出で稲刈り
夕方になればはざ架け 暗くなれば提灯の明かりで

農繁期は農家の子供でも出きる事を手伝っていた、
今は懐かしい 都会で暮すと特に田んぼはざ木 
弥彦 山多宝山のある風景が懐かしく感じる事だろう、
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椎谷観音 芭蕉歌碑解説?

2006-09-27 17:15:21 | Weblog
草臥れて(くたびれて)
宿かる頃や(やどかるころや)
藤の花 (ふじのはな)

貞享4年(1687年)に芭蕉がおくの細道の途中で詠んだ、
越後33観音札所 巡礼の旅 改訂版ロングセラーとか
説明解説が誤りだと思うが、
 (平成10年10月1日発行(1600円)H14年4月買いました。)
時間が空いたのでつばめの図書館で調べたが
おくの細道の中にこんな句がないし年月は 元禄2年(1689年)
3月27日(旧暦)に深川~を大垣着は8月21日?
大和行脚のとき 詠まれた 句の筈だが
鹿島詣での旅から帰り上方紀行(笈の小文)おひのこぶん

新新潟紀行(NO6)にも同じ説明文があるが
新潟日報事業部さん調べてください
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あざみ?タムラソウ?

2006-09-27 12:43:49 | Weblog
アザミもたくさんあるので
花だけ見ていると野原アザミか?
タムラソウ 名前を聞くと何か由来が有りそうだし
田んぼや村はずれで咲いている、そんな風にも取れるが

誰か解かったら教えてくださいね
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北国街道の面影

2006-09-27 00:45:58 | Weblog
旧北国街道
弥彦麓から猿が馬場を通り西生寺へ
山の中に面影が かなりの難所だったであろう
大八車なら引いて行ける広い道だ

春先なら山野草を見ながら歩いてみるのもいいなあ、
最近は旧街道を歩く会も有る位だから
所々でスカイラインを横切る事になるが
糸魚川の塩の道を歩く会 前に参加した今年も案内がきた
これは途中で一泊して小谷まで、
下田では80里越えで福島の只見町へ
これももう一回参加したい
ガイド付でないと 熊が怖いし、

こんな町おこしも以外と多くの人が参加しているし、
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ツリフネ草 黄色

2006-09-27 00:16:20 | Weblog
久しぶりに弥彦麓へ黒滝城への道
車は当分通ることが出来ないようだ
道端で黄色いツレフネ草が

同じところに赤と黄色が いまが盛りか
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ツリフネ草 赤と黄色

2006-09-26 23:05:46 | Weblog

src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/7d/db78609bf4825ba5b04f390e58fd7d03.

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椎谷観音堂

2006-09-25 00:21:12 | Weblog
風格のある観音堂
樹齢千年の欅
周囲6.5M 直径2M
ご本尊は椎谷浜の海中から引き上げられた、
聖観世音菩薩 
ここは 宮川の浜の隣だ、良寛詩の中国
峨眉山から流れ同じように 流れ着いたのかも

仁王門の傍らに芭蕉の句碑
草臥れて 宿かるころや 藤の花
(芭蕉がおくの細道の途中で詠んだ)と
越後三十三観音札所の本に書いてあるが(新潟日報事業社)
改訂版 (1600円)平成10年10月1日改訂版
此れは誤りだと思う 貞享4年(1687)とあるが
鹿島神宮参詣を兼ねて 鹿島紀行に
おくの細道は1689年の筈だが 調べてみよう
ここで詠んだ句ではなく
他で詠まれたものを藤の花が咲いたので芭蕉の句 が
合うのでここに碑を、
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椎谷観音堂

2006-09-24 23:37:27 | Weblog
椎谷観音  越後33観音の番外であるが
越後屈指の観音霊場 山上の越後札所の中で一番の高所に
仁王門をくぐり300余段の長い石段
この石段 頓入坊が一人で海から石を運び18年の歳月を費やして築いた
(本名清八が手のつけられない乱暴者 普段から彼をもてあましていた
村人が酒に酔え寝ていた清八を縄で縛り池に投げ込んだ、しかし奇跡的に
命が助かり観音様のおかげと信じ仏門に罪滅ぼしに、
寛政元年(1789年)石段築造を成し遂げ自ら掘った洞窟に入って
入定(頓入沙弥入定窟 とんにゅうみにゅうじょうくつ)、
今は車で行く道が出来た、駐車場もあり、

寺泊海岸の道 出雲崎 石地を通り高台で柏崎方面の景色が
きれいな所下に椎谷港が(ここは黒鯛が釣る良いポイント)
4~5年前休日前夜良く出かけた。一晩で何枚も メジナも

我が家から40kM 宮川の浜の少し前

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続 地域を知ろう講座 寺泊

2006-09-24 01:09:02 | Weblog
神社隣に
船絵馬館が
江戸時代の寺泊港は北前船の寄港地
船主や船頭が航海の安全を祈り持ち船を
絵馬師に描かせて奉納(52点)
造船史 航海史 経済史 国の重要民族文化財に

聚感園(しゅかんえん)で皆んなで記念撮影
暑さで皆んな ばてて密蔵院は後日にし
西生寺へ

お疲れさまでした、


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続 地域を知ろう講座 寺泊

2006-09-24 00:51:48 | Weblog
寺泊白山神社 二面神社(にめん)
明徳2年(1391)
土地の漁師が夢枕に立った神様のお告げにより
漂流するご神体を取りあげてここに祭った、

ご神体は板に網を持って魚を獲る 人物像を透かし彫りに
一体男女の像
祭礼は春は女神の像 秋は男神の像が正面に向け
豊漁と安全を祈願する
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続 地域を知ろう講座

2006-09-22 09:00:42 | Weblog
拓本採り
いしぶみの里で5班に分かれ6人みんな初めての拓本採りに挑戦
用意してくれた道具 採り方を聞きどの歌碑にするか迷いながら
たくさんの歌碑 もちろん説明文を読まないと読めないが
 
各班で苦戦しながら でも中々難しいものだ、
良い体験をした、公園で昼食
大人の遠足だ。

与板は城下町で未だたくさん史跡が与板城跡も
良寛さんの父以南の歌碑が弟由之の歌碑も
旧塩入峠も歩いて見るのも、
山には大坂塔 古戦場後もハイキングコースにもいい。

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続 地域を知ろう講座

2006-09-22 00:54:20 | Weblog
与板 徳昌寺
創建は1479年
良寛の父以南生家 新木家の菩提寺でもある
良寛さんが文政11年11月12日の三条大地震
(1828年)


死者1600人負傷者2500人と伝いられ
倒壊家屋13000余 半壊9300余軒焼失家屋1070軒
親しい友人にあてた見舞いの書簡に

災難に逢う時節には災難に逢がよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがれる妙法にて候
と有名な言葉が書きそいた
碑がある (妙法とは素晴らしい教えの意)
妙法蓮華経の略

文政12年に地震の犠牲となった無縁仏を供養する
大法要を その盛大であった事 その費用が与板藩主
井伊侯の寄進によったものであること聞き非常に感激して
作られた。
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続 地域を知ろう講座

2006-09-22 00:29:59 | Weblog
与板歴史民族資料館
直ぐ前に大手門 本願寺与板別院も
直江山城守兼続の像 鉄砲製造や手工業市の開設
旗下に与板衆と呼ばれる122名も
規模は大きくないが 土器 地場の大工道具
豪商大阪屋 三輪家 城下まちの品々が
そして大坂屋三輪家の別荘 楽山苑で
事務方用意してくれた末茶とお菓子を頂く
山手で眺め最高の高台の場所で粟ケ岳 守門 見渡せる
信濃川 平野 町並を

つつじ 桜の頃が最高 でライトアップも
楽山苑の中腹に十一面観音菩薩立像がある
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